第36話 【2048_xxxx】フォレンジック検査済みメモリア

 「あった、これだ……! 『2044_1205』……CIPで初めて試験的に「メモリア」を保存した時から残ってる。さすがだな、布瀬」



 手元は、電気を点けないともう薄暗かった。


 これで俺が求めていたものは、すべて揃った。丁寧に年代別分けしてある段ボールには、「フォレンジック済み」とステッカーが貼られている。

 

 「フォレンジック検査済み」の「メモリア」。

 つまり、これらは布瀬が記憶を保存してから、まだ誰にも編集されていないし、データ破損や再生エラーもないと証明されたものだった。理論上、この「メモリア」にある記憶をそのまま布瀬に戻せれば、彼女の4年間はすべて戻るはずだそ。

 

 

「多少足りない日付があるが、そこは致し方あるまい。他の記憶で補完できるだろう……全部で900枚ってとこか。中身を一度エクスポートしてマージしてから、布瀬の身体にあるナノマシンが受信できるようにコンバートして……40時間あれば終わる」


「4年分を2日もかからないでやるんですか!? あ、いえ、僕もお手伝いはしますが、もっと時間をかけてチェックもした方が」


「時間がない。誰もいないはずのラボで作業してるんだ、会社にバレない方がおかしい。それに布瀬を勝手に移転させれば、誰か気づくはずだ。……お前にはその準備をしてもらう」



 段ボールに入った布瀬のメモリアをデスクに置くと、パソコンを立ち上げて持ってきたフラッシュメモリを差す。すぐさまモニターにインストールログが走り、画面上にはAI 制御用画面が展開された。



「メモリアは……俺とこいつでやる」



 当初CIPに導入していた「石長いわなが」を、研究中の4年間で改良した次世代AI「佐久夜さくや」。まだまだ学習経験が欲しいところだが、これがあれば恐らく40時間ですべて片付くはずだ。


 心配そうに立っている茂が見えたが、俺は「任せろ。俺にできないことはない」と、無理に笑って送り出す。茂は大きく頷くと、すぐさま踵を返してラボを出ていった。


 不規則な電子音だけが、部屋に響く。もうこれ以上時間は無駄にできない。

 

 ここからが、俺の戦いだ。




 * * *



 ……目の前で眠っている布瀬の手を、そっと握る。細い指は、昔から血の気がないような白さがあったが、今日は少し赤みが増してる気がした。「久しぶりに休んだからか?」と、聞こえるはずもない冗談を言ってみる。

 


 ――あれから2日後の早朝。

 


 「佐久夜」との相性が悪かったいくつかのソフトウェアをアンイストールしたり、布瀬がこまめに記憶を保存し過ぎたせいでマージ時に重複誤判定が出たりと問題点はあったが、どうにか予定通り作業は終わりそうだった。

 


 《Convert.LocalMemory....End //.memファイルの生成が完了しました。》



 予定通り、モニターから作業完了を告げるアラームがなる。「佐久夜」に頼んでいた最終工程がすべて完了したのだ。


 ベッドの側面に寄りかかっていた重い身体を上げる。瞼はもう何度も閉じかけるが、気力で耐え続けていた。関節はキリキリと痛むし、今歩いている床にきちんと足が着いているかもわからなかった。


 ようやく画面に目を向けると、そこにはたった1つのファイルが浮かんでいた。


 「20480627.mem」


 これが布瀬の4年分の記憶を統合したメモリア。まだマイクロフィルム化はしていないが、CIPから使っていた首輪型のメモリア送信機と彼女の体内にあったナノマシンを使えば、正確に記憶を元に戻せるはずだ。


 そこまで確認すると、俺は疲れた眼で茂を探す。


 ……少し離れたところで、椅子を並べて仮眠を取っているようだった。彼もまた、かなり疲労していた。


 布瀬を連れてくるまで抜かりのない手回しをしてくれたし、何度も連絡を取っては見えない相手に頭を下げていた。慣れない立ち回りを任せてしまったのが、今さら申し訳ない気がしてくる。


 だが、こいつは一度も弱音は吐かなかった。俺がイラついてあらゆるものを蹴飛ばしてる時でも、雑な指示で手伝いを頼んでも、変わらない微笑みと穏やかな口調で、常に俺のサポートをしてくれた。


 それも、もうすぐ終わる。残った力を振り絞り、肩を揺って茂を起こす。



「茂、起きろ……。布瀬の『メモリア』ができた。後は、あいつに戻すだけだ。手伝ってくれ」


「……あ。あぁはい……! できたんですね、ついに!」


「できた……。だから大きい声は出すな」



 ズキズキと痛むこめかみを押さえながら、パソコンから布瀬のベッドまでケーブルを伸ばす。茂は布瀬の枕元にあった「メモリア送信機」に繋いでくれる。それを起動させてから、布瀬のナノマシンとの送受信が問題ないことをチェックすると、俺は「佐久夜」へコマンドを入力した。



「Start Memoria OverDrive……頼む、計算通りに行ってくれ……」


《20480627.memのデータ送信を開始します。進捗率0%……2%……》



 「佐久夜」の進捗ログを固唾を飲んで見守る。隣から、茂が喉を鳴らす音が聞こえてきた。ただ、ひたすらに祈るような気持ちで見守ることしかできない。


 ラボの窓から、2度目の朝日が差し込んできた。縦長に伸びるガラスの外で、青々とした木々が風に揺られてこちらを見ていた。その隙間から溢れる光で、布瀬のベッドは徐々に照らされいく。まるで白いベールが彼女を包んで、深い闇を中和してくれるかのようだった。少しずつ、俺の心にも安堵の感情が生まれ始めていく。



 ――ああ、これで……




 「そこまでだ」



 その瞬間、ラボの扉が騒がしく開かれた。何人もの足音が乱暴に駆け込んでくるのが聞こえる。


 反射的に振り返ると、そこには天十郎が立っていた。警備員と思われる屈強な男たちを連れて、こちらを眺めている。


 あまりのことに、頭が追いつかない。一体なぜ今ここに……?


 呆然とする俺を見ると、天十郎は残念そうに眉をひそめてから、ゆっくりと口を開いた。 


 

「久しぶりだね、静間君。見たところ、外部の人間がうちの研究設備を不正使用しているようだが……それに我が社の正社員を不当に拘束しているようにも見える」


「……どうしてお前が」


「ふむ、まだわからないようだな。そこで動いてるメモリアだって、元はCIPでの開発成果だろう? 組合員だったとはいえ、賦課金を出してた我々に個人でこう勝手に動かれてはなぁ…? つまり、いくらでも君を裁く理由はあるんだよ」



 まるで訳が分からなかった。

 こいつはさっきから何を言ってるんだ? 俺の頭が働いていないのか?

 

 黙っている俺を無視して、天十郎は作業中のパソコンへと近づいていく。「おい!」と叫んで止めようとするが、突然後ろから警備員に羽交い締めにされてしまった。強く身体を拘束されて、肩が悲鳴を上げる。動きたくても、身体が言うことを聞かない。隣にいた茂も、うめき声を上げて、床に組み伏せられてしまっていた。


 それでもなお、天十郎はモニターをまじまじと眺めている。



「触るな! これで布瀬の記憶が戻るんだ! もう何もするな!」


「あぁ、そうだな。よくここまでやってくれたよ」


 

 すると、天十郎はくるりと振り返る。その顔には、俺が初めて見る「本当」の笑顔が浮かんでいた。心の底から楽しくて仕方ない、純粋な笑顔がそこにあった。



が上手くいって助かった。貴重な研究員を失うかと思っていたが……やはり私が見込んだ男だなぁ、ありがとう」



 奴の言葉が耳に入った瞬間、俺の時間が止まった。


 頭でそれを認識しているはずだが、理解が追いついていかない。いや、言葉の意味よりも先に、俺の中を駆け回る感情が身体を支配する。


 ……もう、考えることはできなくなっていた。


 

「ちょっと待て……お前がやったのか!? なぁ、おい!! 何してんだよ!! おい!!」


「茂も絆されおって。役職が人を作るかと思っていたが、やはり期待外れだった。まぁ、これで人為的に『メモリア』を植え付ける技術と道具AIは手に入ったことだし、温情を与えんこともないが」


「……くっ! あなたはどうしてそこまで!」



 茂の声が、微かに聞こえる。天十郎が何やら話しているようだが、もはやそんなことはどうでも良かった。



「布瀬! 布瀬ッ!! 布瀬ぇええー!!」



 前から別の男がやって来る。そんなこと知るか、誰だっていい! 腕がどうなってもいい! いいから離してくれ! 今すぐ……

 

 

 ――ドスッ



 俺の腹に強い衝撃が来る。空っぽの胃が不意の圧力で押し出されて、口から液体が飛び出してきた。同時に、息もできなくなる。



「うっ……! グ、あぁ……………」



 身体が傾いていき、地面に膝がついた。その感覚だけは脳に伝わってきたが、徐々に視界も暗くなって、身体の制御は効かなくなっていった。


 ……霞む視線の先に、少しだけあいつの顔が映ってくる。


 朝日を浴びた布瀬の顔は、完全に血色を取り戻していた。その肌は綺羅びやかに陽光を浴びて生気に溢れている。いつか見たような横顔は薄く薄くだが……目を開けてくれた。瞳には、日と同じ暖かな白が宿っている。


 そして、顔だけをゆっくりとこちらに向けて、俺を見てくれていた。



 あぁ、そうか、良かった……。俺の計算通りに……。



「そうだな……もうすぐ――」



 そして。


 俺の記憶は、そこで終わった。

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