1-17 エンマリア商会
「くそっ ついてねぇ」
奴隷商エンマリアはつい口に出して悪態をついた。
領都から鉱山都市プレネスへは街道を避けて旧鉱山地帯の山道を経由して向かっていた。
街道はここのところ複数の野盗団が出没し、いくつかの商隊が消息を絶っていると商業ギルドで警告されていた。隣国イントラ帝国との戦争の噂が絶えないためプレネスは特需に沸いている。高く売れる鉄を運ぶ荷馬車や買い付け資金を持った商人を狙う野盗団にとって今は稼ぎ時だろう。
普通なら護衛を増やすところだが、当然護衛料金も値上がりしている。そのため野盗が出没しにくい山道へ迂回し、護衛はCランク1パーティー6人だけにした。日数は伸びるが雇い賃よりも安く済む。他には丁稚2名と奴隷が暴れても抑え込める専属の護衛2名 計11名だ。
今回の商いは戦争奴隷20名とワイン大樽6個を届けに行く。既に買い手はついており届けて代金をもらうだけだ。その他に仕入れのおまけに貰った亜人の欠損奴隷を娼館に売ってこずかい稼ぎをするつもりだ。向こうでは鉄製の武器を買い付けて領都に運んでくる。いつも通りの取引のはずだった。
エンマリアは大棚の庶子だ。父親は辺境伯の御用商人、但し婿養子なので実権は無く跡取りに必要な子供は既に3人いる。母は宿の仲居で手籠めにされてエンマリアを産んだ。毎年お手当をもらいながら酒場で働いていたが、エンマリアが10歳の時流行り病で亡くなった。身寄りのなくなったエンマリアは毎年お手当を運んできていた番頭の紹介で丁稚に出た。そこで仕事と文字と計算を覚え、14歳で貯めた小銭を元手に独立した。
エンマリアは商才に恵まれた。とりわけ商人にとっては神の贈り物と呼ばれる空間魔法の適性があった事が大きかった。マジックストレージが使えたのだった。時間経過はするが500kgもの重量のものが運べた。この魔法を武器に成り上がっていった。
最初は遠くの遺跡まで出かけて入口付近で冒険者から直接、余剰の魔獣を買い取った。冒険者にとってギルドを通さない売買は昇格に必要なポイントが付かないがギルドの買取価格とほぼ同価格で販売できる。遺跡内ではギリギリまで獲物を担ぎ、入口付近でたむろしている商人に割に合わない物を売却し身軽になって都市へ戻りギルドで魔石や高く売れる部位だけを販売する。冒険者にとってポイントが付かない分、不利に見えるが都市に戻る途中で魔獣や野盗に襲われるリスクを減らすメリットがある。
そんな需要を狙った商売をする商人は多くはない。普通は割に合わないからだ。荷馬車の借り賃と利益がほぼ相殺される位しか利益は見込めない。空間魔法が使える商人だけが出来る丁度いいスキマビジネスになった。運びきれない獲物を買い取り、その場で自ら解体し空間魔法で都市へ運び、小口で食堂や宿へ肉を、皮は防具屋や服屋へ売ってコツコツと資金を貯めた。
ただ、この商売だけで大成した商人はいない。供給される魔獣の量や質に上限があるからだ。それに大っぴらにやると商業ギルドや冒険者ギルドに目を付けられる。あくまでも少量だから許されているビジネスだった。エンマリアにとって飛躍に必要な最低限の資金を溜めることはできたが同時に上限も見えてきた。
転機を迎えたのは18歳。実の父に商業ギルドで初めて会ったことだった。顔見知りの番頭に挨拶をしていると後から来た恰幅のよい男をはじめて見て自分の肉親であることを確信した。が、そのことは一言も口には出さず、番頭も触れず、ただ若手のやり手商人として紹介された。
その男も一目で分かったようだが、そのことに触れず世間話をした。エンマリアはこれからビジネスを伸ばすために新規の商材を探していると言うと
「戦争奴隷を扱ってみないか?」と聞かれた。
ここミリア王国はその頃、近隣国から戦争を仕掛けられていた。防衛戦争の場合、得られる収入は賠償金と捕虜の身代金位だ。捕虜が貴族なら身代金は出るが徴兵された平民や奴隷の亜人の場合はその身柄を奴隷として売って換金する。この売却代金で戦費を賄うのだ。御用商人である父の商会は辺境伯からこの戦争捕虜の換金を押し付けられていた。
同じ領内の鉱山へ売るだけのおいしい仕事かと思っていたが、実際には入荷量の全てが売れる訳ではないので在庫を抱えるための商館と世話をするための人員が必要になる。仕入れ元は戦争捕虜と犯罪者は領主、それ以外は高利貸しや冒険者ギルド、売り先は娼館や鉱山、傭兵ギルドと付き合う先もグレーゾーンと決してきれいな商売ではない。確かに儲かるビジネスではあるのだが、少なくとも領都から王都へ商売を拡大しつつある元父の商会にとって望ましいビジネスではなかった。元父としては自分の息がかかった先へ切り離したかったのだろう。
参入したくても入れないおいしい利権を渡すという提案は一種の慰謝料か手切れ金と考えると納得できるものだろう。
「ギルドの保証金や商館を作る費用が用意できませんよ」
「保証金は代金を全て商業ギルド経由にすることを引き換えに2年ほど猶予してもらう様ギルドに交渉しよう。商館はうちの奴隷用商館を賃貸で貸そう。担保は全在庫と商業ギルドの預金債権を付けてもらうが」
「ありがとうございます。そういう条件なら何とかやっていけると思います」
その後3人で商業ギルド長と話をしてエンマリア商会を設立した。実態としては父の商会のダミー会社だが、それでも俺の商会だ。その夜、町はずれの集団墓地へ行き母の墓前に報告した。夜なら泣いている姿を人に見られないで済むから。
それ以降、11年ほど世間では必要だけど人目を憚る商行為を生業にしてる。実績も積み、それなりに資産も増えた。税金と父の商会へ払う経営指導料という名の上納金を引いても十分貰っているが、それ以外にも商会を通さない取引でも儲けている。商業ギルドの口座を通さない、現金仕入れで特定の顧客へ現金のみで販売する後暗い商売だ。今日もマジックストレージは大量の現金がある。これでプレネス産の高性能な武器、特に暗器を仕入れて領都や王都の裏組織に売る予定だ。これがまた儲かるのだ。ただ、このビジネスは人任せにはできないのが欠点だ。それで今回の行商には自分で行くことにしたのだった。
「ゴブリンどもとは大分距離がとれたようっす。あの連中きちんと役目を果たしたようですぜ」護衛のフェルフォが先ほどの旅人の男と投げ捨ててきた亜人の奴隷の事を言ってきた。
フェルフォとは、駆け出しの頃からの付き合いだ。その頃はBランクの冒険者だったが、遺跡でケガを負ったことを機会に引退した。丁度、奴隷を扱うと決めたので護衛にと声をかけて雇った。後遺症はあるようだが奴隷に対する威圧や商売上のトラブルから時々送り込まれる刺客への対応には問題なく務まっている。
あの旅人は気に入らなかったし、あの欠損のある亜人はまとめて戦争奴隷を引き取った時ついでに貰ってきた物だ。鉱山奴隷用の娼館に売ってこずかい稼ぎするつもりで持ってきたが、こういう目的で使えたなら損にはならない。
大きな音を立てながら2台の幌馬車が森を抜けるべく急いでいた。
この先に見える日が差し込む先がこの森の出口だ。
段々と出口が近づいてきた。
このまま速度を維持して走り抜けるか?ここまで来たら一安心か? 今の速度のままでは馬が潰れかねない。馬は大きな財産だ。奴隷をメインに扱うエンマリアにとって欠かすことのできない経営資源だ。だがここで油断して速度を落とすとあのゴブリンの群れに呑み込まれる。
財産か命か?何年かに一度訪れる大きな選択肢をここで迫られるとは思わなかった。
「このまま速度を落とさず走り抜けろ」エンマリアは感情を押し殺して御者に指示した。
このまま 日の差し込む方へ 走り抜ければ答えは必ずある。そう確信していた。
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