第16話 【2052_1021】私の為すべきこと

 《記憶エクスポートを開始します。対象名:UpdateDifference/hippocampus......》



 山野が持ってきた携帯型メモリア保存機器「ロディ」から、作業開始を告げる電子音が響く。


「ロディ」の工具箱のような四角いボデイには、天面に液晶パネルが装備されて、起動を示すログが流れていく。側面にはいくつものハブが設けられ、そのうちの1つは、記憶抽出のための頭部装着用デバイスが繋がっていた。


 同時に山野は、腕の「フォリウム」から進捗状況や各種ログを表示するための、ホログラムウィンドウを宙に展開した。数十行にも及ぶテキストログは、今のところ正常だと告げている。


 奥村には、作業前に「メモリア」用ナノマシンの入ったカプセルを飲んでもらっていた。


 ナノマシンは、脳内の「海馬」や「大脳皮質」といった記憶が眠る部位から特定の神経細胞を発見し、そこからAIが識別可能な機械語に変換する。

 そして、頭部装着用デバイスからは、微弱な電波と超音波が流れている。これによってナノマシンからの受信と脳内を一種の睡眠状態にすることができるのだ。


 ナノマシンから送られて頭部のデバイスを通ってきた「機械語になった記憶」は、最後に「ロディ」内で作業AIによってデータ変換される。これでようやく「メモリア」が誕生するのだ。



「まず、奥村さんの記憶のうち『近時記憶』と呼ばれる、ここ数日間レベルの短期的な部分を抽出・データ化します。そちらが終わり次第『メモリア』の大部分を占める過去60年分の記憶に移ります。記憶は1日ごとにファイル分けされていくので、ちょっと時間がかかるかもしれませんが……」



 隣で見守っている佐々木に、山野がわかりやすく説明を続ける。


 「メモリア」は記憶を1日ごとに1つのファイルに管理することで、保存を可能にしている。


 まず、「近時記憶」をデータ化して、その後、形成から数年単位の長い時間が経った「遠隔記憶」に進む。最後にそれらを統合することで「メモリア」になるのだ。

 

 当然「近時記憶」の方が量も少なく、これだけなら数十分で作業は終わる。だが、今回の問題は大量の「遠隔記憶」だ。それをそのままエクスポート抽出するのには莫大な時間が予測されるし、その後の劣化修正も果てしないものになる。


 今回静間を呼んできたのは、この問題点をクリアするためだ。なのに、さっきから何の手伝いもせず、ただサクヤと談笑しているだけである。そろそろこちらを気に掛けてもらわないと困ってしまうのだが……。



「あの……静間さん。ここに来た理由、憶えてますよね……?」


「もちろんだ。しかし、お前から依頼を正式にお願いされる言葉をまだ聞いていなかった気がする。言え、お願いしますと」


「こんなときに大人げないこと言わないでください! もう奥村さんの『近時記憶』が終わっちゃいます。その前に手を打たないと……」


「そうだな。そしたら私とサクヤは、この先の宿屋に泊まって待っている。君は何十時間もここにいるといい。高齢者を長く疑似睡眠にしておくのは、作業後の運動神経系への影響が大きいと思うがね」


「……あぁもう! わかりました……。お願いします、静間さん」



 山野は、感情を押し殺した声色で、静間に頭を下げる。


 それを見ていた顔に、久しぶりにニタニタ笑いが戻ってきた。


 指揮者のように大袈裟に腕を振ってから構えると、静間は後ろにいたサクヤを「ロディ」の隣に呼んだ。


 サクヤはそれに応じると、静かに正座してジャケットを脱ぐ。始めて会った日と同じワンピースを着ているが、背中には青白く光る、円形のランプが透けて見えた。肩や腕は外皮パーツを外したのか、排気口のような幾層もの金属パーツが確認できる。


 一拍の間の後。



《管理者権限......承認............モード:エングラムを起動します》



 これまで聞いたことのない、機械的音声がサクヤから再生された。


 正確には、サクヤは口を動かしていない。不要な出力系統を、これから始まるタスクに回すため、音声出力を内蔵機器に切り替えていた。


 直後、サクヤの両指の皮膚が分解され、中から空気の抜ける音が響く。指を形成していた微細機械部品が露わになると、サクヤはロディの入力端子に、を繋いた。


 背中の青が、不規則に点滅する。



《......ペルセフォネとの接続を開始します ......バージョンチェック......内蔵されているAIのバージョンが新しいためリグレッションの可能性があります......》


「作業中のデータに合わせて、ダウングレード。先祖返りによる自己消滅防止のため別ブランチで作業を継続しろ」


《承認......システムへの影響なし......Start Memoria OverDrive》


 その瞬間、山野の前に映るログウィンドウにグリッチノイズが走り、画面が停止する。


 しかし、山野がを認識した直後、何事もなかったかのように、再びログは流れ始めた。



「なにが……」



 山野の問いかけを無視して、静馬は自分の腕のデバイスから球体のホログラムを展開している。


 そして、サーモグラフィのように「赤」と「青」のグラデーションで染まる球体は、頭頂部が特に赤くなっている。その周囲に様々な数値やグラフが並び、何らかの出力図のように見えるが、それも山野が始めて見る形式だった。


 あっけにとられている山野を置いてきぼりにして、静馬が得意気に話す。



「せっかくホログラム展開できるのに、2Dデータを出力しているなんて、あまりにナンセンスだ。まぁ記憶をこのように3次元データで展開できるのは、もう俺だけだがな」


「その球体が奥村さんの『近時記憶』なんですか?」


「違う、これが奥村のだ。『ペルセフォネ』は優秀だが、未だに時間軸に沿って馬鹿みたいにこつこつエクスポートする。これから同時多角的にエクスポートするのさ」


「……えっとつまり、すべての年代の記憶を同時に開始するってこと……?」



 フンと鼻で笑った静間は、否定も肯定もしない。


 しかし、それが静間なりの正解の返事だというのが、山野にもわかってきていた。

 ただこんな技法は会社でも見たことないし、そもそもなぜ静馬さんは「ペルセフォネ」を知っているのだろうか。山野の疑問は募るばかりだった。

 


「おっと……」 



 不意に静間が何かに気づいた。同時に、サクヤのシステムサウンドが鳴り響く。



《2040年の記憶劣化レベルが著しいです。心的外傷による記憶閉殻や大脳皮質損傷の可能性があり、このままでは正常にエクスポートが終わらず、近時記憶とのマージタイミングでコンフリクトが発生します。》 


「だとよ。さて、どうしたもんか……」



 大袈裟に困った顔をして静馬が肩をすくめると、それを聞いていた山野と佐々木が顔を曇らせる。


 静間のホログラムを見ると、確かに球体の左下部が青黒く濁っていた。なんとなく山野にも、あれが2040年の記憶で、エラーの原因になっているのがわかった。



コンフリクト記憶衝突ってことは……。このまま続けたら、奥村さんの記憶そのものが消失してしまいませんか? 大丈夫なんですか、静馬さん……」


「記憶が消えてしまうんですか! 父の記憶が……」



 思わず不安が口を出てしまい、怯える佐々木。そんなことは気にも留めず、静間はホログラムを見ながら、彼を問いただした。



「その時期にお前と奥村に何があった」


「ええっと2040年……っていうと、僕が22歳で最後に父の家を訪れた年です。博物館に勤務すること、そして父のような研究方法はもう古いからしたくないと……口論になったことがあります」



 佐々木は座りながら、奥村を見つめる。今の彼には、目の前で穏やかに眠っている父親とは似つかない、激昂していた男の顔が思い出されていた。


 でも、今は違う。


 意を決したように、佐々木は奥村の手を再び握り締め、伝えられなかった想いを言葉にした。



「あの時は……一刻も早く家を出たかったのと、自分の力で一人前になりたく、全否定するような発言をしました。でも、今は違います。また回復したら、今度は二人でこの土地を調査しに行きたいです……!」



 佐々木が涙ながらに想いを伝えると、静馬のホログラムが急変し始めた。


 ついさっきまで黒くくすんでいた部分は、徐々に彩度を取り戻して、暖かなオレンジ色に変化していく。全体でもネガティブなブルーをしているところは、もうわずかに見えた。



「静間さん、これって……」


「これは……なるほどな」



 状況を理解するため、山野は静間へ説明を求める。


 しかし、当の本人は目を輝かせながら、ずっとホログラムから視線を離さない。新しい発見に心から喜んでいるようでもあるが、本能を抑えて我慢しているような、歯痒い顔でもある。



「ふっ……。まぁ説明は省くが、今度は佐々木とやらに昔話をしてもらうか。それでもっと奥村の記憶は良くなるはずだ」


「……わかりました。そうですね、僕が学芸員を目指そうと思った日……まだ、母と3人でここに住んでいた時のことから始めましょうか」



 そう言うと、佐々木はゆっくりと、自分の過去を話し始めた。静間の腕のホログラムは、ずっと暖かな色のままだった。


 奥村の静かな寝息と佐々木の声だけが、その場を包んでいった……。





 * * *





《――メモリア基準値の分析完了…………マージ完了……メモリアの物理化……完了》



 30分ほどで「ロディ」から、作業完了を告げる電子音が響いた。同時にサクヤも接続を切り離し、いつもの外見に戻っていく。


 山野は「ロディ」のカートリッジ部分を開いて、中から4枚の長方形の透明なチップを取り出した。


 まだ熱を帯びたそれを、佐々木に手渡す。外は質素で無色透明だが、その中にあるマイクロフィルムの樹形図的な模様が、青白く透けて光っている。

 

 佐々木は手のひらに乗る、4つのチップをまじまじと眺めていた。 



「これが奥村さんの60年分のメモリアです。市販の再生装置を使えば、誰でも体験できると思います。それと……本当は劣化した記憶の編集や感情起伏の制御をするんですが」


「そちらについては、私の方で自動出力制御レベリングをしておきました。基本的な使用に問題ありません。また、奥村様の記憶劣化ですが、今回に限りすべての記憶が鮮明に出力されておりましたので、私の標準作業のみで完結できました」


「そこは、この静間優樹も保証しよう。彼の記憶は1秒の漏れもなく完璧に保存した。まあ、それだけあると確認も大変だろうから、タイムライン機能のついたものを買うんだな」

 

「……みなさん、本当にありがとうございました」

 


 佐々木は目を大きく潤ませながら、深々と礼をした。


 ちょうど奥村も気がついたようだ。布団から、小さなうめき声が上がる。それを気にするように、佐々木がちらりと振り返った。


 山野はにっこりと微笑むと、佐々木を奥村へと促す。再度、礼をすると佐々木は奥村の元へ駆けて行った。


 その後ろ姿を見守りながら、静間たちは家を後にする。まだ日没時間ではないが、もう陽が傾き始めていた。



「さぁ、これで仕事は達成した。こんなボロ家、とっととおさらばだ! 帰るぞ~、駅で日本酒でも買っていくか!」



 陽気に小躍りしながら奥村宅の坂を下っていく静間。

 それに付かず離れず、絶妙な間合いを保ちながら歩くサクヤ。


 私の初めての依頼はこうして幕を閉じていく。


 静間さんに無茶苦茶な態度を取られたのは、ちょっと嫌だったが、それでも依頼は無事に完了した。だけど、私はメモリア・デザイナーとして何か成し遂げただろうか。


 静間さんの協力を仰いだのは私だ。それでも、何かしらは手伝えることがあると思っていた。なのに私は何も……。


 ふつふつと湧き上がる焦燥感と自己嫌悪をぐっと押し殺すように、山野は思わず先を行く者の名を叫ぶ。



「静間さん!」



 彼は振り返らない。山野は、今の正直な心の内を、言葉にしてぶつけた。



「静間さんのように、メモリアを誰よりも上手に扱えて……そして人の大切な想いも伝えて……どっちもできるようになりますか!」


「自分に聞け。私には関係ないねぇ~」 



 静間は、へらへらとそのまま道を進んでいく。


 いつも通りの冷たい返事だった。別の言葉を期待して、立ち止まっていた山野だったが、それでもどこか予想通りと思い直す。そして、彼を見失なわないように、再び走り出していった。 



 赤金の山に沈む夕日が、異なる間隔で並ぶ影を、ぼんやりと道路に映し出してた。

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