第27話 【2052_1107】倉庫の蜘蛛

 目の前に現れたのは……恐らく全身機械化人間サイボーグだろう。


 外見と声色は若い女性だったが、その話し方はまるで老人だ。右目を隠すように斜めに切り揃えた前髪を揺らしながら、こちらを嘗め回すように見つめてきた。

 

 光沢のある金属質のボディ。軽量化のためか空洞が目立つ四肢は、美しさを感じる一方で、その機動性が容易に想像できた。彼女がゆらゆらと動く度に、少し高い腰にある蛍光ユニットからモーター音が微かに鳴っている。

 


「……」


「三崎、焦るな。既に応援は向かわせている。サイボーグに、正面からじゃ無謀だ。なるべく奴に近づかず、ゆっくり上まで戻るんだ」



 だが、三崎の耳にはほとんど届いていなかった。


 視線は相手の隅々を観察し始め、耳は一挙一動ごとに鳴る、パーツの駆動音を捉えている。


 既に、彼女を制圧する立ち回りを、組み立て始めていた。



 ――スッ



 そして、ロッドのグリップを少し短めに持ち直すと、ゆっくり防御姿勢を取る。 

 

 その様子を見ていた女性サイボーグは、気持ちの悪い作り笑いに切り替えると、猫なで声で話し始めた。



「……先程は失礼した、つい体がうずいてのぅ。わしは蛛詠ジュヨン。上に待たせてる娘がおるじゃろ? 『あいつの記憶が欲しい』という奴らがいるんじゃ」


「……」


「ちょっと一緒に来てもらえれば、それで終わる。お前には手を出さん。娘もいずれ帰してやる。まぁそれまでの間、が何をするかはわからんが……イッヒッヒ」


「……」



 あからさまな挑発を仕掛けてくるが、三崎は集中を切らさない。常に蛛詠の動きに注意を払い、どんな行動にも備えている。


 立ち位置も徐々に変わっていた。


 さきほどまで両側には狭い棚が並んでいたが、今は広い通路へと移動している。蛛詠だけが、窮屈そうに棚に挟まれていた。三崎の出方を伺うように眺めていた蛛詠は、今度は感心したように顎に手を当てた。



「小娘の割には忍耐もあるのう。正面からの攻撃への構え、回避に制限がないように、隙のない移動。状況判断が早い」


「……」



 なおも三崎は無言のまま――



 そして、先に動いたのは蛛詠だった。


 一足飛びで三崎の間合いまで迫ると、素早い拳打を繰り出す。三崎は、それを最小限の足捌きで回避した。今度は、蛛詠の右脚が襲いかかってくる。



「ほれ!」


「……っ!」



 地表からの強烈な蹴り上げが、三崎の顔を狙う!

 サイボーグの出力に任せた、かまいたちのような一閃――!


 再び、三崎は後ろに下がって回避行動を取る。寸前で、斬撃は空を切っていった。


 その瞬間、蛛詠の身体と三崎を隔てるものはない。今なら無防備な下半身に一撃食らわせることも……。


 だが、三崎は構えを乱さない。


 常に蛛詠とは一定の距離を保つように動いていた。未だ手に持ったロッドは、一度も蛛詠の身体には触れていないが、彼女の顔に焦りは見えなかった。 



 何かを待っているのか、それとも探っているのか――



 三崎の思惑を察してか、蛛詠は右足をピンと上げたまま、その場で愉快そうに静止する。まるで、自分の機体を見せびらかしているようだ。


 そして隙だらけの体勢のまま、三崎に挑発的な視線を注ぐ。


  

「なるほど、手の内がわからんうちは何もせんと……。では、お望み通り」



 すると、両のふくらはぎから補助翼のようなパーツが現れた。皮膚を覆う金属が逆立っているのだろうか、蹴りを強化するパーツにしては薄く脆いように見える。


 ニマニマと薄ら笑いを浮かべたまま、蛛詠は再び三崎に仕掛けていく。



「シャアアア!」



 再び身体を低く保ったまま、地を這うかのような前方への跳躍。そのまま一気に、2人の距離が詰まる。



「……」



 三崎は、蛛詠との距離を測っていた。縦方向の突進を後方にかわすのは、三崎の身体では速度が足りないだろう。ならば――


 急所を守れるよう構えながら、彼女の突進から横飛びで逃れていく。蛛詠の限界出力、機動力がわからない以上、むやみに攻撃するのは、危険だと判断していた。

 


「ヒッヒッ!」



 それを予想していたのか、蛛詠はさっきまで三崎が立っていた地に手を着いて、逆立ちへ移行する。大きく開脚すると、くるりと身体を回転させた。すると……


 わずかにその身体は、地表から浮かぶ。あの「補助翼」はこのためだった!

 高速回転で浮力を得た蛛詠は、そのまま独楽のように三崎へ突き進んでくる。


 思わぬ蛛詠の機動力と打点の低い蹴り技に、三崎は一瞬迷う。蛛詠の脚部からは、「ヒュン」と不気味な風切り音が鳴り、今にも三崎の腹部に無数の回転が届きそうだ。



「……っ!」



 少し息を使って後ろへと飛び下がる。何かしてくるだろうとは思っていたが、これは予想していなかった。


 だが、蛛詠は攻撃を止めない。

 浮力が落ちてきた辺りで、今度は手を地面に着いて、側転へ移行する。そして遠心力をそのままに、三崎の頭部めがけて思い切り片足を振り下ろした。



 素早いかかと落とし――!



 三崎の脳裏に、さっき蛛詠が砕いたアスファルトの地面が、想起される。この速度をまともに受けきれるほど、三崎の身体もロッドも頑丈ではない。



「くゥっ!」



 溜めていた呼吸をほぼ使い切って、再び跳躍する。その瞬間、三崎の鼻先をひやりと一閃が走っていた。



 ――ガゴォォン!



 かかと落としを受けた地面が、粉々に砕ける。


 衝撃を殺すわけでもなく、蛛詠は両足を平行に開いて、まるで『土』の字のように接地していた。人間ならば、もろにそのダメージが骨を伝わっているだろうが、お構いなしと言った様子だ。



 ――そして



 三崎は、この瞬間を見逃さなかった。


 いくらサイボーグといえども、人の形をしている以上、あの体勢から立ち上がるには隙が大きすぎる。側転が見えた時点で、三崎の狙いはここに絞られていた。


 最後の一息を使い、三崎は前へ飛び出す。そのまま、スタンロッドの電圧を高めていく。蛛詠はまだ同じ姿勢のまま、無謀な上半身を晒している……。



「はあッ!!」



 渾身の一振りが、蛛詠の右脇腹に直撃した!


 鈍い金属音が辺りに響くと同時に、グリップを握る指にも手応えが伝わってくる。インパクトの瞬間、周囲に軽い火花と青白い電流が、走っていった。

 


『……脳から腰へと繋がる動力系制御ライン。脇腹付近のこれを、スタンロッド等の極めて強い電圧で打撃することで、サイボーグは体内で漏電を引き起こし、身体麻痺。つまり動作停止を引き起こす』



 いつぞやジョルジュが教えてくれた、対サイボーグ鎮圧行動指針が思い出される。普段は小言がうるさいが、しっかり聞いておい――


 だが、意識が目の前から離れた瞬間、耳元に笑い声が入ってきた。



「くっくっく……。やはり奔放に見えて、戦いは真面目じゃのう。必ずここを狙ってくると思っとったわい」



 それは、完全に機能停止していたはずの蛛詠の声だった。驚いた三崎は、ハッとなって打撃した脇腹に視線を向けた。


 命中したはずのロッドは――確かに当たっていた。


 だが、それは蛛詠の3本目の腕……いや、6に増えている腕がしっかりと右脇腹を庇うようにその攻撃を遮っていた。両腕はそれぞれ3つに分割され、蜘蛛のような細い腕をロッドに絡めている。



「しまっ……!」



 完全に蛛詠の間合いに留まっている。外へ逃れるよう判断しているが、すべての力を振り絞った身体は言うことを聞かない。


 蛛詠は、その一瞬の静止を見逃さなかった。



「……ぅ、グッ……」



 右腕の1本で、三崎のか細い首を絞めながら、ゆっくりとその場で立ち上がる。残る腕も、それを真似るように高く上がっていく。そのシルエットは、まるで獲物をいたぶる蜘蛛のようだった。



「そうじゃろうなあ、酸素を使い切った身体で呼吸できないのはつらかろう。人間ならなァア!」



 ――ブォン!



 投擲、そして力なく宙を舞う三崎。


 狙いすましたかのように、立ち並ぶ棚の荷物に向かって三崎は飛んでいく。抵抗もできない身体は、そのまま荷棚の中へと突っ込んでいった。



 ――バキバキッ! バキ! ドォォン……



 派手な音を立て、手前から箱をなぎ倒していく。身体は、木屑となった箱の中でぐったりと横たわっていた。


 遠くなっていく意識。指の感覚が薄れていく……。


 ついに三崎の目は、蛛詠を捉えることができなくなる。そして、ゆっくりとその瞼は、閉じられていった。

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