魔の足音
ギルド職員に事情を話し、カウンターの奥にある通信機を借りると、レイルスはすぐさまルサックのマナボードへと連絡を入れた。互いに挨拶をするのももどかしく、すぐさま状況をルサックに伝えると、移動の手はずをいま整えているという返事が来た。
『いまのところこっちはまだ動きが無いが、オリージャみたいな田舎にギルドメンバーが集まってるあたり、北部も危ないのかもしれないな。元よりクピディタスは、威力偵察代わりに魔物をけしかけて来てるって噂だ。どう来られてもいいよう、国とギルドで別行動をしてるのか……ともかく、何事も無ければこっちは明朝から移動を始める。流石に、魔物の動きが活性化する夜に移動するのは危険だからな』
「分かった。ルサック、気を付けて」
『ああ、お前の方もな。そっちが先に襲われないとも限らないんだ、いざとなったら合流よりも逃げることを優先した方がいい。村のことはこっちで何とかする』
逃げろ、と言われてレイルスはすぐにはうんと言えなかった。その間にルサックは『じゃあな』と言って通信機を切ってしまう。ルサックは心配してくれているのだろうが、どうにも釈然としない。本当は戦う力があると言ったのはルサックだったのに――それとも、魔物や導機人形と戦うのと戦場に立つのとでは違うのだろうか?
「……違うんだろうなぁ」
レイルスは戦争というものに直に触れたことはない。その空気を知らないということは、そこでの戦い方を知らないということだった。夜の森を無事に抜けられないのと同じで。
どういう観点においても、まだ実力は不足しているのだ。
そのことを気に病む時間は無い。通信機の受話器を置いたレイルスは、後ろを振り返ってカウンターに向かっていた職員に通信が終わったことを伝え、それからカプト村住民の避難についての話を持ちかけた。
「カプト村の方々が避難を? よかった、こちらから人を派遣する手間が省けました。なにぶん、この辺りの地理に明るい人があまりいなくて人員を確保できていなかったんですよ。ここに召集されたギルドメンバーも、オリージャの防衛やトロタ以西の戦地に駆り出される予定でしたし」
「それじゃあ……」
「こちらでの受け入れ体勢は整えています。といっても、この町自体が小さな町なので順次首都やラーナへに移動していただくことになると思いますが、とにかく避難してきてくれるなら渡りに船です」
細かい話はギルドの方で詰めることになった。事務方の仕事を手伝うこともできないので、レイルスはギルド職員に住民の受け入れ体勢のことを任せ、事が動くまで――朝になってルサックが動き出すまで、何かあったときに備えるためにも宿で休息を取ることにした。
宿に戻ると、まるで待っていたかのようにアーキラがレイルスに声をかけてきた。
「おう、レイルス。首尾はどうだった?」
「受け入れ体勢は整えてくれてるそうです。このままみんな、何事もなく逃げてこられるといいんですが……」
「何かあったら叩き起こして現場に送り込んでやる。今日は早めに寝るこったな。ただ、この宿じゃ飯は作ってねぇからな、飯食って寝るならここの隣にある飯屋に行くといい。店主は無口で無愛想だが腕だけは確かだ」
レイルスは軽く頭を下げると、さっそく食事を取ることにした。アーキラが紹介した食事処は古くからある酒場の様相をしており、ホールには丸いテーブルが並び、五人ほどが座れるカウンター席もあった。ほとんど満席に近かかったがどうにか空いているテーブル席を見付けて座り、レイルスはメニューを手に取った。酒類と酒肴ばかりかと思えば普通の食事も充実しており、ウェイトレスを呼び止めてレイルスは鶏の塩焼きやサラダ、スープが付いたセットメニューを一つ頼んだ。
料理を待つ間にも、周囲の客は忙しなく入れ替わっていた。探求者らしき装備の者もいれば商人のような身なりの者も一人二人と見える。しかし、町の住人らしき者はあまりいないようにも見えた。
そうして人の波を見ているレイルスに、一人の男が近付いてきた。
「すまんが、相席いいか」
「あ、はい……あれ、あなたは」
男の顔にレイルスは見覚えがあった。数日前、トロタの町で会った男だった。驚いて思わず顔を見ていると、
「物々しいな。やはり戦が近いからか……」
周囲を見回した男がぽつりと言った。自分に向けての言葉では無いだろうが、レイルスは小さく頷いた。
「トロタの町からこちらへ?」
「ああ。しかし、この様子ではここに留まり続けるわけにもいかないようだな」
「ええ……間に合うかどうか分かりませんが、トロタに戻ってシルワオルクスに行くか、ラーナを経由してヒュドリアポリスへ行った方がいいと思います」
そうだな、と呟いた男はメニューをざっと眺めてウェイトレスを呼んで料理を注文し、そして幾つかの品を持ち帰り用に包めないかと頼んだ。ウェイトレスは快く引き受けるとカウンターの方へ注文を届けに行った。
(あの子もやっぱり一緒だったんだ……)
姿が見えないためどうしたのかと思っていたが、恐らく宿で待たせているのだろう。夜の酒場は、酒が入って気が荒くなった者も珍しく無い。そういう者の目に触れさせるぐらいなら、宿で待たせていた方が良い、という配慮なのだろう。
「……そういえば、この時勢でお前は一人で旅をしているのか?」
「いえ、いまはちょっと別行動取ってますけどもう一人いますよ。いる、っていうか俺の方が付属品ってぐらい、あっちの方が実力あるんですけどね」
「別に行動を?」
「ええちょっと……ここの近くの村の人を避難させるために。俺はこっちの状況を連絡するためにここに残ったんです」
「近くの村――言うまでもないだろうが、避難するならなるべく急いだ方がいいだろうな。無理を推してでも夜明け前には出るべきだろう」
「……え? ど、どうしてですか?」
男は瞬間口を閉ざした。何かを考えているのか、と思いきやレイルスの食事が運ばれて来たので話を止めただけだったようだ。ウェイトレスが去ってレイルスがフォークを取った辺りで、また口を開いた。
「――トロタの港で商人たちの噂を聞いた。どうにも西から魔物の群れが押し寄せているらしい」
「……!」
「商人の噂だ、誇張や虚言も含まれる。確定的な話ではないが……もし気がかりなら装備を身に着けたまま身を休めた方がいいだろうな」
本当にそうなるかどうかは分からない――そういう口振りではあったものの、それでも全てが嘘や噂だと楽観視できるような状況ではなかった。喉に詰まりかけたサラダの青菜をスープで飲み下すと、レイルスは鶏の塩焼きを口に押し込んだ。あふれ出す肉汁に火傷しそうになりながらも、その味を楽しむ余裕はない。対する男は泰然としたもので、運ばれてきた料理を顔色一つ変えずに食べている。これも場数の違いが生む余裕の差なのだろうか、とレイルスは少しばかり悔しい思いをしたが、その悔しさも、やり場の無い焦燥に紛れて消えていった。
そこからは、特に会話を挟むことも無く二人は黙々と食事を取った。
食べ終わったのはレイルスが早く、わざわざ共にいる理由も無いので、男に向けて軽く会釈をするとレイルスは席を立った。この時間帯なら店はほとんど閉まっているはずだったが、軒を連ねる商店の窓からこぼれる灯りが、通りの石畳を明るく照らしていた。保存食や道具、マナストーンの売買をしている店に出入りする探求者をちらりと眺めたが、見知った顔はおらず、レイルスはすぐに宿へと入った。
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