第17話 【2052_1028】2人の約束

 赤金市から帰って来て1週間。


 山野の元へ、佐々木からメールが届いていた。


 そこには山野や静間への感謝の気持ち、奥村のメモリアのおかげで民俗研究の精度もあがり、博物館にも多くの人が訪れてくれたこと、そして2人で初めてフィールドワークに繰り出したことが書かれていた。


 添付されたイメージを展開すると、そこには赤金市の山々をバックに嬉しそうな笑顔で映る親子の姿があった。


 山野は文章を追いながら、あの日の出来事を思い出す。


 会社での仕事も楽しかったが、今は様々な感情が、心に広がるのを感じていた。デスクで軽く微笑むと、山野はまとめていた報告書に加筆・修正をしてから、イメージファイルを1つ添えて提出した。


 すると、会社の内線から山野宛のコールが入る。すぐさま取り次いでもらうと、相手は佐々木だった。



「どうも、先日はありがとうございました。さっきメールも読みました! ……いえいえ、こちらこそ良かったです。それでどうしたんですか? はい、ええ……はい……」





 * * *




 

「遅い! 『15時に行きます』と言ったら、14時50分に来るものだろう! あいつは10分前行動を学校で習ってないんだ!」



 リビングのソファにかけながら、静間は怒りをむき出しにして激しく身体を揺さぶっていた。


 サクヤが用意してくれたパウンドケーキと紅茶は、もうすっかり空だった。それを見越してか、まだカップが冷めやらぬうちに、サクヤが次の紅茶を注いでくれる。礼だけ述べると、静間はふんぞり返りながら、来客を待つことにした。



 ――ジリリリ……



 部屋に呼び鈴の音が響く。いつもと同じように、サクヤがインターホンで応対するが、今日はどこか嬉しそうな様子で、来客を迎えに行った。





 * * *





「それで、本日は静間さんにご報告があります」


「手短に頼む」



 ソファの上に行儀悪く足を乗せている静間の前に、山野が2枚の紙を差し出す。


 1枚は「赤金市郷土民俗博物館」からの支払い書。もう1枚はどこかのプレスリリースだった。


 山野が初めの紙を掲げて、内訳を一項目ずつ指で示していく。



「まず事前調査料、現地での依頼人との相談……それと静間さんの食事代やお土産代も含めてます」


「気持ち良く仕事をするため当然だろう。……おい、なんで『メモリア』制作費がこんなに少ないんだ」


「……それがですね」



 少し言いよどんでから、山野は2枚目の紙を静間に見るよう促す。


 そこには「赤金市 生涯学習課 担当役員変更のお知らせ」と書いてあった。静間は文章を声に出して読み上げる。



「この度、生涯学習課担当役員の異動に伴いまして、新任役員による今年度予算案の変更を行いましたことをお知らせいたします。詳しい予算編成につきましては、来月の市報に掲載後こちらのホームページでも……。これがどうした?」


「さっき佐々木さんから電話があったんですが、この件で博物館に用意されてた予算が大幅にカットされたようで、依頼を受けたのに申し訳ないが、全額支払うのが難しいとのことでした。それで九重さんに相談したところ、別の方法で静間さんへの報酬をお支払いすることになりました」


「……はぁ? なんだそれは」


「私、こちらに出向して不足額分、働かせていただけませんか?」


「何を言ってるんだ、お前は……!?」


「たくさんお仕事するんで……」


「黙れ、耳が腐る」



 すると、山野は鞄から新しい書類を取り出す。


 それは「ココノエ・エンターテインメント」社からの、山野芽衣出向を許可する契約書だった。開発部長である九重茂の名前がサインされている。あとは、静間のサインがあれば契約締結だ。

 

 極めつけに、書類には1枚の付箋が貼ってある。そこには茂のサインと同じインク、筆跡で「よろしくお願いしますね」と添えられていた。


 穴が開くほど書面を見つめて、彼の筆跡に間違いないのを確認すると、静間はへなへなと椅子から崩れ落ちてしまう。ちょっとかわいそうな気もしたが、山野は落ち着いたトーンで話す。



「あなたと九重さんの間に何があったか、私にははわかりません。ですが、これは九重さんの命令だけじゃないんです」



 少し顔を下に向けてから一呼吸置くと、山野は真っ直ぐ静間を見つめ直す。



「赤金市でのこと……静間さんが村の人々に聞き込みで使った質問。あれは私が初めてここに来た時も使っていた『多重質問の誤謬ごびゅう』ですよね。暗黙の前提を含んだ質問をすることで、『はい』と答えても『いいえ』と答えても結果的にその前提を認めたことになる質問です。あそこでも多くの人に質問をして、その反応を見た結果、自分の仮説が正しいと判断した……違いますか?」


「……フン」


「あなたの人の心を弄ぶような態度、私は間違ってると思います。奥村さんの時も、大袈裟に気持ちを誇張して佐々木さんを揺さぶるし。でも、あなたの『メモリア・デザイナー』としての技術が、誰よりも優れているのも事実です」



 椅子に座りなおした静間は、黙って山野の話を聞く。その顔に、いつもの笑みはない。



「そして、私は奥村さんのメモリアを保存している時、何もできませんでした。人の想いを伝えたいと言っていたのに、全部静間さんがやってくれました。私は、こんなに弱い自分が嫌いです」


「……」


「だからここで……私は自分が『メモリア・デザイナー』になった理由を……。いいえ、あなたのような最高の腕を持ちながら、人の想いを伝えることができるように、私はなりたいんです! だから……」



 声は段々と震えて、憂いを帯びてきていた。次第に音もしぼんで消えそうになっていく。


 静間は変わらず黙って話を聞いていたが、彼女に背を向けながら立ち上がると、少し息を吸って間を置く。


 しばらくの沈黙の後……。


 聞き慣れた調子で、声が返ってきた。

 


「……私が預かったお前の無価値なメモリアだが、お前がミスする度にネットに流してやる」


「……えっ?」


「明日から平日10時~19時だ。1日必ず1案件はやれ。『メモリア』に触らない日があれば、その日は給与なしだ」


「……はい! よろしくお願いします!」


 

 目元に溜まった涙を拭うことも忘れ、山野は屈託のない笑顔で深々とお辞儀をした。それでも相変わらず、静間は軽薄な口調で続ける。

 


「俺の名前で動く時は、傷をつけるようなことがないように。万が一の時は、『令和島』に強制送還し、次は記憶をスクランブル交差点に流す。覚悟しておけ」


「静間さんの素行じゃ、もう傷だらけの名前ですよね。私が仮に不名誉なことをしても、逆に許されるんじゃないですか? 静間さんに自由を奪われてるって」


「うるさい! もう帰れ! 私は今日は留守なんだ!」



 不満げな顔で持ってきた鞄を抱えて、山野は部屋を出ていく。最後に廊下からひょっこり顔を出すと、べっーと舌を出して静間をからかってきた。


 それを見ていた静間も負けじと彼女を手で追い払い、塩を撒くようなジェスチャーで応戦する。

 

 喧騒冷めやらぬまま、山野の姿が消えたのを確認すると、静間は一息ついてから契約書を手に取った。そこに書かれている名前をじっと見ていると、思わず思考が声を通して出てきてしまう。



「……妙な荷物を背負わされたな、あいつには。もう誰も、下に付けたくなかったんだが」



 いつでも取り出せるよう、ソファの裏に隠していたアタッシュケースを取り出すと、静間はリビングの裏手にある本棚から、1冊の本を引く。


 すると、鈍い音を立てて棚が左右に分裂していき、壁に指紋認証の付いた金庫が現れた。


 埃を払ってから鍵を開けると、中には既に別のケースが鎮座している。そして、持っていたケースをその隣に置くと、静かに扉を閉じて本棚を元に戻した。


 重い荷を片付け終えたように、静間はホッと一息つく。だが、その瞬間……



 ――ドッガッシャーン!!



 突然、廊下から大きな物音が聞こえる。続けて、山野のうめき声が聞こえてきた。サクヤが心配する声も混じる。



「……ったーい! もう、なんでこんな所にサクヤさんが背負ってたリュックが置いてあんの……しかも中身が……」



 聞こえてきた会話の様子から察するに、そろそろこの場から消えた方が良さそうだと判断した。あいつを言いくるめるのは容易だが、大層カロリーを使うし、私も暇ではない。


 静間は気取られぬよう、急ぎ足で2階に上がると、音を立てずに自室へ姿を消すことに成功した。


 ちょうどその時。


 入れ違いにドスドスと足を踏み鳴らした山野が、リビングに入ってくる。


 手には、リュックに入っていたと思わしき品を抱えていた。かさまし用に作った段ボールの本……霧吹き……。そして、奥村さんの家にあったものと同じ錠剤の包み紙と睡眠薬。


 山野は、消えた家の主へ悪事の証拠を突き付けるべく、その名を大きく叫んだ。



「静間さん! あなた最低ですよ!」

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