* 3 *

 フィルムはすぐになくなってしまい、兄による撮影会はようやっと終わってくれた。


「その写真、私もいただけたりしますか?」


 ギルはそんな事をお兄様に聞いている。


「ああ、上手く撮れたのは焼き増ししておこう。百合子に預けておくから、受け取っておいてくれ」

「いい記念になります。ありがとうございます」

「どうして二人ともそんなに元気なんですか? 私はもうくたびれてしまいましたよ……」


 がっくりと肩を落とす私を見て、お兄様は大きな口を開けて笑っていた。私の事を労わってくれるのはギルだけだ。


「それじゃ、これ以上いたら俺はお邪魔虫だな。そろそろ帰るかな」


 カメラを首にかけ直して、お兄様は停めてあった車に乗って帰っていった。


「ほんと、まるで嵐みたいな人だわ……」


 深くため息をつくと、ギルは「お疲れ様」と私の肩に手を乗せた。


「写真、楽しみですね」

「私、絶対変な顔になってます……」


 それを想像すると、何だか憂鬱になっていく。それに気づいたのか、ギルはこんなことを言った。


「気晴らしに、もう少し庭を散歩していきませんか? 今日の授業はそのあとという事で」


 私はその言葉に頷き、ギルの横に寄り添った。私たちは写真を撮った花壇に戻り、言葉を交わすことなくあたりを散策する。この静かな時間でさえ、幸福を感じるには十分だった。庭の奥には東屋があり、私がそこで休憩でもしようと提案すると、ギルは頷いた。


「少し冷えてきたみたいですが、大丈夫ですか?」


 ギルの言葉に「大丈夫ですよ」と返したけれど、直後に小さなくしゃみが出てしまった。恥ずかしくて口元を押さえたまま少し俯いていると、肩に何かかかるのがわかった。ふわりと彼の香りに包まれる。私の肩には、ギルの上着がかかっていた。


「大丈夫ですから」


 上着を彼に返そうとしても、ギルは首を横にするだけだった。


「リリィがまた風邪をひいたら困りますから」

「私だって、あなたが体調を崩したら困ります!」

「気になさらないでください。ちゃんと鍛えてますから、少しばかり冷えても風邪は引きません」


 ギルはそう言って、私の肩を引き寄せるように抱く。ぽっと体に火がついたように熱くなった。ギルを見上げると、その優しい眼差しが私を見つめていることに気づいた。恥ずかしくてまた顔を伏せると、ギルの指先が顎に触れた。そのままそっと、上を向くように促される。


「だめ、です」


 ギルが何をしようとしているのか、今の私にはすぐにわかる。


「どうして?」

「外ですから、誰かに見られてしまうかも……」

「こんなところ、誰も来ないですよ」

「お兄様が戻ってくるかも……」

「あの方なら、きっと喜びますよ」


 でも、と続けようとした私の声は彼の唇に吸い込まれていった。何度も触れ合い、離れていく。触れ合っている時間は少しずつ伸びていき、いつしかギルの腕は私の背中に回って、強く抱きしめられていた。私が同じように腕を回すと、さらに強く。彼の体に包まれていると、いつもとは違う感覚があることに気づいた。ギルの暖かい優しさの中にある、冷たい氷にも似た感情。私が顔をあげると、彼はいつものように微笑んでいる。


「どうかしましたか? リリィ」

「いえ、あの……」


 私が戸惑っていると、彼は私の頭を優しく撫でた。


「もう戻りましょうか。トクさんもきっと首を長くして待っているでしょうし、それに、今日は貴女に渡したいものがあるんです」


 そう言って、彼は立ち上がり私に手を差し伸べる。私は戸惑いながらもその手を取った。


 屋敷に戻ると、トクはお湯を沸かして待っていた。


「寒かったでしょう? また風邪をひいては困りますからね、温かいお紅茶でも淹れましょう」


 座る私に膝掛けをかけて、ポットにお湯を注いで行く。茶葉が開いていく豊かな香りがふんわりと広がって、それだけなのに体が少し暖かくなったような気がした。


「そういえば、渡したいものがあると仰っていましたが、また贈り物ですか?」

「はい、もちろん」

「もう、そうやって贈り物ばかりされては困ります。私なんて何もしてないんですから」

「貴女が喜んでさえくれたら、他には何もいりませんよ」


 そう言って、彼は大きな長方形の箱を取り出した。


「洋装ですか?」


 お姉さまの家で見たことがある、洋装のドレスが入っている箱。ギルは「えぇ」と頷き、私に向かって差し出した。じっと見つめてくるので、その視線に負けて私は包装を剥がし、箱を開ける。


「……わぁ」

「あら、とっても素敵ですこと」


 中から現れたのは、淡い紫色、藤色のワンピースだった。私は箱からそれを取り出して、立ち上がって体に当てる。たっぷりギャザーが寄せられたフレアスカート。襟元と袖口、ウエストにはレースが施されていて、とても品があって素敵なデザインだった。私のその姿を見て、ギルは優しい笑みを浮かべながら「よくお似合いですよ」と言ってくれた。

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