第二章6  『新天地。進展値。新転地』


 その事件は、沖縄で起こった。

 

 4月1日。午前0時頃。

 

 海沿いの崖から、遠征に来ていたサッカー部の男子高校生が転落するという事故が起きた。

 

 男子高校生は、両手と右足を粉砕骨折。他にも数箇所骨折をし、全身打撲の重傷となった。

 幸いなことに命に別状はない。

 

 問題なのは、被害者である男子高校生と、第一発見者である付き添いの女子マネージャーが、口を揃えて『死神にやられた』と証言していること。

 

 証拠として、二枚の紙を二人の高校生は提示した。

 一枚は、男子高校生を煽るもの。

 もう一枚は、女子高校生に洞窟の中で待機するように記したもの。

 どちらも、筆跡鑑定は困難であり、指紋も残っておらず、内容も見事に誤魔化されており、脅迫罪として起訴するのはあまりに難しかった。

 

 さらに、森にはカメラが仕掛けてあった。

 何者かのカメラだ。

 

 たしかにそこには、薄手の黒いロングコートを羽織り、死神の仮面を付けた推定男がいた。

 

 だが、音声は全くと言っていいほど拾えていなかった。

 

 前述の通り、男子高校生は、死神にやられたと証言しているが、映像を見る限り、最初に暴力を振るおうとしたのは男子高校生であり、それを死神に取り押さえられた形だ。

 

 死神の行動は過剰防衛とは言えないので、正当防衛となるだろう。

 

 さらに、映像に映っていたのは、男子高校生が自ら崖から飛び降りる瞬間だった。

 

 死神が背後から何かしたわけでもなかった。

 

 男子高校生は、死神に脅され、落ちるよう強要されたと証言しているが、音が拾えていないため、立件とはならなかった。

 

 

 だが、これは全国ニュースに乗り、メディア並びにネット上では、その男を『死神』と呼ぶようになった。

 色々な憶測が飛び交ったが、結局信憑性に欠けるものばかりだった。

 

 ——だが、その数ヶ月後、今度は北海道である事件が起きる。

 例の事故の男子高校生と同じ高校であり、さらに男子高校生と仲の良かった男子高校生が、被害にあった。

 ——いや、こちらもまた、被害とは言えなかった。

 

 ——全部、男子高校生が悪いのだ。

 死神は法に触れることはしなかった。

 

 死神はまさしく死の神だった。

 

 ——命ではなく、一人の人生を奪う、死の神だ。

 

 

 

 

 海沿いの山に監視カメラなどない。

 上手いこと掻い潜り、途中でバッグにコートと仮面を隠し、待ち合わせのホテルへと向かった。

 

 午前三時を回っていた。

 ホテルの一室を開けると、ホテルの真っ白な部屋着に身を包んだ美人が座っていた。

 

「この時間帯にホテルの一室で男女が二人きり。さらに、女の方はその格好。健全とは言えないな」

 

 開口一番に無駄口を叩く流榎。

 美人——東峰はその流榎の様子を見て、上手くいったことを把握する。

 

「——あなたから手を出したりはしてないでしょうね?」

 

「ああ、和倉には手を出してないぞ。これからお前にはどうするか分からないけどな」

 

 当然、そんな気持ちは微塵もない。

 ただ堅物である東峰が動揺する様を見たかっただけだ。

 まあ、何も変化などないのだが。

 

「お前が中野芽衣のフリをして、女将に手紙を渡したところは少し感激したよ。あんな演技もできるんだな」

 

「からかわないで。……で、感想は」

 

「ああ、つまらなかったよ。やっぱり中野芽衣は殺しておくべきだった。そっちの方が面白かっただろうに」

 

 殺すこともできたが、和倉が流榎ではなく、和倉自身を恨むように仕向けたかったのだ。

 だが、復讐? としてはあまりにつまらなかった。

 

「だから、殺すのはナシって言ったでしょ? 聞いてなかったの。私たちは沖縄まで来てるの。飛行機を使ってるわけだから足がつくかもしれない。そうしたら、人を一人殺すだけでかなり危うくなるでしょ」

 

「わかってる。でもまあ、殺せる時が来たら殺せばいいさ。中野芽衣でも、慈照寺紬でも。次のターゲットも殺しはしないもんな」

 

 もう次の計画も進んでいる。

 決行は数ヵ月後になるだろうが。

 だが、次も和倉と同様小物だ。

 

 流榎が狙うのは二人。

 須和徹すわとおる

 そして、

 龍神蓮たつがみれんだ。

 

 須和徹も、龍神蓮のための実験材料だが、手に入れた情報と状況があまりにも都合が良かった。

 

「須和は、草恋かれんに恋愛感情を抱いているんだろ?」

 

 東峰はパソコンをいじりながら、「ええ、たぶんね」とぶっきらぼうに言った。

 

「それは都合がいい。須和を前座として実験台にさせてもらう」

 

 東峰は手を止めた。

 

「なんの?」

 

「草恋は僕のことを懸想しているはず。だからだよ」

 

「だからってなにが? もう少し具体的に」

 

「そうだな……」

 

 流榎は顎を触りながらあれこれと思考を巡らせる。

 

「——翁草恋おきなかれんと僕が付き合うのもアリだな」

 

 東峰は眉をピクリとさせた。

 

「……慈照寺紬を落とすために行動してるんじゃないの?」

 

「同時進行だな。僕が草恋と付き合って得るメリットはかなり大きい。最近は、あの人のおかげで女の扱い方も分かってきた。簡単だし、単純だ」

 

 あの人とはもちろん愛美まなみだ。

 愛美には定期的に指導を受けている。

 おかげで、ナンパの成功率は95%を超えている。とんでもない数字だ。

 野球で例えるなら、打率九割越えと同等だ。

 まあ、レベルにもよるが。

 

「だが、お前の落とし方だけは分からないな」

 

 東峰に向けての言葉だが、東峰は見向きもしない。

 無論、流榎は東峰に恋心を抱いている訳では無い。

 抱けるものなら抱きたいくらいだ。

 だが、ここまでガードが高い女を落とすとなると、慈照寺紬を落とすのは比較的楽に思えるだろう。

 そのための前座だ。

 

「——すでに、慈照寺があなたに惚れてるって可能性はないの?」

 

 久しぶりに固い口を開いたかと思えば荒唐無稽なものだった。

 

「たぶんないな。あいつはキャラクターを作りすぎてる。偽りでできた女の心まではわからない」

 

 流榎は慈照寺紬が嫌いだ。

 全てを取り繕っている。

 あの女の立ち振る舞いを目にする度、自然と目を逸らしたくなってしまうのだ。

 

「クラスが同じだったらやりやすいんだけどな」

 

 あと一週間後には始業式がある。

 そのときにクラス替えがあるわけだが、二年生、三年生は同じクラスのため、これが実質最後のクラス替えと言える。

 

「お前もやっぱり、クラス替えとか楽しみなものなのか?」

 

 東峰は呆れたように嘆息。

 

「幼稚ね。話す人がいない私が周囲など気にするわけないでしょ」

 

「ああそうだな、悪かった」

 

 東峰は急にノートパソコンを閉じた。


「それより、こんな時間にホテルであなたと二人きりなのは落ち着かないのだけれど。体術を習ってるあなたに勝ち目はないし、襲われたらなすがままにされてしまうわ。早く出てってくれない」

 

「ああ、そのつもりだ」

 

 流榎はバッグを持ち、扉を開ける。

 部屋は真隣だ。

 

 こちらを見向きもしない東峰をからかうように、

 

「クラス同じになったらよろしくね? 紫苑ちゃん」

 

 とルカはにこやかな笑顔で煽った。

 

 東峰がすぐさまこちらを振り返るが、流榎はすぐにドアを閉め、隣の部屋へと向かった。

 

 

 

 

「嘘……だろ……?」

 

 感情を持たない。心という器を持たない流榎が動揺した。

 

 今日は4月8日。始業式だ。

 校舎の入口に貼られたクラス分けを見て、思わず声が出てしまった。

 

 流榎のクラスは2年5組。

 クラスメイトの中には、

 『東峰紫苑』

 『慈照寺紬』

 『翁草恋』

 『中野芽衣なかのめい

 『和倉実わくらみのる

 『萩田希はぎたのぞむ

 『久米明彦くめあきひこ

 『須和徹すわとおる

 『龍神蓮たつがみれん

 と、関係者だらけだった。

 

「これ……仕組まれてないか」

 

 と思わず口から漏れるのも無理のない話である。

 

 流榎が2年5組の教室に向かおうと、人気のない廊下を歩いていたその時。

 

 無人の車椅子があった。

 その横には、少女が倒れていた。

 上半身はかなり力んでいるが、下半身は力むどころか、力を入れることすらままならないらしい。

 

 懸命に車椅子に戻ろうとしているが、不自由な足では難しいのだろう。

 

「大丈夫? ボクが手伝おうか?」

 

 流榎からルカに切りかえ、甘い笑顔と、優しい口調で少女に手を差し伸べる。

 

「ありがとうございます」

 

 少女は真っ白——否、透明だった。

 雪のように白いストレートな髪。

 雪よりも白い肌。

 赤と青のオッドアイ。

 

「綺麗な顔立ちだね。新一年生?」

 

 端正な容姿の異性とは繋がりを持っておきたい。

 それは劣情から来るものではなく、利用出来るケースが多いからだ。

 現に、草恋と接点があったおかげで、須和を弄ぶことが簡単に出来そうなのだから。

 

「——あなた……は、あの時の?」

 

 少女が赤と青の双眸を見開きながら戸惑っていた。

 

「あの時? あの時っていつかな?」

 

「……大通り公園」

 

 その少女の発言で、流榎は思い出す。

 あの、自分と同類だと思った女だ。

 まさか高校が同じだとは思わなかった。

 名前も覚えてはいるが、あえて忘れたフリをする。

 

「ごめんね。記憶にないんだ。でも、とても綺麗な白髪に、肌だ。赤と青の双眸も似合ってる。お名前聞いてもいいかな?」

 

 少しやりすぎたな、と思いながらも、こういう女には褒めちぎる方が効くだろうと考えた故の判断だ。

 

「——あなたのその話し方……嫌いです……」

 

 全くの見当違いだったらしい。

 

「ああ、そうか。日野白雪ひのしらゆき、だっけ」

 

 同一人物とは思えないほど冷めた声を流榎は発した。

 

「……覚えていたのですか?」

 

「ああ」

 

 いつまでもこんなところにいるわけにもいかない。時間もそれほどない。

 

 流榎は白雪に手を差し伸べ、車椅子に座らせる。

 

「……ありがとうございます」

 

「大したことない」

 

「まさか、この高校だったなんて……」

 

「は?」

 

 白雪は片頬だけで笑った。目は雪に包まれたように凍死していた。

 

「——私の同類が、こんなところにいるなんて」

 

 それは期待でも羨望でもなかった。

 ただただ、哀れだなと言いたげなニュアンスを含んでいた。

 

「——僕はお前とは違う。本懐を果たそうと健気に尽くしている。この世の全てを見限り、諦め、悲劇のヒロインぶっているお前なんかと一緒にするな」

 

 白雪は車椅子のハンドリムを握り、

 

「あ、そう」

 

 と言って、エレベーターに向かっていった。

 

 

 

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