霊峰の麓道

 宿の予約を入れると、二人はそのまますぐにオリージャの町を離れ、古城ニダベリルへと向かった。ニダベリルはオリージャから東へ行ったところにある、旧文明の古城だった。直線距離だけなら馬を走らせ二日という程度の距離だったが、オリージャ北東にある森――ミーテの森は人の手がほとんど入っていない原生林だった。そのため馬は走らせにくく、徒歩で進むことになった。ただ、グラナトの森よりも地形が平坦で、緯度が高いおかげか木々も視界をあまり遮らない背の高い針葉樹ばかりのため、進みにくいということはない。

「――冬でなければ、の話だがな」

 焚き火に木の枝を投げ込みながら、ルサックが言った。他の箇所より木々が少なく、伸びる木の幹も少し細いおかげで開けた土地になっている場所に、二人はキャンプを張っていた。簡素なテントは魔物避けの障壁付きだ。そこそこ高価なキャンプ用品の持ち主は全てルサックだ。儲かってるんだろうなぁ、などとレイルスが考えているところで、地形の説明をしていたルサックがそう言ったのだった。

「レイルス、この辺は開けてるだろ。どうしてだか分かるか?」

「……? いや。でも、木が倒れたような痕があったし……誰かが切って倒したのかな」

「そうだ。その誰かの名前だが、ファタリアって名前でな」

 え、と声を出してレイルスは思わず、山がそびえているはずの方角を見た。月の明るい夜だった。空には大月たいげつソフィアが高く昇り、その黄金の光を受けたファタリアの頂が、宵闇の中にぼんやりと白く浮かび上がっていた。

「ここまで雪崩が来るんだ」

 レイルスの言葉に「嘘だろ」とレイルスはとっさに言い返していた。

「さっきの町よか近いけど、山からは結構離れてるぞ」

「ところがどっこい本当だ。それっていうのもな、意図的に穴を掘ったりつつみを作ったりして、雪崩が起きやすい上ここまで来るような環境を作ったようでな。この先にある古城の、天然の防衛設備の一つなんじゃないかってもっぱらの噂だ。いやー、冬になる前に来れてよかったぜ」

 ルサックは晴れやかな顔をしていたが、レイルスとしては恐ろしくてしょうがない。この時期、麓の方に雪はほぼ残っていないとはいえ、それでもこの辺りに雪崩が襲ってくるという想像は、拭いがたくレイルスの頭の中に居座った。


 ――雪崩への恐怖のせいか、レイルスは中々寝付けずにいた。


 いや、初めのうちは確かに恐怖のせいで眠りから遠ざかっていたが、不眠の理由はやがて、グラナトの森にあった集落に変わっていった。

(……俺があそこにいても、助けられなかったかもしれない。けど、もしかしたら……あの子だけでも救えたかもしれない……)

 長い間思い返すことも無かったにもかかわらず、いまになって、初めて会った時の顔を思い浮かべてしまう。どこか勝ち気そうな、大人びた風に見える笑みを浮かべながらも、紫色の瞳は不安に泳いでいた。紫色の瞳――父にそれとなく聞いても、紫の虹彩を持つ瞳をした人間は滅多におらず、見たこともないと言っていた。

 もしクピディタスに連れ去られていたとしたら、それを手がかりに探すことができるかもしれない。けれど実際にはきっと不可能に近いだろう。軍に連れ去られたのなら、普通に人を探すよりも遙かに見つけ出すのが難しいはずだ。そもそも、本当にクピディタスが関与しているのかも、そして、まだ生きているのかすらも分からないのに――。

 そんなことをずっと考えていたレイルスは、寝袋から抜け出して身を起こした。横になって目を瞑っていても眠れそうにない。気分転換に、少し夜風に当たろうとテントの外に出る。

「……さっぶ」

 思っていた以上に夜風は寒く、レイルスは身を震わせた。身を縮こまらせつつ、何の気なしに空を見上げれば先ほどよりも高く昇ったソフィアが蒼白く光っていた。木々や山の陰に隠れているのか、小月しょうげつサクラの姿は見えない。元より、二つある月のうちサクラの方は、小月の名の通りソフィアよりも小さく、その月光が瘴気に阻まれることもざらにある。

 不思議なことに、小月サクラがよく見える日――特にソフィアの光が弱い日には、魔物がよく現れるのだという。ラーナにあれだけの魔物が現れた日はどんな月齢だったか。当時の月齢もそうだが、これからの月齢も一応調べた方がいいかもしれない、と思いながら、レイルスは一つ大きく伸びをしてあくびをこぼした。月を見て落ち着いたのか、ようやく眠気が忍び寄ってきていた。



 翌朝。ルサックに揺り起こされたレイルスは、その顔を見るなり愚痴をぶつけた。

「……ルサックのせいで眠れなかったぞ」

「どういう状況でも、眠るときはすっと眠って、起きるときはさっと起きる! これが野宿でサバイバル生活するときの心構えだぜ」

 いきなりの文句にも、ルサックはあっさり笑って言い返した。言いたいことは分かるし、もしかしたらルサックは、ヒュドリアポリスというある意味整った環境で探求者をやっていた自分を鍛えてくれようとしているのかも――とレイルスは思ったものの、だったらそういう心構えは寝る前に言って欲しかった、とも思った。できれば実践のしかたも一緒に。

「ま、何事も経験ってことだ。街道や町は自然の驚異からある程度離れたところに作られる……逆にこういう、人工の施設から遠いところは自然の脅威があるってこった」

「……でも、ここは城から近いよな?」

「砦や城があるところは、進軍を阻むために自然を利用してる。昨日話しただろ? 近付きにくい構造になってるってことだ。さて、朝飯食ったら進軍再開だ。昔と違って、行く手を阻む軍は無いぞ」

 ルサックは言いながら焚き火に薪を足し、そこに保存食として持ってきていた鳥肉の燻製を、串に刺して置いた。しばらくすると香ばしい匂いが辺りに漂う。肉の表面に焼き目が付く頃にはレイルスの目もすっきりと覚めていた。


 朝食を手早く済ませ、火の始末をすると二人は城への道程を再び歩き出した。周囲の風景は昨日とほとんど変わらず、針葉樹林が続いていた。時折、鹿や鳥といった獣の姿が木陰に見えた。魔物はあまり見かけない。まだ障壁が生きているという遺跡が、近づいてきているせいだろうか。

「この辺で戦争があったみたいでな、遺跡と言わず魔物避けの小型導機があったりするんだ。そういうのが転がってるか埋まってる、かもしれないからな……回りはよく見とけよ、良い稼ぎになる」

 ルサックの言葉にレイルスは頷いたものの、結局古城ニダベリルに着くまでの五日間に見付けられたのは、使い物にならない壊れた導機カンテラや折れた剣、何に使うのか分からない金属片、そしてすぐには使えそうに無いマナストーンが二、三個ほどだった。

 しかし、成果の少なさにもレイルスは落胆しなかった。一時落ち込みはしたものの、それも吹き飛ぶような光景を見たからだ。それこそが古城ニダベリルの姿だった。

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