第四章 反乱


 蚊門で話をした後、俺は蛇門へとやってきていた。

 各界との行き来には、左手の指輪を使う。


 難しい手順などはなく、行きたい門界を念じながら指輪を掲げるとゲートが開く、という仕組みだった。


 ただし事前に同一門のネットワーク情報によって、特定されている場所のみである。複数の帝位を持った門帝は、そのネットワークを独自に繋げて共有化できるため、情報同士の乗算が行われ、単一門の門帝や門徒に比べて、移動できる箇所が飛躍的に増えるということだった。


 実際には門徒程度の実力者が、他門のテリトリーに入ってしまうと秒殺されてしまう。単独である程度の生存力が見込める門帝ではないと、この機能は有効には使えない。


 現在俺は『蛇門』と『蚊門』の情報ネットワークを組み合わせて、数百のテリトリーに単独侵入が可能らしい。だがその中でも相手の戦力や能力が判明していて、こちらが優位あるいは同等以上の戦闘が見込めるのは、数十程度だった。


 よほど経験のある者ならばともかく、相手側に罠が仕掛けられたり、門帝のウーズ自体を無効化にするウーズも存在しているらしく、そういった状態で物量作戦に出て来られると敗北することもあるという。


 勝率という意味、安全という意味も含めて、今移動可能なテリトリーはあり門とはえ門と門の三カ所だけであった。蝿門と蛾門は、蚊門のクーデターが落ち着けば現在の戦力で落とせるという。意外に手強いと言われているのが蟻門だった。


 情報上では、蟻門は門帝の帝位継承が激しく移り変わるらしい。何となくそれも頷ける話だが。リアルタイムで今現在の門帝を把握することが難しく、どうしても少し遅れた情報となってしまうようだった。


「蟻って意外に力が強いんだよね。だってあいつら、自分の体より大きなモノを毎日運んでるんだよ? 日常ではあのサイズだから驚異とならないけど、あいつらのテリトリーに入っちゃうと、スケールアップされるから強敵なんだ」


「スケールアップって?」


「んーっと、タクローちゃんに合わせて例えると、人間サイズの蟻ってことだね。同一サイズまで巨大化してくると考えればいいんじゃないかな。身体も能力もね」


 リアのその言葉で巨大な蟻を連想してしまい、大きく身震いがした。

 自分と同じ大きさのモノを毎日運んでいる。要するに筋肉ムキムキのマッチョマンだと言うことだろう。


「どの門もそうだけど、門徒にも種別ってのがあって、蟻門の中でも厄介なのが毒持ちとか、他の生物を奴隷として働かせるサムライアリだね。こいつらは凶暴で好戦的だから、いざ戦うってなると注意が必要だよ。いくら門帝でも、毒っちゃうとその影響下に置かれるからね。解毒のウーズでもあれば問題ないけど」


 つーか、俺勝てんのかよ?

 リアの慰めが、何の慰めにもなってないことに気付いてしまったのであった。


「お待ちしておりました。門帝様」

 リアのところへ行った後だったので、ジョカの言葉に違和感があった。


「こっちでは門帝って呼ぶんだな?」


「はい。他の者の手前もありますので」

 なるほど。真面目なイメージのジョカらしい答えだった。彼女は学校で見せた表情とは違い、格式張った笑みを浮かべている。どちらかと言うと、学校で見た彼女の方が生き生きしていている気がした。


「それでは、現在の帝務についてですが――」

 間髪いれずに説明を続けようとするジョカの言葉を、一旦遮る。


「ちょっと待ってくれ。今日は聞きたいことがあるんだ」


「何でしょう?」

 長い前髪の間から瞳を覗かせて、こちらを見ている。


「万が一、俺に何かあった場合、帝位が継承されるわけだが。そうなったら、蛇界に与える不都合にはどんなものがある?」


 リアよりは経験や造詣に深そうなジョカである。多少遠回しでも、それなりに考えた質問でないと期待した答えが得られないと考えた。


 そもそも俺に何かを隠しているとか、何らかの黒幕による陰謀が絡んでいる場合、馬鹿正直に話すとは思えなかったからだ。


 ジョカはしばし考えるように俯いて、

「不都合……ですか」

 小声でそう言った。


「思いつく限りでは無数にありますが……どうしましょう。すべてお答えしましょうか? 丸二日ぐらい掛かるかも知れませんが」


 そんなにあるのか。


 それらはつまり、本来は俺がしなければならない帝務とやらになるのではないだろうか。基本的に蛇界や蚊界に常駐している彼女たちは、俺がヒト界で学校生活を行っている間もそれらを行っていたのだろう。


 だが彼女たちは何を思ってか、ウチの学校に入学してきた。つまりそれまで帝務に掛けていた時間に、多少なりとも影響があるということになる。


 俺はそこでひとつの疑問が浮かんだ。

 ウチの学校に来ることが、それほどに重要なのだろうか。


 帝務というからには、門界に直接関わるような様々な仕事なのだろう。それらはつまり、自分たちの門の生活に直結するようなことであるはずだ。それらの時間を蹴ってまで彼女たちが学校で時間を過ごすというのはいったい……。


「門帝様?」

 下から覗き込むようにジョカが言った。


「ああ、すまん。いや、とりあえず影響が大きなやつだけでいい」

 思考の波を振り払って、なんとかそう答える。そしてジョカはゆっくりと話し始めた。


「まず、これはどの門界でも言えることですが。門帝が代わることで、それまでの門徒の忠誠度が一旦リセットされます。とは言ってもゼロになるわけでなく、初期値に戻されると言った方がいいでしょう。個体によって初期値は違いますので、あるモノはあまり変化がなかったり、あるモノは反骨心がむき出しになったりします。実際、蛇門でも拓朗様が門帝を継承した時、小規模な諍いがありましたから」


 知らなかった。蚊門はともかく、蛇門はちゃんと整備されている印象を受けていたからだ。それも彼女の落ち着いた雰囲気がなせる技なのだろうか。


「でもご安心下さい。それらはすべて滞りなく鎮圧済みです。すべてを処刑した訳でなく、物品などで忠誠度の回復が見込める者はそのように対処しております。帝位の継承前後での我が門の戦力比は、大体九十パーセント程度でしょう。しかしこれらの対処が遅れてしまうと、被害が飛び火していってしまいます。ひどいときは五十から三十パーセントほどになってしまうこともあるとか。そんな状態は、他門に攻め入る隙を与えるようなモノなので、これは最重要事項になりますね」


「た、大変だったんだな……すまん、苦労を掛けたようで」

 無意識の内にそんな台詞が飛び出ていた。ジョカはパッと顔をあげて、両手のひらを左右の頬に当てて、ポッと赤くなる。


「そ、そのような言葉をお掛けにならないで下さい……と、と、当然のことをしたまでですから……」

 そのままの姿勢で、小さく左右に上半身を振ってモジモジとし始めた。


 でもこいつ、蛇なんだよなぁ……。

 漠然とそういう想いが頭を横切った。


「んで次は?」

「ああっ! 申し訳ありません!」

 驚いたような表情を少しだけ見せて、凛々しい格式張った顔になった。


「えっと……その次に問題となるのが、やはり私との信頼関係でしょうか」

 小さく何度も頷いた俺は思わず、「なるほど」と答えてしまった。


「帝位継承があった後、門帝様がどういった性格の持ち主で、どういったことを好み、どのようなことを嫌うのか。まずそのリサーチから入ります。そしてそれらから導き出される解答を元に、最善の関係を築けるような概要を作り、環境を作り、私を作ります。それらがすべてやり直しになってしまいますので、やはり困ってしまいますね」


 言わんとしていることはよくわかった。コロコロ代わられると、その度に仕事のやり方や考え方を変えなければならない、と言っているのだろう。そう考えると、彼女たちは俺に合わせて接してくれているのだろうか。


 もしかすると、蜜とのこともすでに調査済みで、そんな俺の心を晴らそうと、忘れさせようと、あんなふざけたやり取りを――そこまで考えて、自分が考えすぎだと言うことに思い当たり、すべてを塗り潰すことにした。


 仮に彼女たちにそういった趣向があったのだとしても、俺が勝手にそう考えるのとは関係がない。少なくとも彼女たちは、右も左もわからずに、まだ何もしていない俺の帝務とやらを全部自分たちで処理してくれているのだから。それだけで十分だと思うことにした。


「門帝様……? 私は門帝様とならこれからも上手くやっていけると思っております。蚊門の従者とも、これからは友好関係を築いていけるようお話しましたし、今後は同盟門だと考えておりますので。ですので、どうか末永く帝位の座についておられますよう、心から申し上げます」


 人間の女の子より、女の子らしいな。ちょっと古いイメージに習っているようだけど、相手をちゃんと立てたりするところなんか、今のヒト界では味わえないことだ。


 俺の中のジョカのイメージが、良い方面へ更新されたのだった。



「困ることってそんなもんか?」

 なるべく彼女たちの支えになりたい。


 そういった心境の変化があった。ジョカもリアも、本心でどう思っているのかはわからないが、対面的に俺を信頼してくれているように思える。ならその期待に応えたいと考えたのだ。


「いえ、まだありますね。門帝様が思っておられるより、色々と困るんですよ」

 この空間では初めて見る軽やかな笑顔だった。


「例えば、ウーズの契約にしてもそうですね。門帝様のウーズがその門に与える影響は非常に大きいのです。門全体の八割近くの戦力を担っている方のユニークなスキルですから。アタリ、ハズレも大きいですし、それに問わず使いこなせない方もいらっしゃると聞きます。そうなると門全体の戦力が大きく半減してしまうことになりますので、それなりの軍備を整える必要があります。軍事費を多く設定することになるので、それをどこかの費用から工面する必要があります。そうやって門内のバランスをとる必要があるわけですが、門帝が代わってしまうとそのバランスも最良ではなくなる可能性もありますし……」


 言っていることはよくわかるが、実際の作業は非常にめんどくさそうだった。要は方針そのものが代わるため、すべての事柄の調整をし直すということなんだろうが。


 考えるのと行うのでは、雲泥の差なんだろう。

「とりあえず、色々大変なんだな」


「はい。色々大変なんですよ」

 健気に笑って見せる彼女だったが、顔の端々に疲労の陰すら見えてくるようになった。


「もう率直に聞いてしまおう」

「……? なんでしょう?」


「おまえは俺のことを信頼してくれているか? まだ何かをしたわけでないし、能力的にも高いとは言えないと思う。それでもこれからの俺に信頼を抱けそうか?」


 紅い瞳が大きくなった。丸々とした目でじっと見つめてくる。そしてにっこりと笑ってくれた。


「はい」

 短く答えた彼女はまだ笑ってくれていた。これに俺の心はグッと掴まれてしまう。


「頑張るよ」

「大丈夫です。私が門帝様に負担を掛けないよう、サポートをしますから」


「うん、でも無理はしなくていい。任せられそうなら俺に任せてくれ」

 彼女は頭だけを小さく下げて、「お心遣い、痛み入ります」と言った。


「その上で、聞きたいことがあるんだ」

「はい、何なりと」


「俺が選ばれた理由は何なんだ? まさか偶然と言わないだろう?」

 鎌をかけたつもりだった。


「……そうですね。お話しておきましょうか」

 意外過ぎるほどあっさりと吐いてしまうジョカ。


「現在ヒト門を除く門界の間で、帝位の奪い合いが日常化している、ということは以前お伝えしましたよね」


「うん、聞いたよ。でも制限時間などの兼ね合いで、ウーズの結集がリセットされるっていうのを繰り返しているんだよな」


「はい。そしてヒト門には、自分たちの生活に直結しない他生物を排除しようとする動きがあります。事実、そうして絶滅にまで追いやられた稀少門というのが存在しています。ヒト門の間では絶滅したと伝えられている生物たち、実は生き残っているんですよ。自分たちのテリトリーから出ないだけで」


「稀少門……ってトキとか? ああ、トキは鳥門……なのかな」


「いいえ。あまりに個体数が少なくなった者たちは、稀少門という枠で一括して扱われています。そして彼らのテリトリーは例外的に不可侵領域となっており、我々他門の生物も遵守する扱いになっています。もしかすると、我々蛇門もご厄介になる時が来るかも知れませんからね」


「な、なるほど……」


「それらがどういった意味なのか、おわかりですか?」

 少しだけ責めるような、目つきと口ぶりだった。


「俺たちヒト門が……」

 ジョカは小さく頷いた。気のせいか満足げな面持ちだ。


「稀少門のテリトリーの場所は、我々にも知らされておりません。彼らしか知らないのです。絶滅の危機に陥った時、彼らの方からコンタクトをとってくると聞いています。そして……ヒト門はこのカテゴライズを受け入れないと、我々は考えています」


 以前も彼女が言っていたことだった。自分たちのルールを従わせようとするところがある、と。そしてそれはあながち間違いとも思えなかった。


「またヒト門も一枚岩ではいかないと思うので、稀少門の存在を知れば、それを悪用する者も出てくると考えられています」


 耳が痛い話だった。ジョカはさらに続ける。


「我々の間では、そういった悪意のある者は存在しません。完全な縦社会ですので、輪を乱す者は例外なく処刑となります。それらを放置することで、他門から連合を組まれて弾圧されることもありますから」


 不思議なことに、『暗黙の了解』というのは生物の生理的現象が生んだ言葉なのではないかと考えてしまった。ヒトが生物であるなら、守るべきルールとして暗黙の了解という言葉が存在する。そしてその語源は誰かが作ったものではなく、ヒトが作成したものではなく、万物すべての生物の元から生まれた、いわば神の作ったルールではないだろうか。そんな気がしてしまった。


「そして我々が稀少門に属さないで済む、ひとつの解決策が導き出されました。その解決策は現在ほとんどの門で実行されています」


「解決策……それは?」


「ヒト門の力を借りることです」

 ルビーのような瞳には、俺の顔が映り込んでいた。



「俺たちヒトの?」


「はい。ヒトの力を取り入れることで、我々は絶滅を免れようとしているのです。しかし門帝に宿るべきウーズには、それ相応の適応者でないと拒否反応を起こしてしまうケースがあります。他生物の生態を自身の中に組み込むわけですから、生物を組織している細胞が抗体反応を起こすわけですね」


 ウーズの契約のことを思い出していた。蚊の方ではなく、蛇の方だ。最後に頭のてっぺんから足の先へ、蛇のようなモノが駆け巡った瞬間のことである。あれが他生物を取り入れたということなのだろうか。それとも契約に付随した痛みすべてのことなのか。


「門帝様。あなたが生物全体から選ばれた訳ではありません。我々蛇門への適正が、特別高かったために選ばせて頂きました。もちろんこのことはナーガ様も承認済みです。踏まれたことに承認したわけではありませんが……」


 つまり彼女たちは俺に帝位継承するタイミングを狙っていたということになる。ミミズを踏んでしまったのは事故らしい。


「目には目を……とでも言いましょうか。ヒト門の進化速度は異常です。また『何らかを利用する』という知識が、潜在的な性格面もあるのか、とても優れています。他者を利用する、道具を利用する、他人の考えを利用する、他生物を利用するなど」


 確かにヒト門の社会は利用することで形成されている。表向きはヒトのためだと謡われているが、その実は自分のために他者を利用していることがほぼ百パーセントだろう。自分のためとは悪い意味ではなく、生きていくために必要不可欠なこととして、互いに利用し合って生きているのだ。


「では我々もヒトを利用してみよう、と。ヒトに帝位を継承して、その能力を使ってみようという考えに落ち着いたわけです。それが、我々が生き残るための必須策となりました。ヒトの力を取り込み、己の種を強化するということです。その状態でヒト門に襲われた場合でも、ヒトの門帝にそれぞれの種のウーズを加えた我々との戦力比は、決して今までのような強弱関係では終わらないだろうという結論になったのです」


 実に理に適った対策法だと感じた。聞いている限りは、門同士の争いで絶命に陥った生物はいない。そもそも兵同士の戦いは効率が良くないため、門帝同士で戦って相手の門を支配下に置くからだ。つまりむやみやたらな種の殺生を行っていないということである。


 となると種の存続を前提に考えると、驚異となるのはヒト門だけなのだ。そのヒト門に対処するために、その知恵や『何らかを利用する』という考えを門内に内包することで、種の更なる強化を促そうということなのだ。


「さすがに考えられているな」


「死活問題ですから」

 少しだけ真顔でジョカは答えた。


「もうひとつ聞きたいことがあるんだ」


「何なりと」


「以前聞いた話だと、ヒト門は門帝の存在をトップシークレットにしていると言ったな?」


「はい。従者の方はともかく、これは幾ら倒してもキリがないので、意味がありません。門帝は居場所もわかりませんし、テリトリーとしている場所も可能性が高い、という場所しかわかりません」


「ん? テリトリー? テリトリーは、あの、学校とかある俺たちの世界じゃないのか? あれはヒト界なんだろ? だから俺は八時間しかいられないんじゃ」


 俺はずっとヒト界――つまり地球全土がヒト門のテリトリーだと思っていた。


「いえ、ヒト界に関してはその通りですが、テリトリーは別の場所に隠されていますね」


「そうなのか……さっきの口ぶりだと推測はついているみたいだが」


「はい。アメリカ合衆国のネバダ州にあるエリア51という場所はご存じでしょうか?」


「UFOとかの?」


「UFO?」

 名前だけ聞いたことがあった俺は、思いついたことをそのまま口に出してみたが、ジョカには首を傾げられた。


「その話はわかりませんが、アメリカ空軍が利用している領域ですね。ここは実に警備が厳重なため、なかなか調査することができません。何より、ヒトを警戒しているならまだしも、我々の世界の者すらも入る隙間がないのです。それはこの門界に関しての知識がある者が統括している可能性が大きい、というのが理由です。しかし内部に潜入成功した試しがないので、いまだ誰も確認はできていないという状態ですね」


 イメージ通りのエリア51の説明だった。地下ではUFOの製造が行われているだとか、宇宙人がいるという類の噂を聞いたことがある。またそれだけでなく、領域に近づく者がいると、どこからともなくすぐに警備兵が飛んで来たり、怪しい風貌や速やかに退去に応じない場合は一方的に発砲される恐れもあるという。


 俺の住むド田舎からすると、想像できない。それと同時に極秘裏の密談が行われている可能性が高いというのも頷けた。


「エリア51を調査することは可能か?」


「調査……ですか」


 今までの歯切れの良い彼女の台詞とは違った。その口調が、もうそれが不可能に近い事柄であることが想像できる。


「難しいんだな?」

 ジョカは申し訳なさそうに小さく頷いた。


「送っても無駄だということは、これまでの調査で判明しております。領域内、わずか一メートルほどに進入したところで、諜報員が何らかの要因で殺害されておりますから。そういったことから、志願者が出るとも思えません。命令だとすると出奔する可能性があります。結果的に調査が行われることが難しいと判断されます」


 なるほど。エリア51は謎の領域のままで、善後策を考えなければならなかった。

「では誘き出す方法として、どんな考えがある?」


 ジョカは眉を潜ませて俺を見た。

「誘き出す……? 一体誰を誘き出そうと言うのでしょう?」


 そうか。俺の思惑の話はしていなかったか。

「ヒトの門帝をだ。俺はそいつを倒さなければならん。おまえたちも、そうなれば種の安全が保証されるのだろう?」


「確かにそれはその通りなのですが……」

 またもやジョカは言いにくそうに口ごもった。


 そして、それがどういった意味を持っているのか、俺はわかっていた。



「タクローちゃん!」

 蛇門のテリトリーにいきなり入ってきたのは、銀髪のツインテールを黒い部屋に輝かせたリアだった。


「急に現れたな……」

 文字通り、いきなり目の前に沸いたのだから驚きも一入だ。


「ああ、ごめんごめん。追跡ゲートを使ったから……ってそんな話をしてる場合じゃないんだよっ」


 追跡ゲートとやらの説明を聞いていないが、緊急回線みたいなものだろう。たぶん。

「蚊門でクーデターが起こっちゃった!」


 いきり立つ表情でリアがそう言った。極めて冷静を保つように努力したが、心の底では浮き足立っている。心拍数が上がって呼吸もしにくくなっていた。


「……ついにか。それでまずはどうすればいい?」

「えーっと、えーっと、えーっと……」


 経験の浅いリアは、胸ポケットから一冊の手帳を取り出して、ぺらぺらとめくりながら答える。

「まずは落ち着け」


 リアはハッとした顔を俺に向けて、落ち着いた表情になってから小さく頷いた。そして再び手帳をめくり始める。


「ひとまず蚊門のテリトリーに向かいましょう。門帝と従者が双方門界を空けている状態は好ましくありません。私も向かいますので」


 冷静な口調でジョカが言った。驚いたような目でジョカを見ていたリアは頷いて、それぞれゲートを開いて蚊門のテリトリーへと向かった。


 通されたところは、今まで蛇門や蚊門のすべてだと思っていた四畳半の部屋ではなかった。だだっ広い庭園という感じで、足首ぐらいの高さの草むらがしばらく続いている。ある一定からは青々とした木々が生い茂った森となっていた。


「空があるんだな」

 草原の中に立っていた俺が、天空を仰ぎ見ながらそう言うと、


「あれ、作り物なんだよね。やっぱ空が見えないと、蚊もストレスになるみたい?」


 リアが説明してくれた。彼女は何やらタブレットPCのような端末を提げて、先々と歩いて行く。似合いもしない黒いハイヒールの踵が、地面の土を荒々しく蹴り上げていった。


 リアの口調と表情こそ普段の軽いノリだったが、彼女の歩き方はひどく落ち着きなく、粗暴な振る舞いのように感じられた。


 後ろから付いて来ているはずのジョカに目を向ける。


「眼鏡っ? それにスーツ……」


 彼女の出で立ちは女教師? をイメージさせるものに変化していた。赤い縁の目立つ四角い眼鏡。紺色のスーツジャケット、タイトスカート、黒のパンプスは踵が高め。やはりタブレットPCのような物を小脇に抱えている。


「これは私のバトルフォームなんですよ」

 眼鏡の端をくいっとあげながらジョカは笑った。しかしすぐに女教師? をイメージしたような鋭い表情になる。


「あーあたしも着替えよっと」

 リアがそう言った。そして端末を操作し始める。


 やがて彼女の身体全体が、眩しいまでの白い光に包まれる。しばらくして光が収束していくと、中から現れたのは……。


「何なのおまえ、その格好」


 蚊だからだろう。羽が生えていた。しかし蚊のそれではなく、真っ白な翼。白鳥のような翼。人型がそれを背中に生やしたらどうなるか。答えは天使である。白くて薄そうな生地のロングスカートワンピース。ノースリーブのため、本来はセクシーだったのであろう。


 いかんせんリアの容体は幼女である。ご丁寧に頭の上に載っている天使の輪っかには、後頭部らへんから伸びている針金で支えられていた。


 似合ってねぇ……。見ろよ。スカートが長すぎて裾を踏んづけ――。

「浮いてるっ!」


 天使風のリアは足が地面に付いていなかった。よく見てみると白い翼が、微かに脈動している。それになんと言っても似合ってない。


「どう? ギャップが恋を生むでしょ?」


「生まねぇな」


「まさかっ!」

 まるで信じていない。


 女教師ジョカと天使見習いリア。ふたりに圧倒された俺たちはそのまま進軍した。


「んで、とりあえずどうすればいいわけ?」


 しばらく草むらを歩いていた。正面の果てに広がっている森。真っ直ぐ歩いているが他に遮蔽物はない。目的地は森以外に考えられないだろう。だが一向に辿り着く気配がない気がしていた。


「んっとね、今、他の兵たちに指令を出しているところなの。そんでそっちに反乱軍が集まってるみたいだから、もしかしたら上手く先導者のところまで入り込めるかなーって」


 到底作戦内容を語っているように思えない軽い口ぶり。それは任務が成功しない不安さえ煽ってくる。適当に決めたような感じがしたのだ。


「念のため、先ほどから周囲を索敵していますが、今のところ悪意の持った者が近づいている様子はありませんね」


 小脇に抱えた端末を操作してから、ジョカが右手中指の腹で眼鏡をくいっと上げて言った。

「じゃあ、このまま直接先導者のところへ行って、俺が決着を付けて終わりってこと?」


「このまま行くとそうなりますね」

 俺の横に並んで歩いていたジョカが短く答える。前を歩いているリアが振り返って頷いた。そして続けるように口を開く。


「ああ、そうだ。さっきも言ったけど、ここはテリトリー内だからスケールアップしてることに注意ね。心の準備が出来てなかったら、きっとビックリ仰天しておしっこ漏らしちゃうかも」


 バカにするな、と言いたかった。しかし拡大した蚊を想像してみると、事前に言っててもらって助かったかもしれない。


「やっぱグロいのか?」


「だいぶね」

 口の端を上げて答えるリア。


「蚊人間とかの方がマシかもしんない」

 そう言ってからリアは、再び前を向いてスーッと移動し始めた。俺とジョカはその後を付けるように続いて行く。


「それにしても、ここは蚊門のテリトリーだってのに一匹もいないんだな。あの四畳半の部屋とは大違いじゃないか」


「いや、だからみんな戦ってるんだってば」

 ああ、そう言えばそうでしたね。


「あの部屋にいるのは、非戦闘員の世話役とか、情報処理担当とか、門の重鎮とかだからね。普段はこの辺もあちこち飛んでるんだけどな。せっかくだから見れればよかったのにね」


 いや、いいっす。とも言えなかった。

「蛇はそんなにひどい見た目ではないですよ」


 さりげなく入るジョカの謎のアピール。確かに蚊に比べれば……大蛇をイメージすればグロくはないように思えた。



「止まって」

 リアが左手を俺たちの前に伸ばして言った。右手の人差し指を立てて口元に当てる。そのまま背後にいる俺の方へ振り返った。いつになく真面目な彼女の顔に、反射的に呼吸することも忘れて口を閉じる。


「この先、見える?」

 リアが口元に当てていた人差指で指した方向には、大きな影が見えた。


 それはヒト型ではなく、太いパイプような筒が途中で折れ曲がった足らしき影。それが楕円の巨大な米粒のような影から生えていた。頭部と思われる部分からは、一本のパイプのような口吻が突き出ている影だ。


 蚊だ。


 事前にそう言った情報があったお陰で、その四メートル巨体の影を、瞬時に『蚊』だと悟ることができた。


 俺たちのいる草原からは、だいたい三十メートルほどさき。そこは森のやや奥まったところに位置する広場であった。幹と幹の間から姿を覗かせている影は、奇っ怪な動きで周辺を闊歩している。ちらりちらりと映る不気味な影。高まる鼓動。


 リアが潜めた声でこう説明した。


「あれが、今回のクーデターの先導者のツラキだよ。頭脳派で体術もそこそこ優れてるんだけど、いかんせん保守的なんだよね。前帝マルティアリス様とは、そこが一番折り合いが悪かったみたい」


 マルティアリスという蚊が、どういった蚊だったのかが朧気ながら見えてきた。保守派と仲が悪いということは革新派だったんだろう。急激な改革を望み、いざとなれば伝統的価値観などを、軽く捨て去ることができる思想だ。


「自動継承だった場合は、彼が門帝になる予定だったのか?」


「ううん。彼の右腕となっているマーオというのがいるんだけど、そっちの方が有力だったね」


 ふむ……。


「次期門帝候補が、何故ツラキの片腕なんかやってるのかがわからん」


「んーとね……」

 手帳を取り出して何枚かめくり始めるリラ。


「――あ、あったあった。頭がちょっと劣るんだって。っていうかツラキが異常なのかな。蚊門でもトップクラスの天才みたいだし。そんで年功序列的な?」


 微妙に説明をはしょるところがリアらしい。


「つまり、単純な年齢差が大きいってのと、口答えしても勝てないってことか」


「そそ。そんな感じ」

 俺たちは身を低くして、森の中にある広場へと近づいて行った。


「そろそろ勘づかれますよ」

 一定の距離まで迫った時、場を引き締める意味なのかジョカがそう口にした。


 木陰に包まれた森の中はひんやりとしていた。枝葉が風に揺れる。地肌に横たわる枯れ枝を、避けるように慎重に歩く。次第に広場が明るみになっていく。影だった巨体の実態。黒の肌に白い斑がいくつも入っている。楕円の身体の上部に、重ね合わせている透き通った黒の羽。それが律動しているところが気味悪かった。


 それがパイプのように太い足を使って、広場をうろうろとしている。足音はない。その代わりに歩を踏み出す度に、パイプが地面に突き刺さって土をえぐる微かな音だけが響いた。

 二体いる。


 表面が赤に白の斑が入った巨大な蚊だった。そいつももう一匹と同様に広場を歩き回っている。


 何してるんだ……?

 いびつな円形に広がる広場で、二体の巨大な蚊が謎の回転歩行を繰り返しているのだ。それはダンスか何かに興じているようにも見える。二体が接触することはなく、常に一定の距離を同じ進行方向へぐるぐると回っていた。


「あれって何してるんだ?」

 思わず尋ねてしまった時だ。


 ぞくり。


 背筋を大量の蚊が這ったような感覚が襲った。うなじの部分に蚊が集結しているような嫌な感じ。一瞬だけリアに向けた視線を広場に移すと、二体の巨大な蚊がこちらを見ているのがわかった。


 頭部の先に付いている黒い二つの丸。それが模様ではなくヤツらの目だということに気がつくまで時間が掛かった。ヤツらの視線に捉えられているというだけでおぞましさが増してくる。


 程なくして、黒い方の蚊が発光し始めた。続くように赤い方の蚊も光を帯び始める。フラッシュのように何度も強く目映く光った後、徐々に光を覆った身体ごと収縮していき、その形を変えていく。リアが似合わない低い声で、


「変態中だよ」


 ヘンタイ中……。ヘンタイ……。えっち……。えっち中……。


 所詮は普通の男子高校生である俺が、思考がそっちにいってしまうのは生物界の掟なのだと、自分に言い聞かせることにする。


 やがて変態共が変態を終えた。中から現れたのは変態からほど遠いイケメンだった。

 いや、イケメンでも変態かもしれん。


 そんなことを考えつつ俺は、黒い蚊だったイケメンを上から下まで見回した。銀髪の長い髪。やや白い不健康そうな肌。二重まぶたは切れ長で、唇は厚くも薄くもない。鼻が高く長身であり、変態前の模様のロングコートのような衣装を着ていた。


 まさに非の打ち所のないイケメンである。戦う前から負けている。


 やがて赤い蚊の方も変態を終えていた。中から現れたのは上半身が裸の変態である。筋肉隆々の地肌には浅黒い肌に白い斑。下半身は赤い表面に白い斑の長ズボン。何故か裸足の変態は、銀の髪を短く刈り揃えていた。耳が大きく、大きな目は優しさを讃えているような印象を受けた。


 このクラスでも幻身できるのか。


「これは従者殿。……おや、そちらは新しい門帝様ですかな」

 ロン毛の方が言った。長くないその台詞だけで不快指数が急上昇するような物言いだ。皮肉たっぷりの上から目線を、ムリヤリ敬語にしたような不快さであった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る