第20話 【2052_1105】森美咲子の依頼

「……では、森見咲子もりみさきこさん、みくるさん。書面でも伺っておりましたが、改めて本日の依頼内容をお話ししていただけますでしょうか?」


「ええ、わかりました」



 14時00分。


 山野は、白のスタンドカラーシャツとオリーブ色のガウンという、いつもの来客セットを、なんとか静間に着せてリビングへ座らせることに成功した。


 依頼人である母娘、森見咲子と森見みくるは、ちょうど静間がソファについて紅茶に口をつけた瞬間にやって来た。まさに間一髪の攻防だったと言える。


 静間に対面するよう2人をソファへ案内すると、山野は彼の隣に移動してから依頼相談を始めた。


 母親の咲子はグレーのコートにオフィスカジュアルのようなスーツ、そのまま職場にも行けそうな隙のない格好だった。艶のある黒髪を1つに結び、切れ長の瞳と通った鼻筋が目を惹く。まさに少女漫画から出てきたような、カッコいい美人というタイプ。


 だが、外見だけが彼女の纏う空気を生んでいるわけではなかった。


 表情や話す言葉、リビングに来るまでの立ち振る舞い……すべてに隙がないのだ。山野にも、それがサポート・ドールのような機械的な判断から来る正しさに従ったものではなく、礼節や内面の厳しさが現れていると感じられた。

 


「……それで、みくると札幌まで行って来たんです。夫の故郷でしたし、みくるも昔いた所に戻れて楽しそうでしたので、ぜひメモリアにして残しておきたいと思い、こちらへ」



 咲子は、見た目通りの凛とした声で、旅の思い出を振り返ってくれた。


 対する静間は、はたはたやる気のない様子で話を聞いていたが、彼女の家庭環境がわかると、また一段と気が削がれたようだった。

 


「再婚相手は海外出張中、そして連れ子……。このメモリアを使うのは、やっぱりかわいそうだよ」


「……静間さん、やめてくださいよ」



 山野は、2人に聞こえないように、昨日からずっと変なことを言ってる静間を注意する。

 得体の知れない静間の呟きも気になったが、説明を続ける咲子の視線も不自然だった。


 初めて山野がここに来た時、この家の外観からこんな内装だとは想像していなかったし、この部屋の装飾や、サクヤさんの存在など、色々なものに目を奪われて落ち着いていられなかった。


 だが、咲子さんはそんな素振りは見せない。まるでみたいだ。その目は静間とサクヤだけに向けられて、記憶と照らし合わせているようにも見えた。


 一方、娘のみくるは……ほぼ山野の予想通りだった。いや、それ以上かもしれない。


 咲子さんの隣で座ってはいるが、そわそわした様子で部屋をぐるぐると見回している。この場所がおもしろくて仕方ないようだ。


 歳は山野と同じくらいか……それより下にも見える。放っておくと一人でどこかに走って行ってしまいそうな、何をするかわからない危うさを秘めているようだった。ショートボブの跳ねた襟足が、彼女のお転婆っぷりを物語る。ミリタリーブルゾンの袖を遊ばせているところも、幼さを加速させていた。


 少々気がかりな点は残る依頼人ではあるが、事前に受け取った身分証明書や依頼申請書に不備もなく、支払いもこちらの要求通りだった。


 早速作業の手続きに進むべく、山野は2人の前に歩み寄る。



「依頼内容は把握致しました。先々月の記憶を抽出することになりますので、作業時間としては……」


「あなた、さんね。『ココノエ・エンターテインメント社 開発部第1セクション』の」


「……ええ、はい。どうかしましたか?」


 

 近づいて来た山野の顔をじっと見つめると、咲子は隣のみくるを振り返って何か目配せをする。みくるも、急に人が変わったかように落ち着いていて、今は彼女の言葉を待っているようだった。


 先に口を開いたのは、咲子さんだった。

 


、私はグレーだと思うけど」


さんは心配性っすね~。3人ともそんな人じゃないと思いますよ」


「「は?」」


 呆けていた静間も、思わず山野と同じタイミングで声が出てしまう。

 ひなこにアサナ……? 一体、誰の話をしているのだろう……。


 怪訝そうな顔をする彼らをよそに、咲子は持ってきていた鞄から数種類の書類と写真を取り出し、テーブルに広げる。


 そして、きょとんとする静間と山野の前に、警察手帳のような身分証明手帳を取り出した。



「驚かせてごめんなさい。私たちは『内閣高度情報戦略本部ないかくこうどじょうほうせんりゃくほんぶ』。警察や検察では扱えない高度なサイバーテロに対抗するために動いている組織で、今はあるメモリア事件を追ってるの。私は情報1課の香椎かしいアサナで……」


三崎みさきひなこっす!」


「ないかく、こ……んん?」



 あまりにも唐突な話に、山野は頭が追い付いて行かない。


 横で座っている静間に助け舟を求めようとするが、静間はじっと手を顔に当てて考え込んでいる。今の話を反芻し、記憶に眠っている何かを思い出そうとしているようだった。


 思考の邪魔になるかとも思ったが、山野はこらえきれず静間に呼びかける。


 

「あの……静間さん?」


 しばらく微動だにしなかった静間だが、すべての記憶が繋がったのか、少しずつ確かめるように話し始めた。


「……昔、聞いたことがある。2年前の『ココノエ社長誘拐事件』、犯人が優秀なサイバーテログループとかで尻尾を掴み切れず、捜査は頓挫。所轄に回収作業など面倒事は押し付けて、裏では虎視眈々と犯人を狙ってる食えない連中がいるとな。……それがお前たちか」


「静間優樹。聞いていた通り、下品で狡猾で偏屈な男で安心したわ。あまり偶然は持ち込まない主義だけど、この写真に見覚えはない?」



 不機嫌そうな声で、香椎と名乗る女性は数枚の写真を指差した。


 そこには、赤金市の駅に降りた時や市営バス内の山野たちが映っている。どれも俯瞰視点で撮影されていて、監視カメラを通したものなのは、誰の目にも明らかだった。


 なぜ自分たちの行動がここまで調べられているのか、不安と焦燥感でいっぱいの山野は思わず息をのんでしまう。


 だが、静間はいつも通りの軽薄な笑いを浮かべて、香椎を睨んでいた。彼女らが名乗った時から、こうなることを予想していたのだろうか。



「随分と人気者だったようだな、私は」


「……そして、山野さん。あなたにはこっちの写真を見てもらいたいの、何か見覚えはないかしら?」


「あっ……! これ、あの川の橋……だと思います」


 

 1枚は、山野が赤金市の山中で見つけた、あの吊り橋。もう1枚は、その上を歩きながら撮影したと思われる、1人称視点の写真だった。両方とも山野が見つけたものに間違いない。


 そこまで答えると、香椎は確証を得たのか、改めて静間と山野を交互に見る。


 その目は、ここに来た時と同じく真っ直ぐ向けられていたが、今はその中に微かな炎が見え隠れするようだ。2人の反応を伺ってから、香椎は毅然とした態度で、話し始めた。



「山野さんが見つけた女性、あれはサポート・ドールだったの。そして、このサポート・ドールを仕掛けた人物の先に『ココノエ社長誘拐事件』に繋がる手がかりがあると考えている。ぜひ詳しく話を聞かせて欲しい」


「大胆な仮説だ、サポート・ドールに人の記憶を植え付けて行動させて何になる?  社長誘拐事件との関連も怪しいものだ。私は断るけど、こいつが参考人だと言うなら連れていけばいい」


「あら、そう? じゃあ、今日はとして帰るけど、気が変わって『記憶保存基本法きおくほぞんきほんほう』違反のバーン・アウト記憶延焼をここでしてる人がいるって、通報しちゃうかもしれないわね」



 そう言うと、香椎は写真と一緒に持ってきたリストを軽く指で叩く。


 そこには女性の名前、年齢、何かの日付、そしていかがわしい雰囲気の店舗名がずらりと並んでいた。


 ちらりと覗き見してしまった山野だが、思わず顔を背けてしまう。だが、わずかに見えた情報だけでも、それが何のリストなのかがわかる気がした。


 香椎と対峙している静間は、怒りとも笑いとも取れる不敵な笑みを浮かべて、じっと黙っている。その瞳は微動だにせず香椎を見つめ、彼女をけん制しているようだった。


 2人の間に緊張が走る。香椎もその目を、静間から離さない。


 そして、また一拍の間。


 ついに、静間が口を開いた。



「……これではどちらが犯罪者かわからないな。他に用件はあるのか」


「そこに立ってるサポート・ドール。優秀なBehaviorNodeTreeビヘイビア・ノード・ツリーを積んでるようだけど、あなたが組んだのかしら。それと、かなり贅沢なパーツを使ってるみたいね。何の変哲もなさそうな家だけど、サポートドール用の自動送電ラインが巧妙に仕込んであるし、誰か詳しいお友達でもいるんじゃない?」


「……はぁ。お前、何もなくても備考欄を埋めるタイプだな。出世に苦労するぞ」


「お生憎様。私は、外にいるのが好きなの」



(あ、あの静間さんが根負けしている……!)



 美貌といい頭脳といい、何から何まで香椎さんには驚かされるばかりだ……。


 大きくため息をつきながら、静間は椅子から立ち上がる。まだ啞然として動かない山野に一瞥くれると、「支度をしろ」と言いたそうな顔で玄関口を顎で指した。



「何をぼやぼやしてる。出掛けるぞ」


「えっ…えっと、どこに行くんですか?」


「少し歩きますので、冷えないようお召し物を選んでいただければと」


 

 代わりにサクヤが答える。


 その様子を見ていた香椎と三崎も、荷物をまとめて出発の準備をしていた。捜査協力を申し出てきた彼女たちだったが、何も言わないところを見ると、求めていたものはこれから向かう場所にあるようだ。

 


「じゃあ、先に外で待ってるわ。ひなこも早く済ませて来なさい」


「うっ……ふぁい……! んぐっ……、このクッキー美味しいっすね! もっと食べたかったっす!」



 慌てて目の前のクッキーを放り込む三崎。


 その横を、階段に向かう静間が通る。

 香椎が廊下に消えたのを確認すると、無邪気に口の周りを拭いている三崎に向けて、小さくぼやいた。



「お前の母ちゃん……顔は良いのに中身はどうなってんだ。よくお前も付いてってるな」


「えっ~? アサナさん優しいっすよ、この間も飴くれたし。あと私のお母さんじゃないっすよ!」


 

 三崎は話すだけ話すと、静間の反応も待たずにそのまま廊下へ駆けて行った。


 こいつもこいつで相当面倒な女だ……。静間は万事休すといった表情で、とぼとぼ自室へ上がって行った。


 残った山野とサクヤは、静間の支度をリビングで待っている。


 香椎も三崎も悪い人間には思えなかったが、これから先どうなってしまうのか、全くわからない。山野は、正直不安でいっぱいだった。


 ふと、サクヤならこの状況をどう考えているのか気になり、思いのまま素直に質問してみた。



「あのさ……香椎さんとひなこちゃんの話、まだしっかり理解できてないんだけど、ちゃんと言うこと聞いてたらすぐ解放されないかな? サクヤさんはどう思う?」


「国の行政機関直下の組織であれば、私たちに危害を加えることはないでしょう。『シーザーを理解するためにシーザーである必要はない』と言いますし、正直に質問に答えていれば問題ないと判断できます」


「そうだよね。……えと、シーザーサラダ?」

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