第34話 【2048_xxxx】解散

「……先月の最終実験において静間優樹研究員ならびに布瀬涼研究員が提案した『記憶痕跡エングラムをマイクロフィルム媒体へ保存する方法』、開発名称『メモリア』は予定した試験目標を達成し実証試験を成功裏に終了できると判断されました。これにより、当初の目的だった商業規模で利用可能な記憶保存技術を確立することができました。また、これまで時系列順に平面データで展開されていた記憶領域を3D表現する手法も大変革新的で、今後の研究への貢献が期待されます。つきましては本CIPは次年度をもって……」



 もう何度目だろう、この会議室で「寒い」と感じたのは。


 いつもの顔、いつもの声、いつも座る場所……。いや、茂と布瀬はいつから隣に座るようになったんだっけ。

 


「静間さん、また考え事してるって顔してますね。それか10分前にみんなが集まらなかったのを根に持ってるか」


「この顔はどっちも」



 こうやって、後ろの席で他愛のない話をするのにも、もう慣れてきた。ちらりと前を見ると、そろそろ締めの挨拶の時間が来たのか、天十郎が立ち上がっている。


 初めてここで見た時と同じ、仏頂面のままだった。

 


「さて、今後は各組合員が研究成果を持ち帰り、それぞれ活用していただきたい。我々『竹村コントラクター』では、2050年度までに『メモリア』関連製品の製造販売を行うことを目標とし、以降も脳科学分野の発展に努める所存だ」



(こういう時くらいは、振りでもいいから喜べよ)


 

 しかし、あそこまで「磁気記録媒体」にこだわっていた天十郎と竹村の偉いさん達が、なぜすんなりと「マイクロフィルム記録」へ舵を切ったのか。布瀬の話だと、彼らは何らかの理由で「磁気記録媒体」を推していたが、彼らを心変わりさせた理由はなんだろうか。



「なあ、布瀬。竹村の上層部はなんで急に『磁気記録媒体』を手放したんだ? やっぱり主任の決定が大きかったのか?」


「『柿も青いうちは鴉も突き申さず候』、そういうことでしょ。私には関係ないけど」


「ふぅん……」



 しかし「解散」か。文字にしてみればこれだけなのに、色々な感情を俺に呼び起こしてくる。


 元々、事業化を目的とした組織だ。こうなることは、わかっていたはずだが、すっかり身の振り方を考えていなかった。牧元まきもとさんのところへ戻るのも悪くないが……。


 ふと、横にいる布瀬と茂の顔を見る。


 頭の中で渾然一体こんぜんいったいとしている思考も、彼らを見ていると、徐々に輪郭が明らかになっていくようだった。それがどういう言葉で表せるのか……俺はわかっていた。しかし、その言葉は俺のわずかな「虚栄心」が、記憶の外へ追いやってくれた。


 俺は、再び会議へと意識を戻す。



「では、本日はこれで終了と致します。リーダー以上の方は、総会決議内容について守屋室長とミーティングがありますので、5分後にルーム4へお集まり下さい」



 責任者が解散を告げると、集まっていた研究員は座席を立っていく。バラバラと散っていく彼らの姿は、さっきまで俺の中にあった「無駄」な感情のようだ。


 俺の隣で、布瀬と茂が立ち上がる。それに続いて、自然と身体が動いていくが、手に変な汗をかいてしまっていた。なぜか口が渇いて、少し息苦しい。


 ……あぁ、俺らしくもない。別に言ったところで、何も起きないだろうに。何も起きない。安心しろ。


 そして、まだ記憶の淵に残っていた「あの言葉」を、2人の後ろ姿に投げかけた。



「な、なぁ。お前らは、解散した後……」


「静間君。ちょっといいだろうか?」



 突然、威圧的な低音を背中にぶつけられて、思わず緊張が走る。振り向くと、九重天十郎がこちらをじっと見ていた。


 さっきまであんな無愛想な顔だったのに、柄にもなく笑ってやがる。急ごしらえの作り笑いって感じだ。


 準備していなかった「いや、今は……」という言い訳が、虚しく飛び出す。視線は先に行く2人に向けていたが、俺の直前の言葉に気づいていなかったようで、そのまま部屋を出ていってしまった。

 

 ……仕方ない。とっとと終わらせて追いつこう。


 出鼻を挫かれてすっかり意気消沈してしまった俺は、諦めて彼の話を聞くことにした。



「……はい。なんでしょうか」


「次の会議までの間、ちょっと付き合ってはもらえぬだろうか。折り入って、君に話がしたい」


「構いません」



 それを聞くと、天十郎は「さも当然」と言いたげな顔をして、まっすぐ部屋を出ていく。初めから俺が断らないと思っていたのだろう。気乗りしない……。


 そのまま部屋から廊下へとついていく。近くの自動販売機前に誰もいないことを見てから、天十郎はそっちを指差して進んでいった。



「……歩きながらでは、いけませんか?」


「まぁまぁ。そう老いぼれを急かすな」



 どうにか感情を抑えて絞り出したような声だ。天十郎の眉がピクリと上がったのを見逃さなかった。別に叱られたいわけではないが、こいつの前だとどうしても反抗的な言葉が出てきてしまう。


 自動販売機横のベンチに腰掛けると、天十郎は再び愛想笑いを向けながら、話し始めた。



「単刀直入に言おう。解散後、うちに来てメモリアの研究を続けないかね?」


「……『竹村コントラクター』にですか? いえ、私にはまだ残してきた研究が」


「『国立脳科学研究センター』か。厚生省管轄で、長いこと記憶保存の研究をしてきた成果は確かだが……。悪いことは言わん、うちに来なさい」



 初めは「勧誘」だったはずなのに、もう「命令」に変わっていた。そうだ、こいつはずっとこういう男だった。俺の中に、ずっと抑え込んでいた感情が、沸々と湧いてきていた。



「実はな、近々経産省から事業化の援助をしてもらえる、という話がある。設備も潤沢に揃えられるだろう。それに、君がいた方が布瀬も――」


「結構です。そういう上の話は、私には関係ありません。今回の研究成果があれば、元いた場所でも問題なく進められます。それに、あれはです」



 思わず、大きな声が出てしまった。まだ喉の奥には熱いものが残っているようで、心地が悪い。自分でも馬鹿みたいに、鼓動が上がっているのがわかる。

 

 ハッとなって、意識を目の前の天十郎に戻す。


 硬い笑顔のまま、冷めきった視線がこちらを睨んでいた。何かを言い出そうと口はゆっくり動いていたが、一旦腹の中に収めたようにも見える。


 呆れたように深いため息をつくと、彼は皮肉めいた調子で返事をした。


 

「……残念だよ。君のような若い才能を近くに置いておきたかったのに」


「失礼ですが、茂さんがいらっしゃいますよね。何年も私と共に研究を続けていましてし、今回の成果も彼なしでは……」


 

 そこまで言うと、天十郎は「フッ」と鼻で笑って俺の言葉を遮ってくる。しわの刻まれた頬を引きつらせながら、苦虫を噛み潰したような顔で、次の言葉を吐いた。 



「あれはな、まるでダメだ。わしの猿真似でここまでついてきたような男だよ。君だって困ってただろう、何でも人に聞いてばかりで自ら学ぶ姿勢がない……」



 抑えていた身体の熱が急激に上がっていく。頭に血が登って、今にも口から悪態がこぼれ落ちそうだ。ああ、そうだよな! お前はそういう男だ!


 一瞬だけ、目の前にいる天十郎を廊下の壁に突き飛ばすイメージが横切る。


 ……それをぐっと堪えてから、努めて冷静に切り出した。



「この話は聞かなかったことにします。失礼します」



 天十郎は何も言ってこなかった。


 薄闇の廊下には、俺の足音と、まだ気持ち悪くざわめいている鼓動の音だけが響いていた。

 

 


 

 * * *






「へえ、そんなことが。僕としては、君が戻ってきてくれて嬉しい限りだよ。どう、楽しかったでしょ?」


「ええ、まぁ……」



 昔のように俺のデスクへ牧元さんが来てくれる。


 座席もそのまま残しておいてくれたのは、少しだけ溜飲が下がるようだった。しかし、周りの研究員達にも見知らぬ顔が増えた。


 そして……牧元さんも少し痩せて顔の皺が増えた気がする。



「それで、『メモリア』の研究開発はここでも進められるけど、どうする? 一応、厚生省にも掛け合えば、多少は設備を揃えられるけど」


「えぇ、まぁそうですが……」



 「メモリア」の研究は久しぶりに楽しかったが、振り返ってみると「結果」よりも「過程」の方が、記憶に何倍も残っていた。事業化を目指して、新たな開発を続けるのも研究者の仕事ではあるが、もう俺の役目はこの数年間の「過程」で果たされたと思っている。


 そんなことを考えながら、俺は答える。



「いえ……。しばらくは、持ってきたこいつをやりたいんです」



 デスクのモニターを軽く指差すと、牧元さんもわかったみたいだ。軽く頷いてから、俺を送り出してくれた時と同じ、優しい声で答える。



「うんうん、好きにするといい。……しかし、記憶痕跡エングラム保存支援AIの割には、対話式フィードバックができるなんて。今どき珍しいものを使ってたんだね、向こうでは」



 牧元さんは、くいっと眼鏡のフレームを直すと、まじまじとパソコンケースを眺めている。まるで、この箱の中に「AI」という架空生物が入ってるかのようだ。ついその所作がおもしろく、失礼だと思ったが、笑みがこぼれてしまった。


 それでも牧元さんは気を悪くした素振りも見せずに、モニターに映るログを見つめながら、ニコニコと続ける。



「それに、ことわざや故事にも強いみたいだ。僕より賢そうだね」


「……子は親に、AIは使用者によく似る、というやつですよ」



 また、あそこでの思い出が蘇ってくる。


 長い時間だったが、不思議と今でも鮮明に覚えていた。時を戻せる時代よりも、記憶を残せる時代が先に来てしまったのが、少しだけ悔やまれる。


 そんな俺の感傷は、1本の内線で終わった。



「静間さん、お電話が来ています。『ココノエ・エンターテインメント メモリア開発事業部』の九重茂さんという方です」


「……フッ、懐かしい名前だな。デスクに回してくれ。牧元さん、失礼します……」



 俺がお辞儀をして断ると、牧元さんは、また優しく頷いてから去っていく。片手を腰に当てながら、杖を付いてぎこちなく歩いていくその後ろ姿に、どこか俺は物哀しさというか、なんだか嫌な予感を覚えてしまった。


 そんな不吉な考えを振り払うかのように、俺は急いで受話器を取る。ふふっ、またいつもの質問攻めだろうか……。



「久しぶりだね、茂君。いや、もう部長様とお呼びした方が――」


「静間さん……」


「ん? なんだ、どうかしたのか」



 今日は、やけに声が遠い。しばらく返事を待っていると、今にも潰れそうな小声が返ってきた。



「布瀬さんの記憶が……『メモリア』試験中に消失しました。過去の記憶と競合して、ここ4年間の記憶が……。静間さんのことも、憶えてないようです」



 茂の言葉を認識した瞬間、すべての感覚が停止していく。


 胸の奥が、どす黒いもので締め付けられる……。手に力が入らない、どうにか何かを握っているようだが肌の感覚はもうなかった。まだ手元から音が鳴っている気がするが、もう何も聞こえない。


 ……辛うじて受話器を置くと、俺の身体は本能的に動き始めていた。同時に、脳内も停止前の挙動を取り戻す。いま「俺が為すべきこと」へと思考は進んでいった。



「牧元さんすいません、少し出てきます」



 デスクにあったフラッシュドライブだけ持ち出して、研究室から出ていく。玄関に通じる廊下の先には、真昼の日がジリジリと照り返していた。


 6月の暑さなのか、身体からなのかわからない、ただまとわり付くような不快な熱気だけが、俺を包んでいた。

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