暗き森の集落
森の草木をかき分け、時折現れる魔物に応戦しながら進んでいたため、目的の場所に着いた時には日が中天に差しかかっていた。真昼になり、朝に食べたスープとパンがあらかた消化されて空腹を覚える時間帯――。
だが、たどり着いた村の光景を見たレイルスは、空腹どころか血の気すら失せるような思いになった。
女の子が住んでいたという、グラナトの森にある村。丘の崖に開いた横穴から入った先にそれはあった。下っていく道は人の手が入っており、足元には木が渡されて階段となっていて、天井や横の壁は掘り固めた痕跡があった。燭台も点々とあったがそこには火が灯されておらず、ルサックが持ってきていたカンテラを手に先を進んだ。
そして、歩いた先には村の広場らしい、広々とした空間があった。
縦に広い洞窟は頭上に穴が開いており、天然の光が差し込んでいる。だからカンテラの光が届かずとも、その光景ははっきりと見えた。
広場には、白骨が散乱していた。
広場のあちこちに、おおよそ四、五体ほどの白骨が無造作に投げ出されている。ローブのようなゆったりとした黒衣は経年により切れ切れになり、その下にある白骨を隠しきれずに晒していた。傍らに、槍や剣らしきものが落ちているものもあった。そういった骨は、衣類が大きく切り裂かれ、肋骨や頭蓋骨が砕けていた。紛れもない、戦闘の痕跡だった。
「……何が……あったんだ」
ルサックの呟きを、レイルスはほとんど聞いていなかった。――何があった? それすらも、もはやどうでも良かった。
彼女だけは。
「おい、レイルス!?」
レイルスは駆け出していた。広場となっている縦穴からは、四方に洞窟の道が延びている。レイルスは手近な道へと飛び込んだ。ルサックが背後から、怒鳴るような声をかけてきているが、それもほとんど耳に入っていなかった。脳裏にちらつく、少女の影だけが全てだった。背を向けてどこかに行こうとしている、小さな影の幻をレイルスは暗闇の中に見ていた。やがて、ごっと音を立てて肩が岩壁にぶつかった。外からの光が当たらなくなった暗闇の中で、前が見えていなかった。
「落ち着け、せめて灯りを持ってけ。ほら」
「……ルサック……」
正面に回り込んで、肩に手を置いてくるルサックを見て、レイルスはようやく自分が闇雲に走り出し、いまはここにいないだろう少女の姿を探そうとしていたことに気付いた。我に返ると、レイルスは意識して息を深く吐いて、首を小さく横に振った。
「それはルサックが使ってくれ」
「おい、レイルス……」
「違う。ごめん。えっと……だから、俺、光の魔導もちょっと使える。て言っても、視界を確保するだけの光だけど」
レイルスが多少、落ち着きを取り戻していることに気付いたルサックは、黙ってレイルスの言い分を聞き、カンテラを差し出していた腕を下げた。その上で「大丈夫か?」と確認するように聞く。
「うん……たぶん、大丈夫。だから……二手に分かれて、ざっと村を見て回ろう。魔物がいたらちょっと危ないかもしれないけど……」
「魔物か。気配は感じないし、大丈夫だろ……どうにも弱いながら障壁が残ってるみたいだしな。導機がどこかにあるのかもしれないし、取りあえずそれを目標にして調査するぞ」
「分かった。何かあったら叫ぶなり何なりするよ」
レイルスはマナボードを左手に持ち、手の平を上に向けて軽く腕を掲げ
洞窟の奥には、木の扉で仕切られた幾つかの部屋があった。部屋は通路に横穴を開けるような形で整然と並んでおり、人の手で掘られたものだろうと分かる。村の住人の居住区だったのだろう。狭い室内には、藁でできたベッドや木組みの棚、机や椅子などが置かれていた。空になった水差しや木のコップ、ボロボロになって読めない本の残骸など人の生活の痕跡が随所にある。
だが、そこで生活をしている者は一人としていなかった。それどころか、ところどころが木の柱と梁で支えられた剥き出しの岩壁には、赤茶色い染みがところどころに散っていた。そして、人骨も。
「……本当に、何が」
レイルスの呟きは反響さえせずに闇の中へとすっと消えていく。人の気配は一切無い。生活も、裕福とは言い難いものだったのだろう。導機と呼べる物は一切無かった。
広場から枝分かれした、幾つかの洞窟の道を探ってみたものの、レイルスが見たのは居住区と食料や物資などを貯蔵する倉庫だった。
障壁を発生させている導機を見付けたのは――正確には、そこへと至る道を見付けたのはルサックだった。
「どうにも、横道の方には重要な設備が無いらしいな」
いったん周辺の探索を切り上げ、広場へと戻ってきてからの会話だった。二人とも、見付けたのは居住区や倉庫、集会所や共同の水源といった常用する施設ばかりだった。唯一詳しく探っていないのは広場だけになり、何も無ければ調査を切り上げてカプト村に戻ろうと話し合っていた、その矢先のことだった。
「じゃあ、だいたい十五分を目安に……ん?」
「ルサック?」
「いや。……こっちの方に風が流れてるな、と思って」
ルサックはそう言いながら、もたれかかっていた岩壁に手をかざした。そして「やっぱりだ」と小さく声を上げ、拳で軽く壁を叩く。数カ所を叩くと、明確に音の違う、軽い音が返る場所があった。
「木の板か何かに絵を描いて、偽装してあるな。この村、やたら良い腕の絵描きがいたらしい」
「絵が上手いとか、そういうレベル?」
どう見ても、そこにあるのは岩壁だった。しかしルサックが手を這わせ、ある一点に指をかけると、岩壁はいとも簡単に横へとスライドして、暗い口をぽっかりと開けた。
「……この先に何があるか、見当はつくか?」
「さっぱりだ。村の話は、あの女の子はしてくれなかったから……」
自分の目で確かめるしかないことだった。ルサックが先行して隠し通路の中に入る。扉から手を離すと、木戸は自動的にスライドして元の位置へと戻っていった。真っ暗な中に、ルサックが持つカンテラと、レイルスが掲げる魔導の光が灯る。道はゆるやかに下りながら、一直線に奥へと続いていた。距離はそう長くない。せいぜい十メム(一メム=一メートル)程度の道のりだった。
道の先は扉ではなく布で区切られていた。といっても、布は千切れるように取り払われ、残骸が頭上に渡した棒から垂れ下がってるだけになっていた。その布を避けて奥へと進めば、一気に空間が広がった。
広さは、レイルスの家と同じほどだろう。さほど広くはないが手狭に感じることもない。その右手の壁際に、半ば埋め込まれるような形で、この岩壁の集落には似つかわしくないように思える金属質の物体があった。ルサックはその傍らにかがみ込み、カンテラを地面に置くと、着ていたジャケットの内から取り出したメモ帳にメモ書きを連ねながら口を開いた。
「こりゃあ……たぶん形状からして、障壁装置だな。自然の魔力を少しずつ蓄えて障壁として放出するタイプか。だからまだ障壁が、僅かばかりとはいえできてたんだな……レイルス? ……レイルス、どうした?」
呼びかけられ、レイルスははっと我に返った。レイルスはずっと、部屋の奥の方を見つめていた。そこにあったのは、木でできた台座のような物と、その上で粉々になった、宝石のような破片。そして、その破片を被った頭骨だった。骨は真っ二つに切り裂かれており、骨の下には黒い、光沢のある上質な布が敷かれている。レイルスはその骨に目を吸い寄せられていたのだった。
「ごめん……何か、珍しい光景だなって思って」
「珍しい? ああ……まあ骨を祭るような文化は、ウィリデスにもヒュドリアにも無いだろしな」
「……なんで壊されてるんだろう、骨まで。この人が、何かしたっていうのか?」
じっと骨を見つめたまま言うレイルスに「さあな」と言って、ルサックは立ち上がった。
「使えそうな導機はこれだけだった。導機自体は、わざわざ人を呼んで回収させるようなもんじゃないが……ここのことは、ギルドに報告するぞ。いいな?」
「……うん」
女の子との約束がある手前、そう確認を取ったのだろう。――しかしそんな気遣いもたぶん、もう無意味だ。
「いいよ、その方が絶対にいい。ここで何があったのか、調べるためにも……ここにはもうあの子はいないんだ。クピディタスが、連れてってしまった」
「……あ? 連れて行って、しまった?」
「ルサック。転がってる骨の中に、女の子っぽい骨はあった?」
ぽかんと開けていた口をルサックは閉ざし、それから首を横に振って言った。
「いや……どれも、ほとんどが大人のものだった。詳しくは見てないが、肩幅や骨盤を見る限り……概ね、男だろう。女もあった、かもしれないが……そもそも骨に対して部屋の数や倉の大きさがどうにも不釣り合いだ。部屋や、もっと言うとベッドが多すぎる」
うん、とレイルスは手短に肯定する。レイルスが見た中にも、あの少女を思わせるような――たとえ成長して少し大きくなっていたとしても――大きさの骨は無かったように見える。逃げ延びた、とまでは楽観視できない。そもそも洞窟という地形を考えれば、クピディタスの者が来る前に逃げ出すか、二人が見付けていない隠し通路でも無い限り、出口を塞がれれば逃げ道が無くなる。殺されたのでなければ、ここから連れて行かれたとしか思えない状況だった。
「釘刺しとくけどな、レイルス。お前一人でクピディタスに乗り込んで、一人の女の子を助け出すって言うのは、絶対に無理だからな」
「……うん、分かってる。それに、本当にクピディタスに連れてかれたかどうかも分からないし」
「分かってるならいい。その上で……もし本当に連れてかれたなら、助け出すためにも、やっぱり力が必要になる」
驚いて、レイルスは振り返った。そして自分がその言葉に驚いたことに、苦い思いを抱いて思わず笑ってしまった。――いま、自分は諦めていた。ここまでルサックを付き合わせておいて、真っ先に諦めたのだ。そもそも女の子のことだって、カプト村で話を聞くまではほとんど忘れていたのだ。薄情なことこの上ない――
「レイルス。言っとくけどな、子供の頃にたかだか数回会っただけの女の子のために、大陸一の大国と大なり小なり戦おうなんて思うヤツの方がそうそういないからな」
「……ルサックって、人の頭の中が読めるの?」
「読めるかタコ。俺にだってそういう年頃があったってだけだ。決意で悩むお年頃ってな」
「ああ……そっか、ルサックにも若い頃があったんだね」
「いまが若くないみたいに言うな! アラサーなの結構気にしてんだぞ……」
二十代後半はきっとまだ世間では若いよ、などとそれ以上に若いレイルスは言えなかった。
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