精霊を救ったのはただの村人でした。
SaltyL(ee)
第1話 エルミナという少女
森の奥――透き通るような綺麗な泉に、一体の精霊がいた。精霊の周りには綺麗な色をした鳥が飛び回る。哀愁を帯び溜息を吐くその精霊は静かに呟く。
「どうして……」
忘れてしまいそうなほど昔に交わした一つの約束。それに想いを馳せ今でも精霊は森を守り続ける。
***
窓の隙間から日が差し込み僕の瞼を刺激する。まどろんでいると、扉の向こうから母さんの声が聞こえてくる。
「起きなさいリース。朝ごはん出来るわよ」
このまま黙りを決め込んだら、間違いなく寝具を取られて叩き起こされる。なので、それとなく返事をして身支度を済ませる事にした。
「はーい。すぐ行くよ母さん」
身支度を済ませて、居間に行くと朝ごはんが用意されていた。机の上にあるのは、チーズと母さんの焼いた少し黒い色のパン。母さんとは反対側の椅子に座り、僕も朝食をとる事にする。
チーズを口に運びながら、チラリと母さんに視線を向けると心配そうな顔でこちらを見ていた。
「リースは初めて森に入るのよね。あまり浮かれ過ぎないで、ちゃんとお父さんの言う事を聞くのよ。怪我にだけは気を付けなさいね」
そう、もうすぐ十才になる僕は、今日から父さんの仕事を手伝いながら教えてもらう事になっている。
「肝心の父さんの姿が見えないんだけど、どこに行ったの?」
「お父さんなら、準備があるって先に出て行ったわよ」
なるほど――父さんは木こりだ。先に行って危険がないか確認してくれているのだろう。
パンの最後の一欠片を口に放り込み、僕は母さんに一言告げて家を飛び出して行った。
「ごちそうさまー! 行ってきます!」
玄関を出たあたりで後ろから母さんの声が聞こえてきた。
「行ってらっしゃいリース。 初仕事がんばってね!」
家から出て道なりに進んでいく。周りを見ると、隣のおばさんが畑に肥料をまいてたり、その向かいの牧場ではおじさんが家畜の餌を運んでいるのが見える。
今更だけど、今日が僕の初仕事なんだ――という、実感が湧いてくる。
しばらく歩いていると、森の入り口が見えてきたので周囲を探す事にする。少しの間探して回ると、父さんらしき人の背中が見えてきたので、近付いて声をかけた。
「父さーーん!!」
「ん? あぁ、リースか」
父さんは、僕に気が付いたらしくこちらに歩いてくる。
「おはよう父さん。僕は何をしたらいいの?」
「おはようリース。お前は今日からこの手斧で薪割りをしてくれ。終わったら森の中で、木の枝なんかがあったら拾ってこの籠に入れておいてくれ。父さんはあっちのでかい木を切ってるからよ」
そう言って、父さんは僕に準備していた道具を渡してきた。
父さんから貰った手斧を手に持ってみる。子供の僕でも持てる少し小さめの手斧だ。両手でしっかりと振り下ろせば斧に力が乗っているのが分かる。
「ありがとう父さん。この斧なら僕でも問題無く使えそうだよ」
「そうか、それは良かった。何回か説明しながら、実際にやって見せるからよく聞いておけよ」
父さんが切り株に薪を縦に置いて、斧を上から振り下ろす。すると、途中で斧が詰まる事も無く、綺麗に薪が割れた。何回か繰り返して薪が八本に割れた所で、父さんがこちらに顔を向ける。
「斧を振り下ろす時は、刃が切り株に水平になる様に、腰を落とすイメージで振り下ろすんだ。そうすれば、空振りした時に斧が自分の方に来るのを防げる」
「一本の丸太が綺麗に八等分されてる! それに、なんだろう……なんかかっこよかった!」
「そうかそうか! まぁ、リースにはこの速度で割るのは難しいだろうから、そうだなぁ……午前中に六本の丸太が割れるのを目安に頑張ってみろ!」
そう言って、父さんは嬉しそうに笑いながら僕の頭を大きな手のひらで撫でてくる。
「うわっ! くすぐったいよ父さん」
柔らかくはないけど、そのごつごつした手に撫でられるのは安心感があって嫌じゃない。
「昼時になったら母さんが食事を届けにきてくれる。だから、それまでは薪割りだな。頑張れよー! リース!」
そう言うと父さんは、背中を向けて手を振りながら、少し先に見える大きな木の方に向かって行った。
これが僕の初仕事だ……父さん達の期待に応えられる様に頑張ろう。
まずは、切り株に薪を縦に置き腰を落とすイメージでだっけか……。やってみると、薪が綺麗に割れなかったり、斧が途中で挟まって止まってしまったりと中々上手くいかない。
(父さんみたいに綺麗に割れない……腰を落とすタイミングが悪いのかな)
初めての薪割りは以外と難しく、一つ一つの動作を確認しながらやっていると、あっという間に時間が過ぎていたらしい。
「リース! 今日の薪割りはそれぐらいでいいぞ! こっちにこい! 昼飯にしよう!」
父さんの声が聞こえたので、顔を父さんの方に向けると、隣には母さんの姿も見えた。もうそんな時間か……僕は作業を止めてお昼ご飯を食べる事にした。
「分かったー! 今行くよ!」
母さんが持ってきた手提げ籠の中には、少し黒い色のパン、チーズ、塩漬けの豚肉が入っていた。
「リース、薪割りはどうだ? 上手くやれそうか?」
少し硬いパンと塩漬けの豚肉を、エールで流し込みながら父さんが僕に聞いてくる。
「うーん。まだ、イマイチコツを掴めないや。目標の半分も割れてないよ。」
上手く出来なかった事を思い出して、少し気分が落ち込む。
「そうか、まだ初日だしな。間違えて薪じゃなく足を割らないようにな!」
と、冗談まじりに父さんが笑う。
「もう。そんな事になったら笑い事じゃすまないわよ。ああ、そうだわ、リース。午後の事なんだけど、水を汲んできて欲しいの」
そんな父さんに苦笑しながら、母さんが僕に伝えてくる。
「そうか、それじゃあリースは水汲みをたのむ。それと、川の近くは動物もいるかも知れないからな、危険な動物の声が聞こえたらすぐに逃げるんだ」
「うん。分かったよ」
父さんの忠告をしっかりと頭に入れて、僕は森の中に入る事にした。
(森の中に一人で入るのって初めてだな)
いざ一人で入るとなると尻込みしてしまう。
(まぁ、でもこの森は精霊様に守られているから危険な魔物なんかはいないって母さんが言ってたし、大丈夫か)
そんな風に思い入り口から進み始める。
最悪迷いそうになったら、一旦引き返そう。――たしか、川はこっちあったはず――そう思い自分の記憶を頼りに進んで行く。
周りを見ても木と小さな動物がいるくらいで特に面白い事もない。急に鳥が飛び出してきたが、びっくりなんかしてない、本当だ。
少し先の木の根元に、お婆さんがいるのを見つけた。丁度いい、川までの道を聞こうと思って声をかけた。
「すみません。川まで行きたいんですけど、どっちに進んで行けばいいか知りませんか? よければ、教えて欲しいのですが」
お婆さんは最初こちらに気が付いていなかったが、僕の声が耳に入ったのか作業を止めて、立ち上がった。
「ああ、川まで行きたいのかい。えーと、そうだねえ。あそこに二股に分かれた木があるのが見えるかい?」
「はい。見えます」
「その木の方に歩いていけば、水の音が聞こえてくるだろうさ。後は水の音が聞こえる方に歩いていけばいいよ」
「分かりました。ありがとうございます」
お婆さんにお礼を言い、言われた通りの方に歩いていく。二股の木を越えて数分経った頃、水の音が聞こえてくる。その方向に十分くらい進むと聞こえる水の音も大きくなっていく。
急に視界が開けて太陽の光が眩しく照らしてくる。手で日差しを遮り前を見ると川があった。
近付いて水面を覗くと、そこには自分の顔が反射して見えるくらいに透き通った綺麗な水が流れていた。
(冷たくて気持ちいい……水を汲んで帰る前に少しくらい遊んでも怒られないよね?)
なんて思いつつ、誰にも見られていないか辺りを見渡す。
すると、川沿いの木陰に同じ年頃の女の子がいるのを発見した。
(見た事ない子だな。別の村の子かな?)
じろじろと見過ぎたのか女の子がこちらに気が付き、なにやら手を振りながらこちらに向かってくる。
何か言っているのを、声が聞こえる距離になってやっと聞き取れた。
「ねえーー!! あなた、どこから来たのーー!?」
どうしようかなとあたふたしている内にその子が目の前まで来てしまう。
「や、やぁ。僕は水を汲みに来ただけで、き、君を見てた訳じゃないからね!?」
やばい――これは、完全に挙動不審だ。変な奴だと思われたらどうしようと、体中から変な汗が出てくるのを感じる。
「どうしたの? そんなに慌てて、私エルミナ。あなたの名前は?」
その子は、きょとんとした顔で自分の名前を言い、僕にも名前を聞いてきた。
じろじろ見てた事はバレてないのか、僕はホッと安堵の溜息を吐いた。
「僕は、リース。森の右側、街から左側にある村に住んでるよ」
「よろしくね、リース。となると、私、隣の村に住んでるわ! あなたの村から少し上に行った所にある村ね」
胸の前で指を合わせながら、こちらを覗き込み言うエルミナ。
距離が近づいた事で少しドキッとする、それによく見ると――この子すごく綺麗な顔してる。
大きくて丸いはっきりとした二重に、すっと通る綺麗な鼻筋、桜色の小さな唇、髪は綺麗な黄金色で胸の上あたりまである。
頬が少し熱くなっているのをエルミナに悟られないように、誤魔化すように顔を背ける。
「村の外にはあんまり出た事ないんだ。今日は十才になった僕の初仕事でこの森に来てたんだ。って、言っても午前中だけで、今は水汲みに来ただけなんだけどね」
「私より年上なのね! 私ももうすぐ十才になるから、お婆ちゃんの薬草採取の見学で来たの。川辺にも薬草がないか見に来てみたけど、暑くて木陰で休んでたらリースの姿が見えて声をかけたってわけ」
もしかして、道を教えてくれたあのお婆さんの事だろうかと思いエルミナに尋ねる。
「くる途中でお婆さんに道を教えてもらったんだけど、もしかしてエルミナのお婆ちゃんかな?」
「ここら辺で薬草採取してるのは、お婆ちゃんしかいないと思うから、そうだと思うわ」
「だとしたら、本当にありがとうございましたって伝えておいてよ。すごく助かったって」
実際、あやふやな自分の記憶頼りにならずに済んで良かった。
「ふふ。分かったわ。ところでなんだけど、私今暇なの、ものすごーーく暇なのよね。だから、リース私と友達になってよ! 遊びましょう!」
「え、ええ……急だね。友達になるのは、まぁ、いいけどさ。水汲みして帰らなきゃいけないから、遊ぶのはそれまでだよ」
なんて言っても、初めてできた村の外の友達で控えめに見ても可愛いであろうエルミナを見て胸の鼓動が速くなるのを感じていた。
「だって、村の外の子に会うのって初めてなんだもの! 色々お話とかしたいじゃない! ほらー! リースもこっちきなさいよー!冷たくて気持ちいいわよー!」
いつの間にかエルミナは、川の中に両足を入れてこっちに手を振っていた。服の裾を濡らさないように持ち上げてはしゃいでいる。
本当に楽しそうに笑う子だな、と自然とつられて笑顔になっているのを自覚する。
僕も川に入り、一緒に遊ぶ事にする。
「あんまりはしゃぐと、びしょ濡れになっちゃうよ! うわ! 水かけるのは無しだろ!」
そうやってエルミナと時間になるまで遊んでいた。
「そろそろ、帰らないと。暗くなる前に水を家まで持ち帰らないといけないから」
「そうね。お婆ちゃんもそろそろ私を探しにくる頃だろうし、お開きにしましょうか。ねえ、また遊んでくれる?」
「うん。僕も楽しかったよ、また遊ぼう」
僕がそう言うと、エルミナは満面の笑みを浮かべ僕の手を握ってくる。
「約束ね! 十日後の同じ時間にまたこの川辺にきてね!」
握ったままの手をぶんぶんと勢いよく振ってそう言うと、エルミナは僕が来た方向に走って行った。
初めて女の子と触れた感触がいまだにほんのりと残っている。
(お父さんとも、お母さんとも違う柔らかくて小さな手だったな)
周りに花を咲かせるように笑うエルミナの笑顔を思い出しながら、僕は帰路につく事にした。
その日の晩に、今日あった事を母さん達に話した。
「そうか……リースも色付く年頃か! 約束までしてくるなんて、やるじゃねえか!」
なんて、父さんには揶揄われた。
「リースはそのエルミナって子と一緒にいると、胸がどきどきしたり、温かい気持ちになったりしたのね。その気持ちはとても大切な物だから、大事にするのよ」
母さんは優しい目つきで嬉しそうに微笑んでいた。
眠る前に母さんの言葉と、エルミナの、あの笑顔を思い出す。それに十日後の約束、その事を思うと明日からも頑張れる様な気がする。そんな事を考えながら意識が薄れていった。
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