第二章3  『赤紙』

「――る? ……のる? みのる!」


 暗闇の中で甲高い音が聞こえる。

 その音は段々と言葉に変化していき、それが少女の声だと分かる。


 右耳から聞こえてくるその声と、揺さぶられる体の感触を確認し、瞼を開こうとするが、 重すぎて開くことが出来ない――というか、まだ眠気が全身を支配しているからか、そもそも開きたくない。


 だが、眠りから乖離してしまった意識が捉えるのは、瞼の表面を照らす眩い日光だ。その日光は、閉じている瞼をも貫通し、開ききった瞳孔を刺激する。


「みのる!」


 少女の声が次第に大きくなり、直接鼓膜に届けられている感覚だ。このままでは鼓膜が破裂してしまうと危険視し、閉じている瞼をゆっくりと開く。


 開いたと同時に目に入り込んでくる陽の光を、開ききった瞳孔は全て吸収してしまう為、瞼を全て開けない。

 咄嗟に手で太陽から、自分の顔を実は隠した。


 上を見ると、少女――中野 芽衣が実の顔を真上から見下ろしている。


「めい、か?」


「なに? 寝ぼてんの? 実」


「えっと、ここは」


 閉じる所まで閉じた瞳孔を確認し、自分は寝っ転がっているのだと実は自覚した。


 実は上体を起こし周りを見渡すと、洞窟の入口付近に居ることと、やけに芽衣との距離感が近いことに気付く。

 その洞窟の高さは三メートルくらいだろうか。横幅は高さよりはありそうなので、四、五メートルくらい。奥行きはそこまでなく、せいぜい十メートルというところだ。


 その洞窟の入口の境目で実は寝そべっていた。上を見上げると、真っ暗な洞窟の岩が見える。しかし、奥では太陽が活気に照っている為、入口付近にいる実と芽衣のことを良く照らしている。


 そして、実は全てを思い出した。

 今日は、三月三十一日の日曜日――沖縄遠征の一日目だ。遠征初日は、練習も試合もないので、旅館の近くにある森や海をある程度散歩してもいい事になっている。


 それで実と芽衣は二人で海と森の境目辺りを散歩していたら、頃合い且つ事前に知らされていた洞窟を発見した為、そこで昼寝に耽っていた次第だ。


「はぁぁあ。めぇい、今、なぁんじ?」


 欠伸が止まらない実は、口を手で隠しながら、気怠げに言葉を発する。


「二時だよ」


「…………は? 二時?!」


 この洞窟を見つけて、秘密基地だ! と騒いだ後に昼寝をしたのが、正午くらいだったはずだ。実にとっては、瞬き一つしただけで時が二時間も進んだ感覚なので、驚くのも無理はない。


「ねぼすけ」


「え、芽衣は寝てたの?」


「…………こんな体勢で……寝れるわけ、ないじゃん」


 何故か顔を赤くしてから、何も無い洞窟の奥に目を逸らす芽衣。そのイマイチ掴めない行動を不思議に思いながらも、芽衣の体勢に目を向けると、


「体勢……? てか、俺とお前なんか近くないか…………って!?」


 実は、芽衣が正座していることに気付く。

 なにより自分の頭に土も汚れも何一つないことに気付いてしまった。

 最後の決め手としては、実が再び仰向けになった時に頭が来る位置は、まさに芽衣の正座している太ももの上であると推測できるのだ。


「――――」


 何かを察して慌てふためく実には、全く目どころか顔すら向けずに黙っている芽衣。


「え、膝枕? ……なんで? よりによってお前が? ……あれ、あれ、あ……まさか……俺?」


 実は自分を指差しながら、芽衣に問いかけると、芽衣は何も言わずに一回だけ頷いた。


「………………あ」


 声にならない声が唇から微かに漏れた実は、今度こそ事の経緯を全て事細かに思い出した――思い出してしまった。


 その内容は、洞窟を見つけ、はしゃぎ回った後に疲れた実は、眠たいから昼寝をすると言い出した。そして、正座している芽衣の太ももに冗談半分で飛び込み膝枕をしてもらったのだ。


 と言っても、普段の実ならこんな事はしない。というか、照れや羞恥が勝ち、そんな行動をすると思い至ることもないだろう。だが、綺麗な海、広大な自然、少年心を擽るような秘密基地紛いの小さな洞窟。それらの条件が絡み合った結果として、実は奇想天外な行動に至ってしまったのだ。実は、その後すぐに眠りに入ってしまっていた為、かれこれ二時間近くも芽衣の膝上で膝枕されていたことになる。


「……悪い、長い時間。でも、別に避けてもよかったんだぜ?」


「いや、そしたら頭痛くなるかもしれないじゃん……」


「そういう問題じゃなくて、嫌だろ? こういうの」


「別に……嫌、とかでは……ない、けど」


 度重なる予想外の状況や芽衣の返答に理解が追い付かない実。

 そんな中、顔を実から逸らしている芽衣は、実の顔をつぶらな瞳で一瞥してくる。


「……そろそろ戻らね?」


 数十メートル先で波打つ海の音と、弱まった潮風を一身に浴びながら、実は呟く。


「うん」


 二人は立ち上がり、小さな洞窟の中を完全に抜ける。

 少し離れた位置から洞窟全体を眺めると、洞窟の上には森が形成されていた。


「崖の中に小さな穴が空いてるって感じだな。崖自体の高さは、十メートルないくらいか?」


「これ崖って言うの? 岩壁って感じかな? でも、上では森が広がってるっぽいね」


「ま、この岩壁の上を真っ直ぐ行ったところに旅館あるしな。あそこからなら旅館までそんな時間かからないぞ。五分も要らないんじゃね?」


 その洞窟――岩壁の上には実の視界よりも広く、何処を見渡しても木で埋め尽くされている森が広がっている。


「確かにー。でも、私たちがいる下からだったら十分くらいはかかっちゃいそうだね」


 その通りで、旅館はこの岩壁の上と同じくらいの高度にある為、この海辺からだと少し遠回りしなくてはならない。

 上から降りてくるだけなら、傾斜が緩やかで、そこまで高くない他の場所から降りることも可能だが、実の目視できる限りでは、そのような場所は見当たらない。


「てか、他の皆は?」


 自由時間が始まる時に、旅館の女将に洞窟の場所を教えてもらった経緯がある。だが、それはサッカー部の殆どの部員がいる場でのことだったので、ここに実と芽衣の二人しかいないのは、どうも腑に落ちないのだ。


「あ、それは、その……」


「ん?」


「――――なんでもない! ほ、ほら早く戻ろ?」


 芽衣は後ろを振り向き、足早と立ち去ろうとする。

 その対応に違和感を抱きつつも、膝枕が内心嬉しかった気持ちを抑えられない実は、気持ちの昂りや高揚で気が狂いそうだった。





 ――3月31日。午後8時を回り、夕食も、風呂も済ませてから少しだった頃。

 芽衣は、女子のマネージャー三人が泊まる旅館の部屋でスマートフォンを弄っていた。

 すると、


「で、メイちゃ〜ん、どーだったの?」


 旅館の浴衣を着ている同室の先輩――エリがテーブルに置いてある駄菓子を頬張りながら芽衣に声を掛けてくる。


「まぁ、んー、膝枕? ……とかはしましたよ」


「え!? 進展しすぎじゃんか! やるぅ〜」


「いや、あれ足痺れるんで、もうやりたくないです」


 芽衣は持っているスマートフォンを床に置き、エリと向かい合う。

 芽衣の言い分には多少の照れから来る誤魔化しも含まれているが、実際に痺れたのも事実だ。


「でも、そこまでされてんならさ、いい加減気付けよな、和倉も」


 髪を結びながら口を挟んでくるのは、もう一人の同室の先輩――サヤだ。


「まぁまぁ。実くんも恋愛に関してはシャイなんだよ多分。サッカーではあんなテクニカルなドリブルするのにね? もしかしたら、夜の方もテクニシャ――イテッ!」


「途中でぶち込むのやめなさいよ、エリ。だから、あんた彼氏の一人もできないんだよ」


 尾篭な話を唐突に挟もうとするエリの頭を、サヤは軽く叩いて、話を強制的に中断させた。


「あー、まぁ全然大丈夫ですよ……」


 芽衣は苦笑しながらエリをサポートした。


「お客様、今お時間よろしいでしょうか」


 ――突如、襖越しに女性の声が聞こえる。

 その声に反応して、室内の三人は皆一斉に襖の方に目を向けた。


 エリが口を開いて、


「はい! どうぞ!」


「失礼します」


 エリの入室許可に礼儀正しく答えるように女性――女将が襖を開けて、室内に入る。一回だけ座礼をしてから立ち上がり、三人の元へ近付いてくる。

 その女将は、四十から五十は歳を重ねていそうな女性だったが、女将ならではの逞しさと厳格があった。


「はい、えっと、どうなさいましたか?」


 その女将の雰囲気に息を飲み、畏まった芽衣は、女将に質問を投げかける。


「ある方からこれを預かっております。中野様に渡して欲しいと」


「え、私?」


 自分を指差す芽依の態度で察したのか、芽依の目の前で正座した女将が、地面を滑らせるように一枚の赤い封筒を差し出してきた。


「あー、その、これは何でしょうか?」


 その異様な光景に疑問を訴える芽衣。


「この中に便箋が入っております。それを読めば、お分かりいただけるかと」


 合手礼をしたまま丁寧な言葉遣いで説明する女将の言葉を聞き、芽衣は封筒を手に取り、中の便箋を取り出す。


 すると、そこには、


 『大事な話があるので、午後11時45分、今朝女将から説明のあった崖の中の小さな洞窟で待ってます。和倉 実より』


「え……これって」


「うおおおお!! メイちゃんやったやんけ!」


「これはすごいね、おめでと」


 それは便箋だが、明らかにパソコンで打ち込まれている手紙だった。その内容は、芽衣の心を揺さぶり、動悸を爆発させるものであり、夢のように遠のいた芽衣の意識は当分帰ってきそうにない。


 その手紙の内容を横から覗き見した二人の先輩――エリとサヤは芽衣を祝福する。


「そんな……なんで急に……? だって今までは――」


「実は」


 唐突な恋文のような招待状を受け取り動揺を隠せない芽衣の言葉を遮るように、目の前の女将が声を出す。


「――実は、今朝、あそこの崖と洞窟を紹介して欲しいと私に頼み込んできたのは、その和倉様なのですよ」


 女将は、先程までの逞しく厳格な雰囲気ではなく、優しく親切なおばさんのように親しみやすい笑顔を浮かべていた。


「え、それはどういう……?」


「ですから、この為の布石を打とうとしたのでしょうね、和倉様は」


「え?」


 衝撃の事実だ。まさかあの状況を用意したのは運ではなく、他でもない実だとは思いもしなかった。


「えええ! まさかの実くんなの? あたしはてっきりメイちゃんが仕掛けたのかと思ってたわ」


 隣でエリが微笑みながら、大きな声で話し出す。


「まぁ確かにね。今日の朝、私とエリが察して他の部員に口止めと足を運ばないようにって忠告したんだからね」


 サヤが淡々と事の経緯を述べ始めるが、全くもってその通りなのだ。

 今朝の女将の説明を受けた時の芽衣の心情を察した二人が、芽衣とエリとサヤだけの秘密ということで協力し、他の部員を足止めしてくれていたのだ。

 その結果として、あの芽衣と実の二人きりの時間を作れたという経緯があった。


 しかし、それは全て実が仕組んだことだとしたなら、芽衣にとってこれ以上の幸せはない。


「どうなさるおつもりなのですか?」


 優しい母のような眼差しを芽衣に向けながら問いかけてくる女将。


「……まだ何を言われるかは分かりません。でも」


「でも?」


「……ある程度の答えは決まって、います」


「あらま、おめでとうございます」

「おおお! おめでた! ん? あれこれはちょっと違うか?」

「わお、おめでとうだね」


 頬を赤く染め上げながら決意を示した芽衣を祝福し、揶揄うように三人は声を上げる。


 



 応援者三人は、芽衣におめでとうを浴びせ、それに芽衣はありがとうと答えた。

 ――その赤い封筒が逃れられない召集令状だということは、誰一人として知らずに。




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る