第35話 【2048_xxxx】記憶喪失者
布瀬の顔は、初めて会った時みたいに真っ白で、やつれていた。
顔にかかっていた髪をそっと揃えてやったが、反応はない。わかってはいたが、色々な感情が込み上げてきそうになる。
それでも、今は俺がやるべきことのために、1秒でも時間が惜しい。
静かに病室を出てから、外で待っていた茂に事の経緯を尋ねた――
CIP解散後、「竹村コントラクター」はメモリア製品製造に舵を切り、九重天十郎を代表とする「ココノエ・エンターテインメント」を設立していたこと。そこの「メモリア開発事業部」に布瀬と茂が配属されたこと。そして、部長の役職を断った布瀬は、それからずっと研究室に閉じこもり、1人で「メモリア」の製品化を進めていたとのことだった。
昔から何日も帰ってないのは当たり前だったため、他の社員は気にも留めていなかったが、今日、茂が訪ねた時に部屋で倒れてたらしい。
発見当時は意識もあったし、自分が誰なのか、一般的な知識や研究成果などの「意味記憶」は問題なかった。しかし、ここ4年間で行った場所、会った人、体験したことをまるで憶えてなかったようだ。もちろん俺たちとの「メモリア」研究の日々も憶えていない。
かろうじて茂のことは憶えていたようだが、それでも4年前の風貌と違うことにかなり違和感を覚えていたらしい。
そして徐々に今の自分を理解できなくなり、軽い錯乱状態に陥ってしまったため、薬で休ませているということだった。
「2、3日は起きないだろうと医者は行ってました。身体的疲労も相当だったようなので。ただ記憶の方はどうしても……」
「戻る見込みはないのか?」
「目が覚めた後、心療内科や精神科の専門家に見てもらって、それで戻るかどうか……。過去、心的ストレスなどで記憶喪失した事例はありましたが、今回は原因が『メモリア』なのでどうなるか……」
そう話す茂は、廊下の椅子で深くうなだれている。顔は青ざめて膝も震えていた。
何か慰めの言葉でもかけてやるべきか迷ったが、それよりも何か妙な違和感があった。
あの布瀬が、何年も研究してきたメモリアの扱いを間違えることがあるのか? 睡眠不足で判断が鈍ったということも考えられるだろうが、少なくとも俺らといた時にはそんなことは一度もなかった。
正直な疑問をそのままぶつけてみる。
「布瀬はなぜ間違えたんだ? 元の記憶と『メモリア』に保存した記憶の扱いは、本当に適切だったのか?」
「……あの時は僕も混乱していて……。たぶん使っていた「メモリア送信機」の故障じゃないかと……。でも、本当に布瀬さんの記憶はどうなる……」
「どうなるかなんてわからない! 俺だって、布瀬の目が覚めたら「あなたは誰」と言われると思うと死にたい気分だ! 布瀬の記憶を戻せるのは『メモリア』を作った俺らしかいない! どうにかするんだよ!」
茂の胸ぐらを掴んで立ち上がらせると、感情のまま壁に叩きつける。衝撃で茂の眼鏡が落ちた気がするが、俺の身体は止まらなかった。頭の中は、布瀬のことで一杯だった。
そのまま茂の身体を掴んでいたが、怯えた彼の瞳が、自分を向いているのに気づいた。
……早まっていた脈の音が徐々に弱まっていく。何をしているんだ、俺は……。
握っていた拳を解くのと同時に、深く息が漏れていく。こんなことをしている場合ではないだろう。
咳き込んで座り込む茂の背中を、努めて優しくなでてやる。かがんで目線を合わせ、彼の目をじっと覗き込んでから、俺は非礼を詫びた。
「……すまない。俺も色々考えてきたが、まずは情報を整理したい。布瀬のラボまで行けるか?」
「わ、わかりました……。今の僕達にやれることはすべてやりましょう」
「それと、すぐに布瀬を俺たちの目が届くところに移動させたい。お前の会社か、『竹村コントラクター』にいい場所はないか?」
茂は、少し手を顎に当てて考え込むと、かつて布瀬が在籍していた「竹村コントラクター」の研究室がまだ残っていて、そこならば一通りの医療機器や寝台もあると教えてくれた。
「研究室にベッドまで持ち込んでるあたり、あいつらしいな。ただ大丈夫なのか? もうお前は、竹村の人間じゃないだろ」
「ココノエ社になったとはいえ、まだ社員パスは残しておいてもらってます。それにグループ会社社長の息子兼部長とあれば、多少の無理も通せるでしょう」
茂の目にも少しだけ輝きが戻ってきている。かつて俺たちといた時と同じ意思が感じられた。
「フッ、お前も変わった。それと最後に1つだけ教えてほしい……」
そして、俺は布瀬の記憶を戻すための、最後のピースを、茂に問いかけた。
「……布瀬は今でも、研究記録用に『メモリア』保存をしていたか?」
「はい、毎日必ず、退勤前に残していました。CIPにいた時と同じように。今は、うちのサイバー部門でフォレンジック検査をしてましたが……。あれ、静間さん……もしかして――」
茂にも、俺の考えがわかったようだ。布瀬の記憶喪失を聞いた時から、もう手段はこれしかないと考えていた。
ここまで来たら、後は布瀬が目覚めるまでに、俺がどうにかすればいい。
「行くぞ。今から布瀬の4年間を取り戻す」
そう告げると、俺は真っ直ぐに廊下を進んでいく。もう身体に纏っていた奇妙な不快感は、とっくに消えていた。
今はただあの時と同じ……俺と布瀬と茂で「メモリア」を誕生させるべく、必死になっていた時と同じ熱さが、身体を包んでいた。
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