第2話 【2052_1015】山野芽衣の一瞬

 メモリア【めもりあ】


 2048年に国立研究開発法人こくりつけんきゅうかいはつほうじん「脳科学研究センター」を中心とした技術研究組合(CIP)で開発された、人間の記憶を保存することができるマイクロフィルム媒体とその技術の総称。


 縦横約5cm四方の小型チップ内に記憶をプログラムコード化して焼き付けたフィルムを格納しており、記憶の保存と専用機器での追体験ができる。


 解読が難しかった脳内の記憶領域を人工知能AIのフィードバックを得ることで抽出している。1つのメモリアで成人の約15年分の記憶を保存可能。それ以上は容量不足のため複数のメモリアを使用する必要があるが、開発難易度は高く事例に乏しい。


 メモリアを取り扱う職業・従事者を『メモリア・デザイナー』と呼び、2050年以降も医療・教育・芸術文化など様々な分野で需要が見込まれるが、専門性の高い技術で他業種からの参入障壁が高い。引き続き寡占市場であることが予想される。


 <日本先端技術白書2050 抜粋>





 * * *




 2052年、秋。


 少し冷えてきた東京湾からの朝風を浴びながら、山野芽衣やまのめいは駅まで伸びる公園内のイチョウ並木を歩く。同じように駅へと急ぐ人々の背を目で追いながら、彩り始めた木々の変化に思いを馳せる。


 この春、新卒採用で「令和島れいわじま」にあるメモリア製造販売会社「ココノエ・エンターテインメント」に入社した山野だったが、ようやくの生活にも慣れてきた。長い時間のようだったが、改めて考えると一瞬でしかなかった気もしてくる。

 

 公園を抜けて通勤客で賑わう駅前通りに着くと、少し外れた路地裏に向かう。まだここまでは、朝の喧騒はなかった。


 しかし、古い建物の前にちょっとした人だかりが見えてくる。山野は慣れた様子で列に並び、明るく照らされた店内を眺める。せわしなく人が行き交う流れに合わせて、香ばしい小麦の匂いがここまで届く。


 山野の目的は、このパン屋だった。

 自分の入店の番が来ると、山野は棚に並ぶパンを横目に真っ直ぐレジを目指した。

 


 「おはようございますー」


 「ああ、おはよう山野さん。今月も作ってあるよ」


 「ふふっ。はい、お願いします!」


  

 リストバンド型のデバイス「フォリウム」をかざして、支払いを済ませる。店主の木本きもとさんに挨拶すると、山野は足早に店を後にした。


 毎月15日になると、山野は老舗パン屋「木本屋」のフルーツサンドを買いに来るように決めていた。「令和島れいわじま」へ越してきたばかりの時にたまたま見つけた店なのだが、名物のフルーツサンドにすっかりハマってしまっていたのだ。


 たっぷりの生クリームに包まれた大粒のイチゴ。毎日食べたいくらいだが、あまりのおいしさにそれだと罪悪感が湧く……。

 だったらせめて月一回で、と幾ばくかの葛藤と気ままな語呂合わせで決めたルールだった。

 

 フルーツサンドの入った紙袋を嬉しそうに揺らしながら、山野は会社の最寄り駅行きの低速リニアモーターに乗り込んだ。あらかじめ「フォリウム」で案内があった座席に付く。


 通勤者混雑を最適化するため、こうして個人ごとに乗車時間、座席指定がアナウンスされるようになっていた。そして駅の乗り降りも「フォリウム」があれば事足りる。他にも、役所など公的機関の手続きもすべてこれ1つで済ませるようになっていた。

 これも先端技術化が進んだスマートシティ、いや「令和島れいわじま」ならでは快適さと言える。


 背負っていたリュックを荷棚に置くと、山野はイチゴの挟まったフルーツサンドをほうばった。



「火曜日からなんて罪深い……。でもこれも今月頑張る私への活力だ!」

 


 同時にリニアモーターは「ノース・インダストリアル区画」を目指して発車した。島の東海岸線を進む鈍色にびいろの胴体は、海風を受けながらも速度を落とさない。


 しばらくイチゴの酸味と生クリームの優しさに包まれていると、立ち並ぶビルの合間から朝日を浴びた東京湾が飛び込んできた。ちょうど海岸線でも人気スポットと言われている、海を一望できる箇所に差し掛かってきたのだ。



 「わぁ、綺麗……!」

 


 思わず口にしてしまうくらい今日の海は違う。


 いつも見慣れた景色ではあったが、こうして幸せな気持ちで眺めているだけで山野の心は異なる色に輝く。


 これも「メモリア」に保存しておけば、後から見返すことはできるだろう。だが、この一瞬と感情はそうした記録ではなく、ずっと心にしまっておきたかった。


 揺れの少ない加速を維持したまま、リニアモーターは「令和島れいわじま」をぐんぐんと北上し、程なく「ノース・インダストリアル」へと到着した。


 勤務先へ向かう通勤客に交じって駅の南口を出た山野は、立ち並ぶ高層ビル群を見上げながら、これから始まる今日に挑むべく奮起していった。

  


 「よし! 今日もがんばろっ!」

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