第29話 【2052_1107】トンネルの獅子

 香椎の顔面を、もう何度も打撃が横切る。今は彼の攻撃をかわすしかなかった。

 

 獅童の拳打を完全に防ぐには、香椎の身体では重さが足りないからだ。ガードしてたとしても、あの力では腕を弾かれて、無防備を晒してしまうだろう。

 

 ついに出力任せの一撃が、香椎の腕に当たる。初めての衝撃が、骨に響いてくる。



「どうしたァ? ハンドガン使ってた時の方が、よっぽど怖かったぜ?」



 獅童は両の眉を上げて、余裕そうに何度も髪をかき上げる。あからさまな不満をぶつけながら、鋭い口調でまくしたててきた。


 獅童の言う通り、さっきまで香椎は持っていた拳銃で応戦していた。

 しかし、彼の素早い動きに、狙いはよく定まらない。どうにか射撃するが、彼の機体には、1発も当たらなかった。

 

 そして絶え間なく続く、獅童の近接攻撃。リロードする時間も、足首に隠していたリボルバーを取る暇すらもなかった。もはやこの対決で、拳銃は使い物にならないだろう。

 

 そして、香椎は戦略を変えた。


 

「視界や感情に頼るな。サイボーグ戦の基本を思い出せ」



 耳元からジョルジュの助言が入る。香椎もそれに答えるように、再びゆっくりと構えを取って、呼吸を整えていった。



 ジョルジュのいうサイボーグ戦の基本は、大きく分けて2つ。

物理的制圧フィジカル・シャットダウン」か「心理的制圧メンタル・シャットダウン」となる。


 圧倒的な火力でサイボーグの強化骨格を打ち砕き、完全制止に持ち込む「物理的制圧フィジカル・シャットダウン」。


 これならば、相手に近づく必要もなく、安全に対処ができる。しかし、今の香椎にあるものといえば、携行した9mm拳銃と.357小型リボルバーだ。それはもう無意味であることが、証明されている。


 一方の「心理的制圧メンタル・シャットダウン」は、サイボーグがだったことを逆手に取る。


 相手の意識や心理の穴、あるいは機体の熟練度の低さを突く手段だ。いくら身体を機械で拡張したといっても、各種判断や動作指令を出す意識が人間と同じであれば、その動きは、自ずと人の動きになる。


 そして、性能を活かしきれず、人であった時のように稼働した機械部位は、どこかで必ずエラーが生じてくる。状況的に、香椎が選択できる手段は限られていた。


 

「機械化しているのは、右腕と両足のみ……。頭部と心肺は生身のままか……」



 獅童の上半身を目で追いながら、香椎は小さく呟いた。わずかに見えた突破口をより明確にするため、しっかりと獅童の動きをインプットする。


 再びあの目を向けられた獅童は、落ち着きなくブーツの先でコツコツと地面を叩く。何度も首の後ろを擦って悪態をつきながら、生気のない目をこちらに向けてきた。



「何を考えてるかわからねえ女っていうのがな、俺は一番嫌いなんだよ……」


「そう。女の扱いを知らないって自覚はあるみたいだけど、それ黙ってた方がいいわよ」


「チッ!」



 獅童は顔を赤くして、舌打ちをする。


 雑に息を吐くと、右頬を引きつらせながら歯ぎしりを始めた。獣のような低い唸り声が、彼の喉から漏れる。こらえていた感情を吐き出すかのように、獅童は大きく右腕を振りかぶったまま、一直線に突進していく。



 ――ブォオン



 足捌きと身のこなしで、香椎はそれを回避する。


 渾身の右腕は悲しく空を切った。なおも乱打が続くが、香椎はまだ動く。相手の攻撃をかわすことに集中し、最小の動きで獅童の拳打を喰らわないよう、立ち回っていた。遠すぎず、近すぎず。一直線ではなく、時には曲線を描きながら。


 やがて、獅童の技のキレが鈍ってきた。



「……フン」



 獅童は攻撃の手を止めて、一歩後ろへ下がる。


 攻撃の構えは解かないが、額にはわずかな汗が浮かんでいた。何度も拳を握り直し、準備体操のようにステップする。


 沈黙を貫いているが、頭の中に焦りや疑念が生じているのがわかった。しばらく呼吸を整えて、落ち着きを取り戻したのか、獅童の顔は血色を取り戻す。



 ――香椎の目には、その心の隙間がはっきりと見えていた



「オラァ!」



 再び獅童の突進。右の拳は香椎の肩口を狙っていた。感情に任せて掴みかかり、すべての鬱憤を晴らすかのような動きだ。その瞬間を香椎は見逃さない。



「はぁ!」



 前に伸びる獅童の右腕をかわしながら、身を低くして懐に潜り込む。そして、無防備になった生身の部分――上半身のみぞおちに目掛けて、強烈な肘打ちを繰り出した。


 獅童の勢いが、そのまま攻撃力となって突き刺さる。



「ぐっ!? があ……っ……」



 予想外の香椎の攻勢に、獅童は声にならない悲鳴を上げる。半端な機械化に取り残された人間部分のダメージが、彼の呼吸を止めていた。


 そのまま、香椎は獅童の胸元を掴む。左手で獅童の右腕を掴みながら、身体を反転させて、体重を乗せた投げ技へ移行した。あっという間に、獅童の身体は地面を離れていた。



「はぁあああ!」

 


 見事な背負投げだった。


 宙に浮いた獅童の身体は、あっけなく地面に叩きつけられていた。みぞおちに一発、そして背中を打つ衝撃。並の心肺機能を持つ者ならば、まともに呼吸ができないはずだ。



「見事だ。相変わらず隙がない」



 見守っていたジョルジュの称賛が、耳に入る。



 ……だが、香椎はまだ獅童の腕を掴んだままだ。

 今の動作を反芻する、なにか違和感が――



「……ッ! ……はぁ、っ……! ふざけやがって……!」



 驚くことに、まだ獅童の意識は残っていた。途端に掴んでいる腕にも、彼の筋肉がこわばるのが伝わってくる。



「脚部だけで受け身を……!」



 獅童の両脚部分……機械化された脚だけは、独自に動作して見事に受け身を取っていた。強靭な腱ですべての衝撃を受け止めて、上半身が地に叩きつけられるのを防いでいた。


 驚愕した香椎は、わずかながら指の力を緩めてしまう。


 その隙を、サイボーグは見逃さなかった。香椎の腕を振りほどくと、そのまま地面に手をついて大きく飛び上がる。香椎の数m先に着地すると、肩で息しながらギラついた目で睨んでいた。



「もうお前は生かしておかねえ! お前は殺す!」



 激高した獅童はなりふり構わずに吠える。目を見開き、充血した眼でこれでもかと威圧する。今の一撃で仕留めきれなかった……! 


 香椎は震える声を抑えながら、ジョルジュに質問する。



「……応援が到着するまでの時間は?」


「5分だ。地下の駐車場にまだ到着していない」


「笑える」



 冷静さを失わないように意識するが、汗が止まらない。再び獅童の攻撃を回避して時間を稼ぐには、もう体力がもたないだろう。応援が来るまで自分が耐えきれるか……。


 香椎は、初めてこの戦いの予測がつかなくなっていた。

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