穏やかな夕暮れ

 しばらくの間、ただ佇んでワレンスを想っていた二人は、太陽が傾き始めた頃になって、そっとその場から踵を返した。

 村に戻ると、レイルスは村長宅へと向かった。頭がつるりとはげ上がった、齢七十を越してまだ背筋がぴんと伸びた老紳士である村長は、にこやかに二人を、特にレイルスを迎えた。

「生きて帰ってくれて、本当によかった」

「大げさですよ、ガレット村長……」

「大げさなものか。本当に……無事でよかった。何かあったらあの世のワレンスに何と言ったものか」

「そうなったときは、俺の口から自分で言い訳しますよ」

 レイルスたちが村長宅を尋ねたのは、今日泊まらせてもらえる場所の相談のためだった。カプト村には宿というものが無い。レイルスが村にいた頃、外から来た者は村長宅に泊まることが多かった。だから自分たちも――とレイルスが相談を持ちかけたところ、まだレイルスが使っていた家が残っているからそこに泊まればいいと言われ、レイルスは驚いた。

「いいんですか、村長」

「はは、構わんよ。どのみち入植がそう多い場所じゃない。君の家はずっと空き家でね。たまにここを訪れる、旅の者や商人にあそこを貸しているぐらいだ。君が使えない道理はないだろう」

 そういうことなら、とレイルスは深々と頭を下げた。そのまま、いくつか村長と言葉を交わした。大半がワレンスの昔話だった。といってもそれは、村で自分と父が過ごしていた頃の話で、レイルスは父の過去に迫ることを村長からも聞けなかった。父は己の身の上を、誰にも話さなかった――そんなこともあり得るだろう。故郷の思い出は胸に秘めたまま、誰にも打ち明けることなく、我が身と共に永遠に眠らせるつもりだったのかもしれない。


 自分が知る、懐かしい思い出だけを聞いて、レイルスたちは村長宅を後にした。


「――なあレイルス」

 家から出てすぐ、ルサックが口を開いた。

「何だ?」

「俺、先に行って飯作ってくるわ。お前は積もる話もあるだろ? ちょっと村を回って来いよ」

「え、いいのか?」

「いいっていいって。けど夕方までには帰ってくるんだぞ」

「分かってるって」

 軽く手を振って答えると、レイルスはルサックと別れて村の中の散策を始めた。足の向くままに歩くと、まず村の外周部をぐるりと回るような形になった。外周部にはレイルスの背の高さほどの石垣が組まれ、外側には水路を兼ねた堀がある。川から引いた水が水路へと流れ、さらに各家庭の水道へと繋がっている。だから民家は石垣の近くにあった。

 一つだけ、集会場だけは村の真ん中付近にある。家々の前を回って集会場の前まで来ると井戸が見えた。水路を引く前からある古井戸は、ファタリアから流れ来る地下水路の水を汲み上げていて、主に飲み水や煮炊きの水に使われていた。水道水は、洗濯や掃除に使われることが多い。飲めないことは無いのだが、上流にも一応村と呼べるものがある以上、食用と生活用水は分けられていた。

 井戸の前では三、四十代ほどの女性が三人、立って話をしていた。水を汲みに来たついでの井戸端会議なのだろう。傍らには、水樽が一体となったような構造の台車があった。レイルスが近付いて挨拶をすれば、三年の空白など無かったように、気さくな挨拶が帰った。しかし、口々にレイルスの無事を祝うその言葉は、村長の口から出たものと同じほどの重さを伴っていた。

「本当、生きててくれてよかった」

「怪我とかはしてないかい? ご飯はちゃんと食べられてるのかい」

「このご時世だからねぇ、何が起きてもおかしくないんだからさ。気をつけとくれよ」

 口々に伝えられる言葉を、レイルスはありがたく受け取りつつも、少しだけ困惑してしまった。

「……確かにウィリデスは魔物もよく出て危ないみたいだけど、大げさじゃないですか?」

「そりゃ、レイルスの腕なら死にはしないって思ってるけどねぇ」

「でもやっぱり心配なものは心配なんだよ。ここいらじゃ、お国の目も届かないからさ……ちょっと前も、グラナトの方にクピディタスの連中がいたみたいだしさ……」

「……グラナトの方に?」

 レイルスは驚いて聞き返していた。グラナト。カプト村の西にある森だ。といっても周囲一帯が全て森に包まれているので、厳密な境界は無い。ただ、少しだけ小高い丘になっており、同時にあちこちに洞窟が口を開けている――その辺りがグラナトと称されているのだった。

「あの辺りで連中、何をしてたんだか知らないけど……元からあそこには荒ぶる神がいるって話なんだ。これ以上、荒れるようなことがあってほしくはないんだけどねぇ……」

「レイルス、あんたたまにグラナトの森の方に行こうとしてただろう? 何回注意してもこっそり抜け出して出て行こうとしては、ワレンスさんに連れ戻されてたけどねぇ……今回ばっかりは、本当に行かない方がいいよ」

「あ、ああ……えっと、はい……」

 返事に困りつつ、レイルスは一応その場の面々を安心させるために、承諾の意を示していた。――しかし、内面では全くそうは思っていなかったのだが。

「あの……クピディタスはどうして、グラナトの方に?」

「さあねぇ。村長がそう言ってただけだったし。……あ、その目。もしかして確認しようってんじゃあないでしょうね」

「え、いやいやそんな……まっさかぁ」

 レイルスは誤魔化そうとしたが、年の功かそれとも女の勘なのか、それとも長年世話を焼いていたからなのか。上っ面の否定はすぐに見破られた。

「まったく、しょうがないねぇ。行きたいなら明日にしなよ。それと村長に許可取って、ルサックと一緒に行くんだ。この辺じゃ何が起きても不思議じゃあないんだから」

「は、はい。すみませんでした」

「謝ることないんだよ。みんな心配してるだけさ」

「日没まではまだ日があるし、暇があったらうちの亭主たちのとこにも顔出しといておやり。無事なのは知ってても、顔見るのと見ないのとじゃだいぶ心持ちが違うってもんよ」

 レイルスはしっかりと頷き、三人に別れを告げると、共同の農場へと向かった。

 夕刻が迫る農場では一通りの作業が終わったところで、その場に残っていたのは二人の男だけだった。一人は、井戸端で出会った女の夫である農夫。もう一人は、農具や炊事道具作りを生業としている鍛冶屋の男だった。

「――もあるし、やはりもう少し頑丈なものを作らないといけないな」

「収穫も一段落付く。保存食作りからあぶれた人手を研ぎに回そう」

 二人は農具を収めた倉庫の横に立って、そんな会話をしているところだった。農具の手入れの話だろうか。春の収穫が終わり、夏が近づくのに合わせてのことかもしれない。

「あの……」

「ん? お、おお……! レイルスじゃないか!」

 もし手伝えることがあるのなら、というつもりでレイルスは話しかけたのだが、当然ながらそれどころではなくなった。井戸端で話した時と同じようにまずは体の心配をされ、次にギルドでの様子を尋ねられた。力不足故にパーティからの離脱を勧められ、それに従ったことを伝えれば、口々に慰めの言葉が飛び交った。

「お国からの要請か。だったらパーティを抜けた方が良かったかもなぁ。もしかしたら、クピディタスとの戦争に関わる羽目になったかもしれない。危ない目にあうぐらいなら、実力不足呼ばわりされたとしても、そっちの方がきっと良いぞ」

「とはいえ、お前の実力は確かなものだと俺は思うぞ。周りの評価なんて気にせず、己を高めることに務めればいくらでもお前は強くなれるさ。いや、強くなってもらわないと困る!」

「あはは……まあ、頑張ってみますよ。ところでさっき、何か話してましたけど……」

 手伝いを申し出ようと話を変えようとしたレイルスだったが、全て言い切る前に農夫の方があっと声を上げた。

「そうだレイルス。お前、今日の飯は決まってるのか? 飯っていうか食材だ。保存食しか持ってきてないだろ? 野菜持ってけ、採れたてだぞ」

「え、ええ? あ、ありがとうございます……」

「まだじゅうろ……十七歳だからな、強くなるためにもたくさん食って、体を作らないとな!」

 結局、勢いに押されたレイルスは手伝いを申し出られなかった。どちらにしろ、夜が迫っていたので手伝う時間もほとんど無かっただろう。ルサックも家で待っている。レイルスは、大人しく家に帰ることにした。

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