第一章7  『女のオトシカタ』

 2018年10月31日水曜日。

 場所は大通公園。


 テレビ塔の下。仮装した集団が乱痴気騒ぎを起こし、警備員に注意を受けている。

 だが、舞い上がった若人を沈めるのは、無理難題のようだ。


「おっまたぁ〜」


 ハロウィンの騒々しい光景を漠然と眺めていると、左側から女性の声が聞こえた。

 流榎が振り向くと、小走りでこちらに向かう女性がいた。


 ベージュ色のコートに、歩きづらそうなハイヒール。

 長く伸びた茶髪を巻き、左目を隠すように前髪を流している女性――愛美だった。


 愛美は、勢いよく流榎の胸に飛び込んだ。

 思った以上に負荷がかかったため、流榎は倒れないよう必死に耐える。


「ご〜めん。待ったぁー? 待ったよねぇごめん!」


「ええ、待ちましたよ。十分ほど。まぁ七時待ち合わせなので、五分オーバーですがね」


「はい。アウト〜。はい、モテませーん。そういうこと言う子はモテませーん。一生独身でーす。チェリーでーす」


「会って早々テンションおかしいですね。酒でも入ってるんですか」


「ちょっと入ってるけどぉ、大丈夫!」


 手でサムズアップを作りながら、愛美は白い歯をみせた。

 これはダメなやつだ。

 流榎は帰ろうか一瞬迷った。


「――で、感情の、心の創り方、教えてくれるんですよね」


 その流榎の思いを否定した材料。

 それに対して愛美は艶然と笑いながら、


「感情の作り方、ね?」


「なにをするんですか」


「ナンパよ? なんぱぁ」


「ナンパ?」


 キリッとした決め顔をみせる愛美。

 酒が入っているせいか、頬を少し赤く染めている。


「今日はハロウィンよね? 勿論仮装とかしてるおバカさん達もいっぱいいるけど、そうじゃない子もいる。だから、その子達をナンパしてきなさい」


「そんなこと言われても分からないですよ。ナンパとかしたこととか無いんで。それに万が一成功したらどうするんですか」


 流榎の己を買いかぶった言葉に、愛美は甲高い声で抱腹絶倒した。


「無理無理! 顔だけじゃ無理よ? ナンパなんて。だから、それを今から勉強するんじゃない? ほら、あの黒髪ロングの子とかいいじゃん! 行ってみ! ノルマは一人ね? 一人成功するまではご飯奢らないからねぇ?」


 愛美は涙を目の端に残しながら、流榎の背中を勢いよく押した。


 流榎は深くため息をついてから、黒髪ロングの女性の元へ向かう。

 学校帰りなのか、制服の上からジャンバーを着ていた。


 流榎は女性の背後で足を止め、一息ついてから、


「あのー」


 数秒遅れてから、女性がゆっくりと振り向く。

 女性の表情はあまりにも冷めていた。まるで犯罪者を見るような軽蔑の視線。


「なんですか?」


「えっと、この後暇だったりしま――」

「ああそういうのいいです」


 即答。

 なんなら返事の最中に、そそくさとどこかへ行ってしまった。


 完膚なきまでの敗北。

 想像以上に冷然とした態度だったため、流榎は自信を喪失しかけていた。

 むろん、悔しくはないのだが。


 すると、後ろから衝撃がのしかかった。

 流榎の意識を戻す、柔らかい感触と重みだった。


「ほらねぇ? 無理よぉ? あの子美人さんだったしねぇ。自分のこと、過信しぎぃ。ああいう守り硬い子は無理よねぇ。選ぶ相手間違えてるぅ〜」


「いや、愛美さんが指定したんじゃないですか」


「あれそうだったっけ? てへぺろ」


 愛美はウインクをしながら舌を出した。

 その舌をもぎ取ってやろうかと流榎は考えるが、ハロウィンの日に囚人の仮装なんてしたくないから止めた。


「んー、なんて言ったの?」


「『この後、暇ですか』的なニュアンスのことを」


 愛美はさぞ愉快そうに爆笑した。

 わっははははははは、と。


「ナンパするとき、『あ、あの、この後、暇だったり、します? ブヒー』みたいな感じで言ったでしょ? 見たらわかるわ!」


 美女らしくない、妖艶さの欠けらも無い、品もないという三拍子が揃った笑い声。

 初対面のときに抱いた、美人という評価を今すぐに訂正したいくらいだ。


「いや、ほぼ合ってますけど、ぶひーは言ってないですね、豚じゃないんで。ていうか、豚の鳴き声ぶひーではないですよね」


 流榎の冷静なツッコミの最中も、愛美は笑いを止めない。

 ――――うざい…………。


「まぁいいわ。ホント面白い子。まずアドバイスしてあげる。

 一つ目。自信が足りない。もっと胸張って!

 二つ目。暇ですか? なんてナンパを示唆する事は言っちゃダメよ? だめだめ。欲望が丸見えじゃない。

 最後。話しかける時に、付けてるアクセサリーだったりブランドだったりについて話しなさい? 容姿とかはだめよ? それも欲望が丸見えだから。

 取りあえず、ノリのいい優しい好青年感を出す。ナンパを示唆する事は言わない。身につけてるモノで話題を展開する。以上三点。がんば!」


「はぁ……。またですか……」


「ええ、もちろん! じゃあ次は……あの黒髪ボブの子。周りキョロキョロして落ち着きのない子だしねぇ。すんごいめんこい子だけど、ワンチャンあるかも? わんわん。なんてね? 最低でも連絡先交換はすること。無理だったらご飯は奢らないわよ〜?」


 もうこの際ご飯など放り投げて帰りたかった。

 が、ベテランの愛美の言葉を信じて、流榎は実行してみることにする。


 流榎は肩を落とし嘆息してから、その女性の元へ向かう。


 恐らくこの子も高校生であり、流榎と同じ一年生だろう。

 制服のスカートは膝の上くらいで、厚手の紺色のコートを着ている。

 首には赤いマフラーを巻き、両手を擦りながらその場で立ち止まっていた。


 今度は女性の側面に回り込み、肩を軽く叩く、そして、


「ねぇねぇ。大丈夫? 元気なさそうだけど?」


 流榎は普段見せないような満面の笑みを必死に創り出し、いつもの様な冷えた口調ではなく、ノリのいい好青年のような話し方で接する。


「あ、え、そ、その、え、えっと……」


 女の子は、両指を弄りながらもじもじして、頬も紅潮させていた。


「ほんとに元気? ボクちょっと心配だよ? 大丈夫?」


「あ、あの、は、はい、だ、大丈夫、だ、だと思い、ま、ます……」


 視線を流榎からそらし、口調も素振りも落ち着かない少女。

 緊張しているのか、少女の喉から出た音は、壊れかけの弦楽器のようだった。


「えーほんとに? こんなに赤くして熱あるんじゃない? ちょっといい?」


 流榎はそう言うと、女の子の額に手を合わせる。

 女の子は何が起こったのか、理解が追い付いていない様子だ。


「んー熱はなさそうだからよかった。安心したよ。ねぇ、てか、こっち見てよ」


 言いながら少女の顎を指で上にあげる。

 顔を近づけ、彼女の瞳を間近で見つめた。

 絶対に逃さないぞ、という意志を込めた視線。

 少女は余計に顔を赤らめた。

 

 …………まぁ、晩飯代を浮かせたかっただけなのだが。


「うん。さっきより元気そうだね。よかった」


 少女は顔全体を真っ赤に染めあげ、また下を向く。


「んー大丈夫? やっぱり体調優れないのかな? 良かったらどっか休憩する場所まで連れて行ってあげようか?」


「は、はぃ…………き、きゅ、きゅ、休憩――っ?!」


 少女の顔は困惑に占領され、慌てふためいている。

 なにかおかしなことでも言ったのだろうか?

 

「あー、いやそのどっか休める場所とかだよ?」


「さ、さ、さ、流石に、そ、それは大丈夫で、です。こ、ここころの準備がま、まだで、出来てないです。ご、ごめんなさい!」


 晩飯が遠ざかっていくのを実感し、余計に流榎の腹が鳴りそうだった。

 流榎には分からないが、なにか悪手があったらしい。

 ここは引くしか無いか。


「そっか。ごめんね。またどこかで会ったら仲良くしてね。じゃあ、また」


 流榎が後ろを振り向き、歩き出す。

 しかし、すぐに右腕を引っ張られた。


「あ、あの、流石に休憩はむ、無理ですけど、れ、れ、れ、れ」


 少女が両手で流榎の右腕を引っ張りながら、下を見て小さな声で呟いた。

 それを見ながら、流榎も彼女の言葉をじっと待つ。


「れ?」


「れ、れ、連絡先くらいなら、大丈夫、です」


 映画館での声量と大差ない大きさで女の子が囁く。


「あ、ほんとに? ありがと」


「は、はい。こ、こちらこそ」


 そう言って、二人はLINEを交換した。

 女の子は携帯をじっとみながら頬を緩ませている。

 まるで宝石でも貰ったかのように。


「じゃあ、今度こそまたね。気をつけてね」


「は、はい! さ、さようなら!」


 流榎が軽く手を振ると、女の子も胸あたりで軽く手を振った。


 流榎は九十度反転し、止まることなく歩く。


「ルカっちぃ! やるじゃん! ナンパ成功だね! でも、ああいう初な子だったから通用したけど、顎クイにおデコピタッ! ってなに少女漫画? 少女漫画でも中々無いぞ? ありゃあ、あの子にしか通用しないよー? しかも、多分ありゃあ、君のフェイスにやられたね? 顔面補正で何とかなったパターンですわ。まぁ、でも合格したからラストミッションと行きますか!」


「え、晩飯奢ってくれるんじゃないんですか?」


「あれはナンパ成功とは言いませーん」


「いや、今自分で言ってたじゃんか」


 愛美は腰に手を当てながら、流榎に屈託のない笑みを向ける。


「じゃあ、ラストミッションってなんですか」


「もちろん、ナンパを成功させる事だよ? 坊や」


 それは流榎にとって難題すぎた。

 今の女の子は男に対してウブで純粋な子だったから成功したものの、流榎の技術ではあのくらいの女の子一人から連絡先を聞き出すことが精一杯だからである。


「はぁ、わかりましたよ。でも、成功した暁には、いいもん奢ってもらいますよ」


「りょりょりょ〜。てか、さっきの黒髪ボブの子、黒東高校じゃなかった?」


「知りませんよ。で、次は誰ですか」


「可愛い子なら誰でもいいよ〜ん」


 愛美の意地の悪い笑みは、流榎に女をオトス技量はない、と嘲笑うものに見えた。


「はいはい、分かりましたよ」


 すぐさま後ろを振り向き、流榎は周りを見渡す。

 ベンチに座っている高校生らしき少女を発見し、ターゲットを定めた。

 少女の方に視線を向けるが、下を向いているため、明瞭に顔を確認することは出来ない。


「ほぉ〜、中々上物狙うねぇ」


 愛美から顔を確認するのも難しいはずだが、女の勘というやつなのだろうか。

 そんな後ろからの煽りは無視し、流榎はそのまま少女の隣に座った。

 

 その少女は、ベージュ色の厚手のコートに、かなり短いミニスカート、さらに首元には赤いマフラーを巻いていた。


 やはりこのコーデが定番なのか、などと考えてから、流榎は深く息を吸う。


「ねぇ、君一人? かわいいマフラー付けてるね。暖かいのそれ? ボクも寒いから、試しに試着なんて事は出来ないか——」


 流榎の言葉を遮るように、少女はゆっくりと振り向いた。

 髪は、金色に近いとても明るい茶髪。

 それを鎖骨までまっすぐに伸ばし、先端を内巻きにしている。


 目鼻口、全てに無駄がない。

 色白の肌を赤く染めあげ、白雪姫と林檎を連想させるその容貌。

 広大な空や海を思い浮かばせる、凪のように透き通った清廉な瑠璃色のその瞳。

 可愛いや綺麗などの表現では、あまりに稚拙な表現になってしまうくらいの、尤物であるその容姿。

 

「る、流榎君?」


『棘無しの赤薔薇』と謳われ、崇められるその少女。

 己の可憐な花弁を隠すように、寡黙で孤高に居座る艷麗な花。


 そう。その少女の名は——、


「……慈照寺?」




 ――慈照寺 紬が独りでそこに座っていた。

 赤き薔薇にはそぐわない、ひとり寂しく静謐に。

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