第二の訓練

 レイルスだけが乗るリフトが下降を始め、導機が駆動する震えるような音が数秒続いた。十秒ほどで動きが止まり階下に到着するすると、レイルスはリフトから降りた。

 階下は上階よりも遙かに広い空間になっていた。上階と違い、塹壕や防壁の代わりなのかあちこちに人の背丈よりやや高い壁が設置されている。四方は百メム程度はあるだろうか。壁際に設置された導機のライトが白い光を放っているが、やや薄暗い印象を受ける部屋だった。

『挑戦者の降下を確認しました。挑戦者は白線の内側までお下がりください』

「……白線?」

 床に視線を落とすと、部屋の中央に白い点線で囲われた区域があった。リフトからはだいぶ遠く、意図的に近付かなければ踏み入ることはない距離だった。レイルスがその白線をじっと見ていると、おもむろに白線で四角く囲われた区域の中央に、真っ二つに切れ込みが走った。そのまま二つに分かれた床が左右に滑り、床には大きな穴が開いた。……と、下から何か音が聞こえることにレイルスは気付いた。自分が乗ってきたリフトと似たような、しかしもう少し低い、重みのあるような音が迫ってくる。

 やがて、音の正体がレイルスの目に映った。床の下からせり上がってきたリフト。そして、その上に乗っていた――

「で、っか……マジかよ……!」

 思わずレイルスはそう呟いた。上階の画面に映っていた絵で見た、四足歩行の獣を模した導機人形。黒く塗装された四肢は丸太のように太く、胴体は背負った大剣を突き刺しても到底貫通しないだろうというほどに厚みがある。しかしその頭部は、獣らしからぬただの円形の、大きな単眼を備えただけのものだった。その頭部が獣らしさを奪い、代わりに導機としての硬い威圧感を醸している。ルサックは体高4.5メムと言っていたが、その導機人形は、レイルスの目には自分の倍よりももっと巨大に映った。

『模擬戦素体8号改・バルバロは五秒後に起動します。五、四、三、二、一……起動』

 淡々と告げる声が途切れると同時、単眼が緑に光った。伏せたような姿勢からゆっくりとその導機――バルバロが身を起こす。レイルスは剣を抜いた。そして勢いよく前方に走り出した。迂闊に飛び込むのは危険だと分かっていたが、本格的に動き出す前に、どうしても確認しなければならないことがあった。距離はあっという間に詰まり、レイルスの眼前に逞しい金属の獣の肩が迫った。肩はまるで甲冑のようなパーツに覆われており、丸く盛り上がっていた。そこ目がけて、レイルスは剣を振るう。しかし、

 ギィ――……ン、

 鈍い音が響いた。肩のパーツの下には隙間があるが、それそのものはとんでもなく硬い。小さなかすり傷をどうにか付けられた程度で、むしろ剣の方が痛みかねない程に手に返った感触は硬かった。レイルスは眉をひそめながら、今度は全速力でその場から離れる。背後でズーン、と重い物が落ちるような音が響く。ちらりと振り返って見れば、一歩踏み出して体を自分の方へと向けたバルバロの姿がレイルスの目に映った。

(一歩動いただけであんな音がっ……いや、あんな重量だ、素早くは動けないはず!)

 充分に距離を稼いだところでレイルスは足を止めて振り返ろうとした。背後からはドスドスと鈍重な足音が迫っている。このスピードなら攻撃の範囲からは外れているはず――そう思ったレイルスの目に飛び込んだのは、まるで飛ぶように迫るバルバロの巨体だった。

「嘘だろ!?」

 レイルスは慌てて横へと跳んだ。肩から床に落ち、転がりながら立ち上がってさらに距離を取る。バルバロはゆったりとした速度で旋回するとレイルスに向き合い、両足で力強く硬い床を蹴って跳んだ。上から振るように迫る巨体から逃げれば、レイルスが先ほどまで居場所にゴッと鈍い音を立てて太い足が落ちる。死ぬかもしれない。ルサックはそう言っていたが『かもしれない』どころの騒ぎではなかった。確実に死ぬ。

「訓練じゃ、なかったのかよ……!」

 それとも古代人の感覚では死ぬほどの訓練もよくあることなのだろうか。どう考えてもおかしいだろうと思いながらレイルスは、バルバロの側面に回る。跳ぶように突進する導機の獣は、しかし旋回する動きには弱いようだった。側面に回り、のろのろと動きを変えている隙に攻撃を加えればいい。――だが、

(攻撃するったって、どうすりゃいい!)

 バルバロはその体を、まるで全身鎧プレートメイルでも着込んでいるかのように金属の装甲で覆っていた。ただ剣で切り付けるだけでは装甲を突破できないだろう。硬い装甲を突破するには魔導を使うしかない。レイルスはマナボードに触れ、導機を流し込む。

爆発エクスプロード!」

 内部が装甲で見えない以上、ともかく範囲と火力がある魔導をと爆発の魔導を放つ。目に見えない場所に魔導を放つのは相応の精神力を要求されるのだが、魔導はちゃんとその装甲の内側で発動したらしい。くぐもった爆発音が聞こえ、バルバロの動きが止まった。

 しかし、動作が停止したのは、ほんの一秒程度だった。

 バルバロは何事も無かったかのように動き出した。両の前足を振り上げ、ドン! と強く地面を蹴る。地面が揺れるほどの動きに圧倒されたレイルスが呆然と見上げる前で、バルバロは突っ張るようにして地に着いた四肢に力を入れる――実際は導機なのだから力を入れる必要は無いはずだが、恐らく基になった魔物がそのような動きをしたのだろう――すると、船の霧笛のような音が体から大きく鳴り響いた。と同時に、バルバロの背中からシューッと音を立てて蒸気が噴き上がった。

「レイルス! 何ぼーっとしてんだ! 距離取れ、距離!」

「……!」

 上からかかったルサックの声に、レイルスは我に返ってバックステップで距離を取った。再び、重い霧笛に似た爆音が鳴る。しかし背中から噴き上がったのは、今度は蒸気ではなかった。赤く、そして明るく輝くものがその背中から噴き上がる。炎だと分かった瞬間、レイルスは上を見ながらさらに距離を取った。噴き出された炎が無数の火の粉となって落ちてくる。舞うような軌道に反し、落ちてくる速度は速い。あっという間にレイルスが立っていた辺りに火の粉がまき散らされ、冷たい鉄の床の上で燃え尽きていった。

「火じゃ駄目か……!」

 唇を噛みつつレイルスは次の手を考える。考えるといってもやれることは少ない。火が駄目なら別の魔導を使うしかないが、レイルスが使える魔導のバリエーションはそう多くない。一つのマナストーンから、同じ属性ならば幾つかの種類の魔導を放つこともできるが、それはそういった機能を備えたマナストーンにしかできないことだ。レイルスの手持ちでは、火と風、土と水の魔導が一種類ずつ。光の魔導は明るくするだけなので論外だ。風と水はそれぞれ、風の弾を放つ突風ブラストと高水圧の水を放つ水飛沫スプラッシュだけで、装甲の内側を直接狙えるようなものではない。土の魔導も一応使えるが、それは土の盾を作るという小技のようなものでこの場面では使い物になりそうもなかった。

(どれも使えない……やっぱり火か!? けど、火の魔導じゃ背中から火の粉を吐き出され、下手すりゃ火だるま――)

 その時、レイルスははっとしてバルバロの背中を見た。背丈の関係で上の方は見えない。だが、その背中からは煙一筋立ち上っていない。あれだけのエネルギーを発したというのにだ。レイルスは次に、その体全体に目をやった。関節ごとに装甲に覆われ、ごつごつとした体だった。

(正面から斬りかかってもしょうがない、なら――!)

 レイルスは再び火の魔導を放とうと身構えた。一方バルバロは頭をレイルスの方へと向け、いまにも飛びかかろうと肩と頭を低く下げていた。マズいと思う隙はなかった。全神経を集中させ、レイルスはその内部に炸裂する炎を思い描き、マナボードに魔力を注ぎ込んだ。

爆発エクスプロージョン!」

急速に流れた魔力は火の力を帯び、跳び上がろうとしたバルバロの内部で一気に膨張した。ボン、とくぐもった爆発音が鳴り、衝撃に怯んだ金属の四肢がその場に釘付けになる。その隙にレイルスは、一気に距離を詰めて後ろ足へと駆け寄った。走りながらもう一段、今度は土のマナストーンへと魔力を流す。

防壁ストーンウォール!」

 放たれた土の力はレイルスの体を取り囲み、鱗のような形をした無数の石塊と化した。体の周りを浮遊するそれに左腕を軽く突き出して魔力を流し込めば、左手首を中心に鱗状の岩が密集して盾のような形となった。半身を覆うような大きさの盾を左に、剣を右に持ったレイルスはバルバロの後ろ足に近付くと思い切り跳び上がり、装甲で出っ張った関節部に足を引っかけ、左手でその背中を掴んだ。と、その直後、先ほどと同じように、バルバロが跳ね上げた両足で床を強く叩いた。猛烈な振動に揺られながらもどうにか背中にしがみつく。そのまま、無理矢理体を持ち上げて背中に転がり上がる。と、目の前に硬く直立する板が唐突に現れた。

「っ! あぶなっ……!」

 言いつつも、これからもっと危なくなるのだという思いが頭を過り、気絶しそうなほどの緊張にレイルスは見舞われていた。あれこれと思考を巡らせるのもままならず、這うようにして立ち上がると、思い付いたことをともかくそのまま実行に移した。目の前の板に半ばもたれかかるようにして身を乗り出し、背中へと思い切り右腕の剣を振り下ろす。剣を振り下ろした先には強固な装甲ではなく、動物にとっては筋肉にあたる動きをする、弾力のある樹脂の束があった。

(狙い、通りだ!)

 剣の切っ先は黒い樹脂の束を貫き、その下にある内部機構に当たる。目視できなかったその場所には、火の粉を放出するための機構があった。そしてそれを使う時、背中を覆っていた装甲が開くのだ。レイルスがもたれかかっている板は装甲板の一部だった。硬い感触をさらに貫こうとレイルスは手足に力を込めた。

 しかし次の瞬間、樹脂の束の隙間に見えていた、まるで煙突のようなパーツが薄赤い光を放った。マズい、と思って身を引こうとしたレイルスだったが剣は深々と突き刺さってしまい、しかも機構が駆動する際の樹脂の動きに巻き込まれてピクリとも動かない。仕方なく剣から手を離して背中の発射口から距離を取りつつ、左手を頭上に向けて石の盾を構える。

 直後、耳をつんざく轟音が鳴り、火炎が噴き上がった。顔を盾で守ってはいたがそれでも熱波が押し寄せる。ほんの二、三秒のことだというのに、襲いかかる熱は額から流れ出る汗がそのまま蒸発してしまいそうなほどだ。頭上から、ルサックの声が聞こえたような気がしたが、レイルスにそれを気にかけている余裕は無かった。灼熱から逃げ出したくなるのを歯を食いしばって堪え、背中の剣を抜く。炎が噴き上がってから降ってくる、その一瞬の隙の中で再び距離を詰める。

「でやあぁっ!」

 力を振り絞るように吼え、両手で構えた剣を振り下ろす。狙うは先に突き立てられた剣の場所。斜めから、まったく同じ場所へと思い切り大剣を突き立てる。突き立てられた剣を押し退けながら刺し傷を、さらに抉り、その下へと深く切っ先を沈めていく。金属の機構を貫く感触と、下から湧き上がる熱の余波がレイルスの神経を強く刺激する。ぽたりと滴った汗が背中に落ちて、じゅっと音を立てて蒸発した。熱さに意識が朦朧としかけたが、その場に留まることはできなかった。上から火の粉が降り注いでくる。

 レイルスは両手を剣から離すと、その背中から思い切り跳んだ。受け身を取りながら床を転がったが、それでも痛烈な痛みを肩と背中に感じ、レイルスは息を詰めながら立ち上がった。

 よろけながら立ち上がったレイルスの視線の先には、動きを止めたバルバロの姿があった。自らが噴き上げた火の粉を鋼鉄の体に浴びたバルバロが、地響きを立て膝を折った。

「――やった、勝った! 勝ったぞ!」

 歓喜の声を上げたのはレイルスではなく、上で見ていたルサックだった。レイルスは、信じられないような心地で己の剣を二本、背中に突き立てられた導機の獣を見つめていた。

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