第19話 公爵令息エリオット・フレインの憤怒




 エリオットは、今、自分がこれまで生きてきた中で最も怒っているという自覚があった。

 馬車を飛ばしてやってきた侯爵邸で、立ちはだかる使用人を公爵家の名前で黙らせて踏み込んだ先で目にした光景に、一瞬で髪の先まで燃える程の怒りが燃え上がった。

 床に倒れた令嬢の髪を引っ張って引きずり、拳を振り上げる醜悪な男の姿に、エリオットは殺意に近い激情を抱いた。




「な、なんですかな?何故、フレイン様がここにっ……」


 突然現れた公爵令息に、グンジャー侯爵は狼狽えた。


「いくら公爵家の方とはいえ、勝手に入ってこられては困りますな!お引き取りを……」

「黙れ」


 冷たい声で遮られ、グンジャー侯爵は「ひっ」と息を飲んだ。

 突然踏み込んできた公爵令息に怒りのまなざしを向けられ、グンジャー侯爵は混乱した。公爵令息の背後では、同じく王太子の側近候補である宰相の息子と騎士団長の息子が男爵令嬢の怪我の様子を看て侯爵家の使用人に濡らした布を持ってこいと怒鳴っている。

 いきなり現れた三人に狼狽えていたグンジャー侯爵だったが、無理矢理踏み込んできたのは彼らだと気づいて少し冷静になった。


「いやはや、いかに王太子殿下の側近候補であれど、我が家に無断で押し入るとは。これは陛下に奏上させていただきますぞ」

「ああ。好きなだけ訴えればいい。貴様の薄汚い行いを」

「なっ……無礼な!」


 グンジャー侯爵はカッと頭に血を昇らせた。


(若造がっ!何を偉そうに)


「侯爵であるわしを侮辱するなど、いくらフレイン様といえど許されませんぞ!」

「許されないのは貴様だ。スカーレット嬢への暴力だけでも貴様を裁くことは可能だ。覚悟しておけ」


 グンジャー侯爵は一瞬怯んだが、すぐに気を取り直して鼻先で笑った。


「ふん。そんな小娘を躾ただけで何故覚悟などしなければならないんだ。貴様等こそ覚悟しろ!とっとと出て行け!」

「俺達はスカーレット嬢を迎えに来たんだ。連れて帰る」

「勝手な真似は許さんぞ!その娘は自分の意志でここへ来たのだ!口を出されるいわれはない!」


 どいつもこいつも、たかが男爵家の娘に執着しやがって、とグンジャー侯爵は苛立った。テオジール子爵家にさんざん苦労させられたというのに、今度は王太子の側近候補が押し掛けてきてうんざりさせられた。

 いかに相手が公爵令息であろうと、この場の正当性は自分にある。グンジャー侯爵はそう考えてニヤリと笑みを浮かべた。


「口を出すいわれ、か」


 胸を張るグンジャー侯爵の前で、エリオットがふっと笑った。


 そして、くるりと向きを変え、跪いてスカーレットに手を差し出してこう言った。


「スカーレット・バークス男爵令嬢。俺と婚約して欲しい」


 スカーレットがぱちりと目を瞬かせた。


「なっ……何を言う!?」

「聞いた通りだ。俺はスカーレット嬢に婚約を申し込んでいる」


 エリオットは不敵な目でグンジャー侯爵を睨みつけた。


「男爵は不在だったので、男爵夫人に婚約の許しを申し入れた。それから、婚約許可を得るために陛下にも話を通してもらっている。

 スカーレット嬢は今朝、ジム・テオジールとの婚約を解消した。その直後、エリオット・フレインがスカーレット嬢に婚約を申し込んだ。

 この話を知った人々はこう考えるだろう。

 スカーレット・バークス嬢は、エリオット・フレインと婚約するために、ジム・テオジールとの婚約を解消したのだろう。と」


 エリオットは再び立ち上がり、顔を青くするグンジャー侯爵に向き合った。


「スカーレット・バークスはエリオット・フレインと想いを通じ、ジム・テオジールとの婚約を円満に解消した。

 だが、エリオット・フレインが正式に婚約を申し込みに行く直前に、前々からスカーレット・バークス嬢に邪な想いを抱いていたグンジャー侯爵が侯爵家の威光で無理矢理スカーレット嬢を妾にしようとして連れ去った。

 それを知ったエリオット・フレインは、グンジャー侯爵邸へ押し入り、抵抗するスカーレット嬢を殴りつける悪逆非道な男から愛しい彼女を救い出した。

 グンジャー侯爵はエリオット・フレインが無断で屋敷に立ち入り、自らが妾にしようとしていた少女を奪ったと訴えるが、果たして良識ある王侯貴族は「まだ学園に通う年齢の少女に暴力を奮い妾にしようとする男」と「正式に婚約を申し込む公爵令息」のどちらに味方するかな?」


 考えずともわかるだろう。


「そっ、そのようなデタラメをっ」

「デタラメ?スカーレット嬢の顔には殴られた跡があるが、どう言い逃れるつもりだ?」


 グンジャー侯爵はぎりぎりと歯を食い縛った。


「だが、貴様が婚約を申し込もうとしていたなど真っ赤な嘘だっ……」

「そうかな?つい先日、個室で二人きりの昼食にスカーレット嬢を誘ったことは、学園内では噂になっていると思うんだがなぁ?」

「ああ。すごい噂になっていたぞ。なにせ、これまで女に興味を示さなかったエリオット・フレインが自分から令嬢を誘ったんだからな」


 エリオットのとぼけた台詞に、クラウスが同意する。


「そして、今頃王宮では王太子とその婚約者が「友人のエリオット・フレインが意中の男爵令嬢に婚約を申し込みにいった」という噂をばらまきつつ、陛下から婚約許可を得るための準備をしてくれている」

「女嫌いの公爵令息の心を解かした男爵令嬢。実に夫人方や令嬢方が飛びつきそうな話題だなぁ。そこに「うら若い令嬢を地位を盾に妾にしようとする醜悪な悪役」なんて現れたら、それはそれは社交界では忌み嫌われることだろうなぁ」


 ガイもうんうんと頷いた。

 グンジャー侯爵はわなわなと震えて、何か言おうとするがもはや言葉にならない。


「さあ、帰ろう。どこまで噂が広まっているか楽しみだ」

「え?きゃっ……」


 エリオットがグンジャー侯爵に背を向けて、スカーレットを抱き上げた。


「フ、フレイン様!?おろしてくださいっ」

「何を言う。すぐに帰って手当しなければ」

「そうです、お姉様!お姉様の美しいお顔が!くうぅ〜!フレイン様に止められていなければ、あの野郎、再起不能になるまで蹴り飛ばしてやったのに!」

「まあまあ、落ち着いてください。ミリア嬢」

「そうそう。どうせ、今後は社交界から閉め出されるだろう。二度と顔を見ることもないんじゃねぇ?」


 若者達が勝手なことを言いながら出て行く。だが、グンジャー侯爵には何も言うことが出来なかった。



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