第10話 【2052_1018】想いの重さ
山野は興奮冷めやらぬまま、リビングのソファに、怪訝な顔をして腰掛けていた。
その向かいに、
白のスタンドカラーシャツとパンツに、オリーブ色のガウンを羽織って、取り急ぎ来客用の外見に切り替わっていた。
しかし、その瞳に山野は映っていないようで、視線は無気力に宙を追っている。ソファに頬杖をついて、まさに「心ここにあらず」だった。
しばらく様子を見ていたが、全く何も起きない。山野は、話を切り出した。
「あの……すいません、先程は大変お騒がせしまして……」
「……」
「実は『メモリア』制作依頼の件で、ご相談させていただきたく、九重茂さんからこちらを紹介されてやってき……」
「断る。静間優樹は、いま家を留守にしている。彼に御用の方は、
か細い声で、やっと言葉を絞り出したかと思うと、すぐに静間は黙り込む。サクヤと名前を呼ばれた「サポート・ドール」が、こちらに軽く礼をするのが見えた。
「サポート・ドール」と言えば、今や様々なシーンで利用されている人型ロボットのことだ。一般的な家事や飲食店の受付、事務手続きや清掃作業など、人間に代わって、労働をこなせるように作られている。
「令和島」でも多くの「サポート・ドール」が従事しているが、頭部や手腕部に、パーツ同士の特徴的な合わせ目が入る。しかし、サクヤさんには傷一つついていない、本当に人肌のようだ。
それに、人命救助の際に人間かどうか見分けがつかなくなるため、ここまで精巧な外見にすることは、法律で禁止されていたはずだ。
そして、サクヤさんの振る舞い方。
私がなかなか玄関に入らなかった時、部屋に案内してくれた時、静間さんを止めに来た時……。その場の状況に合わせて、不快感のないよう的確に反応できているのは、予め用意されたデータでは対応できないはずだ。
「サポートドール」の思考・行動は、一般的には
そこには、行動制御判断や各種思考ルーチンが組まれており、簡単な日常生活程度なら、これだけで賄える。
一部ハイエンドモデルや専門職用サポートドールになると、各製造会社が運営する、サーバー上のマザーAIとリンクし、オンラインで個体ごとに相互リンクしたり、緊急時の強制シャットダウンも可能だと聞くが、それもわずかな事例だ。
しかし、目の前の「サポート・ドール」は、どれも一般向け性能を遥かに超えているように思える。とても一個人では揃えられるはずもない……。
(全て静間さんがデザインしたものなのだろうか)
そんな静間は、目の前でぶすっと腐っている。こんな男でも、先端技術に通じているのか、少し不安になってきた……。
駄々をこねた子どものような抵抗を無視して、山野は話を続ける。
「87歳の高齢者への『メモリア』保存作業が必要なんです。ですが、本人の了承が得れず、また大量の『メモリア』使用が予測されるため、何か効果……」
「あるの、それで?」
「……何がですか?」
「私が保存できない記憶はない。何百年前の記憶でも1日でメモリアにしてやる。無論それ相応の報酬をもらう。でもなあ……いきなり茂が寄越した素人ちんちくりんのおかげで、私は貴重な余暇を失ってしまった。私だけならまだいい、何もせず帰してしまったあの子。今日は寂しく一人枕を濡らすのであろう、可哀想なことをした。あーあ、どうすんだぁ」
わざとらしく泣き真似をしながら、一気に山野を責める。さっきまでセミの抜け殻みたいに空っぽだったのに、人の悪口を言い始めた途端どんどん活気づいて饒舌になってきていた。
静間の皮肉めいた言葉と容姿をバカにされて、さすがの山野も思わずムッとしてしまう。
言い返したいところだが、勝手に家の中を歩き回った結果、こうなっているのも事実だ。
山野は、一言お詫びを入れて、依頼を続けた。
「それは……すいませんでした。報酬金でしたら、茂さんから、ある程度は会社で補助できると聞いております」
「うちは高いぞお~。それと、これもいただいている」
静間は、自分のこめかみを「トントン」と、指で示す。
「んん?」
山野には、そのジェスチャーが一体何を指しているか、わからなかった。目を細めて睨む山野だったが、静間は呆れたように、肩をすくめていた。
「昨日からのお前の記憶、10年分。それが着手料だ。依頼完了後に、改めて報酬金もいただく」
「私の記憶!? 渡せるわけないじゃないですか! プライバシーの侵害です!」
「できないなら帰れ。うちに頼むというのは、そういうことだ」
「……渡したら協力していただけるんですか? 私の依頼に」
「私は絶対に失敗しない。誰よりも正確で、迅速だ」
正直、山野は迷っていた。
この男の素行は全くもって認められないが、九重さんが推薦した人でもある。そして、あの部屋にあった機材も、会社で使用しているものと同じ。全て本物だ。
サクヤさんを見ても、先端技術に関しては、かなりの精鋭に思えた。「バーン・アウト」を日常的に楽しんでいるような素振りからも、遥かに優秀なのはわかる。
……が!!
「……まあ、ただの素人の記憶だが、見たところ20そこそこだし、10年分もあれば甘い学生性活の過ちがいくつか掘り出せるだろう」
「あ、ありません!そんなの! 私は至って誠実な大学生活を送ってました」
何言ってるのこの人は!
妙なことを言われた恥ずかしさも相まって、山野はカァーッと熱くなって、否定してしまう。
それを見て気をよくした静間は、今度は薄ら笑いを浮かべながら、卑猥なジェスチャーをして、山野を追い込んできた。
「君は、今も自分1人でシてるんだろう?」
「してませんし、そんなの知りません!」
「1人でシてないってことは、誰かと一緒にシてるのか。それに、昔は1人でシてたことを認める発言とも解釈できる」
「……ッ! 二度と来るかこんなとこぉ!!」
山野は乱暴に言い捨てると、持ってきた鞄を抱えてから、逃げるように部屋を走り抜けた。一瞬、去り際に振り返ってみたが、後ろでは静間が、クスクスと楽しそうに笑っている。
そこからは、全速力で家を飛び出して、門の前まで戻ってきた。
家の中からは、誰も追って来ない。山野は、この家に取り付く悪霊を呪うかのように、精一杯の怒りを込めて叫ぶ。
「本当に最底だ!あの男!」
* * *
《……今年で事件発生から2年が経つ「ココノエ社長誘拐事件」ですが、現在まで犯人の詳細な手口はわかっておりません。犯人が要求した、約10,000の未使用メモリアは、今も見つかっておらず、現在は『令和島』で違法メモリアとして、出回っているとの見方もあり……》
静間は、リビングの壁に付けられたディスプレイでニュース番組を見ながら、サクヤの作った朝食を食べていた。
隣で、給仕のように佇むサクヤを見上げると、にっこりと笑いかける。
「今日も美味しくいただきました。……食後はコーヒーを頼む」
「かしこまりました。ただいま用意致します」
サクヤがキッチンへ向かおうとすると、部屋の中に呼び鈴が鳴る。静間に一言断りを入れてから、インターホンを確認すると、そこには先日の来客が立っていた。
* * *
――ドンッ!
「なんだ、これは」
家に上がってから早々、山野はテーブルにアタッシュケースを広げた。そこには、1枚のメモリアが納まっている。
「ご要望通り、『2042年10月18日0時』から『2052年10月18日0時』までの10年間、私の記憶を保存したメモリアです。これで、依頼を受けていただけますね?」
「……よく茂が許したな」
「会社には、黙って来ました」
「後で、責任をなすりつけられても困る。……これは、君の捨て身の作戦なのか?」
目の前に立っている山野に、静間は冷ややかな視線を送る。
けれども、彼女は少しも動じない。先日の1件が、まるで嘘のように、今日は
「佐々木さんと奥村さんの間には、きっと言葉では伝えられなかった想いがあるはずです。想いを伝えると約束した私が、その重さに見合うよう考えた結果です。それと不服ですが、あなたであれば、この依頼の達成も可能と判断しました。残念ですが、いまの私が取れる、最良の手段です」
「……」
「それに、報酬金についても、依頼人と交渉しました。今年度は、博物館に充てられている予算も潤沢で、通常の5倍の額をいただけるそうです。あなたの欲しがるものは、全部用意しましたよ」
静間はテーブルに着いたまま、山野の表情を伺う。揺らぎない、実直な瞳でこちらを見返している。言葉通り、全てを諦めた無謀な賭けには思えなかった。
「バカもここまで来ると大概だな……」
静間は、そっけなく言い捨てると、ゆっくり椅子を引いてから、2階に続く階段を上がっていく。後を追おうとする山野だったが、彼がそれを遮った。
「今日はもう帰れ、我々には必要な準備がある。次の月曜午前7時。そこの鳥居の前に来い。それから、その依頼概要とお前が集めた調査資料は置いていけ」
「……わかりました! ありがとうございます」
一気に、山野の表情が輝く。
そのまま深々とお辞儀をすると、廊下のサクヤにも一礼してから、玄関へと向かって行った。
その様子を見ていたサクヤも、応えるように礼をする。そして、両手のカップを1つだけ棚に戻してから、再びキッチンへと戻っていった。
「おい、待て! それと……お前が言っていたやつだが」
駆けていく山野の頭上から、静間が乱暴に呼び止める。
「……まだなにかあるんですか?」
「『メモリア・デザイナー』が、他人の想いなどのために働くな!」
「静間さんには関係ありません!」
山野は静間に向かって、口を大きくイーッと開き、子どもっぽく反抗した。「だからお前はちんちくりんなんだ」と、呆れたように悪態をついた静間だったが、もうそこには彼女の姿はなかった。
「茂も、妙なのを寄越したな」
そうぼやくと、静間は2階の部屋へと消えていった。
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