第39話 【2052_1107】記憶の下僕

 11月7日、15時45分。


令和島れいわじま」サウス・レジデンシャル区画にある、廃寺に到着。捜査一課刑事2名と、現場検証を開始する。小高い丘から伸びる石段の先に、崩壊寸前の本堂が見えた。


 いま俺が立っている地面は、「令和島れいわじま」建設時にの山間部から切り崩した土砂で出来ている。そんなことをどこかのニュースで、経産省の大臣が言っていた。


 同時に、本土に置いてきた妻と娘の顔が浮かんでくる。渇いた視界を覆うように、俺の記憶はあの頃の多幸感を脳に満たしてくれた。


 あぁ……。もうここに来て、どれくらいだ。



「……なんというか、その……気味が悪いな。仏とまるっきり同じ顔じゃないか」


「家を出る前にすれ違ったロボットを思い出しちまったぜ……げえ」



 隣で楠田くすだ石坂いしざかが顔をしかめている。人影もなく、くすぶった松明がただ立っている本堂。そこで倒れていた女性2人を眺めながら、彼女達の身体に触れないように、ぐるりと歩いて回った。

 

 いや……正確には女性1人、サポート・ドール1体だ。


「キュベレイア」と呼ばれる犯罪集団の情報が掴めたのは、つい昨日のことだ。「第1オロチリンクス」で確保された関係者から、この場所が割れた。『内閣高度情報戦略本部ないかくこうどじょうほうせんりゃくほんぶ』……とかいっていたらしいが、気の強い女が現場を仕切っていたと聞く……。突然おかみが現れたと思ったら、この面倒だ……実にふざけてる。



「……がぁあ! つまんねえ現場だぜ! なんで楠田さんは、あんなとこの言いなりなんですかねえ~……」


「相手が『不死しなずの香椎』じゃ何もできん……。俺が『福岡突入』の後始末してたのを知ってて、ご指名なんだ。黙って手ぇ動かせや……」



 ――始めは令和島ここも豊かだった



 新しい転勤先だと聞いた時は、心底嬉しかった。それはこの島に対する希望や期待から来るものではない。から逃げられるという事実が、俺の求めていた「救済」だからだ。


 人が快楽のためだけに訪れる掃き溜めのような街……。あの苦痛な日々が、すぐにフラッシュバックしてきた。


 昼も夜もわからず街へ繰り出して、意識朦朧いしきもうろうとした落伍者らくごしゃ共を相手にするのは、自分の精神がすり潰されていく日々だった。酩酊した浮浪者や、失業し路頭に迷う若者と接する度に、俺の脳裏には「自分に彼らが救えるのか?」という「強い疑惑」が焼き付いていった。


 そんな折にやってきた「令和島れいわじま」への転勤。正直、懐疑的だった俺も、ここでの暮らしが始まると、多大な恩恵を享受していた。


 毎日の体調から通勤時間や職場のスケジュール管理。そして同僚との連絡は「フォリウム」ですべて済んでしまう。島内だけではあったが、各省庁がこのシステムを連携してくれてるのも、公務員には嬉しいところだった。

 

 それにサポート・ドール達の振る舞いも、一昔前のような古いAI制御ではなかった。彼らの特殊樹脂で覆われた正確な表情筋は、もはや本土を力なく歩く人々よりも、よほど「人間らしい」。摩耗していた俺の精神は、彼らとの挨拶だけでも救われた気持ちになっていく。


 そして……「メモリア」。

記憶保存基本法きおくほぞんきほんほう」の範囲内であれば、身柄拘束した容疑者の記憶を取り出すこともできた。無論、専門家の指示の下に、第3者の立ち会いがなければできなかったが、バカみたいに怒鳴り声を上げて取り調べることも、もうなくなった。


 警察だけじゃない。教育機関での教材使用、航空機パイロットや外科医など専門性の高い職業訓練への導入、そして「記憶共有体験」という新しい娯楽……。あれは、多くの恵みを授けてくれる。


 実に快適な日々がこの島で続いていった。そう……俺がまでは。


 時間が経つ毎に、この島でも「あそこ」と同じ匂いがしてきたのだ。先端技術が徐々に目の前の人々を蝕む「黒さ」を、俺は視界でも捉え始めていた。

 


 ――あれは悪意の飽食だ



 同時に、それらは人間のを奪っていたのだ。


 通勤が管理されれば、駅員が要らなくなる。既存の通信機器販売会社は売上が落ちる。サポート・ドールが商業施設で働けば、店から人間が消える。「メモリア」教育のおかげで、参入障壁の高かった専門職業への転入が一気に加速した。自動的にその業界は安く買い叩かれる人材で溢れ、リタイアする者も増加した。


 この島の建設を大々的に宣言していた大臣は、当時「労働力は流れる」と言っていた。


 だが、現実はどうだ。このの中で生命維持できる者は、ほんの一握りだった。「メモリア」で他人の記憶を借りようにも、先端技術用記憶は希少であまりに価格が高い。元々貧しかった彼らが、それを手にすることは一生できなかった。ましてや自力で知識を学び、他業界へ飛び込んでいく気概など存在しないだろう。


 生き残るために、彼らが自らの「記憶」を手放すのは、天地の理に近しい。職を失い、飢えに苦しみ、尊厳すら失くした彼らが「転生」を望んでいる……。


「あそこ」と何が違うのか。俺の鼻には、また同じような腐臭がにわかに感じられて……。



「……い、……おい! 聞いてるのか、お前!」


「……えっ? あ、ああ……はい、すいません……」



 現実に戻される。眼前にはイラついたように顔を歪ませて睨む、石坂がいた。



「例の『お上』から呼び出しだよ、今すぐ「ココノエ社」に行って、捜査協力者を拾って欲しいんだとさ。はぁ~……大丈夫なのかお前」 


「……はい、わかりました」



 * * *



 11月7日、17時21分。

 

 山野芽衣が住むマンション前に到着。

 車を停めると、後ろから気持ちの良い声が聞こえてくる。バックミラー越しにその笑顔が見えると、私も軽く会釈をした。

 周囲の安全を確認して、ドアのロックを外す。同時に彼女は車を降りて、再び私に感謝の言葉をくれる。



 ――この数ヶ月。こんな風に接してくれた人間がどれだけいただろうか。



 貧民窟で自分の記憶を失い彷徨う人々、他人の記憶を快楽のためだけに享受する富裕層。


 金持ちは、自分達がこの島の経済を支える歯車の一部であることに気づいていない。己を客観視する能力を失い、勝者であると信じ込み、ひたすら与えられた役割を演じ続けているだけだ。


 一方の弱者たちはどうだ。自らの「記憶」を引き換えに、物理的身体を存続させるためだけに生きている。彼らのレゾンデートル存在意義は醜い「生」への執着でしかない。哀れなプロレタリアは、いつ目醒めるのだろうか。

 

 この世界は病んでいる。

 2年前の「ココノエ社長誘拐事件」、そして島に蔓延はびこる「違法改造メモリア」。あそこから、この病は始まったんだ。


 そんな空虚な私の心にも、彼女の微笑みは光をもたらしてくれる。彼女の振る舞いそして身体は、彼女の記憶と感情が不一致なく、自然な姿のまま世界に顕現している。


 人の生命活動の連なりである「記憶」、これこそが人を人たらしめる真実なのだ。今の彼女には、その真実の美しさが宿っている。


 この世を生きるために与えられた肉体を捨てた時、その記憶はさらに美しさを増すことだろう……。



 ――彼女がマンションのエントランスに入る



 無事に送り届けたことを確認し、車内無線でそれを伝えた。感情のない返答が聞こえてくる。私はそれを耳にだけ入れると、機械的な運動で車を発進させた。


 私の身体は、この島に寄生する病原体の1つに戻っていく……。

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