第28話 【2052_1107】あの人の背中
『ねえ、ひなこちゃん。どうしてみんなと一緒に遊ばないの?』
――だって、向こうの方がおもしろそうだから
『ひなこ! 勝手に行くんじゃない、どうしてそう落ち着きが無いんだ!』
――だって、誰かに追いかけてきて欲しいから
『記憶力も高く、学習意欲も申し分ない。身体能力も優秀。しかし性格は自由奔放でチームプレイには向かない。採用は見送る』
――だって、誰も私についてこれないから
『くすぶってる逸材がいるって聞いてきたけど、期待通りね。退屈そうな目……』
――……
『他の人に自分を合わせるのって大変だもの。あなたのせいじゃないわ、みんなそうなの。たまたま近くに自分と合ってる人がいるだけなのよ』
――でも……
『だけど、あなたの力はいつかきっと、誰かに求められる。誰もあなたのことを見てないなんて考え、否定してあげるわよ。……もし気が向いたら、私の所にいらっしゃい』
* * *
「うん? おかしいのう、確かにこの辺りまで吹き飛ばしたんじゃが……」
蛛詠は放り投げた身体を探して、首をかしげる。
確かに目の前の木箱は砕けて、中の食品や緩衝材が散乱していた。だが、肝心の三崎の姿が見当たらない。近くを何事もなかったかのように、運搬用ロボットがせわしなく移動しているだけだ。
「ヒヒヒ、そうこなくては……。が、ちぃと目が悪いのう、これは。あの速度が追えんとは、いつの時代も
不満そうな顔で、こめかみをトントンと叩く。蛛詠の瞳にノイズが走るが、あまり改善しないようだった。
気を取り直して、蛛詠は壁際に沿って倉庫内を歩く。
「SA10-5 調理器具フォーク50箱」、「乾燥パスタ業務用太さ2.2cm 1キロ」、「調理場用掃除セット」……。
左右に置かれている荷物のパッケージを見るに、この辺りは上の飲食店向けの備蓄なのだろう。サイボーグになった蛛詠にとって、それらは食への郷愁を感じさせることもないただの物体だった。そのまま、左に折れて食料品棚の間へと進む。
身長の何倍もある棚を脇目に、蛛詠は感覚器を増幅させる。しかし、却って運搬ロボの稼働音やエレベーター音まで感知してしまい、一気に雑音で脳内が溢れかえってしまった。
小さく悪態をつくと、蛛詠は聴覚を標準設定に戻して、物音一つ立てていない通路を進んでいく。
――タッ……
標準設定でも、頭上を進む気配は届く。棚の上を駆けていくあの音……。
蛛詠は笑みを隠さず顔に出す。
このまま黙っていることにしよう……。どうせ手負いの小娘のやること、あの身体からの不意打ちならばすぐに反応できる……。
――ズッ!
予想通り。
蛛詠が、棚の間を抜け終わるかどうかという位置で、最上段にある荷が頭上へ落下してくる。その数、2つ。左右に散って、こちらに向かってきている。
たかが、大型の段ボールだ。この程度の重量、なんの問題もない。
「浅知恵がァ!!」
分裂した6つの腕を高速に稼働させ、強烈な突きを注ぐ。的確にヒットしていく無数の打撃が、左側の段ボールを破裂させた。
が――!
「な、なにぃっ!」
その中には大量のフォークやナイフ、スプーンなどの金属食器が入っていた。宙を舞うそれらは、天井の照明を乱反射して、蛛詠の視覚野に負荷をもたらす。
脳内はリアルタイムに、回避ルートを予測する。それに従って各種パーツは動き始めるが、蛛詠本人の意思は、そう判断していなかった。
「今の身体なら、こんなもの!」
さっきよりも、さらに素早く6本の腕を動かす。突き、薙ぎ払い、突き、突き……。形ある金属たちは、ただの粉塵と化していった。
機械を超えた自身の意思力に、一瞬、安堵が浮かぶ。
……いや、まだその先がある!
2つ目の段ボールは、今や眼前に迫りつつあるのだ。しかし、既に左に振り上げている腕を戻して攻撃するには、時間が足りない。
不本意ながら、蛛詠はそれを「薙ぐ」ことにした。伸ばしきった6本の腕を体重も使い、一心に右へと払う。
――メキャッ
腕が接した瞬間、蛛詠の右腕の1本に嫌な手応えが走った。段ボールの重さだけじゃない。何か別のものが、重くのしかかっている。
その瞬間!
蛛詠の目には、段ボールの後ろから飛び出してくる三崎の姿が映っていた。
「バカな! こいつ箱と一緒に飛び降りて……!」
蛛詠の声が終わらないうちに、三崎は蛛詠の脇に着地する。
その手には、掃除用の青いホースが握られていた。ピンと張ったホースは、いつの間にか、蛛詠のか細い6本の腕に、複雑にからまっている。そして、その先は最上段の棚のフレームに固く結んであった。
「いつの間に……。く、クソ! 離せ、餓鬼!」
激しく身体を揺すり、逃れようとする蛛詠。
だが、壊れた腕ではホースを断ち切る鋭利さも、三崎に抵抗する力もなかった。
ホースを握る三崎の手は全く揺るがない。
傷だらけになりながらも、その瞳には、静かな炎が宿っているようだ。
あまりの威圧感に、蛛詠は恐怖と焦燥感に顔を引きつらせ、悲鳴を上げながら、もがき続けていた。
「ヒィぃい! 馬鹿! やめろ!!」
「はああっ!!」
三崎は、手に握っていたホースを強く引き寄せる。
その瞬間、蛛詠の6本の腕は、いとも簡単に砕けていく。悲しい金属音と共に、それらは破片となって宙を待っていった。
勢い余って後ろに傾く蛛詠。
その隙を見逃さない。三崎は、そのまま蛛詠に駆けていくと、腰のホルダーから拘束用の電子首輪を取り出して、蛛詠の首元にはめる。
「あ! ……う……っ」
演算処理と動作系を静止させられた蛛詠は、惨めな断末魔を上げると、力なく腰から落ちていった。そして、三崎は完全に停止したことを念入りに確認する。
「……はあ!! はぁっ、はぁっ! はっ……はっ……っー……」
直後、三崎の身体は酸素を求め始めてきた。
身体を大きく揺すりながら、思う存分呼吸をして、その場に仰向けになる。続いて、抑え込んでいた痛みが、全身を襲ってきた。思わず「いてっ!」と声が出てくる。
自分の声を聞いて、三崎の意識は徐々に日常に戻っていく。すると、耳元からけたたましい声が響いてきた。
「……崎……三崎! おい! お前大丈夫なのか!」
「あ……ジョルジュさん……」
「急に黙り込みやがって! いいか、警察が到着してそっちに向かってる」
「右目が隠れてたし……絶対、腕動かす時は……一緒の方向だったし……慣れてないんだなって……へへ…」
「んなこたあ、どうでもいい! そのままおとなしくしてろ」
「芽衣ちゃんが……あと、静間さんいなかったすね……。アサナさんは……どう……」
三崎には、もう話す気力はもうなかった。
芽衣ちゃんやアサナさん、みんなはどうしただろう。でも静間さんがいなかったのは後で謝らないとかな……。
高い天井を見上げながら、遠くの方で扉が開くのが聞こえてくる……。
三崎が記憶できたのはそこまでだった。
朧気な意識は、遠い過去を彷徨い始める。そう、あの時からだった……。私が今も走っている理由。
――だって、私の前にはアサナさんがいるから
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