第12話 【2052_1021】橋の幽霊
「ごめんください~……。ちょっとお話を伺いたいのですが」
まだ陽が当たり切っていない、薄暗い峠道を抜けると、ようやく目的地の集落に辿り着いた。
この辺りはトタン屋根を構えた家が多く、ガスメーターや室外機もある。奥村の自宅のような古い住まいではなさそうだ。
不用心と思いつつも、開きっぱなしの玄関から、最初の家を覗き込んでみたが、家主の声は帰ってこない。
「……玄関は開いているのに、返事はないのか」
まるで人の気配がなかった。
山野が諦めて次の家に向かおうと振り返ると、そこには、手拭いを頭に巻いた1人の老婆が立っていた。曲がった腰に手を当てて、泥だらけの長靴のまま、こちらを見ている。
――いつ出てきたんだ!
「わけぇし(若い人)がなんの用だ」
「あ、えっと……? 私、この市の博物館で働いてる学芸員の佐々木さんについて、お話を伺いたくて……。あと『メモリア』の制作依頼を受けていて、奥村さんという方についても」
音もなく現れる体術にも驚いたが、老婆の言葉には方言が混じっていて、山野にはよくわからない。
あたふたしながら駆け足で説明してみたが、山野の頑張りも虚しく、老婆は横を通り過ぎていく。
「えら(たくさん)、そんなこと言われてもわかんねえなあ。佐々木ってわけぇし(若い人)なら、たまに車で来て、よくわかんねえ紙、早口で読むんだ。やな(嫌な)やつだよ」
そう言うと、老婆は玄関を上がって、中へ消えていった。その後、台所用品を「がちゃがちゃ」と片付けるような音が聞こえてくる。
せっかく話を聞けたと思ったが、これ以上はさすがにいられない。軽くお辞儀をしてから、また次の家を目指すべく、山野は玄関を出ていった。
* * *
太陽が昇ってきたのか、山影に隠れていた集落が、明るく照らされる。
ここに来てからだいぶ時間が経ってきたが、山野の健闘むなしく、どこの住人も佐々木と奥村の関係については、話してくれなかった。
見ず知らずの人間だし、交渉術が上手くないのもわかっている。
けれども、佐々木については最初のお婆さんが話しただけで、あとは誰一人知らなそかった。名前を出しても、全くピンと来ていなかった。
一方、奥村については誰一人、悪く言わない。
風雨の日でも家に来てくれて助かった、取ってきた山菜やきのこを分けてくれる、年中行事にも積極的に参加してくれたなど、感謝の言葉ばかり出てくる。
それでも山野が本当に聞きたかったこと、あの二人の間に何があったかは、誰も教えてくれなかった。
「……仕方ない、ここまでか」
ここから静間の所へ戻る時間を考えると、そろそろ出発しておきたいし、もうこの辺りでは聞ける人もいなそうだ。
山野は、最後にもう1度集落を振り返ると、来た道を帰っていった。
* * *
そろそろ、最初のバス停まで半分くらいの位置だろうか。少し先に休憩所が見えてくる。
山野は、ベンチに腰を下ろすと、大きく深呼吸をして身体を休めた。
どうやら、ここは総合休憩所のようだ。歩いてきた道の他、いくつもの峠道がここで交差していた。すぐ近くに地図を兼ねた案内看板もある。
「ふう~……まだ全然、山の中だなあ。……近くから川のせせらぎが聞こえる……。確か佐々木さんも、この辺りは川の源流があるって言ったっけ」
案内看板を見ると、周囲の地理が書いてあった。さっきまでいた集落を抜けると、今度は隣県に出るようだ。そこまで行くと、近くを流れる川の源流に辿り着く。
そして現在地からは、廃鉱となった銅山や天然の鍾乳洞にアクセスできるようだ。
少し興味が湧いてきた山野は、川の音が聞こえる方に歩いて、辺りを伺ってみる。
すぐ下を、砂利が広がる川岸が見えた。少し崩れて自然の通り道になっている坂を下っていくと、山野の目の前には、むき出しになった崖が広がっていた。
どうやら、こちらは渓谷になっているようだ。
「……冷たくて気持ちいいなあ」
汗で火照った身体を冷やしながら、山野は切り立った崖を眺める。
目を凝らしていくと、場所ごとに岩の色や形が異なり、複雑なグラデーションを表しているのがわかった。
それに、少し高いところに橋が吊るされている。あそこから、案内看板にあった鉱山に行けるのだろうか。
「……ん、誰か渡ってるのかな……。登山の人?」
無意識に見ていた山野の目に、いくつか人影が橋を渡る光景が映る。
表情は確認できないが、作業服を来た4、5人の男性が荷を運ぶのが見えた。よほど多くの荷物なのだろうか。数人がかりで支える荷が動く度に、橋がたゆむのがわかった。
心配そうに山野が見守っていると、その後ろから、新しい人影が続く。
今度は、女性のようだった。
足取りは危うく、生気がないようにもつれている。ここからでもわかる長い白髪は、所々黒や緑に変色して、つやがなく乱れていた。異様な雰囲気の人物に、山野は思わず目をこすって、二度見してしまった。
もう一度見直すと、突然、影はピタッと立ち止まって、こちらを振り向いてくる。
そして、明らかに山野を認識したように、真っ直ぐ視線を降り注いだ。
――ウッ!
その瞬間、山野の背筋にキンッと寒いものが走る。
直接言葉をかけられたわけでもない、視線を合わせたわけでもない。身体が動かず、そのまますくんでしまった。
とてつもない不快感とおぞましい冷気が、身体を巡ってきている……とにかくすごく嫌だ。
苦痛に悶えた山野は、思わずギュッと目をつぶり痛みにこらえてしまう。
なるべく息を整えてから、今度はあの正体を捉えようと、薄目を開ける……。
しかし、橋の上には何もいなかった。
荷を運んでいた男性の姿もないし、橋もずっとそうだったように、全く揺れてないい。向こう側には、快晴の青空が広がる。
山野の身体を覆っていた不快感は、もうすっかり消えていた。だが、今度は全身の血の気が引くのを感じる。
「私……見ちゃったんだ……。絶対あれ、幽霊だ……」
この世のものではないものとの初めての邂逅に、山野は
全力疾走で休憩所に駆けていく。
そして、早くこの事態から逃れたい一心で、悪路を物ともせず、山道を降りていった。
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