二章 戦禍の末端

一話 古代の遺産

森の都・シルワオルクス

 レングワード大陸の中央部からやや南東に下った先、大河ウラーノから流れるブランキャ運河の終端に、ウィリデスの首都シルワオルクスはあった。元々、ウィリデスの首都はウラーノの河口に位置していた。しかし人口の増加と、何より国防の観点から、ウラーノの東側にあった巨大な採掘場跡地に首都が移されたのだった。

 首都の遷移からは百年も経っていない。元は採掘場とはいえ、シルワオルクスの街並みは建築様式も新しく、清潔で美しいと有名だった。

 ……もっとも、レイルスが知る他国の首都はヒュドリアポリスの首都ヒュードラだけであり、その歴史ある街並みにもそう何度も足を踏み入れたことが無かったため、比較のしようはないのだが。

 とはいえ漆喰塗りの白い壁の家が並ぶ光景は、レイルスの目には眩しく映るものだった。船の停泊所からこっち、歩いているだけで多くの人とすれ違い、様々な看板や標識が目に入り、話し声が絶え間なく聞こえてくる。ただでさえ耳目から飛び込んでくる情報が多いというのに、停泊場から離れるにつれて視界が開けると、目に見えるものがさらに多くなっていく。

 地下に向かって段々に下っていくすり鉢型に近い構造の町は、船着き場がある一番上からだと、町の全景の大半が見える。その上、対岸には白くそびえるシルワオルクス城の偉容も見え、まさにシルワオルクスの全てが見渡せる場所と言っても過言では無かった。

 道行く人の通行の邪魔にならないよう道の端で立ち止まると、レイルスはしばし、その光景に圧倒された。採掘場という特殊な立地は、現代では天然の要塞となっている。ウィリデスがクピディタスと国境を接していながらも、長い間侵略を防いでこられたのは、西の森にある城西砦や、それを越えた先にある深い渓谷、そして王都の構造といった天険があるからだ。

「……まだ、大丈夫……だよな」

 そんなことをレイルスは思わず呟く。町行く人々の顔つきは、日頃と大して変わった様子も無い。クピディタスとの戦争が始まり、ここもいつ彼の国の魔手が伸びるか分からない――そんな情勢下ではあるが、自分が動き回る時間はまだあるはずだ。

 町にいる間くらいはあまり気張らずに、と意識して肩から力を抜いたレイルスは再び街路を歩き出した。馬車二台が優にすれ違え、しかも歩道まである広々とした石畳の道の両側には幾つもの店が並ぶ。船着き場から来た者たちを迎えるため、食事処から酒場、宿屋に商店と種々雑多な店が看板を出していた。目移りするような光景ばかりが並ぶ町を行けば、そのうちに他の店とは趣の違う、重厚な木造の看板が道沿いに現れた。

『シルワオルクス・ギルド』

 両開きの扉の上に掲げられた看板には、そう文字が記されていた。室内に入ると、レイルスはほっと息を吐く。意識して肩から力を抜こうとしてはいたが、雑然とした外では知らぬうちに気分が昂ぶってしまう。一方ギルドの中は、人こそ多いものの他の地方と変わらない空気感をしていて落ち着けるものだったし、そもそもレイルスは、シルワオルクスのギルドにも何度か足を運んだことがあった。かつて狩猟団ハンターに所属していた父や、探求者シーカーの先輩であるルサックに連れられ、幼少の頃から来ていた記憶がある。そういうこともあって、いつ見ても目新しく、そして華々しく見えてしまう町よりも、ギルドの中はずっと居心地がよかった。

「すみません、探求者として手配してほしいものがあるんですけど……」

 レイルスは、右手にあるカウンターのうち、奥の方へと向かって、そこにいた受付員に声をかけた。シルワオルクスのギルドは町の大きさに見合った規模で、受付も、一般向けとギルドメンバー向けに分かれていた。

「ああ、はいはい。……と、おや? どこかで見た顔だと思ったら、もしかして、ワレンスさんのお子さんの……」

「あ、はい。レイルスです」

 受付の、眼鏡をかけた背の高い男性にはレイルスも見覚えがあった。もう十年も前からここに受付員として務めている、レンチという男だった。一重まぶたの、どことなく狐を思わせる賢そうな顔立ちに違わず、魔導機械の知識が深く、受付員でありながら鑑定士も兼任している。

 ギルドの所属員――ギルドメンバーは、主に探求者や狩猟団といった実働部隊と、事務員の二つに分けられる。実働部隊は警護部、事務は総務部にそれぞれ部が分かれていて、役職に応じてさらに様々な課や担当員がいたりするのだが、鑑定士はそれ一本でも食っていける上に回される仕事も多いため、兼任する者は少ないはずだった。

 しかし、レイルスから事情を聞いたレンチの、諸々の手続きを行う様は熟達した様子だった。片手間にやっているわけでもなく、両方の分野に習熟しているからこそできることだろう。ヒュドリアポリスより多少規模は劣るはずだったが、それでも人材に関しては、やはり王都のギルドらしく優秀な者が揃っているのだ。

「機材および人員の手配につきましては、一両日中にご用意できます。ただ、マナストーン、および魔導剣の鑑定につきましては、順番もありますので少々お時間をいただくことになるかと」

「結果はどのくらいで出ますか?」

「そうですねえ、一番早いプランでもおおよそ二日はかかりますね。でも、マナボードの調整もどのみち同じほどはかかると思いますし……レイルスさんの精密検査ともなると、一週間はかかりますよ」

「一週間!? あれ、魔力測定ってそんなかかるんですか?」

 以前、ラーナやヒュドリアポリスのギルドで測定を行った際は、もっと早くに終わった記憶があった。それこそ一両日中に終わったような――と、記憶にあるままを口に出して言うと、レンチは首を捻って、

「たぶんやったのは簡易検査の方なんじゃないでしょうかねえ。当時の記録を取り寄せれば分かると思いますが……ただそれだと、魔導の適性傾向が大雑把に分かる程度で、魔力量や波形パターンについてはほとんど分からないはずですよ。魔導、そんな状態で使ってて大丈夫でしたか?」

「ああ、いえそれは……大丈夫だったと思います。あんまり強力なのは使ってこなかったし……」

 不便は無かった。言いかけて、本当にそうだっただろうかとレイルスは思う。自分が思っていた以上に魔導を使いこなせることを、レイルスはごく最近になってようやく知ることができた。もしも早くにそれを知っていたなら、もっと戦闘で活躍して、バロンにも軽んじられることもなく、パーティを抜けることも無かったかもしれない――そこまで考えたものの、意外なほどにそれを口惜しいとは思っていないことにレイルスは気づいた。

「まあ不便は無くとも、取りあえずはやっておいた方がいいと思うんですけどねえ」

「それはそうなんですけど……えーと、魔力傾向の検査とか省けますか? その、ちょっと急ぎなので……」

「ともかく急ぎでとなれば魔力傾向は省いても大丈夫でしょうかねえ。重要になるだろう魔力量測定だけこなしておきましょうか。それと、マナボード調整のための測定もいくつかやって――」

 レンチと話し合い、検査内容を詰めると、レイルスはギルドの三階に通された。

 シルワオルクスでは二階建て以上の建物も珍しくなく、ギルドは三階建てで、二階はギルドメンバーたちの専用ラウンジになっており、三階が様々な調査や鑑定を行う場所になっていた。

「今日は、人がいないんですね」

 レイルスが何の気なしに呟く。廊下には、検査室や測定室と書かれたドアがある。ドアの横には空室かどうかを表示する板があるのだが、どの表示板も、空室になっていた。レイルスの言葉に、ああ、とレンチがどこか重く感じる、溜め息めいた声を出した。

「鑑定に出す人がいないから、でしょうねえ。狩猟団のみならず、探求者さえ、戦争に駆り出されてしまいましたから」

「あ……」

 そう、ウィリデスの情勢は切迫しているのだ。すっかり失念していたことを恥じてレイルスがうつむくと、

「でも分かりますよ、あまり現実味が無いのは。ちょっと前までは、政府の要請に従い、人を集めたり、送り出したりして……戦争に使うためか、出土した旧文明の導機鑑定も立て込んでて忙しかったものです。まだ小競り合い程度で本格的な戦いは始まっていないそうですが……どちらにしろ、いつ戦闘が始まるともしれないという緊張感は……正直、僕も含めて王都の人間にはあまり無いものです」

「そうなんですか……」

「とはいえ、酷い話ですよねえ。探求者の本分は戦争ではないというのに。……本隊同士がぶつかる前に、どうにか休戦してほしいものですが。こっちはともかく、あっちの王は何を考えているのやら……」

 憤りを滲ませ、レンチが言う。レンチにとって探求者は、遙か古代の遺物を探し、触れ、調べるためにあるものなのだ。決して戦争という殺し合いの場に出すものではない――レイルスとしてもそう思う。

 だが一方で、戦える力があるのならば、やはり戦うべきではないかとも思ってしまう。多くの人がこれから先、クピディタスとの戦争で辛苦を味わうこととなる。力及ばず倒れる者もいるだろう。戦線が保っている間はまだいいが、そのうちに、町まで攻め込まれて戦えない人々まで巻き込まれてしまうかもしれない。それこそ、カプト村の人々のように。

 一度はシルワオルクスの天険に感動を覚えたレイルスだったが、不安は不意に、言い聞かせようもないほどに強く沸いて出た。自分も前線に出て戦うべきではないか、という心の底に重く沈殿していた思いがゆるゆると吹き上がり、思考を満たしていく。いますぐにでも動き出したいという感情を制したのは、理性では無く別の感情――恐怖だった。

 カプト村の時は無我夢中になって状況を打開できたが、戦争は、一度の戦いだけでは終わらない。幾日も続く闘争の日々。傷付き倒れていく味方、そして自分自身もまた傷を負うだろう。そうなってもなお戦場に立てる自信を、レイルスは持っていなかった。

(――いまはできることをやろう)

 魔導剣とマナストーンを鑑定のためレンチに預けると、レイルスは測定室へと入った。魔力の測定に使われる部屋の一つで、部屋の中にはいくつか机と椅子が置かれていた。机の上には、魔力の測定器具として使われる箱のような形をした導機があり、椅子に座ったレイルスは、その測定器具の導機の上に手を置いた。導機の表面はガラスで覆われており、ガラス面の下に回路らしきものが見えていた。レイルスには何がどう作用するのかよく分からないのだが、ともかく、それに魔力を込めれば良いということだけは知っていた。

 レイルスは測定器具へと魔力を注ぎ始めた。ガラス面の下の機構がぼんやりと光を帯びる。それを見るともなしに見ながら、レイルスはただ、本格的な衝突が一刻も遅くならないか、ということを祈っていた。

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