二話 一人旅、からの二人組

森の漁村・トロタ

 レイルスとルサックを乗せた船は途中、二つほどの村や町で止まり、航行を続けた。大河ウラーノは幅を増しながら緩やかに流れ、ゆっくり南へとその流れを変えていく。

 西から南へ、もっとも大きく曲がるところで、北から流れる川が合流する。ネヴェスキオという名の川の先には、天を衝くような高い山の峰が見えていた。レングワード大陸いちの巨峰、ファタリア連峰だ。いまの時期はまだ麓に緑が見えるが、冬になれば麓までもがすっかり白く染まり、川は凍って流れ込む水量も減る。反面、雪解けの時には氷混じりの雪解け水が流れてくる。

 温度の違う川がぶつかるこの辺りは、良い漁場だった。古代からの漁場だったのだろう、ウラーノとネヴェスキオが合流する地点には村もあった。トロタと呼ばれるこの漁村でいったん船から降りたレイルスたちは、立ち寄った店で香り高い川魚にありつくことができた。

「く~……やっぱトロタの魚、特にプラムトの塩焼きは酒に合うんだよなぁ……」

「ルサック……まだ昼だよ……」

 ……とはいえ、こうなることはレイルスにとっては少々予想外だったが。

 おすすめの飯屋があるんだとルサックに言われて立ち寄った店は、どちらかといえば酒場に近い様相だった。広々としたホールには幾つもテーブルと椅子が並び、入り口左手には長いカウンター席があった。ギルドメンバーも良く利用するのだろう、時折ルサックに声をかける者もいたし、ルサックからレイルスを紹介され、その成長ぶりに驚く者もいた。

 レイルスがそういった、いわば仕事仲間と二言三言、言葉を交わし合っていた隙を衝いたように、ルサックは酒を頼んでいたのだった。ウィリデスの酒は果汁種が基本で、この辺りではマッカベリという、日陰に膝丈ほどの高さで密集して生える低木の木の実が酒に用いられる。レイルスが気付いた頃には、ジョッキグラス一杯の赤いマッカベリ酒は、半分ほどになっていた。

「あのさ、もしかして……ルサックってアル中?」

「いや? 去年ギルドから医者に診てもらえって言われて医者に行ったけど、至って健康だったぞ」

 嘘くさい、とレイルスは思った。そもそも医者に行くよう勧められるような飲み方をしていたのだから、その時点で飲み過ぎだと思うのだが。しかしルサックはこともなげに、

「心配しなくたって、タガが外れたような飲み方はしないぞ。何せ一回、飲み過ぎた状態で遺跡の調査に行って貴重な遺物にゲロを」

「止めろ聞きたくない飯が不味くなる、止めて」

 これでもレイルスは、ルサックのことを尊敬している。探求者としてもそうだし、一個人としても。一人で当たり前のように生きていくだけでなく、時に足を止めて他者を助け、適切な報酬を貰いはするが驕ることもない。父とはまた違う意味での、人生の師と呼んでもいい存在だ。……ただ、いまは少し、尊敬の心が三日月みたいに欠けていたが。

「ま、失敗から学ぶこともあるってことだ。命に替えても詫びるような失敗なんてそうそう無いし、それを迫るヤツはだいたいろくでもないからな。謝りたくなかったらばっくれてもいい」

「うん……まあ、ためにはなるけどさ……」

「そうだろう、そうだろう。っと、流石にこのぐらいにしとくか。もう一杯飲んで船上で体調崩すのはしゃれにならないからな。酒酔いと船酔いの相乗効果ってのは凄いぞ」

「せめて俺が魚食べ終わるまで待てない? その話」

 魚は上等だった。ただ、魚の肴にする話のせいで台無しだった。……今度は一人で食べに来よう。レイルスはそう固く誓った。

「悪かったって……あー、ちと量が多すぎたか。表で風に当たるか……ついでに、北に出る船のチケットも買ってくる」

「あ、うん。食べ終わったら船着き場に行っとくよ」

「おう。また後でな」

 言葉にわりには一切酔った様子もなく、しっかりとした足取りでルサックは外に出ていった。レイルスは一人で、黙々と魚の塩焼きにかぶり付く。魚の脂と柔らかな白身、絶妙な塩加減に香ばしい匂い。大衆的な値段で食べられていいのかと思うほどに美味しい一品だった。が、ルサックがいなくなると、少しだけ味気ないような――

(…………いや、気のせいだな)

 酒酔いと吐瀉の話を隣でされるのは、やっぱり不味い。二重の意味で。二人だけのパーティを組むと決めたいまなら、会話ぐらい後でいくらでもできるのだ、かつてのように。だからいまは黙々と、この自然の恵みに舌鼓を打つだけだ。まるで使命感に駆られたように、レイルスはしっかりとトロタの焼き魚を味わっていった。



「ふー……少し、食べ過ぎたかな……」

 酒場から出たレイルスは、満足げに深く息を吐きながら、街路をぶらぶらと歩いていた。あまりに真剣な食いっぷりに心を打たれた酒場の店主に、魚をもう一尾オマケしてもらったのだった。オマケの魚は流石に商品の物より少し小さかったが、それでも当初想定していたよりも食べた満足感は大きかった。船が出る時間もあるのでそうゆっくりはいられないのだが、いままで通ってきた都市部のせかせかした空気とは違う、活気はあるがどこか親しみやすい漁村の空気に、レイルスの心は解きほぐされていた。

 トロタの村に、レイルスはあまり寄ったことはなかった。レイルスが知る町や村は、ラーナのようにギルドのある町か、開拓途中の村ばかりだった。ルサックと過ごした二年間は、ほとんど首都シルワオルクスとラーナの町を拠点とした活動ばかりだった。というのも、国がギルドに頼むような遺跡調査の仕事ばかりをやっていたからだった。主要都市からのルートが確保されていたので、必然的に拠点もそういった場所になっていたのだ。

 探求者には大きく分けて、二つの仕事がある。一つは、すでに見つかっている遺跡や遺物の調査と発掘、もしくはそれを行う学者などの補佐や護衛。もう一つは、自力で旧文明の遺産を見付けることだ。前者はギルドから斡旋してもらえるし、報酬もきっちり出される。しかし後者は、発掘物の第一発見者ということで所有権が得られたり、相当な高値で遺跡の情報や遺物を売ることができるものの、発見から発掘までを自力でやらなければならないため、リスクも大きい。

 レイルスが回してもらっていたのは前者の仕事ばかりだ。しかしルサックは、後者の仕事を多く担っている様子だった。……つまり二年前は、新人でもやりやすい仕事を一緒にやってもらっていたのだ。

(あの時は、分からなかったけれど。いまなら分かる……研修、っていうか、色んな意味で、育ててもらってたんだろうな……)

 十五歳といえば、国によってはまだ学校に行っている年頃だった。レイルスは学校には行っていなかった。読み書きと剣を父から習い、探求者としての生き方はルサックに習ったのだった。優しくしてもらって当然――などとは思わない。どれほど親切にしてもらっても、レイルスにとっては、本当は助ける理由の無い他人でしかないのだ。

(もしかしたら、オヤジに頼まれてたのかもしれないけど……それでも一応、タイミングを見てお礼、言っとかないとな)

 改めて礼を言うとなると、少し気恥ずかしい。その時のことを考え、面はゆい感情を一人抱いたレイルスは、うつむき加減に苦笑した。

 すると――ふと、足元に何かが転がってきた。

 思わず足を止めると、そこには小さな果実が転がっていた。だいたい親指の先程度だろうか。先ほどルサックが飲んでいた、マッカベリの実だった。無意識のうちに拾い上げて前を見る。

 すると、そこに黒い影法師が立っていた。

 レイルスは驚いてその姿を見つめた。黒い影法師は、頭からフードを被り、全身を黒いローブで覆った小柄な人間だった。影法師はふらりとレイルスに近付き、その眼前に立った。よく見ると、手には小さな手提げの籐籠がある。籠の中にはマッカベリの他、黄色や黒、藤色といった色合いの果実が大小様々に詰まっていた。

「あ……あの、これ君の?」

 影法師は声をかけられ、ようやくレイルスの存在を認知したようにゆっくりと顔を上げた。フードのせいで目元は分からないが、白い頬や柔らかな線を描く顎、桜色の唇を見て、どうやら女性らしいということだけは辛うじて分かる。一房だけ、銀色の髪が襟元にこぼれ落ちている。ウィリデス以北からファタリア連峰にかけての地域には銀髪も珍しくない――が、上から下まで影のように黒い、黒ずくめの衣服はどの地域にも見られない様式だった。

(果物籠持ってるし、行商人……? でも、あまり見ない格好だな)

 不思議に思いながらも、レイルスは籠の中にマッカベリの実を戻してやった。すると、影法師はゆったりとした動きで籠の中の果物を一つ取った。手の平サイズの丸く黄色い果物で、それを無言でレイルスに差し出してくる。

「え? ……くれるのか?」

 お礼、ということなんだろうか。戸惑いながらもそれを受け取ると、影法師はすっと手を下ろした。どうやら取ってもよかったらしい。

「あ、ありがとう」

「…………」

「……あのさ、君っていったい――」

 どこから来たんだ? そんなことを、レイルスはほとんど無意識のうちに聞こうとしていた。しかし言い終わらないうちに、

「ルル、そこにいたのか。離れるなと言っているだろう」

 そう声がかかり、一人の男がルルと呼ばれた影法師の後ろに立った。大柄で、黒い髪を短く刈り上げた、精悍な顔つきをした男だった。年は四十ほどだろうか。腰には剣を佩いている。ギルドメンバーか、もしくは国軍兵士のように見える様相だった。

「買い物が楽しいのは分かるが、一人で先に行くなと……ん? お前――」

「あ、いやその、その子がちょっと落とした果物を拾ったんで」

 目を向けられ、とっさに言い訳じみたことを言ったレイルスだったが、男が見ていたのはレイルスではなく、レイルスが背に負っていた剣だった。

「その剣……珍しい物を持っているな。どこで手に入れた?」

「え、珍しい……ですか? いや、剣の師匠みたいな人から貰った物なんで、出所はちょっとよく分からないんですけ、ど……」

 言っているうちに、出所の分からない武器を持っていることにレイルスはひやりとしたものを感じた。もしかして、盗品とかだったらどうしよう――!? と思いかけたレイルスだったが、ベルダーがそんなものを渡して寄越すとも思えない。実際、男もそういうつもりで話しかけたわけでは無かったらしい。

「いや、すまんな。よく似た剣を故郷で見たことがあるものだから、てっきり同郷の者かと思ってな」

「あー……いえ、俺この国出身なんで」

「そうだったか。使うなら、己の力量として相談して使った方がいいぞ。ではな……ルル、行くぞ」

 男が呼びかけて歩き出すと、ルルはその後ろを小さな歩幅でちょこちょこと歩いてついていく。二人の姿にちらりと視線を送ったレイルスは、はたと我に返って前を向いた。もうルサックが船のチケットを買って、待っているかもしれない。二人が去った方向とは別の方向、船着き場の方にレイルスは早歩きで向かった。

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