三話 伝説を追って
橋梁の町・オリージャ
グラナトの森にあった集落から出ると、レイルスたちはカプト村への帰路に就いた。道中、行く予定の遺跡についての話をまとめたが、話したのはそこまでの道のり程度で遺跡そのものの話はほとんど無かった。
「カプト村から北東に行ったところにある遺跡でな。旧文明の城だ。導機が生きてるらしくて、魔物は近寄らない」
「そうなのか。じゃあ、調査自体はそこまで難しくないかな」
「ああ。ただ、侵入者を阻む仕掛けや導機でできた機械の兵なんかが、城の上層部や近辺に転がっててな。内部には生きてるもんもあるかもしれない。ああいうのに会ったことあるか?」
「んー……一回か二回ぐらいは」
そもそも、レイルスが所属していたパーティは国が直接ギルドへと依頼するような仕事を受け持つことが多かった。学者を含めた調査団の護衛や、見つかったものの障壁が失われ、魔物との接触が予期される遺跡や遺物を相手にしてきたのだ。一方、先行して遺跡を見付け、中の罠や機械を停止させるような仕事はほとんど無かった。
「そんな顔するなよ。伝説の王のマナストーンなんて言ったけどな、普通の遺跡と変わりゃしないだろ」
「……だといいんだけど」
「大丈夫だって。俺が付いてる」
その一言が、色々な意味でレイルスには重く感じた。ルサックがいれば、何でもできそうな気がした。けれどもし、ルサックがいなくなったら? いつまでもルサックに頼り続けるわけにはいかないのだ。
(――馬鹿だな。そのためにも、強くならなきゃいけないんだ)
いちいち弱気になっていられない。ルサックがいてくれる間に、強くなる。そうすれば、他のパーティに入るにしても一人で生きていくにしても――そして、あの女の子に再び会うにしても――きっと上手くやれるようになるはずだ。
目印の小さな切り株を見る度に、レイルスは少しずつ活力を貰っているような気持ちになった。あの子に、いつか会おう。グラナトの村の人たちを二人で弔って、また一緒に遊ぼう――その一言を言いに行くために、頑張ろう。
そう思い定めるレイルスを横目にルサックは微笑み、そして前に出て、行きにはなかった蜘蛛の巣を払ってやった。
村に戻ると、二人は村長に、グラナトの森に村があったこと、そこがすでに何者かによって――恐らくクピディタスによって――滅ぼされていたことを報告した。村長は深刻そうな顔をして数秒瞑目したが、重々しい声で「分かった」と言った。
「ギルドへの報告は私からしよう。それと……この辺りまでクピディタスが来るとも思えんが、危ないことには変わりない。いずれはこの村を引き払い、近隣の大きな開拓村へと合流するかもしれない」
「……やっぱり、小さな村だけじゃ、軍隊はどうしようもないですよね」
「ああ。その時は……ワレンスの遺骨も、掘り返して持っていこうと思う」
レイルスは小さく頷いた。この辺りでは、遺体は火葬された後、硬く焼かれた陶器の壺に入れられる。かなり旧い信仰に基づく慣習で、満ち欠けする月に見立てた、白く丸い陶器壺に骨を入れると、死者の魂は神の国である月へと昇天するのだという。いまでは廃れかかった概念で、火葬をしても真っ白な陶器の壺をわざわざ用意する地域もいまではほとんど無い。ただ、ワレンスはそのように埋葬されている。
「もし俺の不在中に何かあったら……父を頼みます」
「ああ、喜んで引き受けよう。ワレンスさんには我々も世話になったからな……さて、辛気くさい話もここまでにしよう。朝は野菜を届けてくれてありがとう。代わりにと言っては何だが、数日前に燻製した肉が余っているんだ。持っていきなさい」
「いいんですか? ありがとうございます」
レイルスは頭を下げ、村長から燻製した肉を受け取った。昼食にするにしても少し多い量で、村を出た後の糧食にする分も含まれているようだった。村長の厚意にレイルスはもう一度、深々と頭を下げて村長宅を後にした。
元レイルスの家に戻ると、昼食用に余らせていたパンに燻製肉と塩漬けにしたかぶら菜を挟んだものを、木の葉で包んで鞄に突っ込んだ。さらに北へと行く船便の関係で、食事をゆっくり家で取っている暇が無くなってしまったのだった。首都間を結ぶ高速船とは違い、旧式の導機を使った船の進みは比較的ゆっくりで、緩い風に吹く穏やかな気候の中で二人は食事を取った。船上には二人以外に客はいない。レイルスとルサックが口を開かない間は、進む船に水が打ち寄せる音だけが絶え間なく空気を揺らしていた。
船は三十分ほどの航行の後、港に停泊した。
接岸した先には、カプト村よりやや大きい町があった。オリージャというこの町は、船が通り抜けられる高架橋を中心として川の両岸にできた町だ。新設された開拓村ではなく旧文明の遺跡の上にある町で、橋もその時代にできたものだった。橋は、やや汚れがあるものの作り自体はしっかりとしており、錆びたり、腐ったりした部分も無い金属でできていた。両端にある町の建物は木造とレンガ造りが混在している。土壌、特に川底の泥がレンガに適した素材なのだ、という説明は船中でルサックがしたものだった。
「この辺りで町らしい町といえばここが最後だ。後はどんなに北に行っても、ここ以上に大きな町は無い」
船から階段状の河岸へと下りながら、ルサックが言う。レイルスは周りをざっと見渡し、それから北にそびえるファタリア連峰を見た。大した距離を進んだとは感じなかったが、トロタの町から見た時よりも、ファタリアの峰は大きくそびえてみた。
「……ウィリデス側にはもう大きな町が無いとして……ファタリア連峰にあった国の町は、全部滅んじゃったのか?」
「滅んだ、ってほどじゃないな。元から小さな町しかなかったんだ。クピディタスを恐れた領土内の人々が少しずつ国外に逃げていって、大半の町や村が廃れちまった。そんな状況下で機能してる町はクピディタスの支配下にあるもんだけだ」
「あー……」
「とはいえ、領土化も名ばかりだけどな。一応ウィリデスと接してるとはいえ川は急流過ぎて登るに苦しく、下るに厳しい。峻厳な山の中にある国で、登山道も冬の間は使い物にならない。あそこを拠点にこっちに攻めてくるってことをいまのところするつもりも無いらしいな、クピディタスの兵が出入りしてる様子もほとんどない。
ま、だからといって大手を振って入国して現地人と交流できるってわけでもない。東側諸国と繋がりのあるギルドメンバーなんて、街を歩くだけで見咎められ、下手したらスパイの容疑で捕まりかねないからな。行きたいって思っても行くなよ」
レイルスは素直に頷いた。未知の国への興味は多少あったが、そんな情勢下の国に行ったところで無駄骨を折るばかりになるだろう。そもそも、行く予定も無い場所だ。遺跡調査の準備はこの町で全て整えることになっていた。
「まずは宿の予約だけ取っとくぞ。どうせ調査から帰っても年中開いてるような宿だが、押さえとくに越したことはない」
町を横切って宿へと向かう。宿は町の北側、川沿いにあった。町で唯一の宿屋は外観こそ立派なレンガ造りの建物だったが、二階建てのわりに宿泊客で繁盛している気配は無い。
「ようアーキラ。相変わらず閑古鳥か?」
「誰が万年閑古鳥の客なし宿だってぇ!? そんな減らず口いいやがるのは誰だ? 客じゃねえだろうな!」
ルサックの煽り言葉に、カウンターの中にいた男が荒い口調で言った。腹の出た、少ない金髪を頭の両側に残した初老の男は老眼鏡の奥で尖らせていた目をさっとルサックの方に向けたかと思うと、その目を驚いたように丸くした。
「客候補だよアーキラ。予約を一応入れといてくれ、部屋を一つ……オレたちが帰ってきた時に使えるように。だいたい二週間後にまた来るかもしれない」
「二週間も全室埋まらないと思って――ルサック! 生きてたのか、久しぶりじゃないか。今日はツレもいるのか、珍しいな」
「あれ、顔を見たことはなかったか。レイルスだよ、アーキラ」
レイルスの名前を聞いた途端、アーキラはルサックを見た時以上に目をまん丸く見開いた。まるで魚のように丸く目を開くものだから、レイルスは異様さを感じて思わず半歩後ろに下がった。ルサックが軽く笑う。
「アーキラ、見過ぎだ」
「あ、ああ……すまなんだ。しかし、よく二人とも生きてたもんだ」
「オレはともかく、レイルスはヒュドリアにいたんだ。ウィリデスにいるよりかは万倍安全だって言っただろ?」
「そりゃそうだ。そうだが……いや、いいんだ。泊まりの予約だったな? 二人で来たってことは、前に話してた……確か、ニダベリルとかいう古城だったか。そこに行くんだろう。予約なら幾らでも受けておこうじゃないか」
当初の剣幕とはうって変わって、アーキラはそう言って手元の帳簿のようなものにレイルスとルサックの名前を書き加えた。ルサックは軽く頭を下げ、ぽかんとして二人のやり取りを見ていたレイルスに「行くぞ」と短く言う。
「いいの? 顔見知りだし、積もる話とかあるんじゃないのか」
宿を出ながらレイルスはルサックに問いかけた。ルサックは「気にするな」と手短に言うが、レイルスとしては気になるところだった。ルサックの交友関係は、いつもよく分からないのだ。顔は広いが誰からもルサックの過去を深く聞けた試しがない。他人の過去を根掘り葉掘り聞くのは図々しいことだと思うのだが、それでも、レイルスとしてはたまにどうしても気になることがあるのだった。
「あの人、俺のことも知ってたみたいだけど」
「そりゃ俺が話したからな。仕事上、世話になったりするんだ。誰と組んでるとか、そういう話ぐらいするだろ?」
「それはそう、だけど」
「まあ昔の顔見知りだよ。そのうち話すさ」
そう言って、ルサックが過去を話したことは一度も無かったように思える。しかし、そうしてはぐらかしているということは、話したくないということなのだろう。レイルスは聞き出すことを諦めた。
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