木こりたちを救え!

 大通りを西に走り抜けると、街をぐるりと囲む外壁が見えてくる。そこから出て一分ほど進むと、視界がすっと暗くなり、ぼんやりと霞んだ。陰りは瘴気によるものであり、霞みは障壁によるものだった。道の片側には街灯が等間隔で並んでいる。ヒュドリアポリスの主要都市間を繋ぐ大街道には障壁が備わった街灯もあったが、予算の都合からか、この街道にはそういったものは無かった。

 すでに一歩間違えれば死の危険がある場所だ。否応なくレイルスは緊張を覚えながら五分ほど馬を走らせ、途中で馬首を南へと向けた。横道は細く、固められた土でできており、二本のわだちがくっきりと森の方へと伸びていた。

 その道に入り込もうとした直前。何かが弾けるような音が前方から聞こえた。

「! 信号弾……!」

 レイルスが顔を上げると、暗い空に赤い光が三つ、数秒点灯して消えていった。赤の三点は退却を示している。間髪入れず、黒い煙が一筋、天に向けて噴き上がる。狼煙の色は撤退の方向を表し、黒は北を示すものだった。

(北に逃げる……こっちに来る!)

 前方に視線を戻す。この辺りは伐採場として整備されており、木々は間伐されていて、周辺の森よりも見通しがきいた。木々の向こうには、道の左右へと枝を伸ばすように森に分け入る道が見える。視界にはまだ動くもののの影は見えない。見落としが無いようレイルスは馬を並足に戻し、耳を澄ませた。

 ――すると右手側から音が聞こえた。それは人の声だった。

「急げ! もうすぐ本道だ!」

「援軍も一人こっちに向かってるはずだ、持ちこたえろ!」

 レイルスは手綱を引っ張り横道へと入った。片手で腰から下げた剣を抜く。馬車一台がやっと通れるような狭い道に、人の一団と、それを取り囲む異様な姿と雰囲気をした獣がいた。人の一団――マンダリン以下四人のパーティは、二人の木こりを囲むようにしてそれぞれが武器を構え、じりじりと本道側に動いていた。相対する獣は犬のような見た目をしていたが、全身が青黒く、体からは黒いもやを漂わせていた。瘴気に侵され魔物となった動物だ。

 レイルスが乗る馬は、その十匹弱はいるだろう魔物の群れの左方へと飛び込んでいく。よく訓練され慣れているのだろう、怯えることもなく駆ける馬の背から身を乗り出し、迫る魔物の背中目がけて剣を振り下ろした。肉を貫く確かな感触と共に魔物が断末魔を短く上げた。

「援軍か!? 本道方面の敵を! 護衛対象を連れて逃げてくれ!」

 分かりましたと言っている暇や余裕はレイルスに無かった。退路を確保しようとして馬首を巡らせた途端、魔物が大口を開けて飛びかかってきたのだ。馬の背よりも高く飛び越え、横っ腹に噛みつこうとしていた魔物を剣を払ってどうにか叩き落としたものの、浅い一撃だったのか、魔物は顔から血の代わりに黒いもやを流しながらも再び地面に立った。

 が、その直後、鋭い刃が振るわれたかのようにその首が裂けた。誰かが風の魔法を撃ったらしい。乱戦で巻き込まずに撃つ技量は相当なものだ。他三人も、各々剣や槍を振るって魔物を近づけさせていない。このパーティなら指示通りに護衛対象と逃げてもやられることは無いだろう。確信を得ながらレイルスは再び馬を突撃させる。剣を振るってなるだけ魔物を退けさせる。

「いまだ、走って!」

 マンダリンのパーティの誰かが叫ぶ。二人の木こりが、魔物の輪が切れた部分を走って抜ける。追いかけようとした魔物の前にレイルスは再び飛び出し、今度は真正面から剣を振り下ろした。骨を割るように顔面を切られ魔物が叩き落とされる。他にも二、三匹の魔物が飛びかかってきたが、放たれた突風の魔法にバランスを崩し、その牙や爪をレイルスに突き立てることなく着地していた。

 一匹だけ、手近なところに落ちた魔物の首の辺りを上から斬り、レイルスは手綱を引いた。白馬が首を本道の方へ向ける。木こり二人はもう本道へと出ていた。

「後は任せます!」

「ああ、気を付けてな! 数が多い、まだ出るかもしれないんだ!」

 その言葉を聞きつつ、レイルスは馬の腹を蹴って走らせた。木こり二人との距離はあっという間に縮まった。「このまま街へ!」と叫べば、声を出す気力も無いのか木こり二人はレイルスを見上げ、視線だけで頷いた。レイルスは一度馬を止めて横道の方へ目を向けた。魔物を上手く、マンダリンのパーティが引き付けてくれているようだ。追撃が来る様子は無い。

(けど――本当に多すぎる。一度に十体近くもなんて……)

 世界は瘴気にまみれてるが、野生の獣は意外と多く存在する。未発掘の遺跡の上や、瘴気が自然と薄くなっているところに生息しているのが常で、魔物化してしまう獣というのは群れから離れたり、あるいは自然災害で遺跡の導機が破損して障壁が消えた場所で発生するものだった。町から近く森の中にも一つ小さな遺跡があるこの辺りでは、魔物が大量発生することはそう多くない。はぐれ獣が魔物と化したとしか思えないのに、あの数は不自然だった。

「何が起きてるんだ、いったい」

 愚痴るように呟きながら、レイルスは木こりの背を追った。馬を歩かせ、その後ろに付く。馬に二人を乗せて町に帰らせるのが早いのだが、瘴気のせいでそれもできない。だからなるべく急いで、まとまって退避するしかないのだが――走り続ける負担が大きかったらしい。肩で息をしていた木こりたちの歩みは徐々に遅くなっていき、ついに一人が足を止めた。

「おい……止まるなよ、逃げねぇと……」

「けどよ……もう、走れねえ……足が痛えんだ」

「もしかして、足に怪我を?」

 道の横に生える木に背中を預けていた木こりが、「ああ」と荒く息を吐いて言った。

「大したことじゃねえよ、逃げるときにちょっと捻っちまったんだ」

「……そうだ、あんた探求者だろ? 治癒の魔導ってのは……」

「あー……すいません、俺あんまり適性が無くて……」

 初めからそこまで期待していなかったのだろう。「無理言ってすまねぇな」と言う言葉が返る。魔導は、マナボードにマナストーンという小さな石をはめ込むことで使えるようになる。使おうと思えば誰でも使えるが、人によって、マナストーンの属性に対する適性が違う。歯車に噛み合わせの善し悪しがあるように、合う合わないがあるのだ。適性が無いと、どれほど良いマナストーンを使っても高い効果を引き出せない。そして、治癒術に適性を持つ者は、他の属性に比べて比較的少数なのだった。

「ま、こんくらいの怪我なんてよくあることだ。泣き言なんて言ってらんねぇぞ」

「分かった分かった、もう行こう。俺だって魔物の餌になんざなりたくねえからな」

「……あ、そうだ。剣の鞘、杖代わりにしてください」

「おおっと、悪いな」

 レイルスが腰のベルトから鞘を外して渡すと、木こりはそれを地面について支えにしながら立ち上がった。レイルスの剣は刃渡り八十セムあまりと片手で振るうにしては長い、ロングソードだった。馬上でもある程度振り回せるし、何より……やや低い身長のせいで短いリーチを補ってくれる。レイルスが愛用する理由はそういうものだったが、いまは杖としてその鞘が役に立っていた。

 もっとも、そのありがたさを噛み締める時間は無かった。

 がさり、と森の中から音がした。レイルスは左手をズボンのポケットに突っ込んだ。マナボードは基本、使用者の魔力マナを流し込んで発動させる。触れていなければ使えない。

 とっさの判断だった。

突風ガスト!」

 レイルスが声高に唱えた途端、突風が音のした方へと打ち寄せた。草むらから飛び出そうとしていた、犬型の魔物が再び草むらの中へと消える。

「道の真ん中へ! なるべく森から離れてください!」

 叫んで指示を飛ばす合間に、レイルスは魔物が出た方へ目を凝らした。木々の影に隠れるように、瘴気をまとった獣の姿が見えた。見えるのは先ほど魔導をあびせかけた一体だけだが、伸びた影が木の後ろから二つ、三つと覗いていた。

(複数……自分だけならともかく、護りながらやれるか……!?)

 やるしかなかった。マナボードを持ったままの左手で手綱を握り、右手の剣を握り直す。準備ができた時間は僅かだった。木の陰に隠れていた魔物が飛び出してくる。二体、三体と続けざまに飛びかかってくる二頭に対して再び風の魔導を叩き付けたが、局地的な突風を避けた一頭が飛びかかってきた。長く鋭い爪を持つ手が振り上げられる。剣を体の前で掲げてそれを防ぐと、地面に着地した直後で隙だらけの獣の背に向けて、レイルスは剣を振り下ろした。手応えはあったが、絶命したかどうかを確認している暇は無い。前を向き、今度は低く飛んで牙を突き立てようとした魔物を、身を乗り出して切り払おうとする。が、切っ先が肉を抉ることは無いまま空振りした。

「危ねえ!」

 その時、すぐ後ろから声がかかった。レイルスが驚いて顔を上げたその時、三匹がいた方向とは全く違う場所から、低い姿勢で一匹の魔物が駆け寄ってレイルスの腕を噛んだ。

「いっ……うわっ!」

 そのまま強い力で引っ張られて鞍上から落ちる。地面に叩き付けられる瞬間、レイルスは風の魔導を放っていた。噛みついてきた魔物を退けようとしてのことだったが、結果としてそれがクッションになった。すぐにレイルスは起き上がったが、とはいえ状況は最悪だった。強かに打ち付けた左半身には痛みが走り、その上、目の前には魔物が二匹。そして何より、すぐ側で発動した魔導に驚いた馬が両足を振り上げ、暴れ始めたのだ。それまで馬体の近くに寄っていた木こり二人が慌てて距離を置く。が、ほぼ真下にいたレイルスはそうもいかなかった。

「くそっ……! うおおっ!」

 半ばやけになりながらもレイルスは怒声を上げ、剣を持つ腕を引きながら前へと跳んだ。吶喊の声に魔物が気圧されてくれるわけもないが、勢いと気迫は剣に乗った。目の前の一匹の頭部に刃が突き立てられ、返す刀でさらにもう一匹を切り伏せる。こちらは致命傷にならなかったものの、右半身を深く切り裂かれた魔物は悲鳴を上げてレイルスから距離を取った。直後、ごつっと鈍い音がするのをレイルスは聞いた。魔物が馬に蹴られたのだろう。そう判断しながらも、体の前に剣をかざす。

 奥にいた二匹が突進してきていた。もう剣を振るっている時間は無い。二匹を切った勢いの隙は大きかった。魔物が体当たりをするようにぶつかってくる。レイルスは突き飛ばされ、よろめいたところでさらにもう一頭が跳んだ。ほとんど頭の高さほどに跳び上がった魔物の、鋭い牙をレイルスは見た。

 肉に鋭い物が突き立つ、鈍く湿った音を間近にレイルスは聞く。

 重いものが体にぶつかってくる。だが――牙で抉られる痛みはどこにも無い。驚きに見開いたレイルスの目に、一筋の光が映った。

「ナイフ……?」

 両刃のナイフがその首に突き立っていた。戦闘用の、ありふれた投擲用のダガーだ。援軍だと頭が理解するよりも早く、もう一本が飛来する。それは吸い込まれるような精密さで、レイルスに突撃した魔物の首に突き刺さった。魔物は何が起きたか分からないような、驚いたような目をレイルスに向けたままその場に倒れ伏した。

「いったい……誰が?」

 自分に寄りかかってきていた魔物をどかし、レイルスはダガーの柄の先を見た。直線的に跳ぶのだから、投擲した者は当然そこにいた。

 そこにいたのは、無造作に栗色の髪を肩口まで伸ばした一人の男だった。左手にダガーを一本持ち、右手をレイルスに向けて軽く振っている。油断なく左右に視線を走らせた琥珀色の目が、レイルスに親しげな視線を向けた。その姿を見た途端、レイルスの体からどっと力が抜けた。驚きと、安堵に頭が瞬間真っ白になっていたが、それでも声だけは出た。

「ルサック……!」

 それだけしか喉から出なかった。ルサック。それが男の名前だった。ルサックはレイルスと、そして馬を宥めている二人の木こりを見回して、

「積もる話は後だ。逃げるぞ」

 手短に、それだけを言った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る