第30話 【2052_1107】不意の人影
香椎の頬を、緊張の汗が伝う。
この状況を打破する策がいくつも浮かぶが、即座にそれは否定される。今の体力では、どれも履行不可能だった。力を振り絞ったところで、抵抗できる時間はたかが知れている。
すると、取り乱した様子のジョルジュの音声が飛び込んできた。
「ん? なんだ、俺以外にここのシステムに入ってくるぞ。『工事用重機制御システム』が不正アクセスを食らってる……」
「何が起きてるんですか……?」
視線は獅童に向けたまま、香椎は急かす。けれども、ジョルジュはまだ整理できていないようだ。とにかく目に見える現状を伝えてきた。
「この速さ……。どこを走ってるんだ……」
「何が」と反射的に返答しようとしたが、ほのかにその正体がわかり始めてきた。
上を走る車の音ではない。横にある壁の奥から、重力が移動する振動がここまで伝わってくる。遠くから硬いものが砕ける音もしてきた。目の前の獅童には、聞こえていないのか……?
……嫌な予感がしてきた。本能に従い、香椎は後ろへの退避の構えを取り始める。そして次の瞬間、ジョルジュの大声がインカムに響いた。
「…香椎ッ!! 後ろへ走れ!」
「おい! お前逃げんじゃ……」
――ドゴォン!!
香椎が全速力で振り返って駆け出したのと同時に、真横の壁が轟音と共に弾き飛ばされる。そして、奥から2本の巨大アームを持った重機が、凄まじいスピードで突っ込んできた。
不意をつかれた獅童を目掛けて、重機はアームを伸ばすと、的確に彼の身体を拘束する。
そのまま速度を落とさずに、反対側の壁に突っ込んでいった。激しい衝撃音と共に、獅童を掴んだ腕は、拘束具のように壁にめり込む。
その衝撃で気を失ったのだろうか、獅童はだらりとぶらさがっていた。
目の前で起きた出来事に、香椎の理解は追いつかない。全く身動きもできず、壁の瓦礫がパラパラと崩れる音だけが聞こえてきていた。
すると、トンネルに空いた空洞から…もう一つ。
聞き覚えのある男の声がやってきた。
「……ふむ、まだ助けない方が良かったか?」
土埃が立つ瓦礫をかき分け、コツコツと靴を鳴らして悠然と現れた男――
静間優樹はいつもの軽薄な笑いをたたえながら、呆然と立っている香椎を見つけて面白そうに目を輝かせていた。
そして、奥の重機からコックピットを開く音が鳴る。
「蟹」にタイヤを6つ付けたようなキャッチーな機体から、背筋をピンと伸ばしたサクヤが顔を出した。辺りの状況を軽く伺い、安全を確認すると、すぐに静間の元へやって来る。
それでも黙ってるだけの香椎を見ると、静間は困ったように肩をすくめてから、耳に手を当てた。
「どうした? いつもの減らず口が聞こえないぞ」
「やめて頂戴。あなた何したのかわかってるの……」
不本意に緊張が解かれた香椎は、心のどこかでは安心しつつも、露骨に嫌な顔をして答える。ようやく目当ての言葉が聞けた静間は、満足そうに頷くと、重機に拘束された獅童へ、近づいていった。
「それで、こいつが『キュベレイア』とやらなのか。オカルト集団にしては、随分と立派な腕をつけてるもんだ。どこか裏で手を引いてるやつでもいるのか……どう思う?」
なぜ静間がここにいるのか、そしてどうやってあれを制御したのか――聞きたいことは山積みだった。
順を追って、香椎は経緯を確認しようとする。
しかし……
さっきまで自分に問いかけていた静間の顔からは、もう先程の余裕が消えていた。その視線は、自分の後ろに向けられている。
思わず香椎が背後を振り返ると、さっきまで自分がいた場所に何者かが立っていた。
それは……
だらりと下ろした腕の右側には、リストバンドのようなアクセサリーが見える。フードに隠れた表情は全く見えない。
音もなく現れた人物に、香椎は腰のホルダーから銃を構える。獅童の仲間だろうか……。
警戒する香椎に対して、静間は一歩一歩、踏みしめるように近づいていく。目は、ずっとその人物から離れない。口は、何か言葉を選ぶように、形を成さずに震えていた。
彼の行動も気になったが、それでも香椎は、目の前の人物に問いかける。
「あなた、一体何者? ここに来たということは、あいつの仲間なのね?」
「……」
ローブの人物は答えない。すると、静間が何かを確かめるかのように、ゆっくりと口を開いた。
「お前……『布瀬』なのか?」
それでも何も返って来ない。
……沈黙が続く。
唇を噛み締め、何かをずっと待っている静間。
――そして
「……久しぶりね」
トンネルの静けさに埋もれてしまいそうな声が、フードの奥から流れてくる。
香椎の耳にも聞こえるほど、静間が息を飲む声が聞こえた。
その顔は、歓喜とも苦悶とも取れる曖昧な表情が浮かんでいる。そのまま、彼は気力なく手を伸ばして、「ふせ」に歩み寄ろうとしていた。
その動きに応じるかのように、ローブの人物はくるりと振り返ると、小さく呟いく。
「また会いましょう」
「おい、ちょっと待て!」
張り詰めていた緊張を打ち破るかのように、静間が前へ駆け出す。
同時に、背後の重機から金属の軋むような不快音が聞こえてた。反射的に音の鳴る方を振り返ると、アームに挟まれていた獅童が身体を揺さぶり、もがき暴れていた。
「……ォォオオオオッ!」
獣のような咆哮を上げて、一心不乱に逃れようとする。
そして、大きく身体をひねると、機械化した右腕の接合部分を思い切り引き剥がした。「バキバキ」と嫌な崩壊音が響く。
その瞬間、香椎は即座に発砲する。
――が、遅かった
既に、身体はアームの外へと飛び出して、壁に突っ込んだ重機に着地している。傷ついた右腕をかばいながら、獅童は高々と吠えた。
「お前らの顔は覚えた! いいか、次は必ず殺す!」
彼は大きく飛び上がり、あっという間に遠くへ駆けていく。トンネルの闇に紛れた獅童の姿は、もう追うことはできなかった。
「チッ……! さっきの仲間は!」
香椎の声と同時に、静間も振り返る。だがそこには、既にローブの影も形も見当たらなかった。
再びトンネル内は静寂を取り戻す。
さっきまでそこにいたという事実すら、記憶から消え去っていたかのようだ。「どういう……」と香椎のか細い声が、静間に向けられる。
静間は顔を俯いたまま、両手をぎゅっと握り、ただ立ち尽くしていた。その身体は、どこか震えているようにも見える。
「……なんでだよ」
ただ上を走る自動車の走行音が、遠くに響いている。静間は、それからはもう何も話さなかった。
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