第4話 ミーネという少女

 

 ミルウォーネ様と約束を交わした日――私達はその前日の帰り道に、待ち合わせ場所を決めたの。

 それはいつもの川辺、私達が最初に出会った場所。


 話を受けるかどうかの相談なんてリースとはしなかったわ。

 だって、私達が受けないとお婆ちゃん達はここに暮らせなくなっちゃう。

 一晩なんて要らない。私は断るつもりなんてなかったから。きっとリースも同じだと思ったの。何が起きるか分からない、だからリースと過ごせる時間をめいいっぱい楽しむ方を選んだ。


 泉に着くとミルウォーネ様は既にいて、泉の真ん中で何かを祈っているような、そんな感じがした。


 私達が声をかける前にこっちに気付いて、水面の上をスーッと歩きながら近付いてくるの。何回見ても不思議だわ。


「考えは纏まった? 私と契約を交わすか断るか。私はどちらでも構わない。答えを聞かせて」


 本当にどちらでも構わないんだわ。どうせ人間に対する思いは変わらない。私にはそう言っている様に感じた。


 隣にいるリースの方を向いて、紫色の光が宿るその目を見つめた。リースも真っ直ぐ見つめ返してきて小さく頷いたの。


 ……やっぱり相談なんていらかったわね。


 それから私達はどちらからともなく、言い始めた。


「「私(僕)達は、ミルウォーネ様と契約を交わします」」


「そう。なら先に魔法の説明をする。使う魔法は二つ。ノルイクシスとドロメモリア。ノルイクシスは存在を消す魔法。ドロメモリアは記憶を抜き取る魔法。これを君達に片方だけかける。ノルイクシスはエルミナに、ドロメモリアはリースに。ここまでで、なにか質問があるなら受け付ける」


「はい」とリースが手をあげる。明らかに不安そうな顔してる。記憶を抜き取られると言われたら誰でも心配になるわよね。


「あの、記憶って……どこまでの記憶が無くなっちゃうんでしょうか? エルミナの事を全部忘れてしまうとなると少し……いや、正直かなり怖いです」


「抜き取るのは魔物に出会った事からこの約束を交わした事まで。ノルイクシスの対象外にもしてあげる。リース、君はエルミナと出会った事忘れない」


「私からも質問があります。存在を消すって私はいなくなっちゃうって事ですか? よく分からなくて……死んじゃうわけじゃないですよね?」


「死んだりはしない。エルミナとして周りに干渉出来なくなるしその逆もまた同じ。周りからも君自身からもエルミナが生きたという情報は消える。君には申し訳ないけど約束が終わるまでの間は私と一緒にいてもらう事になる。帰る場所も無くなるだろうからね」


 そっか……今の私が消えるって事なんだ。私もお婆ちゃんも村のみんなからも忘れられちゃうんだ。それはすごく寂しいな。


「う、うぅっ」


 自分が消えてしまうという感じたことの無い恐怖に涙が溢れて止まらない。今からでも全部投げ出して逃げ出したい、リースと二人でなら……そう口から言葉が出そうになる。

 でもその後に残されたお婆ちゃん達や、消えてしまうであろうミルウォーネ様の事を考えると胸にモヤモヤが溜まっていく。


「エルミナ、僕を信じて欲しいな。エルミナが自分の事を忘れてしまったとしても僕が覚えてる。世界中の人が忘れても僕は忘れたりしない。何十年経っても僕が覚えてる限り君は消えない、君をお嫁さんにする約束も守るよ。だから、僕を信じて?」


 リースが私の両手を優しく包み込んできた。思えばリースから手を握ってくれたのは初めだな……なんて場違いにも考えちゃう。


 ――弱気になっちゃ駄目だ。


 今お婆ちゃん達をミルウォーネ様を救えるのは私達だけなんだ。リースに勇気付けられた私は「お願いします」とそう言った。


「落ち着いた? それじゃあ魔法をかけていく。かけやすいように眠らせる。けど心配しないで。ちゃんと村の側まで送り届けてあげる。起きたら魔法は発動してる。まあこの話も覚えてないだろうけど」


 そう言うとミルウォーネ様は透き通るような声で小さく「……誘うは一筋の光。沈むは安らぎの底。内側へとゆっくり落ちていく」と詠唱をすると最後に「――スリープ」と唱えると私をあらがいようのない眠気が襲ってきた。それに不快感は全くなくて、ゆっくり水の底に沈むように私の意識は薄れていった。


 ***


「父さん! 薪割り終わったから先に水汲みを終わらせてくる!」


 そう言った男の子は今日も元気に森の中へと走って行く。

 それを私は木の上からじっと見守っていた。


 この男の子はリースって名前らしい。らしいっていうのは直接聞いた訳じゃなくて、この子の父親らしい人物がそう言っていたからなんだけどね。


 きっかけは今から二月くらい前だったかな。川の近くで食料を探していたら、水の前で何かを確認するように一人で遊んでるのを見つけたのよね。


 バレないように木の上から監視してたんだけど、その子はしばらく一人で二役して遊んでたかと思ったら、「うん」と頷いてどっか行っちゃったの。

 その時は不思議なことしてるなーってくらいにしか思わなかったんだけど、妙に気になったのを覚えてるわ。

 それ以来、村の近くにくると気になって見ちゃうってわけなんだけどさ。


 私は自分の事もよく分からないから……。

 今は鳥の姿をしてるんだけど、本当は人の形をしているんだからね? 半年くらい前に私は生まれたの。だから赤ちゃんみたいなものよ。

 ……だって体は十才くらいの女の子だけど、私は自分のことも含めて何も覚えていなかったんだから。


 目が覚めたら、何も覚えてなくて寝台の上に寝てたの。

 側には女の人が一人だけいて、私の世話を色々してくれたの。だから、その人の事を私は母さんって呼んでる。

 母さんと言っても、本当の親じゃないっぽいのよね。

 生まれた時から側にいるから勝手に母さんって呼んでるだけ。

 母さんには「私は母さんじゃない。その呼び方はやめて」って毎回言われたけどね。

今じゃもう何もいってこないから諦めたのかな。


 今は森の中にある泉で母さんと一緒に暮らしてるわ。

 泉の中央で、そこには木があって別の空間が隠されてるの。そこに私たちの住む家があるわ。母さんの許可無しじゃ入れないけどね。


 母さんは何もない私に「ミーネ」って言う名前をくれたの。由来を聞いたら「私の名前から取っただけ。簡単な理由」そう言ったけど、それでも私には充分嬉しかったの。初めて手に入れた自分だけの物だから……。


 それからしばらくは泉の周りで生活してたんだけど、周りの事が気になり始めた私は母さんに聞いたの。「ねえ、泉の外に出てみたいの」って、すると母さんは「良いけど条件がある。一つ魔法を覚えてもらう。覚えられるまでは駄目。外に出る時は絶対にその魔法を解かない事」そう言って条件を付けてきた。


 その魔法を覚えるのに三月はかかったわ……。

 でも覚えられた時はやっと外に出れる! と思ってはしゃいだなぁ。


 その魔法は簡単に言うと変身魔法だった。

 一番馴染みのある動物に変身する事ができるという内容で、私に一番馴染みあるのが今の姿である鳥だったの。


 そんなこんなで鳥になった私は気になるあの子を監視中ってわけなんだ。

 二月くらい見てるけど、時々不思議なことをするから面白いのよね。

 それに……何か気になるし。

 だからこれからも見守っていこうと思ってるのは私の中で決定事項。




 私が生まれてちょうど一年が過ぎた日のこと。

 もはやリース君を観察するのは日課になっていた。

 今日も森に遊びに行こうかなーって思ってたら、母さんが私に何かを手渡してきた。

 手の中にある物を見てみると、綺麗な光る石で作られたネックレスだった。


「え?」


 急な出来事に目を点にしてぼけっとしていると、母さんは「誕生日。あげる」それだけ言ってどこかにいってしまった。


 ――……びっくりした。


 正直意外だった。初めて会った時母さんは私に対して何も興味が無さそうだったから。


 ……流石に一年も過ごしてたら、気持ちも変わるものか。ううん、違う。変わってて欲しいな。


 そう思って私は、「母さんありがとう。大好き」と小さく呟いた。


 上機嫌のままいつもの日課をしに森に行くとほどなくして川辺でリース君を見つけた。

 今日の彼はいつもの元気な感じはなくて、何かを思い出してる? いや、何か迷ってるのかな?


 私は気になって彼のそばに降りてしまった。行動してからその迂闊さに気付く。


 ……完全に浮かれてるな私! どうしよう、どうしよう!


 鳥と間違えて食べられたらどうしようか。なんて考えていると彼が何か声を発した。


「水霊鳥!? 本当にいたんだ……。君どこからきたの? って言っても分からないか……ちょうどいいやこれあげるよ。取って食べたりしないからじっとしててね?」


 そう言うと彼は私の頭に手作りのサークレットのような物をのせてきた、といってもサイズ的に首輪みたいになってるけどね。


「ごめん大きかったね。あげる子が居なくなっちゃったから、捨てるのも勿体ないし君にあげるよ」


 苦しくないしまあいっか。

 完全にされるがままの私だが、彼がどさくさに紛れて羽やら背中を触ってきたのは忘れない。

 私が鳥じゃなかったら完全に犯罪ですそれ。


 用が済んだ彼は「後一年で……一人で村の外に出れる……」そんな独り言を残しながら帰っていった。


 このサークレットもとい首輪……嫌いじゃないかも。年頃の女の子としてはアクセサリーが今日だけで二つも増えて嬉しい限りだわ。

 そんな事を考えながら私も帰ることにした。




 それから二度目の誕生日を迎えた。母さんに「何か欲しいものある?」と聞かれたから、「お話! それかお伽噺!」そう私は答えた。母さんのしてくれる外の世界の話やお伽噺はとても面白いから。


 誕生日も過ぎてしばらくしたある日の事。

 いつもの川辺でリース君を見つけた。初めて会った時と比べて彼は少し大きくなっている。私も背が少し伸びたけどね。


 少し、様子が変ね。私はリース君の側に降りて行く事にした。


 ……この一年で私は鳥の姿で彼と触れ合えるまでになったのだ!


 なんて一人自慢げに思う。


「あれ、また君か。その首輪のお陰でわかりやすいよ。……僕は二年前からずっとある女の子を探してるんだ。その子の事を周りに聞いても誰も知らないって言うんだ……。十二才になれば周辺までなら一人で外出できるからね。それで待ちに待った僕は、隣の村に行ったんだ。その子は隣の村に住んでるって言っていたから……。でも、その村の人も誰も知らなかった。あれは……夢だったのかな。でも繋いだ感触がこの手に残ってるんだ。忘れるなって胸が痛むんだ。……こんな話いきなりされても困るよね」


 鳥相手に何を言っているんだ僕は、と彼は疲れた顔で口にした。


 ――……分かってるわよー。


 よくここで不思議な遊びしてたのは、想い出をなぞってたのね。毎日かかさずこの川辺にきて物思いに耽っていたのはそう言う事だったんだ。


 彼の話を聞いたら、なんだか胸がちくちくしてキュッと締め付けられるような感覚がした。


 ……嫉妬してる? いや、違う。嬉しい? なんだかよく分からないわね。


 なんでかその子の事を忘れて欲しくないと思った。言葉にはできないけど私はそう伝えたくて、彼に近付いて側にすり寄った。すると頭を優しく撫でる感触がする。……鳥の扱いも慣れたものね。

 その日はしばらくそうしていた。




 ――また一年過ぎる。




 彼は変わらず、川辺を訪れる。時々彼の側に行って話を聞いてあげる……撫でられたいからとかじゃないからね? 私も十三才の女の子、すっかり乙女なんだから、そんなはしたない事は考えて無いわ、絶対に。




 ――また一年。




 私はすっかり背が伸びて、胸も……少しは成長してる。これからもっとする予定。

 リース君も私より背が伸びてるし、薪割りで筋肉がついたのか、すっかり逞しくなっちゃった。


 今もかかさず川辺に彼は訪れる。

 それをたまに女の子が追いかけてくるようになった。

 その子は十才くらいかな……四年前の私があれくらいだった気がする。


「リース兄! また水汲みしながらさぼってる!」


 早く戻らないとまた怒られるよー、そう言って彼の腕を引っ張っていくのだ。

 リース君は「はいはい。サアラはうるさいなー」そう言いながらも少し楽しそうだった。


 その光景に私は胸がもやもやした。家に帰って母さんと話しても、翌日になってもそのもやもやが晴れることはなかった。




 五年目の誕生日、私は遂に母さんの秘密を聞こうと決心した。

 初めて会った日から五年間、母さんは欠かさず泉で何かに祈っている。


 一度聞いてみた事があるの。だけどその時は「貴方には関係ない。それに話すような事でもない」そう一蹴されたけどね……毎日欠かさずしているんだから、そんな筈がないわ。


 だから今晩絶対に聞き出すのよ。

 そのための策も用意した。

 それは……母さんに秘密で今日の夜ご飯を私が作るのよ!


 去年からこっそり始めた料理の練習。森でこっそり材料を集めて、母さんがいない間に練習したんだから……今なら母さんより上手いとはっきり言えるわ! というか、母さんの料理は全部鍋に入れて煮るだけだけどね。


 ……私の料理の腕にきっと驚くわよ。もしかしたら母さんの驚いた顔が初めて見れるかもしれないわね。


 いそいそと料理の準備を終わらせて、後は温めるだけの状態だ。

 後は母さんが帰ってくるのを待つのみ。


 しばらくして母さんが帰ってくる。私は母さんに大きな声で、「おかえり母さん! いつもありがとう! 今日はね、私がご飯を用意してみたの。母さんのためだけに頑張ったんだから!」そう言って出迎えた。


 母さんは入り口で固まってしまった。

 動きは止まっているのに、勝手に動いてるものがあった。その両目から雫がスッーと流れ落ちたかと思うと、次々に涙が溢れ出てきている。


 ――母さんは立ったまま静かに泣いていた。


「あれ? おかしい。視界がぼやけて……私、泣いてる? 変。止まらない。なんでだろう……この気持ちは……嬉しい? 私は喜びを感じてる。嬉しいから涙が止まらない……そうか、久しぶりに感じた感情。ありがとうエ……ミーネ。本当に嬉しい」


 そう言って母さんの目尻が下がり口角が持ち上がっていく。未だ涙は溢れたままだ。


 ……なんて綺麗な笑顔。


 驚いた顔を見ようと思ったら、まさか母さんの笑った顔が見れるなんて。

 それに母さんでも泣く事があるのね……。

 私の気持ちは通じたんだ。

 そっかぁ……泣くほど嬉しかったのね……でも、泣くのは……ずるいよ。

 私まで嬉しくなってきちゃう、こんなのつられるに決まってる。


「うっ、うぅ、よがっだ。よがっだよおお。わだしはかあざんの本当の子供じゃないがら。かあざんはわだしに興味、ないのがなっておもっでだよおお」


 私は号泣しながら母さんに抱きついた。

 さらには常に感じていた不安を感情に任せてぶちまけてしまった。


「ミーネは勝手に母さんと呼ぶ。最初は変な子だと思った。でも……五年も過ごせば愛しく感じる。私の名前を分けた大事な子供の様に今は感じてる。お返しあげる、今年は何が欲しい?」


 母さんは私の背中に手を回して、優しく撫でてくれた。

 それだけで温かい気持ちが胸いっぱいに広がる。


「母さんの事を聞かせて欲しい。毎日何に祈ってるのか……母さんの話を聞きたいな。あ! でも、それはご飯の後で! 今温めるから、母さんは先に座ってて。私がどれだけ頑張ったのか見せてあげる!」


 母さんの手を引っ張って椅子まで連れて行く。


「分かった……。話してもいい。私と彼とこの森の話。遠い昔の私の話を」


 私は母さんとの間に確かな絆を感じる事ができて嬉しかった。

 私が何者でも今あるこの感情だけは本物だと、それだけは確かに言える。


 私の用意した食事を母さんはとても良く褒めてくれた。これからも私に任せると言って夜は私が作る事になった……もしかして面倒臭かったのかな? まぁいいか料理はもう私の趣味の一つだもんね。


 その日の夜は特別長かった。

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