燃える故郷

 まず真っ先にレイルスの目に入ったのは、炎。

 家々から火の手が上がり、黒々とした煙が天に昇っている。思わず呼吸を詰めそうになり、レイルスは意識的に深く息を吐いた。まずはともかく状況を把握しなければならない。呼吸を無理矢理整え、剣を抜いてレイルスは村の中へと入った。

 すると、村の中央、集会場の前に黒々とした影の山が見えた。人の体ほどもある巨大な犬や、鉤のように鋭く曲がった嘴を持つ鳥といった獣たちの体は黒いもやで覆われている。十数匹はいるであろう魔物たちは集会場を取り囲んでいた。レイルスはほとんど後先も考えずに、魔物たちの群れの中心へと魔法を放っていた。

爆発エクスプロージョン!」

 火の魔力が魔物の群れの中心で膨れ上がり、爆発する。二、三匹が吹き飛ばされて倒れたが残りは大したダメージを追った様子も無く、闇に光る目を一斉にレイルスに向けた。剣を構えた次の瞬間襲いかかってきた黒犬の魔物の頭部を突くようにレイルスは剣を振るい、一匹二匹と打ち倒していく。その隙を衝いて頭上から鳥型の魔物がレイルスに突っ込む。が、ツルハシのように鋭い嘴がレイルスの頭を貫く前に、細長い首に一本のナイフが突き立った。

「――レイルスっ!? レイルスか!」

「ルサック!」

 集会場の方から聞こえてきたルサックの大声に、レイルスも名前を呼び返す。集会場のドアの前には、ルサックの他、村長や数人の村人の姿もあった。剣や斧を振るう彼らは魔物を一歩も寄せ付けない気概をまとっていたが、しかし、その体には少なくない負傷が見られた。

「村長! みんな! 港へ逃げてくれ! オリージャから救援の船が来る!」

「そうか、救援が……!」

 村長が口を開きかけたが、魔物の攻撃に話す暇すら奪われた。村長に代わって、ルサックが声を上げた。

「レイルス! こいつらを半分ほど減らしたら、強行突破して港へ抜けるぞ!」

「分かった!」

 多くの言葉はいらなかった。ともかく数を減らすことを意識し、レイルスは手近な、弱った様子を見せる魔物に飛びかかった。犬型の首を落とし、返す刃で飛びかかってきたもう一匹の犬型の攻撃を避けつつその腹を裂く。二体倒したところで後ろに飛んで大きく距離を空けながら、牽制に風の魔法を打ち込む。高圧の風に襲いかかろうとした魔物が吹き飛ばされる。が、全てを退けることはできない。

 空から二体、鳥形が飛来してその鉤型の嘴をレイルスに向ける。捻るように体を動かし避けたつもりだったが、生温い感覚が頬を伝う。傷付けられた腕から散った血が頬にかかっていた。だが、レイルスは痛みはほとんど感じていなかった。鳥形は無視して、集会場の方へと向かおうとしていた犬型の背後を強襲する。もやに覆われた背中に剣を突き立てる間に、レイルスを襲おうとしていた鳥形二体の翼と頭部に、ルサックのナイフがそれぞれ二本ずつ突き刺さった。

「レイルス、無茶するな!」

「無茶しないとどうにもならないだろ!」

「そりゃごもっともだけどな、体力には気を配れよ! 数で押されてる時は疲れんのが一番危ないからな! それに、こいつらよりも強い奴がまだいるんだ!」

「はあ!? 冗談だろ!?」

 こんな状況で吐かれる冗談などありはしないと分かってはいたが、それでもレイルスはそう言いたくなった。相手がまだ強くないから数で押されても何とかなっているが、これ以上強い個体が現れれば逃げるどころじゃ無くなってしまう。籠城するにしても木造の集会場では防衛には向かないだろう。

「一応罠にかけて足止めはした! 奴が来る前に逃げるぞ! ……村長、そろそろ中の連中を!」

「あいわかった、合図が出たら全員で打って出る!」

 村長はルサックに応え、集会場へと駆け込んだ。その背中を追おうとした犬型の魔物に、村人が持つ斧が振り下ろされる。普段は木を切るための重みのある斧は獣の背を切り裂き、骨をも砕いてその体を地に叩き落とした。自分の方に向かってくる魔物を切り伏せながら、レイルスはその手際の良さに目を見張った。レイルスはその村人のこともよく知っていたが、彼が戦いに従事する職に就いていたとは聞いたこともなかった。しかしその動きは明らかに、戦いを経験した者の挙動だった。

 不思議なことだったが、どういう事情があろうがいまはその力がありがたかった。集会場を取り囲んでいた魔物は、レイルスが現れたことで動きが乱れ、ほぼ半数が討たれていた。

「レイルス、三つ数えたら合図出す! 合図に合わせて魔法を打て!」

「了解!」

「カウント開始! 三、二、一、いまだ!」

爆発エクスプロージョン!」

 レイルスが放った爆炎の魔法は、集会場の手前に固まっていた魔物たちを再び吹き飛ばした。と同時に、集会場の扉が勢いよく開き、中にいた村人が一斉に外に飛び出してきた。レイルスは彼らと入れ替わりになるように斜め前へと動く。横から飛びかかろうとしてきていた魔物を斬り伏せ、距離が空いたところから襲いかかろうとする鳥形の魔物に向けて、突風の魔法を次から次へと浴びせかけ、隙を見て飛びかかってくる魔物の攻撃を避け、一太刀を加える。急に襲うべき対象が増えた魔物の攻撃は分散し、対処は先ほどよりも楽になっていた。数だけでいえば、その瞬間だけは魔物より人の数の方が多かった。しかし、

「魔物の増援が来たぞ!」

 村人のうち誰かが声を上げた。村の西側、森の暗がりから、魔物の群れが真っ直ぐに向かってきているのがレイルスにも見えた。集会場の周りの魔物はほとんど倒すか浅くない手傷を負わせていたが、森から来る魔物が合流すれば、その数はレイルスが来たときと同じかそれ以上になってしまうだろう。

「レイルス、俺たちも下がるぞ」

「! あ、ああ……分かった」

 いつの間にか隣に立っていたルサックに軽く驚きつつも、我に返ったレイルスは頷き、港の方へと退避する村人たちの列の最後尾についた。レイルスは、退却しながら追ってくる魔物に向けて魔法を放とうとしたが、その手をルサックに掴まれてしまった。代わりと言わんばかりにルサックが、追ってくる魔物に向けて、腰に下げていたポーチに突っ込んでいた火炎瓶を放り投げる。

「あんまり乱発するなよ。魔力管理が体感でできないなら、隙作ってもいいときにマナボード確認しろ」

「うっ……ごめん。ちゃんと確認するよ……って、あ」

 マナボードには、所有者が一定時間内に使った魔力が表示されるシステムがある。本来なら所有者の魔力量を測定した上でその数値が表示されるのだが、レイルスは未だに正確な測定値を出していないため前者のシステムしか使えていなかった。自分がどれほどの魔力を有しているのか、体感でしか分からないからこそ消費魔力には気を配るべきだったのだが――そこに表示された数値は、レイルスが思う自分の限界ギリギリに到達していた。

「焦るのは分かるけどな、それでも冷静さだけは捨てるなよ。周りに気を配るよりもまず先に自分が生き残ることを優先しろ」

「それは……そうだけど、でも」

「でも、じゃない! いいか、お前が死んだらそれで終わりなんだ。来てくれたってのは確かに嬉しいさ。村のみんなだって喜んでるだろう。けどここでお前が死んじまったら、村のみんなはどういう気持ちになると思う?」

 大げさだとレイルスは言えなかった。自分が死ねば、カプト村の人々はきっと悲しむだろう。自惚れでもなんでもなく、世話になった村の人々はそういった優しさを持った人たちだということはよく分かっている。

「次からは気を付けるよ」

「それでいい。……追っ手もだいたい撃退できたか。にしても、来てくれて嬉しいってのは本音だが、よくここが襲撃されてるって分かったな」

「ああ、それはね。教えてくれた人がいたのと、ギルドの方に連絡が――」

 説明しようとしたレイルスは、背後から迫る気配に口をつぐんだ。いや、気配と言うにはそれは、あまりにも存在感がありすぎた。地鳴りのような、重い物で地を叩く音が一定の間隔で響きながら近付いてくる。

「――ルサック、他の魔物より強い奴ってどんなのだったの?」

「見た目は馬みたいだったな。馬っぽい動きはしてなかったが。のろい、デカい、馬鹿力って感じの奴だったぞ」

 レイルスは徐々に歩調を緩めていった。ルサックもそれに合わせて歩くのを止める。港の微かな導機灯がもう見えている位置だった。そして港にはまだ船が来ていなかった。だからこそ、殿を務めているレイルスたちはそれ以上進むことはできなかった。

「――レイルス! ルサック!」

 最後尾、レイルスたちより少し先に立って歩いていた村長が足を止めて声を上げた。レイルスは振り返って「行ってください!」と叫んだ。

「しかしレイルス、君一人だけに任せるわけには……せめて私も力を、」

「その傷じゃ無理だ、下がっててくれ」

 村長の申し出を突っぱねたのはルサックだった。ルサックが言わなければ、レイルスも同じことを言っただろう。村長は肩に手を当てていた。その手には血の滲むタオルが握られている。とても戦えるような状態では無かった。村長自身も分かっていたことだったのだろう。すまない、と小さく謝り、

「ここは任せる。……ワレンスさんの骨は拾ってきたが、君がワレンスさんと同じところで眠るのはまだ早い。無理だけはしないでくれ……!」

 走り去る村長を見ると、レイルスは再び正面を向いた。夜の森、レイルスが持つライトの光の中に黒い影が次々と浮かび上がってくる。

「……って、任されちゃったけど。ルサック、どう捌くのがいい?」

「あいつらは軍隊みたいに統率が取れてるわけじゃない。飛び出してきた奴を叩くぞ。俺が何とかかく乱するから、逃げ回って一匹ずつ引っ張り出せ。複数に囲まれるのだけは絶対に避けろ――つっても、それはデカいのが出てくるまでだ。あれが出てきたら、他の魔物は無視してともかくそいつにだけ集中しろ。一発でももらったら即親父さんとの再会だぜ」

「オヤジには会いたいけど、酷い死体になっちゃ合わせる顔が無いな。ともかく、船が来るのを信じて、死なないように立ち回るしかないか……!」

 話している間にも、魔物が迫ってきていた。ライトの光に怯んだように足を止めたのは数瞬だけのことで、光の中を突っ切って犬型の魔物が飛びかかってきていた。レイルスはそれを迎え撃つ。顔目がけて突き出された顔面、大きく開けられた口から見える鋭い牙を見ながらバックステップで距離を取りつつ、剣の切っ先を顔面に向けて振り下ろす。貫かれた体から、返り血の代わりに黒いもやが噴き上がる。剣が血脂で汚れないという点だけは、普通の獣よりも戦いやすいところだった。だが、普通の獣と違って魔物は仲間の死を恐れなかった。先ほどまで動いていた同型の、霧と消えつつある死体を踏み越えるようにもう一体の犬型が襲いかかる。それを撃退しても、また次がやってくる。レイルスに牙や爪、嘴を向ける魔物を、ルサックが投げナイフで牽制する。

 二人の攻撃は正確に敵の急所を捉えていた。が、だからといって向かってくる個体を全て倒せるわけではなかった。二人でどうにかするには数があまりに多すぎた。一体、また一体と二人の脇をそれて港へと走る魔物もいた。それについてはもう、村人たちの力でどうにかしてくれていることを祈ることしかレイルスにはできなかった。いまのレイルスには、後ろを振り返る余裕どころか、自分の身を守る隙さえもほとんど与えられていなかった。一つの攻撃を避ければ、また別の方から攻撃される。完全に囲まれているとまでは言えないものの、それでも一対多の状況には否応なく持ち込まれる。

「く……! 数が多すぎる!」

 苛立ちに任せて爆炎の魔法を放つが、直撃させられたのは二体だけだった。「レイルス、焦るな!」とルサックから声が飛ぶ。その指示に従おうにも、状況はさらに悪くなっていく。

 先ほどから足の裏に感じていた地の震えが、いよいよ間近に迫る。ついにその足音の主が姿を表したのだ。

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