* 4 *


「こんな素敵なものを用意してくれていたのなら、これを着て写真を撮って貰いたかったわ」

「そうですか? いつものリリィの姿もとても素敵ですよ。それに、折角写真を貰えるなら……いつも通りの貴女の姿が欲しい」


 彼の声音が、少し寂しげに聞こえてきた。顔を上げてギルを見つめる。ティーカップに口つけるその横顔はいつも通りなのに、胸には不安感が積もり続ける。気のせいだとそれを振り払うために、私は大きく息を吐いた。


「でも、似合うかしら? 私、あまり洋装を着ることがないから」


 お姉様方が着ているのはよく見るし、一応持ってはいるけれど、袖を通したことがある洋装は女学校の制服くらい。私はトクにそれを渡す。受け取ったトクは丁寧に畳んで箱に戻してくれた。


「本当は白いワンピースにしようかと思ったんです。リリィ、百合の花も白いでしょう?」

「えぇ、そうですね」

「でも、やめました。だって、白は花嫁の色でしょう? それは貴女が私と結婚する時まで取っておこうと思いまして」


 カッと顔が熱くなる。恥ずかしげもなく、彼は歯の浮くようなことを簡単に口走る。私が赤くなっているのを尻目に、トクが箱を持って部屋から出て行ったのがわかった。気を利かせて2人きりにしてくれたのだろうけれど、今の私には、この甘くなりつつある空気を冷やかしてくれる人が欲しくて仕方がなかった。


「この国も花嫁の衣装は白いのでしょう? 多恵子さんに見せてもらったことがあります」

「多恵子お姉様に!?」

「えぇ、参考にしたいと話をしたら家に招待してくださったのですよ。お母様が着たというシロムクを見せてもらいました。あれを着るリリィの姿、さぞ綺麗でしょうね」


 ギルが熱くなっている私の手を握った。


「我が国の花嫁衣装も白いんです。ウェディングドレス、見たことありますか?」

「え、えぇ……写真だから色は分からなかったけれど、同じように真っ白だと聞いたことがあります」

「ドレスを着たリリィもさぞ綺麗でしょうね」


 顔を上げると、彼が柔らかく微笑んでいた。私は視線を背けることもできず、小さく口を開く。


「……二着も着たら、贅沢ではありませんか?」

「一国の姫君がそんなことを気にするのですか?」


 そう言ってギルが笑う。けれど、あまり華美な事ばかりしていると国民から反感を買うかもしれない。二人の婚姻が両国にとってよいものをもたらすように、と願っている彼にそんな声ばかりが耳に届くのは困る。私が不安な顔をしたのが彼にすぐにばれたのか、ギルは「大丈夫ですよ」と優しく口を開いた。


「それに、きっと私たちは二度結婚式をあげますよ。この国と、私の国に渡ってから。それなら、それぞれの国の伝統に則って挙げませんか?」

「……考えておきます」

「良いデザイナーを紹介してもらいますね。……早く貴女を私の国に連れて行きたい」

「ダメですよ。まずは女学校を卒業してから。それに、いろいろ儀式だってあるんですから」


 私がそう言いかえすと、彼は今日何度目かの少しだけ暗い表情を見せた。私はそれをかき消したくて、わざとらしく明るい声を出す。


「そうだ! あのワンピース、来年の藤の花が咲くころに着ようかしら?」


 彼は笑ったけれど、薄暗い影のようなものは消えることはなかった。


***


「ワンピース頂いたんですか? いいですね!」


 翌日の昼休み。私と京子さんは中庭の隅でこそこそとそんな話をしていた。『こそこそ』したかったのは私だけで、京子さんは声を張り上げ、まるで自分自身が貰ったかのように喜んでいる。


「……でも、私、洋装を着る事ってあまりなくて、どうしたらいいか分からないの。合う靴も持っていないし……京子さんは?」

「私はお父さまの仕事の関係で何着も持っていますし、着る機会も多いですよ。そうだ! 私が何か紹介致しましょうか?」

「え? いいの?」


 思っても見ない提案に私が飛びつくと、京子さんは大きく頷いてくれた。頼もしい味方はこんなに身近にいたなんて、嬉しくて仕方がない。


「うーん、我が家に来ていただくのがいいんですけど……宮様である百合子さんをお招きするのは難しいかしら?」

「ううん! 多分大丈夫。京子さんのお宅に伺うって言えば。でも、警備で少しやかましくなるかもしれないけれど」

「それなら、今度ぜひ遊びにいらしてください。お父様もお母様もきっと驚くと思うわ」


 二人で顔を見合わせて笑う。楽しみがどんどん増えていく。こんな日々が続けばいいのにと思っていると、真上から「アーーッ!」という叫び声が聞こえてきた。嫌な予感がして見上げると、窓から身を乗り出したミス・スペンサーが私を指さしている。


「探したわヨ! ソコで待っていなサイ!」

「み、宮様を指さすなんて不敬ですよ!」

「いいわよ、京子さん。気にしてないから……私に何の用事かしら?」

「きっと碌なもんじゃないですよ! 大丈夫、私がガツンと言ってやりますから!」


 そんな話をしている内に、息を切らせたミス・スペンサーが中庭にやって来た。その姿はいつもの優雅な彼女から程遠いものだった。


「ど、どうしたんですか、センセイ……」


 ガツンと言ってやると息巻いていた京子さんも、少し慄いている。そんな京子さんを押しのけて、彼女は私の目の前にやって来た。


「アンタ! こんな大事なコト、どうして私に黙っているノヨ!」

「え? あの、何の事でしょうか……?」

「しらばっくれるのもいい加減にしてヨネ! ギルがハノーヴに帰るなんて、私聞いてないワヨ!」


 私は言葉を失っていた。体がまるで氷水に浸したように冷たくなっていく。顔が青ざめていくのに、二人はすぐに気づいたみたいだった。


「マサカ、アンタも知らないノ……?」

「ゆ、百合子さん!? 将校様のことですよ、何も聞いていなんですか?!」


 二人の問いかけに、私は首を縦に振るのに精いっぱいだった。

 私の代わりに京子さんがミス・スペンサーに何度も聞いたけれど、返事は全て同じだった。


 ギルは国に帰る。

 どうやらギルは軍から外務省へ出向することがうちうちに決まったらしい。国交正常化に向けて、陽本国に駐在経験のあるギルが特別顧問に就任するとのこと。


「お父様から直接聞いたのだかラ、間違いないワ」


 ミス・スペンサーはそう話す。


「で、でも、すぐに帰ってくるのでしょう?!」


 動揺してうまく話すことのができなかった。唇が大きく震える。私の問いかけに対して、ミス・スペンサーの返事は「NO」だった。


「私も詳しいことは知らないけれド、国交正常化なんてそう簡単に解決する話じゃないのハ、あなたがよくわかっていることでしょう? 1年後か、3年後か……もうしたら、二度とこの国には来ないかもしれないわネ」

「そんな……ねえ、百合子さん、本当に将校様から何も聞いていないのですか?」

「え、えぇ……」

「こんな大事なこと、婚約者である百合子さんが知らないなんて変です! 確認に行きましょう、これから! 今すぐ!」

「確認って、どうやって……」


 杏子さんは私の肩を掴んで、真正面から私を見つめた。


「放課後に進駐軍の本部に行くんです、私もついていくから安心してください!」


 私が目線をそらすと、京子さんはさらに強く肩を掴んだ。指が食い込み、わずかに痛みが走る。

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