第9話 【2052_1018】静間優樹の欲望
細く入り組んだ路地を曲がると、広がった参道に出た。目印となる大きな神社の鳥居は、あそこに見える。
教えてもらった住所を地図で調べながら、山野は、ずいずいと裏道を進んでいく。
この辺りは、商店か気配のない古民家しかなく、人が住んでいるようなところは、見当たらない。何度もこの辺りを行き来してみたが、目的地は地図上では目の前にあるように見える。
(一体どこにそんなところがあるのだろうか……)
うんうん唸りながら、山野は一軒の古い邸宅を通り過ぎた。でも、さっきもこの場所で同じ確認をしたばかりだ。
「……もしかして、ここ?」
年季の入った門扉を構えているが、そこに表札はない。白い石造りの外壁にはツタが絡みついているし、ここから見える庭の植木も伸び放題で、まるで生活感がない。
それでも、山野は自分の感覚を信じて、恐る恐るインターホンの呼び鈴を鳴らした。
「……」
返事はない。やはり家を間違ったのだろうか。
不安そうに辺りを眺めながら、どうしようか思案していると、インターホンから声が返ってきた。
「……はい、どちら様でしょうか」
スピーカー越しだが、透き通った女性の声だった。
てっきり男の人が出てくるものと身構えていた山野は、一瞬遅れてしまうが、慌てて返事をする。
「あっ、えっと……急な訪問で失礼します。私、
「はい、お待ちしておりました。いま門を開きますので、どうぞ玄関までお越しください」
山野が名乗る前に、重厚な門が金属音を立てて開く。
自分の来訪が既に伝わっているのだろうか。もしかしたら、九重さんがあらかじめ連絡しておいてくれたのかもしれない。話が通っているのならば、そこまで緊張することはなさそうだ。
山野は、地面に敷かれた砂利道を進みながら、玄関へ向かった。
通りからは見えなかったが、徐々に邸宅の外観が、鮮明になってきた。白い木造階建てに、今どき珍しい屋根瓦だろうか。昔、何かで見かけた田舎の診療所のようにも見える。
玄関口の引き戸まで来ると、家の奥から足音が聞こえてくる。声の主と思わしき人物が、ゆっくり戸を開けて迎えてくれた。
「お越しいただきありがとうございます。静間様は中でお待ちです」
「……あ、はい! ありがとうございます」
――……綺麗な人だなあ
現れた女性のあまりの美しさに、山野はつい言葉を失ってしまった。
恐らく山野と同じくらいか、少し年下くらいだろう。
肩にふわりとかかる、ミディアムストレートの髪は、色素を失ったように白く染め
られ、毛先に向かって鮮やかな黒が強まっていく。
そして、薄氷のような、繊細なブルーをしている瞳が、優しくこちらを見つめている。どこか幼さがありつつも、奥から光が返って来ていないような、不思議な
服装も独特で神秘的だった。
エナメルのような、独特の光沢を見せるエメラルドグリーンのワンピースに、オーバーシルエットデザインの、白いコートを羽織っている。白衣のようだが、袖口や襟には、黒色のバンドや意匠的なネオンカラーが差し込まれていて、とても既製品には見えない。
なんというか、顔や身に着けているものの造形が、すべて良いのだ。
ため息がでるほど、外見偏差値が高すぎて、ずっと見ていられそうである。
山野が、挨拶も半端なまま見つめてくるのを不審に思ったのか、女性が声を掛けて中へ誘ってくれた。
「……どうかなさいましたか? さあどうぞ、お入りください。お荷物をお持ちいたします」
「……! すいません、失礼します」
玄関を上がると、中はダークブラウンを基調としたレイアウトに、上品な調度品が揃えられ、落ち着いた雰囲気だった。心霊屋敷みたいな外見とは程遠い。
女性は、リビングと応接間を兼ねたような、広い部屋へ案内してくれると、静かに一礼してから待つように告げた。
「静間様の支度が終わりましたら、お声がけさせていただきます。しばらくこちらでお休みになってお待ちください」
そう言うと、彼女は茶と菓子を勧めてくれる。高級そうな革張りのソファで、固くなっている山野が、ぎこちないお辞儀をすると、女性は部屋から去っていた。
足音が消えるのを待ってから、ゆっくり部屋を見渡す。
部屋からは大きなガラスを隔てて庭園が見える。
しかし、置かれている灯篭や岩は黒く変色していて、それが苔なのか汚れなのかはっきりしなかった。かつて日差しが注がれていただろうに、今は乱雑に生えた木々に覆われて、室内は少し暗い。
一方、この部屋は、綺麗に掃除が行き届いているように見える。座っているソファの張りもしっかりしているし、テーブルには埃一つない。
「なんだか生活しているところだけ掃除してるみたいだ……。九重さんも変な人だって言ってたし、ちょっと浮世離れしてるのかな」
違和感が思わずこぼれる。
確かに、家の外見もそうだけど、他人からはどう見られようとも、気にもしないのだろうか。この場所だけ、別次元で時が進んでいるようだ。
「……まあ話を通してくれてるみたいだし、ひとまずは安心かなぁ。せっかくだし、いただいて待ってますか」
この場の空気に慣れてきた山野は、ようやく目の前のお菓子に手を出す。
これは……好みの味だ。それに、淹れたての紅茶の香りも相性抜群。山野は思わず、うっとりとしてしまう。
すると、不意に背後から何かが動くような気配を感じた。
そういえば、先程からずっと部屋の梁が小刻みに音を立てたり、床から微かな振動も感じてる。今の音で、どこにそれがいるのがわかってきた。
――ガタガタッ、ゴゴッ
物音は激しさを増していく。
山野はその方向を目で追って、現状を認識しようと神経を集中させる。
「……奥の襖からなのかな」
数メートル先に和柄の襖が見える。目を凝らしていると、確かにあの襖もキシキシと音を立てて上下しているのがわかった。
(音は、あの場所からだ)
「だからと言って、初対面の人の家で物音がしたからとウロウロするのは良くないよねえ……」
けれども、一度湧いてきた好奇心は止まらない。山野は、勝手に位置を決めて、そこまで進んでみることにした。
「でも、あそこまで行くのならすぐ戻ってこれそうだよね……ちょっと失礼しま~す……」
ゆっくりと、物音を立てないように立ち上がり、襖へ一歩一歩近づいていく。
それに連れて、振動も強くなっていくのが、足の裏からもわかってきた。
予想通り、あそこが震源地だろう。
……今度は違う音が山野の耳に入ってきた。
ぷつぷつと途切れ途切れではあるが……これは人の声なのかな?
今度は音に集中して、襖を目指す。
もう決めた位置は、遥か後ろに置いてきてしまっていた。
残念ながら、音に夢中になっている山野は、手を伸ばせば襖を開けられるほど、近づいてしまっていることに気づいていない。
何か強い力で、襖の奥に引き付けられているように、まだじりじりと、確実に距離を詰めていく。
いよいよ目と鼻の先まで迫った時、ようやくそれが声だとはっきりわかった。それが何の言葉なのかはわからない。
何か呻くような……呟くような……。
「ウウッ、ウッ……! ハァッハァァ……グッ……」
それは、人が苦痛で悶える声だった。
しかも、かなり息を切らしているようだ。さっきからずっと聞こえてるとなると、長い間苦しんでいるとしか思えない。
あまりのことに山野は一瞬ためらうが、本当にこれはまずい状況だろう!
何よりも先に手が動いて、山野は襖を大きく開けた。
「すいません、失礼します! 大丈夫ですか!?」
「はあっはあっはっ……! うっ! ふぅ……」
そこにはリクライニングチェアの上で、身体が浮き上がるほど激しく痙攣している男の姿があった。頭には
これは……山野にも見覚えのある。
確かこれは会社でも使用しているメモリア再生装置だろう。
だが、そんなことよりも、山野の目には、強烈な光景が映ってしまっていた。その男は、悲しいことに全裸だった。
「……!!? いやぁああああ!!!」
山野の絶叫が家中を駆け巡る。
それに気づいた男は、ハッと大きく声を上げると、寝そべったまま、部屋中を見渡すような素振りをした。
「えっサクヤ!? 火事なの!?」
そのまま男は立ち上がってHMDを脱ぎ捨てる。まだ若々しいが少し瘦せて色白な肉体を山野の前に晒しながら。
声にならない叫びをあげて、完全に静止している山野を見つけると、男は一人で納得したように、安堵の声を漏らす。
「なんだあ、君か。ごめん。待たせてしまっていたね。ちょうど前の女性の記憶が終わったところだったよ、やはり
この男が言っているのは、恐らく身体器機や感情への適応調整をしていない、本当に生の記憶を、そのまま流し込む「メモリア」再生方法のことだろう。今の山野でも、そこまでは理解できた。
しかし、そんなことはどこも許可していない。
あまりに脳内へ多大な影響を及ぼして、自己記憶の喪失、多重記憶化を引き起こしてしまうからだ。それは「記憶の自殺行為」に過ぎない。そして、ここまではわかる。
(一体、私の前で何が起きてるの……)
ただただ呆然とする山野。
一方、威勢よくノってこない彼女を見て、男は手を叩きながら、まくし立てる。
「さぁさぁ! 早く君の記憶を交換させてくれ! んん~、まだ慣れてなさそうけど、素人さんなのかな?」
「……ええっ!? 何言ってるんですか! 違います違います、よくわかりませんけど、全部違います! 早く服を着てください!」
すると、騒ぎに気づいたのか、別の襖から案内してくれた女性が顔を出す。
この絶望的な状況に救いを求めるべく、山野は必死に身体を動かして、彼女の後ろへ回った。乱された息を整えて、泣きそうになるのを抑えながら、大きく叫ぶ。
「助けてください! この人、変なんです!」
「静間様、大変申し訳ございません。どうやらそちらは、派遣元から来た方ではないようです。今しがた、『本物の方』がいらっしゃいました」
「あれ、そうなの……じゃあ、君だれ? ちょっと貧相だけど未成年じゃないよね? それ系列の店は……」
ぶつぶつと呟きながら、男は隠れている山野を覗き込むべく、にじり寄ってくる。だが、まだ全裸だ。
男の影が、るぬると近づいてくるのを感じた山野は、そのまま女性の背を盾にして、必死に抵抗する。瞬間、どこかで聞き覚えの名前が出てきたのに気づいた。
(ん……? 静間様・・・?)
「あ、あなたが静間優樹なんですか!」
「あぁ!そうだ!」
向こう側から、男が景気良さそうに答える。
(こ、こいつか!!)
そして、山野は再びこの家中に広がるくらいの声で、渾身の願いを彼に向かって叫んでいた。
「いいから服を着てください! そして、その後に話を聞いてください! 私は『ココノエ・エンターテインメント』から来た『メモリア・デザイナー』の、山野芽衣です!」
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