第二章4  『逢瀬のままに』

「うっしゃあ!」


 男の声が室内に響き渡る。綺麗な和室の壁を貫通してしまいそうなほどに大きな音だ。

 その声を発した男は、実の先輩の――ハルヤだ。


「ナイスです!」


 実は携帯の液晶から、ハルヤの方に視線を変えて、大きな声を上げる。

 二人が何に興奮しているかというと、スマホゲームに熱中していたのだ。そのゲームは、マルチプレイ――協力プレイができるソーシャルゲームで、画面上に配置されるモンスターを弾いて敵を倒すというシンプルなゲーム性なのだが、色々と奥の深いゲームなのだ。


 今現在、高難易度クエストに挑んだ二人は、ハルヤの一手により勝利が確定した次第だ。

 それにより二人は歓喜の雄叫びを上げ、思いっきりのハイタッチをした。


「ハルヤくん流石っす!」


「いや、これはもうほぼほぼミノルのキャリーだろ」


 満面の笑みで実と熱い握手を交わしてくるハルヤの両手を、実は強く握り返した。


「お客様、今お時間よろしいでしょうか」


 ――二人がゲームに興奮している最中、襖から声が聞こえた。

 その声掛けに室内には数秒沈黙が漂ったが、ハルヤが口を開いて、


「どうぞー」


「失礼します」


 ハルヤの声に反応して、襖がゆっくりと開いた。

 その襖を開けた人物は、若い女性で、藤色の二部式着物を艶麗に着こなす美人であった。

 その美人――若女将という言い方が正しいのだろうか。若女将は、丁寧に合手礼をしてから、室内に入り、襖を丁寧に閉め、室内の二人の男子の前まで体を動かした。


 その一挙一動は、とても上品で妖艶であり、若女将が歩いたり、触れたりする場所には花が咲くのではないかと思わせるほどに婉美な雰囲気が漂っていた。

 その若女将の動作に対して、二人の若造は息を飲み、その自然的な成り行きをただ傍観することしかできなかった。

 

 それくらいに実とハルヤは黙り込み、体を微塵も動かせない。

 しかし、その美しさによる不可避な静寂を破ったのは、目の前の若女将だった。


「こちらを預かっております。和倉 実様に渡して欲しいと」


 二人の立ち尽くす青二才の目の前で正座をし、座礼をしながら、若女将は、一枚の赤い封筒を渡してきた。


「俺?」


 実は封じ込められていた声を腹から捻り出し、若女将が差し出してきた赤い封筒を手に取る。そして、封を開け、中の便箋に目を通すと、そこには、


 『大事な話があるので、午後十一時五十五分。今朝女将から説明のあった崖の上で待っています。中野 芽衣より』


 その便箋は手書きなどではなく、明らかにコンピュータで打ち込まれた文字が刻まれていた。芽衣は大の機械音痴の為、キーボードの入力すら、まともにできない女だ。だから、コンピュータで文字を打ち込むという行為に対して不信感こそ湧いたが、それよりもその手紙に記される内容に対しての衝撃の方が強く、実の不信感の全てを呑み込んでしまった。


「み〜の〜る〜」


 いきなり実の首に腕が絡まり、身動きが出来なくなる。それはハルヤが実にヘッドロックを喰らわせていたからだ。


「ちょ、ハルヤくん死ぬ! 死にますって!」


 声にならない叫びを上げる実の声を聞いたハルヤは実を解放し、実の肩に腕を回した。


「悔しいけど、お前やるな!」


 屈託のない純粋無垢な笑顔を近距離で、ハルヤは実に浴びせる。


「ちょ、待ってくださいよ」


「そこは、『ちょまてよ』だろ?」


「いや、なんでハルヤくんに言わなきゃいけないんですか……使い所も違うでしょ」


 ウインクをしながら白い歯を見せたハルヤが、サムズアップを作りながら、ドヤ顔で実を茶化す。

 実はそれにツッコミながらも、すぐさまハルヤから若女将に視線を変え、


「あの、すみません。ちょっとまだ頭が追い付いていないというか……これホントに芽衣からですか?」


 一番実が懸念すべきことは、他でもない芽衣本人がこれを差し出したのかどうかという問題だ。

 今この場にいるサッカー部の部員で、実に嫌がらせをする人はいない。だが、かなりおちゃらけた人ばかりなので、このようなことを冗談半分でやりかねないのだ。しかも、芽衣の字なら実には識別できるが、パソコンで打たれた字となると、判断のしようがない。


「はい、中野 芽衣と名乗っていらっしゃいましたよ。特徴を言うのなら、長い黒髪を下ろしていて、肌も綺麗で色白な女の子でしたよ」


 若女将は、満面の笑みでその差し出し人の身体的特徴を述べた。

 『長い黒髪』に少し実は引っかかったが、セミロングは一応長いに入るだろうと結論付け、差し出し人は芽衣で間違いないだろうと判断した。

 しかも、芽衣は嘘コクなるものや、半端な恋愛を極端に嫌う女性なので、これは冗談ではないとも受け取れる。


「ほんとかなー」


 実の心は揺れ続ける。

 なぜなら、芽衣が自分に好意を抱いているという予兆を全く実は見てこなかったからである。

 だが、今日の昼間の膝枕の時に見せた赤面なども、好意を抱いていたのだとしたら腑に落ちる部分もある。


「おいミノル。これは多分ガチだぜ。なんでかって言うと、今日、あの洞窟で二人きりだったんだろ? あれ、エリとサヤが俺らに行くなって脅してきたんよ」


 確かにこれなら辻褄が合う。

 あれだけ紹介されておきながら、誰一人として来ないという状況に実は違和感を感じていた。だが、芽衣が仕組んだことなら、それは全て筋が通ることと言えよう。


「更に、まだこのことは大女将にも話しておりません。中野様に部員の皆様にも、我々仲居にも、誰にも口外しないように言われております」


 大女将というのは、今朝あの崖を紹介した女性だろう。いきなり観光スポット? 的な場所を紹介されたときには驚いたものだが、もしかするとそれすらも芽衣の策略だったのかもしれない。


「じゃー、どーすんだよミノル」


 実の肩を激しく叩いたハルヤが実に質問を投げかける。

 その質問の答えを必死に考えるが、もう既に答えなど実の中では出ていた。

 今、実が慌てて考えているのは、照れ隠しの為の誤魔化しの回答だった。


「いや、行ってみなきゃ分かんないですよ……でもまぁ、誰も悲しむことはないと……思います」


「それは中野様も喜ばれます!」

「帰ってきたら、ビンタ百発してやるから、幸せになるのはそれからだぞ? アホミノル!」


 各々が別々の言い回しで実を祝福する。

 実にとっては、そんなの全てどうでもよく、ただただ今日の深夜が楽しみで仕方なかった。





「いってこい!!」


「はい!」


 現在、3月31日、午後11時50分。

 待ち合わせ時刻の五分前であり、実は外着に着替えて、部屋を出ようとしていた。

 そこでハルヤに渾身の激励を貰い、それに実は応えた。


 二階にある部屋を出て、階段を下る。

 そのまま玄関まで歩いていくと、


「は?!」

「え!?」


 二人の女性が、旅館のロビーのソファに腰を掛けていた。その女性はこのサッカー部のマネージャーのエリとサヤであり、浴衣を着こなしながら、大きな声を出している。


 二人は走って実の方に近付いてから、


「え? 実くんなんでここにいるの?」


 エリが落ち着かない雰囲気で、実を問い詰める。


「え? いや、今からちょっと、あのまぁ待ち合わせ? みたいなのがあって」


「いや、だから! 約束の時間もうす――――ンンン!!」


 怒号を浴びせるように怒鳴り声を上げたエリの口を、サヤが手で塞ぐ。


「ごめんね和倉。まぁもう行きな? というか早く行ってあげてくれ。待ってると思うからさ」


「ガツンと伝えろよ! ガツンと!!」


「は、はぁ」


 まだ待ち合わせまで三分ほどはあるのに遅刻したような言い草に加えて、まるで実が告白するような言い回しをしてきたことから、益々不信感が実の中で育まれたものの、同室の二人が状況を理解しているようなので、待っているのは芽衣だと真に確信ができたことにより、実は深く安心した。


「じゃあ、行ってきます」


 実がそう言うと、二人は何も言わずにサムズアップを作って激励してきた。


 実は一礼だけして、今度こそ旅館を出た。

 まだ四月になっていないのに、沖縄の夜は涼しく、北海道の夏とほぼ同じような気温だった。

 そんな涼しく適温な空気を吸いながら、実は森の一本道を歩く。

 とても暗いが、少し小汚い電灯が道を照らしてくれる。虫の鳴き声と葉っぱが風に揺られる音を耳に入れながら、実は約束の場所へと向かう。


 ――そして、電灯すら無くなり、海の水が波打つ音が聞こえてくる辺りまで足を進めた。

 周りは完全に森で、沢山の木で辺りは埋め尽くされていたが、数十メートル先には森では無く、海が広がっているのが微かに見える。そこが、昼に芽依と過ごした洞窟の上の崖である。


 それを目指して実は、一歩一歩を着々と刻む。

 ふと、携帯を見ると、時刻は午後11時58分に丁度変わってしまった。


 そして、前を見ると、一人の人間が崖の上に佇んでいる。

 その人間は、まだ正確に視認できないが、夜空に浮かぶ三日月に照らされ、海の方を見ているだろう。


 ――だが、段々と近付くにつれ、その実体を明瞭に確認することが出来た。


 それは、漆黒のような黒色のロングコートを羽織り、恐らくフードも被っている。

 両手には、黒い手袋を着けているだろう。


 それが芽衣でないことを瞬時に実は理解した。どうしようもない不安が実を襲い、冷や汗が額から流れてくるのを感じた。

 その垂れてくる冷や汗を拭く時間すら惜しみ、実はその人間との距離を詰める。


 その人間と実の距離が五メートルくらいになったとき、実は足を止めた。

 実の足音に気付いたのか、目の前の人間? はゆっくりと振り返り、実に顔を向けた。


 ――それは人間ではなく、死神だった。


 暗闇のようなロングコートを身にまとい、更にフードを被りながら、顔には死神の仮面を着けていた。その仮面は、真っ白なのだが、目が漢字の八の形のように空いており、口もまた何かを嘆き、叫ぶ姿を表すように空けられていた。

 その真っ白な表面とは対照的な、永遠に続く暗闇のような空洞が目鼻口に空いていたのだ。

 仮面の下に人の顔は無いとまで思わせるほど暗闇が続く空洞の内の二点からは、赫い光が発せられているようにも見える。


 すると、突然その死神は、黒い手袋を着けた両手を広げ、


「今日は、月が綺麗だね。まぁ、三日月なんだけど」


 歪で賤陋で醜くも透き通る声を、死神は発した。

 実は目の前の唾棄すべき死神に対して、畏怖が体を支配し、体を動かすことは疎か、呼吸さえもできないほどに生存本能が悲鳴を上げていた。

 だが、そんな恐怖に歯向かうように、体の震えを強引に押え、実は口を開いて、


「お、おま、え、は……」


「ん? オレ? オレのことなんてどうでもいいじゃないか! オレがしたいことは一つだけなんだよ? 何か分かるかい?」


 目の前の死神は、動かない仮面の口とは反対に、狂気じみた声を発する。


「は……?」


 必死の抵抗も虚しく、実の体から発せられる声は、肺から口を移動する過程で、声量の殆どを削ぎ落とされ、口から出たときには、もう微量しか音を奏でることは出来なかった。


「そんなに怯えないで! オレは怖くないよ?! ね?! だから、安心して!! 分からないならちゃんと教えて上げるからさ! オレがしたいことはたったの一つだけなの!」


 死神は広げた両手を閉じる気配を見せないまま、淡々と人の不快感を増長させるような悪辣な醜声を紡ぎ続ける。


 そして、死神は広げた両手を更に大きく広げてから、


「――俺とゲームをしようよ。和倉 実くん」


 死神が奏でる音に反応する者はこの場にはいなく、先程まで鳴いていた虫たちも何処かへと消え失せてしまった


 聞こえるのは、悲しい波の音だけだった。


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