第2話 変化

 

 それからエルミナとの約束の日まで、僕は自分の仕事を頑張っていた。薪も半分は割れる様になってきたし、森の中を歩くのにも大分慣れたと思う。


 そして、エルミナとの約束の日、この間と同じ時間に川に行く。

 そこには、河原で座り込み、静かに景色を眺めているのであろうエルミナがいた。


 見慣れた景色なのに、エルミナがいるだけで違う場所に来てしまった様な、その光景に目を奪われた。

 そうして、少しの間見惚れていたが、エルミナを待たせている事に気が付き慌てて声をかける。


「エルミナ! 十日振りだね。凄く真剣そうだったけど、何を見てたの?」


「久しぶり、リース。この川の水を見ていたのよ。この川の水って、とっても綺麗でしょ?」


「そうだね。ここ周辺に住んでる人は、この森の水で生活しているだろうしね」


 僕がそう答えると、エルミナは川の流れてくる方をじっと見つめていた。


 会話が途切れてしまい、二人の間に静寂が訪れる。そんな中でも、水の流れる音だけは、はっきりと耳に聞こえてくる。この水の音が無かったら、激しく主張してくる鼓動が聞こえてしまうんじゃないかと思えるくらいに、僕の胸は高鳴っていた。


 何を話そうかと悩んでいると、エルミナが呟くように話し始める。


「お婆ちゃんから聞いたの。この川を辿っていくと泉があるんだって。その泉には精霊様がいて、この森が安全なのも、水が綺麗なのも精霊様のお陰なんだって」


「精霊様の話は僕も母さんから聞いたことあるよ。なんでこの森を守っているのかまでは知らないんだけどね。それでも感謝を忘れない様にしなさいって言われたよ」


 僕は母さんが寝る時にしてくれた精霊のお伽噺を思い出した。


「そうだね。こうやって私達が楽しく過ごせるのも精霊様のお陰だし感謝を忘れないようにしないとね!」


 服についた土埃を払いながらエルミナがすっと立ち上がる。その時、川の反対側から何か音がした気がした。


「ねえリース! あっちの木の枝の隙間見える!? 川の反対側の大きな石が二つある所!」


 なんだろうと思っていると、エルミナが何かに気が付いたらしく少し興奮した様子で指を差している。

 その方向をよく見ると、枝の隙間から瑠璃色の羽が微かに見える。あんな色の羽は見たことがない、それでも何か覚えがあるような気がした。

 そこで、ふと思い出したのが母さんのお伽噺だった。


「あれは……水霊鳥なのかな。母さんがしてくれたお伽噺にさ、瑠璃色の羽に白い羽毛、二枚の飾り羽を持った鳥の話が出てくるんだけど」


 それを聞いた途端にエルミナが鼻息を荒くして、僕の手を両手で挟み込むように顔の前まで持ち上げる。

 急に距離感が近くなるエルミナに毎回心を乱される僕の身にもなって欲しい。そう思いながらも、手を振り解いたりはしないのだが。


「お伽噺に出てくる鳥なら是非見てみたいわ! 驚かさない様に向こう側にいって観察しましょうよ!」


「精霊様が作り出したって言う話だから、本当にいるのか分からないけどね」


 僕は半信半疑だったけど、好奇心に支配されたエルミナが目を輝かせて、先程から握りっぱなしの僕の手を引っ張ってくる。僕も気にならないと言えば嘘になるので、エルミナの提案に乗る事にした。


 まずは、なるべく音を立てない様に石と石の上を飛び移りながら川を渡る。


「リース、水の音を立てない様にね」


 囁く様にして会話をする。


「さっきの場所の手前まで行って、森の中から真下に行ければ全体を確認できそうだね」


「そうね。そうしましょうか」


 そうと決まると、身を低くして静かに近付いていく。チラリと確認するとその鳥はまだ移動していない。

 地面に落ちている小枝なんかにも注意して進み、さっき見えた場所の手前までたどり着き森に入ろうとした時、木々の隙間を風が吹き抜ける。

 あっと思った時には、もうさっきまでいた場所に鳥の姿は見えなかった。


「あ、鳥さんいなくなっちゃった……」


 と、悲しそうな目つきをみせるエルミナ。


「また探そう! 大丈夫、今日は無理かもしれないけど、次来た時やこれからだって探せばきっと見つかるよ!」


 必死に励ます僕にクスッとエルミナから笑みがこぼれる。


「ふふ。ありがとう、リースって優しいね」


「そんなんじゃないってば! それより、そろそろ時間だし帰ろうか」


 照れ隠しに話題を変える僕。


「そうね、ふふ。じゃあ次は三日後に、またここでね」


 エルミナに内心を完全に見透かされていると思い、ますます顔が熱くなるのを感じる。

 それからしばらくエルミナに揶揄われた後、お互いに帰路についた。


 (お伽噺に出てくる鳥を見れなかったのは残念だったけど、エルミナと過ごす時間は楽しかったな)


 なんて、帰り道には思っていた。


 それからというもの、お互いに仕事をしながら約束した日に会うという日々を過ごしていた。

 エルミナと会う回数が増えるたびに、僕の中でぼんやりとしたものだったエルミナに対する気持ちが、恋心だと、これが好きって事なんだ、とはっきりと自覚するのに時間は掛からなかった。


 自分の気持ちを自覚すると、途端にエルミナは僕の事をどう思っているのか気になり始める。

 エルミナに会うと、恥ずかしくて顔を背けてしまったり、手を握られると驚いて振り払ったりしてしまう。そんな日々が半年ほど続いていた。


 このままだと、エルミナとの関係が壊れてしまうのでは無いかと不安になり、この悩みを母さん達に相談する事にした。ある日の晩に、母さん達に心の内を明かす。


「ねえ、父さん、母さん」


「ん? どうしたどうした! ――なんか困りごとでも出来たのか?」


「リース、困ってる事があるなら伝えて欲しいわ。言ってくれないと力になる事も出来ないのだから」


 父さんのいつもふざけた感じは鳴りを潜め、母さんからは僕の事を本当に気遣ってくれているのを感じる。


「前に話した、川辺で会った女の子事なんだけど……」


 そう始めると、僕は母さん達に心の内を全て吐き出した。

 エルミナと友達になれて嬉しかった事。初めて触れる女の子の手にどきどきした事。別れ際に少し寂しかった事。初めて誰かを綺麗だと感じた事。周りを笑顔にする様に笑う事。以外と意地悪な所がある事。

 そして――エルミナを好きになった事。


 最近は上手く接する事が出来なくて、エルミナに嫌われてしまうんじゃないか、もう会えなくなってしまうんじゃないかなど、不安も全て吐き出した。

 母さん達はそれを茶化したりせずに、只々真剣に受け止めてくれた。

 父さんには「不安になるくらいならぶつかって来い!」なんて言われ、母さんには「素直になれたなら、エルミナちゃんの事も考えてあげてね」と諭された。

 母さん達に勇気を貰った僕は次に会った時に想いを打ち明けようと決めた。


 そして、次の約束の日エルミナと初めて会った場所に向かう。エルミナは先に着いており、川の水面を指で突いて遊んでいた。


(母さん達にも勇気を貰った。このいつもの河原でエルミナに想いを全部打ち明けよう)


 そう思い、エルミナに後ろからそっと声をかける。


「エルミナ――ここ最近の僕って変……だよね?」


「……そうだね」


 いつもの快活そうな笑顔ではなく、緊張している様な雰囲気を感じる。木々の隙間を吹き抜ける風やさらさらと流れる川の音がそう感じさせるのかもしれない。


「今日はエルミナに大事な話があるんだ。だから、聞いて欲しい」


「っ……うん」


 なぜだか、一瞬悲しそうな表情を浮かべるエルミナ。


「ここで、初めてエルミナと遊んだ時、なんて幸せそうに笑うんだろうって思ったんだ」


「うん」


「次に遊んだ時には、河原で座り込んで静かに景色を見ていたエルミナが余りにも様になっていたから、別人かと思っちゃったよ」


「うん」


「多分、その時がきっかけだったんだと思う。エルミナと会うたびに自分の中で大きくなる気持ちに気が付いたんだ。僕は、エルミナの事が好きなんだと思う。エルミナは僕の事をどう思ってるのか聞かせて欲しい」


「うん……え? ええ!? ちょっと待って! 私、てっきりいつもリースの事を振り回してばっかりだから……嫌われちゃったのかと……思ってたのに……」


 落ち込んでいたかと思うと、急に顔をあげて驚いたりと忙しいエルミナ。更には、エルミナの大きな瞳から大粒の涙が溢れ始める。


「エルミナ!? な、なんで泣くのさ! 君のこと嫌いになったりなんかしないよ! むしろその逆で……僕が君を傷つけてたなら謝るよ。本当にごめんね。だから、答えを聞かせて欲しいな」


 いつも天真爛漫な彼女が泣く姿に流石に焦り、僕は必死に弁明する。


「リースが私を……ふふ。なーんだ、リースも私の事が好きだったのね。実はね、私もリースの事を好き……なんだよ? 好きでも無いのにあんなに手を繋いだりしないよ! 女の子を傷付けたんだから責任取ってもらわないとね?」


 そう言うと、今まで見たどの笑顔より綺麗に笑うエルミナ。まるで太陽に向かって咲く向日葵の様で、木漏れ日を受けて神秘的にさえ感じた。

 未だに涙は止まっていないけど、涙を流しながら雲が晴れたように笑うその顔に悲しみは感じられない。


「責任って、どうすれば良いのさ?」


「そんなの、私をお嫁さんにする……とか?」


 顔を赤くして、俯きながらそう言うエルミナ。初めて見るエルミナの照れた姿は反則的だった。


「僕でいいの? って聞くのも可笑しいよね。分かったよ、まだ結婚はできないけどさ、約束するよ。エルミナが僕のお嫁さんになってくれるなら君の事をずっと大事にするって」


 自分で言っていて顔が熱くなるのを感じる。胸もどきどきして、先程からうるさいほど聞こえてくる。


「約束したからね? リースのお嫁さんは私が予約したんだからね!」


 そうして、悩みが晴れた僕達は今まで以上に親密な時間を過ごした。


 その日の帰り道、浮かれていた僕達はいつもより帰る時間が遅くなってしまった。いつもと雰囲気が違う様に感じたが、多分日が落ち始めているからだろうと判断して、完全に暗くなる前に帰る事にした。


 来た道を戻ろうと森に入ろうとすると、明らかにおかしな雰囲気を感じた。風が妙に生温く感じ、感じたことのない視線がする。エルミナの方を見ると同じ様に何かを感じたのか少し震えていたかと思うと、はっと息を呑み森の奥を指差して言った。


「……ねえ。あれ……なんだと思う?」


 そう言われてその方向を見ると、『何か』がそこにいた。四足歩行の獣……では無い。四足歩行なのは間違いない、異様なのは五本指の人間の手足に動物の様な毛が生え、頭部は髪と目のない人間の顔が二つ隣り合わせでくっつき、口は繋がっていてその口からは長い舌が二つ見える事だ。それはまるで獣に人が二人合わさった様な『何か』としか言えなかった。


――まずい。逃げないと死ぬ。本能的にそう感じた僕は、エルミナに音を立てない様に静かに周り道をして帰ろう、そしてこの事を村の人に伝えよう、そう提案しようとした丁度その時――パキッ、という乾いた音が静寂の森に響いた。瞬間、その何かがこちらに気付き向かってくる。


「ご、ごめん。わ、私」


 怯えたエルミナが足元にあった枝を踏んでしまった事を瞬時に理解した僕は、その言葉を最後まで聞かずエルミナの手を引っ張り走り出した。


――どうしよう、どうしよう、どうしよう。あんな生き物見た事が無い、まさかあれが魔物なのかな、でもこの森は精霊様に守れているはず。どうすれば良い、どうしたら生きられる、どうしたらエルミナを死なさずにすむのか必死に考えを巡らせる。


 チラリと後ろを見ると、付かず離れず追ってきているのが見える。エルミナは顔を歪ませて泣きながら必死に謝っていた。今はまだ追い付かれないが、このまま走り続けるのは無理だ。


「大丈夫だから、泣かないで。一緒に逃げられる方法を考えよう」


 とは言っても何かいい案が浮かぶ訳でもなく、ただ走り続ける。――川沿いに走り出したのは良かったかも、いざとなったらこのまま川に飛び込んで……。なんて考えていると、いつの間にか泣き止んでいたエルミナが何かを閃いた様に呟き始める。


「……川。川! このまま川を辿って泉まで行ければ、精霊様に守ってもらえるかも!」


「精霊様か。本当にいるのか分からないけど、水霊鳥がいたなら精霊様もいるのかもしれないな」


 僕達に出来る事は、いるのか分からないお伽噺の中の精霊様がいるのを信じて逃げ続ける事だけだった。

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