第3話 黄昏色の放課後に

 波乱の一日だった。いや、本当に。

 始業式のクソ長い学園長の良い話にしようとしてるんだろうけども、長すぎて内容の一割も心に響かない講釈とか、生活指導の体育教師から清く正しく美しくを強い言葉を叩きつけられたり、式の終わりにはレッドガードの机と椅子を教室棟から離れた特別教室棟から運び込んだりしたんだが、ずっとチラチラ見られてんのよな。

 まあ、その原因は俺じゃなくて、俺の後ろにあるんだけども。

「…………あー、レッドガード?」

「なに?」

「何でそんな、カルガモの雛みたいについてくるんだ?」

「だって、カゲトラが私の案内係なんでしょう?なら、その後をついてくることも珍しくは無いんじゃないかしら?」

「いや、俺なんかよりも、ほらあのお調子者とか、クラスの女子とか居るだろ。と言うか、声かけてたし」

「私は、カゲトラが良いの。それよりも、私と一緒じゃ、いや?」

 その顔は、反則じゃないかな?くそっ、美人ってのはこれだから得だよな。それも自分の魅せ方を無意識に分かってるから余計に質が悪い。

 気まずくなって、その綺麗な赤い瞳から目を逸らして、俺は首筋を撫でた。

 外は、春休みから部活に精を出している運動部の声が聞こえてくるし、校舎内でも文化部の軽音部や吹奏楽部の演奏する音が遠くから聞こえてくる。

 初日だから授業は無いし、入学式自体も午前中で終わって今は夕方。

 部活にも入ってない俺が残ってるのは、単純に雑用の為だ。

 ほら、俺って力が強いからな。何人がかりかで運ばなきゃならない重い荷物やら、何やらでも一人で運べるし、体力もほぼ無尽蔵。

 とはいえ、一人で運べる量には限界がある。壊す訳にもいかないし、俺の腕は二本しかない。だから、この時間だ。

 そして、レッドガードは手伝う訳じゃないけども、ずっと近くに居た。

 いや別に、女子に力仕事やらせるほど落ちぶれちゃいないし、あんな白魚みたいな細い指で椅子何脚も持ち運びとかできるとは思えないから良いんだけども。

 というか、

「レッドガードは帰らないのか?」

「なに?帰ってほしいの?」

「あ、いや、別に責めてるわけじゃなくてな…………ほら、レッドガードカンパニーのご令嬢な訳だろ?だったら、その……迎えとかもあるんじゃないかと思ってさ」

「私が呼ぶまでは来ないから、気にする事ないわ。それよりも、カゲトラ。今から、二人きりになれるところに案内してくれないかしら」

「…………は?」

 このお嬢様は急に一体、何を言い出すんだかね。

 言っちゃあなんだが、今この状況も二人きりだ。廊下とはいえ、今は放課後。人っ子一人居ない、何てことは無いけどもそれでも早々人は通らない。

 そう伝えてみれば、レッドガードはにんまりと笑ってくる。

「不確定要素は、省いておきたいの。二人っきりになれるなら、学校でも外でも構わないわよ?」

 どんどん迫ってくるレッドガード。気付いたら、廊下の壁に壁ドンされる形になっていた。顔近い。

 え、本当に分からない。何この状況。あ、いい匂いする。

 キスでもするんじゃないかと思えるほどに近づいてくる美貌。

 その距離が0になりそうなその瞬間、

「―――――ギヒッ!」

「ぶべらっ!?」

 俺はその横っ面を殴り飛ばされていた。



 来てしまった。それが、その光景を前にした私の感想だった。

 私が見て、右側から伸びた腕は正確にカゲトラの左頬を捉えてその体を、一気に殴り飛ばしていく。

 私は、来るのが分っていたからその前に飛び退いていたから怪我なんてしていない。

「ギッヒヒヒヒ、見つけたぜぇバンピィちゃ~ん?」

「…………」

「人間を使ったけどよぉ、ヒッヒやっぱ駄目だねぇ。高々、の一つも真面に熟せね~んだものよぉ?」

 こいつが、犯人か。

 思い出すのは、二週間前のあの日。完全に油断していた私は、あと少しでこの男の手の内に落ちるところだったって訳ね。

 私を救ったのは、ヒーローでも、何でもないゴリラみたいな男の子。

 カゲトラ・ゴリョー…………いえ、日本人だものね。五稜景虎、が正しいわ。

 黒髪に、星空の様な黒の瞳。肌は、モンゴロイド系特有の色合いで健康的。両親は共に日本人。父親は一般的な会社員で、母親は専業主婦。そして、少し離れた大学に通う姉が一人いる。

 二週間もあれば、私の家のネットワークで十分調べられる程度の人間。

 。カゲトラは普通の男子高校生でしかない。

「ギヒッ、とにかく連れてくよ~。だいじょ~ぶ、オレって女の子には優しいからねぇ?」

「…………」

「何か言ったら―――――あん?」

 だから、私はその光景を見ても驚かない。

 ニヤニヤと下卑た笑みを浮かべる男の右肩に、手が乗せられる。男は、不思議そうにしているけど、私にはその様子がよく見えた。

「―――――お前」

「は?てめーはさっきオレが―――――」

「歯ァ、食いしばれやァアアアアアッ!」

「ぶっ!?」

 さっきの男のように振り抜かれるのは、殴り飛ばされたはずのカゲトラの拳。

 筋が良いわね。手加減しているのはマイナスだけど、素人で手打ちにならないだけでも見込みがあるわ。

 そして、その腕力。加減をした一発で、を吹き飛ばせる威力。

 もしかしたら本当に、彼は私の求めた相手かもしれない。

 


 キスされるのかと身構えてたら、急に殴られた件について。

「イッテェ…………」

 舌で殴られた左頬を触ってみれば鉄の味がした。大出血とまではいかなくても、血が出てるなこりゃ。

 それにしても、

「何なんだ、あの男。急に殴ってきやがって」

「―――――“亜人”よ」

「え?」

 疑問が口から出てたのか、レッドガードがそう答えてくれる。

「亜人?何だ、ソレ」

「見れば、分かるわ。ほら、始まるわよ」

 そう言って、レッドガードが指さすのは俺がさっき殴り飛ばした男。

 黒いツナギに、シルバーアクセサリーをジャラジャラ付けたようなチンピラのお手本みたいな奴だったんだけども、そいつが今立ち上がってこっちを睨みつけてきていた。

「テメェ……!よくも…………!」

「いや、先に殴ったのお前だろ。お陰で、口の中鉄の味がしやがるんだが?」

 おかしい。そこら辺のチンピラなら一発で沈む程度には威力を出したはずなんだがコイツ、ぴんぴんしてる。

「ゆるざねぇぞぉおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!」

 完全にキレた男が叫ぶ。と言うか、ここまで大声を出せば先生の一人でも来てもおかしくないと思うんだが?

 何で誰も来ない。いや、そもそも

「閉じ込められてるもの。廊下の先が見通せないでしょう?」

「…………お前って、読心術なの?それともさとりなの?」

「アナタが顔に出やすいだけよ。それより、油断しないで。来るわよ」

「あん?…………は?」

 見なきゃ良かったと、俺はその時確かに後悔した。

 チンピラは、その姿を大きく変えていたから。いや、脱衣とかそんなレベルじゃなくてだな。

 上半分を脱いで袖を腰に巻き付けた上半身は人の肌の色じゃない。

 爬虫類。柔らかい肌じゃなくて、緑色の鱗に覆われた……そう、蜥蜴とかげとかあの類の肌の質感。

 肌だけじゃない。体格は、さっきまでのヒョロヒョロとは打って変わっての、まるでボディビルダーみたいな逆三角形で、両腕も俺の太ももよりも太い。

 前傾姿勢になって下がった両手は、まるで恐竜だ。恐竜人間。爪が鋭い。

 何よりその顔。完全な蜥蜴だ。シルバーアクセサリーを付けた蜥蜴。

 特殊メイクだとか、CGだとかそんな温いモノじゃない。

「…………化け物か?」

「アレが、亜人よ。あの男は爬人はじん。広義で見れば獣人じゅうじんの一種になるかしら」

「リアル?」

「殴られた頬が痛いでしょ?リアルよ」

 レッドガードの無情な言葉と、口の中の痛み。それが、俺が今現実的にこの状況に遭遇しているんだと声高に叫んでくる。

 そう言えば、昔本か何かで読んだことがあったな。

 事実は、小説よりも奇なり。英国の詩人さんの名言。

 正に今、彼が言ったような状況が、俺の目の前に広がっていた。

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