第3章 はじまりのメモリア編

第32話 【2044_xxxx】次世代記憶保存デバイス技術研究組合

「静間くん、ちょっといいかな」



 研究室のデスクで実験レポートをまとめているところに、牧元まきもとさんがやって来た。いつもの温和な表情で、黒縁メガネの奥が光っている。


 だいたいこういう時は、誰かが投げ出した研究依頼の引継ぎ依頼だろう。そして、それを俺が断らず、むしろ楽しんで進めるとわかっている。こういう所がこの人の憎めないとこでもあり、気に入ってはいるが……。


 いつも何かの途中に差し込んでくるのは、やめて欲しい。



「はい、なんでしょう」



 書く手を止めて向き直ると、1枚のプリントアウトされた紙を手渡してきた。そこには「次世代記憶保存デバイス技術研究組合Collaborative Innovation Partnershipの発足」と書かれている。

 大塚おおつか……守屋もりや……経済産業省のお偉いさんの連名も見えた。



「来月から、うちと『竹村コントラクター』の事業部で、一緒に記憶保存の共同研究組合を発足することになってね。何人かそっち方面で詳しい人を送って欲しいんだって」


「わざわざ厚生省預かりのうちにまで持ってくるなんて、よっぽど成功させたいんですかね。それに、新規研究だったら牧元さんが行かれたらどうですか?」


「ふふふ。こういうのはね、楽しいよ静間くん。それに、お偉いさんから『骨太を頼む』と言われてるしね」



 思わず「なるほど」と笑ってしまった。なかなか俺の手懐け方を心得てくれている。全く頭が上がらない。

 牧元さんはそれだけ聞くと、安心した様子で、腰に手を組みながら歩いていった。





 * * *

 




 (わざわざ寒い朝から和光まで来て、これか。随分と無駄な時間だな)



 共同研究センターの会議室で、かれこれ1時間はこうしてる。前に座ってだらだらと説明している連中も、果たして内容がわかっているのだろうか。


 ……左端でぶすくってるヒゲオヤジだけは、そうでもなさそうだ。奴の説明にはは、俺と同じがする。恐らく、奴も研究者だろう。

 

 そんなことを考えている中でも、まだ責任者とやらの説明は続いている。



 「……既に『厚生省国立脳科学研究センター』の静間主任率いる記憶神経研究チームが発表した『嫌悪的経験が保存シナプス信号へと変換される脳内メカニズム』にあるように、部分的に保存されていたと思われていた記憶以外にも脳内には長期間蓄積された『遠時記憶』が存在することが証明されています。今回、我々はスパコン『天照てんしょう』と先の研究で使用された高度AI『石長いわなが』を使用した次世代外部記憶保存方法の確立、その事業化を目的として発足致します」



 (はい、そうでございやすね)



 長ったらしい説明に、思わずあくびとボヤキが漏れてしまう。


 そろそろ硬い椅子に収まってる腰も痛いし、なにより飽きてきた。足元もそこそこ冷えてきてる。早いところ、集まってる連中と研究棟に逃げ込みたい。前々から気になってた論文執筆者も何人かいるようだし……。

 

 何となく窓際に座っている研究員に目が向く。



 ――随分と素っ気ない女が座ってるもんだ



 艶のない黒髪は伸ばしっぱなし、着てる服も「とりあえず」という感じだ。斜め後ろからでもわかる広い肩幅と、あの背丈からすると、もしかしたら胸と尻はデカいかもしれない……。



「以上で、今回の技研の概要説明を終わります。最後に、研究チーム主任を務める九重天十郎ここのえてんじゅうろうさんから、何かありますか?」


「私からは、ない」



 眉間に皺を寄せたまま、低い声で答える。威圧的で苦手なタイプだ。いつもあのヒゲオヤジは、不機嫌そうな顔で過ごしてるのだろうか。


 責任者が解散を告げると、集まっていた研究員は、バラバラに座席を立っていく。俺も早い所、戻って冷えた身体を暖めるか……。



「あ、あの! 国立脳科学研究センターの静間優樹さん……ですよね?」


「……はい?」



 突然、ビクついた甲高い声で話しかけられる。


 声の方を振り向くと、1人の痩せた研究員が立っていた。細いフレームの眼鏡をかけて、ぎこちない動きで、ズボンに手を擦っている。随分と若いだろうが、いかにも「研究員」って感じだ。


 思わず口を尖らせて、目を細めてしてしまっていた。とりあえず用件を……。



「わ、私、『竹村コントラクター テクノ事業創生本部』から来た九重茂といいます。静間さんの出した『ニューロン細胞運動を人工知能により追跡する記憶保存メカニズムと学習記憶の形成』の論文、ずっと読んでました。本当にすごいです!」


「あぁ、どうも……。竹村さんのとこからだと、他にも何人か来てるんですかね」



 とりあえずそれらしい雑談を振りながら、部屋の外へ出てみる。


 茂とやらは、俺の返答が嬉しかったのか、目を輝かせながら付いてきてくれた。しばれる手を擦ってみるが一向に温まらん、とっとと研究棟へ行かねば。



「ええ。今回は『竹村コントラクター』が賦課金ふかきんを支払っているので、他にも何人か……。さっき前で話してたのは、僕の父で……。それと布瀬ふせさんも一緒に来てます」



 準ゼネコンの割に、張り切って出資してくれてるのが気になる。きちんと最後まで、付き合ってくれればいいが。


 しかし、「布瀬」という名は聞き覚えがない。



「布瀬……? すいません、存じ上げない方ですね。何か過去論文など出していました?」


「ああ、いいえ。あの人はなんというか研究だけが好きで生きてるような人で……」



 「なるほど」と、適当な相槌を打つ。それはそれで、おもしろそうな奴だ。ふと、さっき窓際にいた女のことが頭に浮かんできた。大した期待もしてないが、聞くだけ聞いておくか……。



「布瀬さんって方は、さっきいた女性の方ですか? 髪の長い……」


「はい。ちょっと背の高くて、いつも眠そうな感じの人です。研究となると、それこそずっと帰らないでやってます」


「あぁ~……やっぱりそういう方……」



 案の定……というよりも、少しだけ興味が出てきた。うちの研究所にも似たような奴はいたが、後で軽く挨拶だけしておくか。


 牧元さんが言っていた通り、しばらくは楽しくやれる気がしてきた。

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