第4話 【2052_1016】博物館の苦悩

「……これどんどん山奥に入っていくけど、大丈夫なのかな」



 山野が「令和島れいわじま」を出発してから2時間。


 有料特急と私鉄を使って赤金市を目指していたが、私鉄に乗り継いでからは車窓に深い山林が広がる。もう次で何個目のトンネルだろう……。


 昔は父親の運転する車で来ていたので、細かい地形まで憶えていなかった。都内から時間がかかるのは覚悟していたが、まさかこんな山奥とは想像すらしていない。


 それに線路を走る車両も、いまどき珍しい。山野が暮らす令和島内では磁気浮上リニアが敷かれているので、久しぶりにお尻の下に不規則な揺れを感じている。


 スマートフォンも「フォリウム」も圏外。仕事用タブレットで依頼の詳細を見ようにも電波がなければ何もできない。



 「はあ……」



 ガタガタと揺れる2両編成の各駅停車に揺られながら、山野は遠い山々のてっぺんを目で追いかけて、ぼんやりと終点駅を待つしかできなかった。





 * * *





「どうも、遠いところからわざわざ! 山野さんのようなメモリア・デザイナーの方に来ていただけるなんて、本当にありがたいです!」


 あれから30分後。


 赤金市唯一の駅「北武赤金ほくぶあかがね駅」に到着した山野を、依頼者である佐々木が出迎えてくれた。

 恰幅の良い朗らかな男で、丸眼鏡が愛嬌を増している。学術研究と聞いていたので、山野はもう少し硬い人が来るのかと勝手に思っていた。 



「この度はココノエ・エンターテインメントにご依頼いただきありがとうございます。担当の山野です、どうぞよろしくお願いします。……それにしても、ここすごいですねえ」


「そうでしょう? ここ最近でずっと便利になりましたよ~」



 途中から眠ってた山野だったが、駅を降りた途端に思わず心が躍ってしまった。


 改札を降りると、高く吹き抜けた構内に様々な商業店舗が立ち並んでいる。平日と言えどもおいしそうな匂いと活気に満ちていて、多くの観光客で賑わっている様子だ。あんな山奥を進んできたのに、この人混みを見るとまた都内に戻ってきたように錯覚してしまう。


 赤金市は自然環境とアウトドア・アクティビティを売りに観光業へシフトし、市としても気合いを入れて施設改装や広告展開を進めたようだ。確かに山野も令和島内で赤金市の観光PRを見かけたことがある。


 そうして都内からの需要も高まり、ここ数年は観光客が増加。日帰りでも満足度の高い旅行地として注目されているのだった。また、市外には東京湾まで繋がる河川の源流があり、豊かな水資源を使った酒作りも盛んに行われている。食文化の強さも人気の理由とのことだ。

 


「他にも名産品であるイチゴを使ったスイーツやジビエ料理も最近の流行りですね。昔はこんなに市街も充実してなかったので、学芸員のメンバーもおかげで喜んでます。まあ、男性は僕だけなんですが……」


「イチゴの、スイーツ……!」



 そんな赤金市の近況を佐々木の運転する車で聞きながら、2人は市街を抜けていく。しばらく走っていると、さっき電車で通ってきたような山林が広がり始めた。がらりと景色が変わったことに、山野は思わず驚いてしまう。



「この辺りはまだ開発されていないんですねぇ~。まだ昔ながらの家々が残っていて、風情があります」


「ええ。山間部は開発もせず、自然環境をそのまま残すよう景観条例の保護区域に指定してされてますから。ずっとこのままでしょう」


「いいですよねえ、こういうの」


「ええ……。まあ古いだけですよ」



 10分後、山野は佐々木が務める「赤金郷土民俗博物館」へ到着した。


 駐車場や休憩所など一通りの整備は最新式だが、外観は木造瓦葺で昔ながらの趣を再現している。せっかくなので山野は館内を回ってみることにした。


 意外にも中は広く、この地方の生活を復元したジオラマ、開墾で使用された用具、伝統的な祭りの写真と文献、そして熊や狸など自然生物の剥製まであった。

 


「剥製って初めて見ました! 毛の細部や目までしっかり残ってて、生きてるみたいですね」


「今の時代、地方の博物館でここまで揃えられるのはなかなか難しいんですよ。研究資料の燻蒸くんじょう、年中必要な冷暖房などの維持費、文献調査と展示の企画、そして学芸員への給料など……。おかげさまで市政が豊かになったため、こうした文化保護にも力が入るようになりましてね。ちなみに、あの眼は全部義眼なんですよ~」



 佐々木は解説をしながら館内を案内し終えると、職員事務所の応接間へ通してくれた。



「どうぞ、おかけください。ああ、これもどうぞ。ちょっとした名物ですが、お口にあえば」



 お茶を用意してくれた佐々木は、名物の栗饅頭も勧めてくれる。思わぬ長旅で少し小腹が空いていた山野は、一言お礼を言うと早速包みを開けて口にした。


 なるほど、これは確かにうまい。栗そのままの濃い味がしっかり広がっていく……。


 もぐもぐと饅頭をほうばる山野を見ながら、佐々木が今回の経緯を説明してくれた。



「今回お願いしたのは、長らくこの地で研究を続けていた方の記憶を『メモリア』にして、来館者向けに体験できるようにしたいと思っていまして……」


「来館者用の展示として、『メモリア』を使うってことですか?」


「それだけではありません。我々学芸員にとっても、研究成果を『メモリア』として保存できれば、学術資料として利用できると考えています。記憶をそのまま残せれば、情報の正確性や精度も担保できると聞きますし」


「確かに教育現場や企業研修では『メモリア』を使ったカリキュラムの事例もありまして、佐々木さんの望むような使用は可能だと思います。過去、弊社も同様の案件を請け負ったこともありますね」



 山野は、持参したタブレットで大学教材向け『メモリア』の説明を映し出す。それを聞くと、ぱぁっと佐々木の顔が輝いた。



「おお、そうですか! 博物館専門の展示制作会社を尋ねたのですが、『メモリアは専門じゃない』と言われたところだったので、大変ありがたいです。いやあ、のでどうしたものかと思ってましたが……。やはりココノエさんくらいになると、依頼も多くて大変なのですね」


「え、ええ。そうですね。お待たせしており、ご迷惑をおかけしました」



 半年も前の依頼だったのか、これ……?


 昨日、社内の依頼詳細を見た時には、依頼メールの受信日もそこまで昔ではなかったはずだったが……。思わぬ事実に狼狽しそうになった山野だが、どうにか顔には出さずに済んだ。


 とにかく今回の依頼内容ははっきりした。


 既に事例があるのだから、社内で担当したデザイナーにヒアリングすれば制作は進められるだろう。依頼者との顔合わせだけのつもりで来たが、メモリア保存をする対象者が別でいるならば、その方とも会っておいた方が良さそうだ。

 

 山野はタブレットをしまいながら、佐々木に質問する。



「ところで、その研究を続けていた方というのは、こちらの職員でしょうか? もしいらっしゃれば、その方とも顔合わせしておきたいのですが……」


「顔合わせ……ですか」



 途端に佐々木の表情が曇り、俯いてしまう。眼鏡の奥には悲しみが浮かび、まるで嫌なことを思い出しているようでもある。


 何か都合が悪いことを突っ込んでしまっただろうか……山野は心配になってしまった。



「ええっと……、今日はその方はお休みとか」


「いえ。保存して欲しい人は、ここの学芸員ではありません。家庭も顧みず、ひたすらこの土地にすべてを捧げた男なんです」



 似つかわしくない重い調子のまま、佐々木は顔に影を落としながら話を続けた。





 * * *





 その男は、奥村という。


 かつて都内で民俗学専門の教授として勤めていたが、故郷・赤金市の伝承文化の保存に興味が湧き、この地に戻ってきた。


 その後、山間部で生活する高齢者の方々を直接訪ねたり、自身の手で開墾をして昔の生活を再現したり、身を粉にして研究を続けてきた。


 結果、後継者不在で失われるはずだった多くの文化・技術が奥村の手でまとめられ、膨大な文献資料となっている。今日この博物館に残る大部分の展示も、奥村あってのものだった。


 一方であまり家に戻らず、家族関係は険悪らしい。佐々木も研究以外では会話をした記憶も少なく、今回の件で何度かメモリア保存の提案をしたのだが、強く拒絶されてしまったとのことだ。



 「彼の研究成果は、必ず後世にも伝えるべき重要な価値があります。それは研究員だけでなく、この地で暮らす人々にとっても同じだと僕は思っています。でも、それを彼は理解していないんですよ! 自分の研究が盗られるとか、新しい技術だからとか……そう思ってるはずです、彼は古い人間なんです!」



 佐々木は、こらえていた思いを吐き出すように話し終えると、はっと我に返ってから頭を下げた。



 「申し訳ありません……個人的な感情が先行してしまって。今日も顔合わせできれば良かったのですが、もうあれ以来は話もできず」


「いえ、お気になさらないで下さい……」



 彼の勢いにすっかりしなびてしまった山野だったが、今の話にも思う所は色々ある。


 いわゆる職人と呼ばれる、個人の鍛錬がものを言う職業にもメモリアは利用範囲を広げていき、後継者問題解消の糸口となっていた。


 だが、すべての人々が納得して受け入れてはいない。先の話のように技術の盗用を懸念したり、師からの教えを学ぶ中で身に着ける姿勢や心構えが蔑ろにされると、特に高齢者の方から反発が多いのが現実だ。そうしたやり取りを社内で見たことがあるし、奥村の気持ちも幾分かは理解できる気がした。


 ただ、山野にも「メモリア・デザイナー」としての矜持がある。


 確かに「メモリア」を再生すれば個人の記憶を追体験することは可能だ。そして「メモリア」は五感は勿論、その時々の感情も追体験することができる。「メモリア」に残る身体の活動記録は、同時に脳内の感情も呼び覚ます。


 アスリートの「メモリア」を再生すれば、四肢が脈打つ感覚、敗北した時の悲しみや怒り、あるいは極上の達成感を感じることもできる。

 至福の料理を味わう「メモリア」を再生すれば、食感や香り、そして満ち溢れる幸福感を体験でき、それらを自身の記憶に残すことができる。


 そうした感情変化を調整し、使用する人がより良く「メモリア」を体験できるようにするのが「メモリア・デザイナー」だ。


 まだまだ普及率も高くないし、先端技術ゆえに先入観や偏見も多い職種なのはわかっている。だからこそ、せめて自分の周りの人だけでも、本当の「メモリア」を知ってもらいたかった。



 「……私、奥村さんの『メモリア』、必ず作ります。佐々木さんの話を聞いたら、この仕事で大事にしていることを思い出しました」


 「おお、本当ですか! でも上手く彼を説得できるか、僕には自信がありませんけど…」


 「そこは任せてください! この後、奥村さんのところへ行って話を聞いてみます。私と会ってくれるかは難しいかもしれませんが、それでも……」



 山野は一呼吸置いてから、不安そうな顔でこちらを見つめる佐々木に笑顔で答えた。



「それでも、『メモリア』は記憶を伝えるだけでなく、人の想いも伝えられますから。ただ事実を残すだけじゃないんです。それがわかったら、もしかしたら奥村さんも理解を示してくれるかもしれません」



 その言葉を聞くと、佐々木は小さく頷きながら何かに想いを馳せたように天を仰ぐ。少し言葉を選んでいた様子だったが、静かに山野へ礼を述べた。



「……そうですね。ありがとうございます、山野さん。僕もきっとそうあって欲しいと思います。では、奥村の自宅へ行きましょうか」



 机のお茶を片付けながら席を立つ佐々木に続いて、山野も腰を上げる。今回の依頼に技術的な懸念事項はないが、メモリアを扱う人達の理解や制作側との障壁がまだまだあることを痛感していた。



「生の記憶を扱うって、こういうことなんだなぁ……」



 駐車場に向かいながら、山野は大岩の言葉を思い出していた。厭味ったらしいし、自己利益しか考えない上司だが、仕事については少しばかり見習うところがあるのかもしれない……。



 (絶対ない!)



 ふと、らしくない考えがよぎった山野はそれを捨て去る。奥村へどう話を進めるか、すぐに頭を切り替えて、佐々木の待つ公用車へ乗り込んだ。

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