第23話 【2052_1106】廃寺の影

 夜の帳が下りた「令和島れいわじま」を、氷雨ひさめが濡らす。ただ地面を叩く雫の音色が、山門に響いていた。


 かつて朱に染まっていたこの門も、その色を濁らせ、獣の爪痕のような傷が柱に刻まれている。それを隠すように、薄く汚れた梵字ぼんじの札が乱雑に貼ってあった。


 島内南部の丘陵を切り出した居住区域でも、ここは頂上に近い。

 山門から伸びる長い石段は、両側に大小様々な地蔵が鎮座している。形が崩れたり、白く汚れに寄生された物も見えた。


 そこを上る、いくつかの人影がいた。


 継ぎ接ぎだらけの布切れをまとい、ようやくここまでたどり着いたようだ。みな虚ろな目をして、そぞろに足を動かしていく。

 

 どうにか石段を上って中門を抜けると、砂利が敷かれた広場に出た。休む間もなく、真っ直ぐ伸びる石畳を進む。


 その終着には、本殿と思われる建物があった。


 屋根瓦は剥がれ落ち、棟は無惨にも崩れて半壊に近しい。とても風雨を凌げるとは思えなかったが、扉の向こうにはぼうっと灯る明かりが見えた。その中を蠢く、数々の人の気配。



 ――ギィィィィィ……



 外にいた1人が、冷え切った手で扉を押す。


 湿った木の、鈍く擦れる音が暗闇に響くと、松明の光が彼らに降り注いだ。


 本殿は、彼らと同じような身なりの者で溢れていた。板張りの床に土足のまま、祭壇を拝んでいる。深々と正座し、許しを乞うよう頭を擦り付けている者もいた。火に照らされる顔には心からの敬いや尊び、安堵さえ浮かんでいる。


 祭壇には、1体の仏像があった。


 蓮の台座に座る乳白色の像。子どもを抱え、脇には獅子の頭部と思われる像を置いている。それは「慈母観音」だった。人々の揺らめく影が伸びる顔には、暖かな眼差しと慈悲の念が彫られていた。


 像の周りは綺羅びやかに装飾された祭壇と新鮮な果実、そして鏡像のように全く同じ外見の女性が2人。頭を向かい合わせにして、壇上に横たわっていた。


 1人は若い女性、対するもう1人は彼女と全く同じ顔つきだが、湯帷子のような白い着物に包まれている。だが、その顔や腕には継ぎ目のような線が滲んで、裾から覗く足元には機械部品が確認できた。



 「人の魂は肉体には宿らず。歩みし過去が我らの証。我らの魂は記憶にあり……」



 彼女らを前に、1人の男が何か呪文のようにつぶやいてる。長いローブの下の口元は動き続け、書を持つ左手には切り傷がいくつも刻まれていた。


 男はしばらく続けていたが、ぱたりと書を閉じると下の人々を振り返る。それに気づいた彼らの祈りが止まると、被っていたフードを外し、高い本堂にも通るような威勢の良い声を張り上げた。



「この島で虐げられた魂! それを救済する術は、ただ1つ! 与えられた肉体を捨て、我ら人智が生み出した不死の体へ転生することで、ここにいる者は解放される! いまこそ求めよ、記憶を!」


「あああ……、慈母さま……!」



 男の鼓舞に、集まった者たちが次々と感嘆の声を上げる。


 中には嗚咽を漏らす者もいた。その様子を、男は歪んだ笑顔で眺めている。彼らの崇拝を喜んでいるというよりも、彼らの心の呪縛を握りしめた快感に震えているようだ。


 男はちらりと祭壇の後ろに視線を送ると、待機していた従者に顎で合図する。すると、1つの影が祭壇へ現れた。


 着込んでいる柘榴色ざくろいろのローブを力なく引きずり、横たわっていた女性たちに近寄る。彼女らの頭部に両手をゆっくりと当てるが、その指に肉感はなく、細いしわが見える。暗がりで見えないが、フードからは灰色の髪が覗いていた。


 その様子を、人々が狂信的に崇め始める。



「おおおお! 慈母さま!!」


「我らの記憶も、どうぞ救ってください!」


「記憶を! どうかこの汚らわしい世の記憶を祓ってください!」


 

 周囲で燃える松明のように、祈りは祭壇を熱狂の渦に巻く。男は満足そうな表情でそれを見てから、彼らの心を更に煽る。



「いま! 慈母の救済がこの者に与えられる! 記憶は移り変わり、転生するのだァ!」


「……うっ、く。……あ、あ、ああ!」



 男の雄叫びと同時に、祭壇の女性がうめき声を上げ始めた。彼女の首が青白く光り輝く。いつの間にか付けられていた、チョーカーのような首輪が光るのを確認すると、手を当てていた人物はさっと身を引いて、後ろへ下がる。


 その直後、横たわっていたもう1人の体が大きく揺れた。機械部が目立つ四肢を大きく反らせて、もがき苦しむように暴れる。だが、周りの者は一切動じない。まるで、見慣れた光景のように、まだ祈り続けていた。



 ……松明が弾ける音が鳴る。一際、強い雨風が本堂の屋根を叩く音が聞こえる。



 さっきまで不規則に揺れていた体は、元のように動かなかった。しばらくその様子を見ていた下段の者たちは、誰も口を開かない。


 次の瞬間。


 機械の女性は手足を動かすと、自らの身体で床に立ち上がった。そして、おぼつかない足取りで辺りを歩み始る。


 しかし、その身体は彼女の意思で動ける領域を超えられなかった。膝の関節はギシギシと悲鳴を上げ、半身のバランスを取るのに精一杯だ。とても満足のいく運動ができる状態ではなかった。


 そして……大きな摩擦音を立てながら、板張りの床に激しく体が落ちた。声にならない苦しみの音を上げながら、人間ではあり得ない方向に歪んだ機械の塊が、ただ冷たく転がる。


 それから、もう金属は動かなかった。


 だがそれでも、下段の人々は目の前の奇跡を称える。拝んでいた手をさらに加速させ、もはや身体の限界を越える勢いで、声の限り叫んでいた。



「おおおおおおおっ!! 転生だ! 転生したんだ!」


「慈母の救済は成功した!!」



 祭壇で冷たく伏せる2人の女性を見下ろすと、男はそのまま本堂の裏口へ向かった。信者たちの声は、まだ大きく聞こえる。



 「……ふん、バカ共がよ」



 まだ外は雨で濡れていた。熱気に当てられた体を冷やすために、しばらく呼吸を整える。


 不意に、その頭上から艶めかしい女の声が聞こえてきた。



 「ヒッヒッヒッ……。獅童しどう、お主もなかなか役者じゃのう」



 その言葉に獅童は苛立ちを覚える。ぴくりと眉が動くよりも先に、屋根の上から1体の女性が降りてきた。


 扇情的な起伏を見せつける紫のボディは、適度に肉抜きされて鋭い金属フレームが目立つ。腰の出力ユニットは、稼働中を示すように煌々と赤く光っていた。右目を隠したショートヘアをさらりとかき上げて、紅を塗ったような赤い唇に舌を這わしている。



「……蛛詠ジュヨン。あんたには単独行動を許してるが、俺の下にいるのを忘れるンじゃねえよ」


「そうじゃったかのう……。まぁわしは、このボディを使えればなんだっていいわい。だが相変わらず、あの布瀬ふせという娘には同情してしまう……。で、ここまで酷い話は聞いたことがない」


「俺たちは利害が一致してるから、ここにいるんだ。余計な詮索はするな」


「……ヒヒッ。それは失礼」



 蛛詠は口だけの謝罪をすると、身体をくねらせて曲線を楽しんでいた。それを見ていた獅童が冷笑する。


 

「気持ちの悪ぃ爺さんだ。海の向こうじゃァ、誰でもそうなのか?」


「この国にだって昔からおったじゃろ。ほれ、『男もすなる日記といふものを』とな……。早く動かさないと、ボディが冷えて仕方ない」


「ケッ……」



 すると、1人の従者がやって来て、ひざまずく。獅童が許可すると、従者は報告を始めた。



「……に載せていたメモリアは、ここに向けて移動開始しました。女の足取りですが、泳がせていたサポート・ドールから見つけました。我々を排除しようとする者たちと共に、こちらへ来ると思われます」


「ご苦労」


「その……布瀬様へは……」


「黙ってろ。俺から通しておく」



 威圧的な声で、獅童は従者を睨みつける。それ以上従者は何も言わず、静かに下がっていった。



「さて……。爺さん、良かったなァ。欲求不満が解消されそうだぜ」



 境内の向こうに広がる夜景を見ながら、上にいるはずの蛛詠に声を向ける。だが返事はない。おおよそ待ちきれずに、もう去っていったのだろう。


 安堵とも取れる乾いた笑いを浮かべると、獅童はぶっきらぼうに言葉を投げ捨てた。



 「こんなところも飽きたし、そろそろ俺も海の向こうとやらを目指してみるかね……」



 深まる闇に抗うように、本殿から溢れる光は燃え続けていった。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る