* 9話 未来予想図は二人で描こう *

* 1 *

「この国の新聞は同じ事ばっかり書いているわネ。飽きないのかしラ?」

「こんなにおめでたい事は久しぶりなんだからいいじゃない。モニカはいつも文句ばっかりね」


 そんな事ばかり言っていたら幸せになれないわよ、私がそう続けるとモニカは広げていた新聞を乱暴にたたんだ。その一面には、皇太子であるお兄様と多恵子お姉様の婚約が正式に決まったと大きく報じられている。皇太子の幼馴染で、民間からやってくる初めての【プリンセス】に国民は夢中で、街はお祝いムード一色になっている。婚約が決まってからは、結婚に関わる儀式などでお兄様たちはとても忙しい様子だった。私もあまり会えていないけれど、時折富永殿が様子を教えてくれる。忙しいけれど、2人とも幸せそうとのことだった。それを聞くたびに、羨ましくて仕方がない。


 ギルが国に帰って二年、私が女学校を卒業して一年半。もう、そんなに時は流れている。あれ以来、何度もギルには手紙を書いては送ったけれど、彼からの返事は来なかった。しかし、私は手紙を送り続けていた。季節の花々が描かれた絵葉書にひと言を添えるだけの簡素な手紙が、私が唯一彼とのつながりを感じる瞬間。それすらなくなってしまったら……考えるだけでも恐ろしかった。


「けど、国交正常化についてはどうなっているのかしラ……? 新聞には何も書いていないみたいだけド」

「モニカのお父様は何かご存知じゃないの?」

「さあネ。最近忙しくて家にも帰ってこないワ。話を聞きたくても聞けないノ」


 ハノーヴ国と陽本国の国交について、話し合いは進んでいないのか詳しく報じられる日はない。お兄様も忙しいため、私は今新聞でしか情報を得る事しかできないため、私の元には吉報が届かない日々が続いていた。


「ほら、愚痴ばかり言っていないで早く今日の授業を始めてくださらないかしら?」

「分かってるワヨ。ほら、テキストを開きなさ……」


 モニカがそう言うよりもずっと先に、私の手元にはマナーについて書かれたテキストが開いておいてある。モニカは苦虫をつぶしたかのような表情を見せた。彼女はこの春から、私の家庭教師として週に数回、この珊瑚樹宮邸を訪れている。モニカを連れてきたのも、お兄様だった。


「お前が卒業した女学校でも教えていたんだろ? スペンサー殿のご息女だし、ハノーヴ国のマナーを教えてもらうにはぴったりじゃないか?」


 お兄様はモニカと私がギルを取り合った仲なんて事、きっと知らないのだろう。私はそれを水に流そうと「どうぞよろしくお願いします」と頭をあげたけれど、彼女は「ふんっ」とそっぽを向いて鼻を鳴らし、「宮様の前で、その態度はなんですか!」とトクと多恵子お姉様にとても叱られていた。


 はじめは「ミス・スペンサー」と呼んでいたけれど、彼女はすぐにファーストネームで呼ぶように強要してきた。その仰々しい呼び方では背中がむずむずとかゆくなるらしい。ハノーヴの国民性はファミリーネームで呼び合うのは嫌うのか、彼女やギルが変わっているのか、難しい所だった。


モニカは私に、ハノーヴでのマナーを一気に叩き込んでいった。所作の礼儀作法やテーブルマナー、女性らしい振舞い方。モニカの指摘もあり、私は今和装ではなく洋装で過ごす時間も増えていった。ギルがくれた藤色のワンピースは彼が帰ってくるまで袖を通さないと決めていたから、モニカが教えてくれた洋装店でドレスやワンピースを仕立て、靴屋でヒールのある靴を作り、まずは慣れるところから。……初めてヒールのある靴を履いた日の事は忘れられそうにない。一歩歩くたびに転びそうになり、その度にモニカが笑う。モニカの前で履くんじゃなかったと後悔したし、その次の日は脚が筋肉痛になりとても辛かった。それでもずっと履いている内にすっかり慣れたけれど(それを見たモニカは盛大に舌打ちをして、またトクに叱られていた)。


「あの子は何か教えてくれないノ?」

「あの子? あぁ、京子さんの事」


 京子さんは話をしていた通り、女学校を卒業した後、婚約者も連れて一家でハノーヴ国に移り住んだ。勉強の甲斐あって、簡単なハノーヴ語は読めるようになったけれど、話すことに関してはてんで成長しなかった。ハノーヴ語で話しかけられると焦ってしまい、上手く言葉が出てこないらしい。なので、屋敷の中でお母様とこもる日々が続いているみたいだった。数少ない話し相手である父と婚約者の方は最近突然忙しくなったらしく、日中にゆっくり話すこともかなわずにいる。彼女の手紙にはそう綴られていた。


「そう言えば、たまに街を歩くのだけど最近ハノーヴの国の方に話しかけられることが増えたと書いてありました」

「へぇ~。何でかしラ?」

「何を言っているか分からないから、とりあえずお礼を言って逃げるって」

「あの子らしいワ。……そっちの国ではどうなっているか、全く情報がないのもネ」


 モニカは大きくため息をつく。


「そういえば、商社からの問い合わせが最近多いって小耳に挟んだワ。京子の親の会社かしラ?」

「外務省の職員の方が言っていたのですか?」

「えぇ。陽本国の製品を直接輸入させたいっテ……ほら、まだ国交を結んでいないから他国を経由しないと品物を運ぶことができないでしょウ? そうするとコストが跳ね上がって、製品の価格に反映されてしまうからっテ。最近、急にこの国の物が祖国で良く売れるようになったみたいネ」

「そうなんですか? どうしてでしょうね」


 モニカは「さァネ」と首を傾げた。


「それデ、この前言った事だけど、覚えていル?」

「……社交界に出ろって言う話ですか?」


 彼女は頷く、私からは大きなため息が出た。前回のレッスンの終わり、私はモニカから社交界デビューを勧められていた。


「百合子、知り合いが全くいないでショ」


 ぐうの音も出ない。結局、女学校に通っている間にできた友人は京子さんだけだった。


「横のつながりを広げるのも大事ヨ。私が進駐軍将校や外務省職員のご婦人を紹介してあげル」

「……そのような場に行くのも大事だと分かっているのですが、お兄様が何と言うか……」

「アラ? 歓迎していたわヨ。是非連れて行って欲しいとおっしゃっていたけれド」


 お兄様に反対されるかも、というのを行かない言い訳にしようとしたけれど、とっくに先手を打たれていたみたいだ。


「それに、サロンに出たら、ギルについての情報も集まるかもしれないワヨ」

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