第40話 【2052_1107】百々目鬼の瞳

「はい……。確かに送り届けたんです。ここを出る前に確認した住所を『フォリウム』に入れて、それに従いました。送り終わった時……彼女は俺に、優しく微笑んでくれて……。まるで、天使みたいに……」


「……もういいわ」



 令和島れいわじま署内の取り調べ室で、香椎は乱雑に席を立つ。対面している男は、令和島れいわじま署から送られた、山野の送迎担当者だった。


 だが、男の目は虚ろでろれつも回っていない。力なく握られた手を両膝に置いて、ぼうっと視線は宙を漂っていた。


 普段の彼女らしくもないイラついた足取りで、香椎は取り調べ室を出ていく。頭の中では、この件をどう進めるべきか思案していた。だが、部屋を出るまでに上手くまとまらなかった。


 廊下に出ると、厳しい顔をして彼女を待つ静間が目に入った。壁に寄りかかってじっと腕を組んでいたが、香椎の姿を見つけると即座に詰め寄ってくる。



「どういうことか説明しろ。わからないでは済まないぞ」



 険しい目つきが香椎を睨む。冷静さを保とうとしているが、その息遣いは珍しく荒かった。隣のサクヤだけが、こんな事態でも変わらず佇んでいる。

 

 香椎は、頭の中で整理していた内容を、順を追って話す。



「あの男性、恐らく『記憶改変』をされてる。彼が山野さんの住所だと憶えてた場所は、実際は島の南にある無人の駐車場だった。島内の監視カメラシステムで、別の男が運転する車に、気を失っている山野さんを移していたところが確認できている」


「そこまでできていて、なぜ奴を追っていないんだ」


「……その男が駐車場を出るところまでは追跡できてたけど、車両管理システムに登録されていない車だったの。監視カメラの位置にも把握してて、死角を通りながら何度か車も変えている。最後に目撃された路地裏で1台目の車両を見つけたけど、誰もいなかった」



 ぎゅっと唇を噛みながら、香椎は伏し目がちに説明する。だが、静間と同じく今の彼女も湧き上がる激情を努めて抑えているようだった。


 香椎の説明を黙って聞いていた静間だったが、彼女の言葉が終わった途端に質問を投げかける。



「なぜあの男は記憶を改変されていたんだ? 直接他人のメモリアを再生している訳でもないし、外部装置を使用された形跡もないのだろ?」


「こっちでも調べてるけど、手口がまるでわかっていないの。過去の類似案件を見てるけど、直接メモリアを使われてでもいない限り、不可能よ……」



 香椎は、そこまでの結論しか出せていなかった。それは静間も同じらしい、固く口を結んだまま、やり場のない怒りをぐっと堪えている。

 

 だが、香椎はすぐに顔を上げると、静間について来るように呼びかける。



「記憶の問題よりも、まずは山野さんの行方を見つける方が先よ。ここじゃ何も始まらないから、2号館まで行く」



 静間はすぐにそれに応える。「当たり前だ」と短く低い声で返すと、サクヤにも合図をしてついていった。


 3人は慌ただしく取り調べ室へ向かう人々を避けながら、令和島れいわじま署を後にする。外に広がる夜空は、ゆっくりと黒さを増していた。それは、彼らの不安を闇雲に煽っているようにしか見えなかった。 



* * *



「来たな。頼まれていたものはもう申請した、すぐに公安から許可が出るだろう」


「ありがとうございます」



 「内閣高度情報戦略本部ないかくこうどじょうほうせんりゃくほんぶ」2号館の最上階。広い廊下を進んでいった先に、総合オペレーションルームはあった。


 扇状に展開する部屋の正面には巨大なスクリーンが設置され、その周囲をいくつもの小型モニターが並んでいる。波状に連なるデスクには、それぞれに複数のコンピューターディスプレイが置かれ、既に何人もの職員が作業をしていた。

 

 その最上段で全体を広く見通せるエリアで、香椎の上司であるジョルジュは革張りの椅子の上に鎮座していた。


 その姿は静間の目には「ウェルシュ・コーギー」……つまり、犬に見えた。いくらか機械めいたデフォルメをされてるが、少なくとも人間には見えない。訝しげに、横に立つ香椎に尋ねる。



「こんな時でもユーモアを忘れないセンスは米国のようで微笑ましいが、何か私を試しているのか?」

 

「ハッ、聞いてた通りの悪漢だな! 俺は政府が管理してる『人工頭脳』さ。加えて情報1課の行動判断も任されている、無論うちは『個々で思考し対処する』がモットーだがな」



 口は常に開きっぱなしではあるが、小さな身体からは余裕を感じさせる年配男性の声が聞こえてくる。本物の犬のように涎までは垂らしてはいないものの、忙しなくハッハッと荒い息が続いていた。


 さすがの静間も、人間以外の相手に「個々で思考するのにAIが上司か」と、毒づく気はなかった。



「時間がありません。『百々目鬼どうめき』以外の準備は?」



 2人のやり取りが終わったタイミングで、香椎が割り込んでくる。ジョルジュは、すぐさま現状を答えた。



「言われたとおり、1もバックアップに回っている。この島の監視カメラシステムと車両追跡システムは、リンク済みだ。後は『百々目鬼どうめき』が使えれば、いつでもいける」


「……さっきから言ってる百々目鬼どうめきってのは、何かの監視用システムなのか?」


「『複数衛星連携型通信傍受網ふくすうえいせいれんけいがたつうしんぼうじゅもう』……。指定区域内の通信をリアルタイムで傍受できる監視システムのこと。公安に言えば貸してくれるけど、実際どこの国が持ってるものなのかは私も知らないわ」

 


 静間は「なるほど」と小さく唸る。



「百の目で市民を監視する妖怪ということか。公務員にしては洒落た名前をつけるもんだ」


「……よし、こっちに繋げ。公安から許可が出た。『サーバーが落ちてもこちらは責任を取らない』だとさ」



 ジョルジュの声と同時に、正面のメインスクリーンに「令和島れいわじま」の航空写真地図が表示される。


 現在地はこの2号館になっているが、大きさも濃淡も異なる赤い円が複数表示されていて、よく地形はわからなかった。デスクにいた職員の1人が「うわっ」と声を上げている。どうも自分のパソコンがダウンしてしまったようだ。


 ジョルジュが部屋中に響き渡る声で注意する。



「PCで直接展開したら、メモリが100ギガあっても足らんぞ! メインを俺に回してから、残りを1号館で並列化しろ。それで多少持つだろ」


「……検索条件と範囲が広すぎます。犯人は単独犯ではないので、必ずどこかで組織と連絡を取るはずです。声紋かテキストで絞り込めないですか?」


「『キュベレイア』関連プロファイルから、類推ワードを抽出。加えて、今回の被害者の情報を条件に加えろ。範囲はここから10km圏内に絞れ」



 スクリーンに展開されていた地図が、令和島北部に切り替わる。さきほどより円形は少なくなり、すぐに特定できそうにも思えたが全く音沙汰はない。


 静間達は、百々目鬼どうめきの瞳が彼女を捉えるのを、ただ黙って待つしかなかった。

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