第25話 【2052_1107】管理棟地下の攻防
地下駐車場を3つの影が走っていた。
前を行く2人は、車に隠れながらも必死に進んでいる。何度も後ろを振り返る顔には、恐怖と焦りが張り付いていた。
そして、後を追う1人は、逃げる人影をしっかり視界に捉え、速度を緩めずに追っていく。
すると、地上へと抜ける出口が見えてきた。
ここから男たちが取れるルートは2つしかないはず……。香椎は手首の「フォリウム」に「光海月パーキングエリア」の3Dマップを展開しながら、彼らの逃走ルートの予測を立て始めていた。
同時に耳のインカムから、ジョルジュの暗号通信が入る。
「三崎にはファーストライン装備を取りに行かせてる。すまんが、お前も9mmでどうにかしてくれ」
「ええ! そのつもりです!」
走りながら答える香椎。すると、先に逃げている男の1人が大きく仲間に呼びかけるのが聞こえた。
「おい! こっちだ! まだ下があるぞ!」
数十m先で、男は駐車場出口近くの扉を開けている。その奥には、管理棟地下へと繋がる階段が続いていた。
香椎は、彼らの選択したルートを見極めると、目の前の車両の脇をすり抜けて、1つ反対側の道へと飛び出す。男と自分の間には、何もない。
香椎は、大きく叫んだ。
「止まりなさい!!」
次の瞬間。
扉を開けて待っていた男が、拳銃をこちらに向ける。考えるよりも先に、身体が近くの支柱裏へと転がっていった。
緊迫した空気が、香椎の周りを流れる。
しかし、予測していた銃声は聞こえてこなかった。代わりに扉の先からは、慌ただしく階段を叩く足音が遠ざかっていく。
「チッ……!」
遅れていた仲間の時間稼ぎだったのだろう。香椎は思わず舌打ちをして、急いで扉に向かう。
そのまま腰のホルダーから拳銃を抜いた。銃口を目線の高さに上げて射撃姿勢のまま、ゆっくり扉の奥を確認する。
しかし、踊り場に男たちの姿はなく、眼下の階段から小さな揺れが伝わるだけだった。
「……ひなこ。枝を付けておくから辿ってきて。先に行くわ」
腕に浮かび上がる3Dマップ上に現在地をマーキングすると、三崎に音声通信を送る。……彼女からの返答はなかった。
待ち伏せの可能性もある屋内では、2人1組のツーマンセルが必須だ。
けれども今は、彼らを見失いたくなかった。マーキングデータが問題なく送信できたのを確認すると、香椎は迷う間もなく、階段を下りていった。
* * *
最後の段差を跳ばして扉を開けると、コンクリートに覆われた通路に出た。左は行き止まり、右手にただ薄暗い道が伸びているだけだ。
遠くの壁や天井からは、何か重いものが移動する音が響く。
恐らく、トンネルの近くにいるのだろうか。ほの暗い蛍光灯で照らされている壁面を見ると、避難経路指示が書いてあった。その順路に従って、香椎はペースを落とさずに走っていく。
「こっち……ね」
しばらく単調な通路を進んでいくと、左手に開きっぱなしの扉が見えてきた。
奥には同じような厚い扉が四重に連なり、どれも乱暴に開けられている。
香椎が今いる道はまだ続いていたが、再び「枝」を付けると、用心しながら左の扉を進んでいく。
2つ目の角を曲がった途端、香椎の顔に強く当たるものがあった。
「うっ……!」
思わず声が出てしまう。強烈な風が当たってきていた。走る速度を落とさずに次の角を曲がると、風の出どころがわかってきた。
厚い金属製の扉が無様に開かれ、ビル風のような細く生暖かい風圧が流れ込んでいる。香椎は意を決して、外へと飛び出した。
「……これは、建設中のトンネル……」
その先は、巨大なトンネルだった。どうやら作業員用の通路を通って、トンネル横に出たらしい。
車両幅3台分ほどの舗装道路は、工事直後なのかアスファルトにむらが見える。まだブルーシートを掛けられた重機やフェンスなど、工事用具が端にまとめられていた。天井を這う車の音は、さっきよりも大きく感じられる。
素早く左右を向いて周囲を確かめると、数十m先に、さっきの男が見えた。足取りはおぼつかなく、追えばすぐに確保できるだろう。
男は1人だった。仲間の影が見当たらない。
それでも、香椎は乱れた息を整える間もなく、再度銃を構えて警告する。
「……動くなァ!!」
トンネル内に声が大きく反響する。
男は息を切らしながら振り返るが、それでも止まらない。出口などどこにも見えないが、香椎から逃れたい一心だけで走っているようだった。
最初から期待などしていなかった。思わず、2度目の舌打ちが出てきてしまう。
「チッ……! ひなこ、2本目の枝の先にもう1人逃げてるわ。悪いけど、あなたはそっちをお願い!」
今度は三崎にも届いたようだ。
何やら言葉が返ってきたが、ノイズがひどく聞き取れない。
けれども、香椎に返事を待っている余裕はなかった。身体はもう男に向かって走り出している。
……もうあと少し。あの工事用フェンスに付く前に、もう男の肩に手が届く……。
――コツコツコツ……
香椎がそう確信した瞬間、トンネル内に重い足音が響く。すると、前のフェンス裏から1人の男がスッと姿を現した。
グリーンのアーミーコートのフードを被り、ポケットに手を突っ込んだまま、ゆっくりこちらへ歩いてくる。
先を走っていた男もそれを認識したのだろう。神にもすがるような助けを求める叫びを上げ、コートの裾を掴んで倒れ込んだ。
「あぁっ! し……しっ、獅童さん……! はぁっ……」
「どいてろ、バカが」
獅童は硬いブーツの先を男の顔に食らわせる。「ぐっ」と鈍い悲鳴を上げると、男は冷たいアスファルトに打ち付けられて、ピクリとも動かなくなった。
煩わしい物を処分し終えたような、満足そうな視線で足下を見ていた獅童は、続いて香椎を一睨する。
「……っ!」
瞬間。距離にして5m。異様な威圧感が襲ってきた。香椎は、思わずたじろいでしまう。
その威圧感は、彼の行動からではない。あの眼は……。獲物、破壊対象、自分の「下」にいる物を見る目だ。
それでも毅然として、香椎は男に向き合った。構えた銃を下ろすことなく警告する。
「どきなさい。私は
「『
獅童は肩をすくめて、困ったように笑う。香椎に銃を向けられても、まだこの男は萎縮することがなかった。銃を構えたまま、香椎はじりじりと距離を詰める。
そして、香椎が3歩目を踏み出すと同時。
獅童は一瞬深く腰を沈めると、大きく跳ねて体を宙へと浮かせる。その衝撃で、足下のアスファルトが大きくひび割れた。
「なっ……!」
空中……! 完全に意識の範囲外だった!
すぐさま狙いを修正し、引き金を引く。だが、弾丸は宙を舞う獅童の足元を掠めるだけだった。渇いた銃声だけが虚しく木霊する。
「――くっ!」
「オゥラァァアアアッ!!」
獅童の右腕が思ったよりも速い。
無理な姿勢だったが、香椎は身体を崩して横へと転がる。
――ドゥゴォッ!
さっきまで香椎がいた場所は、強烈な拳打で瓦礫に変えられていた。
下手な受け身を取ったせいか、肘が痛む。それでも追撃に備えて、すぐさま体勢を整えた。
心臓の鼓動が激しく身体を叩く。
まだここまで走ってきた身体が冷めていない。酸素を送るための血液が大量に脳へと回っていき、頭部を締め付けられるような痛みが走っている。それでも、両の眼はしっかりと獅童を捉えようとしていた。
獅童の右腕には……黒鉄の機械パーツが見えた。膝を立てた着地をしたためか、ズボンが擦り切れていた。その中には、同じような漆黒が光る。
「全身を機械化してるのね……」
「右腕と脚はな。まだそうしないと慣れないんだってよ」
何事もなかったかのように獅童は立ち上がると、心臓を軽く叩く。そして、アーミーコートを乱暴に脱ぎ捨てて、軽くステップをしてみせた。
黒いタンクトップから見える右腕は、宣言通り機械化されていた。あの腕で懐まで攻め込まれたら、いくら訓練を積んでいる香椎でもひとたまりもない。
香椎は、ゆっくりと拳銃を構え直す。とにかく今は距離を取って、奴の出方を伺わなければ。同じ戦場に立って真正面から挑んでは、ゴミ屑のように潰されてしまう。
「アァ……いいなお前。こんな状況でもやってやるって顔だ」
「……勝手に言ってなさい」
「なぜだろうな、俺が嫌いな女はそういう顔をする……!」
獅童の脚部から、ネジを巻くような金切り音が鳴り始める。
さきほどの動作から、何かフィードバックを得て調節をしているのだろうか。それとも、彼の感情に沿って出力を上げたのか。もし後者ならば……。
香椎は、拳銃の狙いを一瞬も獅童から外さない。
そして、余裕そうな表情の獅童を、真っ直ぐに睨み返した。
「奇遇ね。私もあんたみたいな男、嫌いなの」
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