第43話 【2052_1107】記憶迷路の出口
「巧妙に偽装されているが、そこにあるのは『
香椎のインカムに、ジョルジュの指示が飛ぶ。
軽く相槌だけ打つと、香椎の集中は両手に握ったハンドルとアクセルへ戻っていく。
猛スピードで海岸線道路を走るスポーツカーの後ろには、何台もの応援のパトカーが続いていた。この速度なら、間もなく
広い幹線道路の交差点が見えてきた。信号機下の道路標識には「
――ギィィィィイ!!
強烈な重力と遠心力が、静間とサクヤを外に放り出そうと襲ってきた。ガタガタと地を滑る車のフレームは、今にもバラバラに散らばってしまいそうだ。
だが、香椎の見事なハンドル捌きは、しっかり車を目的地へ導いていた。
少し路肩へ膨らんでしまったが、もう倉庫まで一直線に伸びる道路の上を、変わらぬ勢いで走っている。
そして、既に香椎はコンテナゲートを真っ直ぐ見据えていた。
「このまま突っ込む!」
「……っ!!」
興奮した香椎の声が聞こえる。しかし、再び加速していく車内で必死に堪えている静間には、返事をするだけの余裕がなかった。
目の前にはゲートの遮断器が降りていたが、香椎は宣言通りに構わず進んでいく。一層深くアクセルを踏み込むと、一気にゲートへ突っ込んでいった。
――ドォン!! メキキッィィ!!
遮断器の棒が砕ける。と同時に、車にも衝撃が伝わってきた。
だが香椎の愛車は怯むことなく、その性能を見せつけるかのように
「そのまま北側に進んで、海岸沿いに出たら左折しろ。一番奥にある古い倉庫の2Fだ」
再びジョルジュの声が聞こえてくる。
最新式の搬入倉庫を横切り、指示通りに古びた舗装路を進んで左折する。すぐに目的地の倉庫が見えた。入り口は、重機が入れそうな程に大きかったが、中はガランとしてからっぽだった。
香椎はドリフトするように、車体を入口前に滑らせる。
再び静間の身体は、外側に引っ張られるが、どうにか車内に収まっていた。「ギギィイ」と強いブレーキ音の後、ようやく車は停車する。
すぐに香椎がドアから飛び出て、周囲を確認する……この辺りは、もう誰もいないようだ。
「奥の階段から2Fに上がって! そこに従業員の仮眠室がある!」
香椎の叫び声が、倉庫に響く。まだ身体の揺れが収まらない静間だったが、それだけ聞くと、すぐに階段を探し始めていた。
――ガキィン!
突然、静間の足元のコンクリートに火花が走る。
音が鳴った方を見ると、遠くのコンテナの影から、チンピラのような軽装の男達が、自動小銃でこちらを狙っていたのが見えた。脇目も振らずに、サクヤと共に倉庫の中へと逃げ込む。
直後に、静間の後ろからも銃声が響いた。車を盾にして、香椎が応戦しているらしい。だが、それを確かめている時間はない。
「あった! あれか!」
静間は、一番奥に見つけた鉄筋階段を、急いで上がっていく。目の前に、明かりの灯る部屋が見えてきた。
鍵はかかってないようだ。はやる気持ちそのままに、勢いよく扉を開けた。
そこは、ソファとミニテーブル、シンプルなベッドと給湯器くらいしかない質素な部屋だった。中を見回すと、テーブルの影に隠れて山野が見える。
「おい! しっかりしろ!」
「…………ぁ、……ぅ」
すぐさま駆け寄って、彼女を起こす。
静間の声は聞こえているのか、どうにか返事をしようと口は動いていたが、まるで言葉になっていない。目は薄く開けられていたが、少しも瞬きしなかった。
彼女の身体を揺すりながら、静間は首元にあるデバイスに気づいた。急いで外して――いや、違う!
すぐさま、思考がそれを止めた。
記憶のどこかが、これを知っていると静間に告げる。瞬間、静間は自らの思考と疎通していた。
「……これは、『布瀬の送信機』か? サクヤ、こいつに繋いでくれ」
即座に後ろにいたサクヤがやってきて、山野の前に正座する。両指を首にあるデバイスに直結できるよう細分化すると、首輪にあったハブへと接続した。
《管理者権限......承認............モード:エングラムを起動します》
機械的なシステム音声と稼働音が、サクヤから鳴る。続けて、静間も「フォリウム」を起動させて山野の記憶を展開しようと試みた。
――だが
記憶の3Dホログラムは立ち上がらない。
何か大量のデータを読み込んでいるのか、サクヤの背中にあるランプも、けたたましく点滅していた。待てども、彼女からの返答がない。
そろそろ心配になってきた静間が問いかけようとした瞬間、サクヤがエラーログと警告音で返してきた。
《......記憶の時間整合性が取れずホログラムを構築できません.....》
「……なんだと? 記憶は必ず1日1つなんだ。時間軸のない記憶などあり得ん。わかる範囲だけでいい、時系列順にソートしてテキストデータで表示してくれ」
静間の指示通り、1日ごとに管理されている記憶ファイルの一覧が、「フォリウム」上のホログラムウィンドウにずらりと並ぶ。
年月日、時刻、場所……一覧で表示されたそれらには、確かに時間情報は存在していた。
だが……すべて今日の日付と現在時刻に書き換わっていた。
「バカな……」
思わず、静間は息を飲んでしまう。一瞬、自分の思考が止まってしまうのを感じたが、すぐに解決方法を模索し始める。すべての記憶が現在時刻になっている……つまり、それは……。
過去の記憶が、同時進行的に今起きている出来事として認識されている、ということだ。これはまさに……
――
ある過去の記憶を思い出して、それが始まり終わったと思ったら、また別の過去記憶に飛ぶ。終わりのない記憶の旅、出口のない迷路に閉じ込められていると言ってもいい。
「時間軸を強制的に書き換えて復元して……いや、改ざんロジックがわからないし、そもそも記憶の正しい順番なんて、本人ですら正確にわからん……」
いくつもの対応案が、静間の脳裏で
「……スゥー……はぁ……」
大袈裟なくらい、大きく深呼吸する。
……慌てるな。まずは、山野の現状を明確にするのが、先だ。根拠のない可能性まで考慮に入れて、解決を試みるなど、二流のやること。まずは、落ち着いて「今」を考えるんだ。
この首のデバイスが、記憶そのものに干渉しているのは、間違いない。そして、こいつが原因で、山野の過去記憶は時間軸を乱されている。今の記憶には、時間の概念がない、つまり始まりと終わりがない。
――だとしたら……
「今の記憶を『3次元ユーグリッド空間上』で展開してみろ」
《Switch Platform.......memデータの変換を開始.........》
腕のホログラムウィンドウには、様々数式が流れていき、サクヤが処理してくれている記憶の変換作業進捗がわかる。
既存の「メモリア」データのような、時間軸と場所の概念のみで形成していた球体ホログラムで駄目ならば、これで……。
しばらく処理に時間がかかったが、サクヤから待っていた返事が聞こえてきた。そして、同時に静間の腕にも記憶迷路の正体が展開された。
《展開......ホログラム化します..................》
「……やはり」
予想通り、それは「メビウスの輪」だった。
つなぎ目も表も裏もない、ひとつなぎの帯が1つ。始点も終点もない、今の山野の記憶を表すには、これしかないだろうと思っていた。時間軸がないのであれば、無理にそれを探ろうとする方が間違いなのだ。
帯状にしたことで、どうにか記憶の状況も追えるようになってきた。全体的にまだ暖かなオレンジ色をしているが、それでも所々ブルーに沈んでいる。
恐らくすべての記憶を改ざんしているわけではなく、特定箇所の時間軸を改ざんした結果、この状況が発生しているのだろう。
喜びもつかの間、すぐさま次の問題へ頭を切り替える。
現状把握できたとして、次にどうやってこの記憶を戻すかだ。まずは損傷している記憶の箇所を特定しないことには、彼女の記憶は戻らない。
しかし、静間は確信を持った声で、サクヤに呼びかけた。
「サクヤ、やはりあれが必要だ。別ウィンドウで表示してくれ」
《......了解。20471017から20521017....完了しました》
「『山野のメモリア』と『
それは、2047年10月17日から10年分の記憶が入った「山野のメモリア」だった。
あの日、彼女の最初の依頼を受けた時の着手金として、静間が受け取っていたものだ。まだ誰にも編集されていない彼女の「メモリア」を見ながら、静間は横たわっている山野に優しく呼びかけた。
「聞こえているか? ……お前が私と会う前の日のことを思い出せるか?
静間の問いかけに、山野の瞳が反応して微かに動く。再び唇は何か答えようとしているが、軽く震えるだけで、何の音も出てこなかった。
静間が望んでいる結果……それは、彼女に昔の記憶を想起させるような言葉を語りかけて、その時の記憶を活性化させることだった。
時間軸がない記憶でも活性化できれば、すぐに該当する部分がホログラム上で変化するはずだ。そこがわかれば、彼女の「メモリア」に保存されていた部分と比較ができる。
上手く一致する箇所が見つかれば、そのまま「メモリア」内の正しい記憶を戻せるし、きっとそれで彼女を「迷路の出口」に導けるはずだ。
だが、彼の思惑も虚しく、ホログラムの反応は
それでも、静間は彼女に問いかけ続ける。自ずと、彼女の手に静間の両手が重なっていく。
「いつでもいい、お前が楽しかったり嬉しかったことを思い出してみろ。何でもいいんだ、自分がそう思った時を正直に話せ……」
だが、山野は答えない。
さきほどと同じように、虚ろな目を宙に漂わせているだけだった。腕のホログラムも変化は見えなかった。必死に検索を掛けているサクヤのログも、ただ虚しく何十行もスクロールしているだけだった。
「これでもダメか……」と、思わず声になるが、それをぐっと堪えて腹に収める。ふざけるな、何が「ダメか」だ。私らしくもない。
焦げ付き始めた思考回路を一気に取り替えるように、静間は自分の顔を平手打ちして、気合を入れる。
ニューロン細胞群が凄まじい速度で繋がっていき、真新しい電気信号を走らせ始める。
そして、次なる手段を考え始めた瞬間……
静かなシステム音が、サクヤから聞こえてきた。
《......2052年10月15日の記憶と一致するポイントを発見しました。ここから展開しているmemファイルを使用して復元が可能です》
「……はぁっ! 良かったぁ……」
ようやく待ち望んでいた答えが出てきた。
大きく息が身体中から漏れていき、四肢の緊張を緩めていく。静間の身体は、力なく座り込んでしまった。
……段々と、自分の肌の感覚が戻ってくる。
静間は、自分の両手の位置に気づいてきた。いつのまにか、目の前で眠る山野の手を握っていたようだ。別に誰かが見ているわけではないが、静間は気取られぬようにそっとごまかして手を離した。
「んんっ! ……よし始めろ。始点がわかれば、残りの記憶も順次修復できるはずだ」
静間は、残りの作業をサクヤに指示すると、ゆっくりと立ち上がる。ふと目の高さにある仮眠室の窓から外が見えた。
漆黒の闇の中で、
静間は目を伏せて、しばらく考え込んでいた。ここに来る前に決めていた、あの覚悟の顔が、再び彼に戻ってくる。
そして、彼は顔を上げると、傍らで作業中のサクヤを見る。
既に用意していた彼の決断が、優しくサクヤに告げられた。
「……サクヤ、お前との契約を解く。これからは彼女を頼む」
これまで誰も聞いたことのない穏やか声で、
そして彼は、サポート・ドールの返事も待たず、急いで部屋を出ていく。足早に階段を降りていく「カンカン」という音だけが、空っぽの倉庫に走っていた。
出口の外に広がる暗闇からは、まだ銃撃が聞こえてくる。
静間はコンテナ船の位置を確認すると、その方向へ向かって走り出す。何か強い力に引き寄せられていくように、流れる瀬に従うように……。
そして、すぐにその姿は、どこにも見えなくなっていった。
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