第8話 【2052_1018】九重茂の願い

 乾いたビル風が屋上庭園の草花を揺らす。


 他の社員たちが、芝生ゾーンで朝の体操をするのが見えた。皆、暑さを注がれた身体に風を浴びて心地良さそうだ。


 しかし、今の山野には頬に当たる涼風もぬるく感じられた。


 東京方面を一望できるいつものベンチに座わりながら、山野は足元から伸びる高速道路トンネル「オロチリンクス」の胴体をぼんやりと目でなぞる。


 両脇に咲く大輪のダリアが再び揺れる。この間はアサガオの鉢植えが待っていてくれた。


 入社してから6か月。

 行き詰った時……一人で喜びを噛みしめたい時……なんだか気分が乗らない時……。この屋上庭園に来ることにしていた。


 東京湾や遠くに見える都市、遥か高い所を飛んでいる旅客機。あそこにいる人たちはどんなことをしてるんだろうか。

 そんなことを空想していると、何故だか自分の気持ちもリセットされるようだ。



「スゥー……ハァー……」



 いつものように大きく深呼吸していると、ふつふつと沸いていた不満も熱を収めてくれる。


 

「さて!」

 


 景気づけに膝を大きく打って、山野は立ち上がる。


 大岩からの指摘にあれこれ言い訳を考えるのは、もうやめだ。山野は、焦げた心の神経回路を一気に取り替える。



「……とは言ったものの、まずどこから当たるべきか。このまま手ぶらで佐々木さんのところに行っても状況は変わらないだろうし」



 佐々木と奥村の関係修復も課題ではあるが、今は60年分のメモリアを効率的に保存し編集する手段を考えなくてはいけない。


「ペルセフォネ」に尋ねれば、過去事例からの学習経験を基に、最適解を出してくれる気もするが、そもそも秘匿されている依頼があるのだ。

 提案してくる対処法にそれらが考慮されているか、正直判断に困る。


 やはりあの"S"依頼には、山野が必要な何かがある気がしてならない。



「グループチーフ以上の申請が必要……だけどセクションは不問だよね。そしたら第1セクションの人じゃなくてもいいわけか」



 「ココノエ・エンターテインメント開発部」は、5つのセクションから構成されている。


 娯楽向けメモリアを担当する精鋭チーム「第1セクション」、同じく娯楽用メモリアを大規模チームで開発する「第2セクション」、教育・医療など公的機関への提供を行う「第3セクション」、販売後のメモリア修繕・メンテナンス運用担当の「第4セクション」……。

 そして、先端技術研究・実験開発部門の「第5セクション」。


 これらのグループチーフ以上の人間が、1人でも申請許可をくれれば良いわけだ。


 社内研修時に各セクションで短期間の実務研修を受けていたため、山野にはなんとなく各責任者の顔がパッと浮かぶ。

 


「そうだなあ……第2の香西こうざいさんなら聞いてくれそうな気がするし、あとは大学での活用事例を話してくれた第3の阿久津あくつさんとかでも……」


「もしくは、開発部長の私でも良い気がしますね」


「あぁ~開発部長かぁ。でもちょっとトップはいきなり……ってえぇええ!? 九重ここのえさん、いつからいたんですか!」


「多分ここではないかなと思って、今しがた来たばかりです。驚かせてしまって、ごめんなさいね」



 忽然と山野の隣に現れた優男は、申し訳なさそうに苦笑いをして頭を掻く。


 ネイビーブルーのジャケットにすらりとした体躯を包んだ彼こそ、この会社社長の息子であり、開発部長を務める九重茂ここのえしげるだった。

 社内研修最終日の全体反省会と、その後の祝賀会で少し話したことがあったが、山野は突然の重役登場にとまどいを隠せない。


 だが、この人からは大岩のような威圧感や自分を蔑むような態度は感じたことはないし、どんな場所でも常に穏やかで余裕があるように見えた。

 まだ30代と聞いているが、こうして隣にいられても不快感はなかったし、ここまで人間ができているのは尊敬に値する。


 ……だからと言っても、いきなり隣に来るのはどうなんだろう。


 バクバクと上がった鼓動を落ち着かせながら、山野はゆっくりと言葉を選んで九重に質問する。 



「えっと……九重さんは私を探してたんですか? 私の方からお呼び立てした憶えはなかったのですが……」


「僕もよくここに来るんですよ。特に今の時期はダリアが好きでして……っと用件にいきましょうか」



 軽い話の枕を挟んでから、九重は山野に向き合って本題へと入る。



「あなたが一昨日申請をした赤金市の件。あれはどこが対応するべきか悩んでましてね。本来、ああいった依頼は第3セクションが持つべきところなんですが、今期は固定顧客を抱えていて新規に回しづらったんです。そんな時に山野さんがあの依頼を受けてたのがわかりまして、どうしても一言お礼を言いたかったんです。ありがとうございます、山野さん」



 ボストンフレームの眼鏡をくいっと直しながら、九重は山野へしっかりと向き合い、一礼して謝辞を述べた。まさか開発部長からお礼を言われるなんて予想していなかった。


 山野は慌てて答える。



「い、いえいえっ! そんな大丈夫ですよ! それにちょっと今その件は……」



 そう切り出すと、山野はここまでの経緯を話した。

 決して短くない時間だったが、九重は彼女を遮ることなく、丁寧に話を聞いてくれた。





 * * *





「なので、S案件のアクセス許可を頂ける人を探してまして……」



 ちらちらと九重の顔色を伺いながら、山野は一縷いちるの望みに賭けてみる。グループチーフなんてもんじゃない。トップの許可が得られるのであれば、お釣りが来るくらいだ。


 だが、当の本人は苦笑いしながら返事をする。



「残念ながら、あの中身は、会社がまだメモリアの初期開発をしていた頃の研究レポートで、実用的なものではないんですよ。アクセスを許しても良いですが、かなり研究向けの内容だし、山野さんが期待しているものはなさそうですね」


「あぁ……なるほど、そうだったんですね……」


「ですが! せっかくこうして相談してくれたんです、僕にできることはさせてもらえればと……」



 そう言うと、九重はゆっくりと立ち上がり、眼下に広がる令和島を見渡しながら、話し始めた。



「山野さん。僕が開発部内のセクションを超えて、自身の裁量で『メモリア』制作を受託できるようにしているのは、なぜだと思いますか?」


「……豊富な業務経験を積んで欲しいからでしょうか。そして、その後の自身の配属先に利益をもたらせるように」


「それも間違いではないです。今のあなたの責務を理解した考えだと思うし、社の方針にも通じると思います。だけど正解は、社員に『メモリア』の存在価値を限定して欲しくないからなんです」


「限定……ですか」


「娯楽向けならば手に取った人が楽しまなければならない、医療・法律関係なら編集せず正確に残すべき、教材使用なら表現倫理規定を十分遵守せよ……。それはどれもでしょう。いつ、どこで、誰が、どんな風に使うかによって『メモリア』は姿を変えていいものだと僕は思います。ですが、1つの形にこだわっては、この新技術の可能性を自ら閉ざしているに等しいのです」


 

 涼やかな屋上で紡がれる九重の言葉には、影を暴く陽光のような暖かさがあった。その熱は、ゆっくりと、じんわりと山野の心へ通っていく。



「そして『メモリア』は、『人の想いを注ぐ器』と定義できるんじゃないかと考えています。器の形は変われど、そこに注がれるのはいつでも人の想いです。すべての『メモリア』は誰かの記憶から生まれ、次の誰かへと引き継がれていき、新たな記憶となって生き続ける。記録映像のような見た目だけの事実ではなく、そこには必ず感情や思考も伴いますよね? それは、蔑ろにするにはあまりに重すぎるんですよ……」


「人の想い……」


「と、大層なことを話してしまいました。ただ、数少ない『メモリア・デザイナー』として、まず僕の考えは聞いて欲しかったんです」



 この空の下に広がっている「メモリア」を想いながら、九重は矜持を述べた。そして、一息つくと、優しく微笑みながら山野の方を振り向く。


 そこには、両目をキラキラさせ、興奮冷めやらぬ様子で山野が立ち上がっていた。


 わなわなと湧いてくる感情を、心の内にしっかりと抑え込んでいるようだった。その熱を帯びたまま、山野は真っ直ぐに答える。



「ありがとうございます、九重さん! 私、やっぱりこの仕事好きです!」



 そう。そうだった。


 私が初めて『メモリア』に触れた時も、ここに来て初めて『メモリア』を作った時も。ただの映像が頭を流れるのではなく、その人の感情も流れ込んできていた。


 だから私は『メモリア』が好きだし、『メモリア』を通して伝わる人の感情を大事にしたいと思って、ここに来たんだった。

 

 何やら嬉しそうな様子の山野を、九重は何も言わずに見守る。もう、さっき会ったような表情ではない。



「……やはりあなたが引き受けてくれて正解でしたね」



 そう言うと、九重は手首の「フォリウム」を操作する。即座に、山野の手首から着信音が響いた。


 慌ててチェックすると、そこにはある人物のプロフィールデータが届いていた。



「かつて、あなたと同じような依頼を担当していた人物です。ある理由でここを去ってからは、個人的な依頼しか受けていませんが、山野さんの力になってくれると思います。僕の名前を出せば、会ってくれるでしょう」


「えっと、この方が……ですか」


「ええ、でも少し覚悟しておいてくださいね。彼はこの世界で最高のメモリア・デザイナーでもあり、この世界で最低の人間……」



静間優樹しずまゆうき

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