新たなる力
ずん、と腹に響くような地鳴りと共にそれは現れた。夜の暗がりからライトの光の中に、馬の首がぬっ、と顔を出す。しかし、その馬の頭は、本来馬の頭がある高さには無かった。レイルスの顔の高さよりもなお上、地上から三メムは離れたところに馬の頭はあった。
「馬の頭の……人間!?」
「あれが人間なわけあるか! けど、……人間は混ざってるかもな……!」
鳥形の魔物にナイフを投げ、撃ち落としていたルサックが苦々しげに吐き捨てる。レイルスたちの眼前に現れたその魔物は、馬の頭を人間のものとしか思えない筋骨隆々とした胴体の上に掲げていた。腰から下は四本の、黒い毛に覆われた獣の足が生えている。短く太い足は猪を思わせるが、本来繋がらない生物の部位が組み合わさっているため、その元になった生物が何であるか、推測するのも難しかった。何にせよ、レイルスにもルサックにも、その正体を探るだけの余裕は無かった。
「ブフー……ブモーッ!」
唸り声を上げ、馬頭の魔物が手を振り上げる。その手には武器のつもりなのか、元は家の柱だったのだろう角材が握られていた。立派な大黒柱が横凪ぎに振り回され、周りにいた魔物が吹っ飛ばされる。レイルスはとっさに後ろに飛びすさったが、角材が横切ったのはレイルスからだいぶ距離が空いた場所だった。それでも、風圧と風を切る鈍い音は充分にレイルスの耳に届いていた。なるほど、確かに一撃で死ぬほどの攻撃力だろう。ただ、距離を空けていれば攻撃は届かない。どころか、見境無く振るわれる角材が周囲の魔物たちを吹き飛ばしてくれるぶん、むしろいてくれた方が有利だ――というレイルスの考えは、数秒で否定されることになる。
ぶうん、ぶうんと角材が振り回しながら馬頭の魔物は迫ってくる。逃げることはできても、レイルスの方からその動きを押し返すことはできない。そして、後ろには避難するための船を待つ村人たちがいる。後ろに下がり続けることはできなかった。
「
近付かずにその足を止めようとレイルスは魔法を放つ。だが、レイルスの魔法も、ルサックが投擲するナイフも、ほとんど効いた様子は無かった。馬頭の魔物は足を止めず、その巨体をゆったりと鈍重に、しかし着実に前へと進めてくる。
「このままだと港にまで押し込まれる! 打って出るしかない!」
「馬鹿言え、いくらお前でもその剣じゃ切り合いにもならないぞ! 心臓や首狙いでも届くかどうか……!」
「分かってる……でも!」
それでもやらなければ、後に待っているのは蹂躙ばかりだろう。港から川沿いに無理矢理北上し続けることもできるだろうが、負傷者を連れていつまでも逃亡し続けることは難しいだろう。港の周囲が開けているからこそ魔物の襲撃をいなせるが、川沿いの整備されていない道は、森からの距離がほとんど無い。森の中から魔物に襲いかかられれば、迎撃どころか身を守ることすら困難になる。
――後には退けないのだ。
「止せ、レイルス!」
ルサックの叫びを聞きながら、馬頭の魔物が振るった角材が空を切るのに合わせ、レイルスは一気に距離を詰め、魔物の足に斬りかかった。ざくりと剣先が魔物の肉の中に埋没する。――だが、それ以上切り込むことはできなかった。
「レイルス下がれ! 次が来るぞ!」
「……!」
硬い手応えに愕然としていたレイルスは、ルサックの声に我に返り、とっさに横に転がった。するとレイルスがいた場所に地響きを立てて角材が叩き付けられた。レイルスはさらに馬頭の魔物から距離を取る。離れてその姿を見れば、魔物はしっかりと四本の足で立ち、まるで手傷を負ったようには見えなかった。
「駄目だ、硬すぎて剣が通らない……」
「無理して攻撃しようとするな! 刃が通らないほど硬い相手じゃ、よほど強い魔法でも撃たない限りは対抗しようが無いぞ!」
「魔法……強い魔法……? ……そうか、だったら!」
レイルスは腰に下げていたポーチの中を開け、その中に手を突っ込んだ。指先に感じた小さな硬い感触を掴んで手を引き出し、拳を魔物に向けて突き出す。そして、拳の中に魔力を込めていく。
「レイルス、何を……まさか、あのマナストーンを使うつもりか!? ボードも通さず鑑定も終わってないマナストーンを使うんじゃない!」
「けど! これ以上退いたらあいつに村のみんながやられちまうだろ!」
「そうだとしても……危険すぎる!」
力尽くで止めようとしたのか、ルサックはレイルスの腕に手を伸ばそうとした。が、まだ残っていた馬頭以外の魔物がそこへ飛びかかってきたせいで、ルサックは応戦を余儀なくされた。それを横目で見ながら、レイルスはマナストーンに魔力を込めていく。集中するあまり、見ているはずの魔物やルサックの姿さえもろくに頭に入ってこなくなってくる。マナストーンは魔力の質を変える変換器でしかない。魔力を一定まで溜め込み、その形を自動的に整えて魔導にする成型機の役割を果たすのはマナボードの役割だ。
魔力の保持と魔法の形成を、レイルスはほとんど直感かつ独力でやっていた。ともすれば、魔力ごと意識が弾けそうになるのを堪え、魔力の全てを放出しないように制御する。ルサックも、それが分かっていたからこそ、周囲の魔物を退けても、もはや止めには入らなかった。下手に止めれば制御が乱れた魔力が暴発してしまうからだ。ルサックにできるのは、レイルスの邪魔をしようとする敵を蹴散らすこと、そして、
「……レイルス! 魔導に名前を与えるんだ! 魔力の形がそれでイメージしやすくなる! いいか、名前を呼ぶんだ!」
助言を与えることだけだった。緊張と集中に張り詰めたレイルスの意識に、繰り返し叫ばれた言葉は辛うじて届いた。
「名前を――」
四つの属性、そのうちの一つ。目の前の巨体を揺るがせ、屈させる大地の力。
「大地よ――脈動しろ!
レイルスがその名を叫んだ瞬間、魔力が解き放たれた。四大属性のうち地の力に染まった魔力は、レイルスの眼前にある地面を走り、伝播するように広がり、そしてその効果を露わにした。地鳴りの音が響いたかと思えば、直後、雷鳴にも似た轟音と共に地面が勢いよく隆起した。岩石のように硬化した砂が隆起し、あるいは沈降して魔物たちを飲み込んでいく。全て土の下にとまではいかないが、それでもその足を脈動する大地に巻き込むことには成功した。――しかし、
「ブモッ……ブフゥ、ブモーッ!」
手にした角材を杖のように地に突き、馬頭の魔物が崩れた地面から抜け出そうとする。岩の瓦礫から片足が引きずり出される。
「駄目か……、――!?」
ぼやくように呟きかけたルサックの視界に、レイルスが映り込んだ。制止の声を上げる時間も無かった。背中に背負った剣を抜き放ったレイルスは、距離を詰める間に、残して置いた魔力の全てを魔導剣へと注ぎ込んでいく。一瞬視界がぐらりと揺れたが、それにも構わず魔力を込め続ければ、魔導剣は青白い光を帯びた。パチリと何かが弾けるような音を聞きながら、レイルスは光を帯びた魔導剣を、体勢を崩して地に片膝を突いている馬頭の魔物目がけ、真っ直ぐに突き上げた。
「ブモッ――――…………」
断末魔の声は半ばから途切れた。遠雷の音をレイルスは薄らと聞いていた。雷の力を帯びた大剣は、魔物の肉を焦がして割き、砕きながら深々とその体内に突き立ち、さらにその魔力を放出した。防ぐことのできない魔力が弾け、魔物の全身を貫き、打ち砕いていく。
命を失いゆく魔物の体は霧と化して徐々に空気の中に溶けていく――その過程の全てを、レイルスが見ることは無い。
短時間に大量の魔力を使い果たしたレイルスの体は限界を迎えていた。
「レイルス……! おい、レイルス!? しっかりしろ、ここで寝るんじゃない!」
途切れつつある意識の中で、レイルスはルサックの声を聞いた。そして、倒れかかる自分の体を後ろから掴んで支える手を最後に感じた。
――揺れる意識の中、レイルスは夢を見ていた。
まだ子供の頃、父が生きていた頃の夢だ。
夢の中の父はやはり背を向けていた。レイルスに背を向け、手には剣を持っている。狩猟団としての仕事の、その最中の光景だった。レイルスにとっては馴染みのある光景だった。遺跡を、そして開拓村を守るために各地で転戦していた父――子である自分だけでなく、誰かを守ろうとしていた父の背中はいつも沈黙を湛えていたが、何も言わずとも、それが大事なことなのだとレイルスはその背中から教えられていた。
いつものように背中を向けている父に、レイルスは少しだけ笑った。夢というが、意識的にレイルスは夢の中を動くことができた。夢よりももっとはっきりとした――記憶の中をレイルスは歩いていた。
「……父さん。俺、父さんみたいに頑張れたかな」
遠いようで近くに見える背中に語りかければ、いつもは背を向けてばかりの父が、ゆっくりとレイルスの方へと振り返った。その姿は、最後に見たものよりも幾分か若く見える。死病にかかった父は本当に、見る影も無くやつれていたのだとレイルスは気付いた。この時の父はまだ足に傷を負う前の、まだ狩猟団として現役だった頃の姿だった。
記憶の中の父はやはり何も語らなかった。黙ったまま、レイルスの頭を一度、少し強すぎる力で叩くように撫でた。そして、手にしていた剣をレイルスに差し出した――その剣はレイルスがいつも振るっている、父から与えられた剣ではなかった。それは、ベルダーから預けられたあの魔導剣だった。レイルスはそれを受け取ると、父に向けて、しっかりと頷いた――。
レイルスは目を開けた。頭上には闇に覆われた空があった。体にはまだ揺れるような感覚が残っている。目眩を起こしているのかと思ったレイルスだったが、すぐ側から水が跳ねるような音が聞こえてきて、ここが船の甲板だと気付いた。
「レイルス……? みんな! レイルスが起きたぞ!」
すぐ近くで誰かが言った声を、そして、それに続いて歓声や心配の声が上がるのをレイルスは聞いた。どの声もよく知った、父と共に暮らした村で聞いた声だった。
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