君は誰

「――だから、君はいったいどこから来たのかと聞いているんだ!」


 宿のドアを開けて早々、聞こえてきた声にレイルスは足を止めた。声の大きさに驚いたというのもあるが、その声に聞き覚えがあったというのが一番の理由だった。声は入って右手の方から聞こえてきていた。宿の部屋は一階と二階に並んでおり、声は一階右奥の部屋の前から聞こえていた。

 目を向けると、そこには輝く金色の髪を首の後ろ辺りで束ねた、一人の青年がいた。その隣にはアーキラの姿もある。アーキラは顔をしかめて様子で「お客さん、困りますよ」と声をかけていたが、金髪の青年の方は聞く耳を持たない。ドアの向こう、部屋の中に立っているらしい『女』をから目を離し、青い目でアーキラをじろりと睨んだ。

「ご主人、分かっているのか? この女と同行していたのはクピディタス人の可能性がある。こんな時期、こんな場所に帝国から観光なんてあり得ると思うか? どう考えてもスパイだろう」

「そりゃあそうかもしれませんがね……」

「何か不満があるのなら己の身の潔白を証明すれば良いというのに、先ほどから一言も喋ろうとしない。何か後ろめたいことでもあるに違いない。この女をギルドへ連行する。話はそこでじっくり聞けば――」

「バロン! 何してるんだ!」

 金髪の青年――バロンがドアの向こうへと伸ばしたその手を、レイルスはとっさに掴んでいた。割って入ったのがレイルスだと気付くのに一拍遅れたバロンは、軽く瞠目した目をレイルスに向け、それから嘲笑を口元に浮かべてみせた。

「……レイルスじゃないか。こんな田舎で何をしている。宿の手伝いか?」

「まだ探求者だよ」

「ほう、そうか。ならば探求者としての務めを果たそうとしている、僕の邪魔をするのは何故だ?」

 レイルスは一瞬言葉に詰まったが、すぐに頭の中にある知識を引っ張り出した。

「探求者だからだ。探求者には警察や官憲みたいな権利なんて無いはずだろ。無理に人を連れてったら、どんな事情があっても人さらいだ」

「人さらいだと? 僕を誘拐犯扱いするつもりか」

「そ、そういうつもりじゃない! けど……」

 明らかに苛立ちを露わに、鋭い眼光を向けてくるバロンに怯みかけたレイルスだったが何となく後には引けなかった。自分が勢いに任せているとは分かっていたが、バロンとて冷静だとはとても思えなかった。

「同じ探求者だからこそ、こういうことは見過ごしておけない。本当にスパイだって言うなら兵を呼べばいいだろ」

「何を言う! 事は一刻を争う。こんな辺境で危機意識が欠落した兵に何ができる? 尋問どころか足取りの調査一つできるとも思えない。現場の状況一つ見極められない、一介の探求者風情でしかない君にとやかく言われる筋合いは無いな」

「……ああそうだよ、俺はただの探求者だ。じゃあお前は何なんだ! どういう立場で物を言ってるんだ!」

「……無礼者め!」

 バロンが手を振り払ったその動きに合わせ、レイルスは一歩身を引く。顔の辺りに振り抜かれた裏拳がひゅっと風を切る音を立てた。

「立場を分かっていないのは君の方だ、レイルス! 僕はヒュドリアポリスの国王から直々に命を受け、此度編成された探求者の部隊をまとめている隊長だ! 一軍団長相当の権利を僕は持っているんだぞ」

「へえ、ヒュドリアポリスから貰った権利を、ウィリデスで使うのか。だいたい軍団ってほど大きな部隊じゃないだろ。実態はただの体の良い傭兵部隊のくせに……!」

「なっ……傭兵部隊だと……! 口を慎め! 志を持った探求者たちを、君は傭兵風情と侮るのか!」

 さっき俺のことを探求者風情と言った、舌の根も乾かないうちに――と、レイルスの方も段々とバロンの態度に苛立ちを募らせていく。ほとんど一触即発の空気をまとって大声で言い争う中、騒ぎに顔をしかめた探求者たちが部屋のドアを開けて顔を出す。しかし止める者は誰もいなかった。権力を持ったバロンに、口を出したくないのだろう。レイルスは一人でバロンを叩き出す覚悟を決めた。

 が、その時。宿のロビーのドアが開いた。入ってきたのは酒場でレイルスと相席になった男で、レイルスたちの方へと目を向け、眉をぴくりと動かしたがほとんど表情を変えることもなく、大股で部屋の前まで歩み寄ってきた。

「失礼。連れが何か?」

 連れ、と聞いてレイルスはようやく、部屋の戸口に立っていた『女』へと目を向けた。そこに立っていたのは、トロタの町で男にルルと呼ばれていた少女だった。少女は恰好こそ変わりなかったもののフードを下ろしており、その顔立ちが露わになっていた。銀色の長い髪を真っ直ぐに下ろし、紫色の瞳をぼんやりと宙にさまよわせている――が、その視線がゆっくりと動いて男の方を向いた。

「……バサルト?」

 少女はようやく周囲の様子に気付いたような、いまこの時に眠りから目覚めたような声を出した。バサルト、というのは男の名だろう。その事実だけをレイルスは辛うじて受け止めていたが、それ以外のこと――たとえばバロンの言っていることやそれに答えるバサルトの声は認識できていなかった。ただ呆然と、そして驚愕しながら目の前の少女を見ることしかできなかった。

 レイルスは、その少女の顔に見覚えがあった。トロタの町で会った時は口元だけしか見えておらず気付けなかったが、その紫色の瞳を見た途端に記憶がまざまざと蘇った。

「ルナルゥス……?」

「……なに?」

「ルナルゥス、なのか? 生きてたんだ……!」

 知らぬうちにレイルスは、少女に向けて足を踏み出しかけていた。しかし、その肩をバロンが掴んで止める。レイルスが振り返ると、不審そうなバロンの視線が突き刺さった。

「その女のことを知っているのか? まさか僕を止めたのは、クピディタスの連中と共謀しているから?」

「だから、なんでスパイだとか何だとかって話になるんだよ。この子は……この子が俺の知ってる子ならクピディタスの生まれじゃない。ウィリデスにいたんだ。俺の生まれ故郷に近いところに」

「だからといってスパイではない証拠にはならないだろう。どうやら君からも事情を聞く必要が――」

「……申し訳無いが、彼と俺たちは深い仲には無い。ルルのことを知っていると言うが人違いだろう。ルルはクピディタスの生まれだ」

 その言葉にレイルスは驚いてバサルトへと視線を向け、それからルルの顔をまじまじと見た。別人だとは思えない――確かにたったの二、三回程度しか会わなかったし、顔立ちをはっきりと覚えていたわけでもない。ただ、銀髪はともかく紫色の瞳はウィリデスでは珍しいものだった。狩猟団として各地を巡っていた父ですら見たことがないと言っていた、その紫の目を持つルルが知らない少女だとレイルスにはどうしても思えなかった。

「別人、なのか……? 本当に……」

「同一人物だとは思えないな。酷なことを言うようだが、会ったことがあるなら……トロタの町で、ルルがそう言っているはずだろう」

「そう……ですね」

「知り合いではないとしても、会ったことがあるというのは事実なようだな。ならば君がクピディタスに通じていたという疑いも晴れたわけではない。兵に突き出すべきだと言うのなら、三人まとめて連れて行くだけだ」

 バロンはなおもレイルスたちを連行しようとする様子だった。レイルスは抵抗しようと思わず剣の柄に手をかけた。が、その時、勢いよく宿のドアが開いた。入ってきたのはリンだった。バロンの姿を認めるや否や、目を吊り上げて大声を張り上げる。

「バロン! そんなところで何やってるの? まあいいわ、ギルドに来て!」

「何だ、何が起きた! 僕はいま忙しいんだ!」

「あらそう、じゃあ好きにすれば? でも、元メンバーと揉め事起こすことと魔物が攻め寄せてきたこと、どっちが大事かはちゃんと考えた方が良いと思うけど」

「……それを早く言え!」

 バロンはじろりとレイルスとバサルトを睨み、それから駆け足で宿を出て行った。バロンの姿が見えなくなると、やっと話が終わったかと言わんばかりにアーキラが大きな溜め息を吐いた。

「ふー……ったく、何だったんだ、あの探求者は。実際偉いのかもしれんが、若造のくせにデカい態度しやがって。言ってることは正しいのかもしれんが、やりようってもんがあるだろうが」

「迷惑をかけたな、ご主人」

「まったくだ。まさかクピディタス人だったとはな……これ以上面倒事が起きても、俺はもう割って入らねぇからな。この国にこの時期に来ちまったんだ、疑われるのは諦めるんだな」

「アーキラさん……」

 訴えかけるような目で思わず見てしまったレイルスだったが、そういった反応になるのが仕方がないことぐらいレイルスにだって分かっていた。だからこそそれ以上は何も言わず、こちらに歩み寄ってきたリンに顔を向けた。

「話を聞くだけなら、あんたもたぶん入って大丈夫よ。来る?」

「ああ、行くよ」

 一度、レイルスは振り返ってルルの顔を見た。ルルはさっきまでの騒ぎも無かったように、ただ茫洋とした表情で宙を眺めていた。まるでどこかに心を置いてきたような態度だったが、いまは彼女を気にかけている場合では無い。彼女のことはバサルトに任せていれば大丈夫だろう――そう信じてレイルスは、リンと共にギルドへと向かった。

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