さらなる力を求めて
カプト村の住人は、全員がオリージャの町へと退避した。負傷した者も多く、中には重傷者もいたが、奇跡的に死者は一人も出なかった。避難民の受け入れに、夜明けの片田舎の町は常の静寂をかなぐり捨てた。
攻め寄せるクピディタス、そして魔物の襲撃を受けたカプト村の話で町は持ちきりになった。
不安感を煽られた人々が事情を聞くためギルドに押し寄せたり、疎開のため港に来て船を動かすよう客船会社に要求したりと騒然となっていたが、そんなことを宿で再びの休息を取ったレイルスは知るよしもなく、翌日になってルサックから、あの戦いの後の様子を全て聞かされたのだった。
「――とまあ、町の雰囲気はあんまり良くないな。ただ、カプト村の人たちは思ってたより長く滞在できそうだ」
アーキラの宿の一室、椅子に腰かけて長々と話したルサックは、最後にそう言って報告を一旦打ち切った。レイルスはベッドに座っており、二人の間には丸いテーブルが一脚置いてある。テーブルの上にはお盆と、パンくずが散らばった皿が二枚あった。
「滞在できそうって……二十人ぐらいしかいないとはいえ、あれだけの人が住む場所ギルドはもう用意できたのか?」
「ああ。昨日まで人でぎっしりだった宿も開いちまったし、空き家も増えた」
「空き家?」
「逃げたんだよ、戦争が始まるからな。シルワオルクスか、それかラーナからヒュドリアポリスに行ったか……どっちかまでは知らないけどな。ここも、もしかしたら危ないかもしれない。動きがいままで無かったとはいえ、北のアニムスクナエはクピディタス領だからな。ヒュドリアの探求者が一部残ってるのも、防衛のためらしいしな」
苦々しげにルサックは吐き捨てた。感情を露わにするルサックに少し気圧されつつ、レイルスは一つ気になったことを尋ねた。
「なあルサック……話は変わるけど、この宿に泊まってた人もほとんどいなくなったんだよな? だったら、大柄な男と女の子の二人組――バサルトとルルって言うんだけど、その二人見なかったか?」
「ん? ああ……たぶんいないと思うぞ。少なくとも、昨日から今日にかけては見てないな……どうした、知り合いか?」
「知り合いっていうか、この前トロタで会った人なんだけど。どうやらクピディタスから来てたらしくて……バロンからスパイの疑いをかけられてたんだけど、魔導剣に使うマナカートリッジを俺にくれたんだ。まだ滞在してるようなら、お礼を言っときたかったんだけど」
「そうだったのか。……このご時世だ、実際スパイだったのかもしれないし、そうじゃないかもしれないが……どっちにしろもう会えないかもな」
「そっか……」
頭の片隅では、ある程度レイルスも予期していたことだった。あらぬ疑いをかけられ続けてまでここに留まることは無いだろう。もしかしたら何らかの事情でクピディタスを離れたのかもしれないが、それでもじきに戦争が始まる地にいる必要性は無い。クピディタスに戻ったか、もしくは疎開した人々と同様にもっと安全な場所に逃げたか。いずれにせよ、再会は生半可な形では実現しないだろう。
「本当はもうちょっと話したかったんだけどな……」
「いやにご執心じゃないか。一目惚れか? ……どっちにだ?」
「違うよ。いや違わないかもしれないけど」
「えっ」
「勘違いするなよ! あのルルって女の子、俺が昔会った女の子にそっくりだったんだ。でも、バサルトさんが言うには生まれはクピディタスだって言うし……銀色の髪はともかく、紫色の瞳なんて滅多にあるもんじゃないし、顔も似てたし、やっぱりあの子だと思うんだけど……向こうからの反応も無かったし……」
「忘れられてるんじゃないか?」
一番あり得そう、かつ一番あってほしくないことをストレートに言われ、レイルスはがくりと肩を落とした。その肩を、椅子から立ち上がったルサックは軽く叩いて言った。
「ま、生きてりゃそのうち会えるだろ。とはいえ、このままここにいたら戦争に巻き込まれちまう。レイルス、お前はどうする?」
「え、俺?」
「ああ。俺は古城に戻るつもりだ。もうじきここにも軍が送り込まれてくるし、宿やアパートも接収されるかもしれない。あの古城を使えるようにすれば、カプト村の人たちも一時的に住めるようになるだろ? 少なくとも、魔導障壁は生きてるからな」
「ああ……」
そうか、と我知らずレイルスは呟く。戦争は一日二日で終わるようなものではない。数ヶ月、もしかしたら何年も戦線が硬直するかもしれない。カプト村には当分戻れない――どころか、人工障壁を再び置き直さないと村として立て直せない以上、カプト村という村にはもう二度と帰ることができないのかもしれない。あの森の中にある、小さな村は間違いなくあの日の夜に滅んだのだ。
「……ルサック。俺も一緒に行っていいか?」
「ああ、もちろん。お前も従軍って柄じゃないし、ちょうど良かったな」
「それもあるけど……それよりも気になることができたんだ」
「気になること? 何だ」
軽く目を伏せ、レイルスは古城でのことを思い返し、そして目を開けた。
「あの古城の中でも、魔物の話が出た。魔物と戦うための訓練、そして武器やマナストーンもあった。もしかしたら……あの古城とか、同じ年代の遺跡に、魔物に対抗するための良い手段があるかもしれない」
「なるほどな、確かにそれはあり得る。良い着眼点だ。クピディタスが魔物を使う以上、対魔物の武器なり兵器なりが見つかればこっちも有利になる。直接戦争に赴かなくたって、充分貢献できるぞ」
「うん……そうだといいな」
「よし、そうと決まればさっそく行動に移るか。本格的な戦いが始まる前に動かないと、移動だけでも難儀するようになりそうだ」
ルサックが言うのに合わせて、レイルスはベッドから起き上がった。疲労はまだ残っていたが、もたもたしていられる時間は無かった。
「装備を調えたら、ニダベリルの古城に出発する。……つっても、お前は当分別行動だけどな」
「え!? 別行動って……」
「勢いで使えちまったとはいえ、四属性のマナストーンはまだ未鑑定でボードの方だって調整してないだろ? クピディタス製の魔導剣だってどういう機構なのか理解しといた方が良いし、そもそもお前、魔力測定だって正確な数値が出てないしな。シルワオルクスのギルドに向かって色々と済ませてこい。あと、俺が使う調査機材もついでに取ってきてくれ」
最後に自分の用事をちゃっかり押し付けてくるルサックに、レイルスは眉尻を下げて笑った。怒濤の正論には返す言葉も無かった。
「ま、戦争って言っても深く攻め込まれるまではまだ時間があるはずだ。いまのうちに、やれることはやっとけよ」
「……分かったよ」
「俺は先に古城に向かう。機材引き受けのための書類はテーブルの上に置いてあるからな。シルワオルクスのギルドに見せれば話が通るはずだ」
じゃあな、と軽く手を上げてルサックは言うと、部屋を出て行った。レイルスはテーブルに置かれた書類を拾い上げ、それを自分の荷物にしまうと、出発のための身支度を調え始めた。
シルワオルクスへの船便は通常通り運航していた。船上、レイルスは出がけに会ったカプト村の村長との会話を――正確には父のことを思い返していた。
『当分は、私もワレンスさんも、静かに骨を埋めることはできそうにないな』
村長はレイルス同様、アーキラの宿に泊まっていた。父の遺骨が入れられた壺はテーブルの上に乗っていて、それを背後に村長は、寂寥が苦味として現れた笑みを顔に浮かべていた。
『父のことを……もうしばらく頼みます』
『任せておきなさい。その代わり、生きて帰ってきておくれよ』
短いやり取りだったが、そのやり取りが一番レイルスにとっては心強く、同時に出立の意思を鈍らせるものでもあった。カプト村の人々を逃がすことができた。それだけのことを自分はやり遂げたのだ。達成感と疲労感に身を任せて、いまはゆっくり村の人たちと、そして物言わぬ父と過ごしていたいという気分が湧いてくる。
――しかし、レイルスはその気持ちを振り切って船に乗った。
(あれで終わりなんじゃない……あれが戦争の始まりなんだ)
クピディタスの侵攻に合わせるように現れる魔物たち。そして、自然の動物にはあり得ない見た目をした、馬頭の魔物。あらゆる存在が、あらゆる災いを暗示しているよだ。だからこそレイルスは、対抗するための力を求めたのだ。今回、魔物を退けられたのはたまたま、手元にそのための道具が揃っていたからだ――四属性のマナストーンは自らの手で勝ち取ったものだが、それだけでは切り抜けられなかった。
「魔導剣、か……」
手にした魔導剣にマナストーン。これらを使いこなせるようになるだけで相当な力になるだろう。しかし、それだけでは不十分だともレイルスは感じていた。
クピディタスの軍と直接戦うかどうかはまだ分からない。だが、もし攻め込まれたら? もしもカプト村の人々がその脅威にさらされたとしたら――軍を相手にすることになるなら、戦うための力は幾らあっても足りないだろう。
「……早く済ませて、ルサックと合流しないとな」
船室から外を見れば、ゆったりと後ろに流れていく景色がレイルスの目に映った。動き始めた情勢より、その流れは遙かに遅いように感じ、レイルスはむず痒いような気持ちになった。少し前の自分はこの風景に焦りなど覚えていなかった。世界と一緒に自分もまた、否応なく時代の早瀬に飲み込まれている。だからこそ、シルワオルクスへと向かう船は遅く感じる。
自分の焦りが川に溶け出さないかと、甲板に出たレイルスは下を見た。しかしそこにあったのは、戦争が明日にでも始まろうかという人間たちの緊張など歯牙にもかけない顔をした川面だった。
大河ウラーノへと流れる支流、万年雪の冷気が溶けたネヴェスキオは、その水温とは真逆の、太陽の光をふんだんに含んだ温かな光を反射して輝いていた。
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