* 5 *


 柔らかく微笑んでいるが、その奥には、少し寂しさも見えた。私は、このところずっと胸の中でもやもやと渦巻いていた感情を思い出していた。


 触れられるたびにドキドキと胸が痛くなったこと。


 思い出すたびに、心臓の裏側がくすぐったくなったり、体が熱くなったこと。


 そして何より、会えなくて寂しかったこと。会いたくて仕方がなかったこと。


 それらは、たった二文字の言葉で表すことができるなんて、私は今の今まで知らなかった。


「私も、です」


 勇気を振り絞って、そう呟いた。きっと、私の顔は真っ赤に染まっているに違いない。だって、異性に自分の気持ちを打ち明けるなんて生まれて初めてのことだったから。


 しかし、ギルはそれだけでは満足していないみたいだった。


「それなら、リリィも言ってくださいよ」

「へ?」

「私の事が好きなら、【好き】って。ほら」


 私も、と告げるだけでこんなに心臓がバクバクとうるさいのに、それを言葉にしてしまったら、今度は爆発してしまうんじゃなかろうか。私が首を横に振っても、彼はニコニコと笑うだけで許してはくれなかった。


 私は観念して、彼の首に腕を回して引き寄せる。……これ以上熱くなっていく顔を、彼に見られるのはどうしても恥ずかしかった。耳元に唇を寄せて、本当に小さな声で、そっと囁いた。


「……好き、です」


 ギルが嬉しそうに笑う声が聞こえる。腕の力を緩めるが、彼は覆いかぶさったまま、私から離れようとはしなかった。私の頬に触れ、唇を親指でなぞる。


「くすぐったいのですが……」

「あなたの気持ちを聞いたら、我慢できなくなってきました……キス、しても?」


 私の唇に、彼のそれが近づいて来ているのが分かった。


「え? あ、いや、だめです!」


 とっさに、私は彼の口元を両手で押さえる。ギルは不満そうに眉をしかめた。


「もういいでしょう? 想いが通じ合った男女がよくするコミュニケーションですよ」

「だめ、です! 風邪がうつったらどうするつもりですか!?」

「ちゃんと体を鍛えているので、風邪なんてうつりませんよ」

「だめなものはだめなんです!」


 私が頑なに拒んでも、彼の態度は変わらなかった。


「……それに、婚前の男女がそんな事をしては、はしたないと言われてしまいますし……」


 私の中には、もし誰かに見られたらどうしようという不安が渦巻いていた。き、き、キスなんてふしだらな事をしていると知られてしまったら、お父様やお兄様だけじゃない、進駐軍にも迷惑をかけてしまうことになる。私が慌てているのを見て、ギルは面白そうに笑っていた。


「わ、笑い事ではありません!」

「大丈夫ですよ、リリィ。誰も見ていませんから」


 私が眠りにつく前まで見張っていたトクは、ここにはいない。カーテンはぴったり閉じられていて、外から見られることもない。私がそれに気づくと、ギルは私の手を避けて「いいでしょう」とほほ笑んだ。私がおずおずと頷くと、ギルは再び近づいてきた。私は目を閉じる。


 暖かい彼の呼吸が近づいてきたと思ったら、すぐに柔らかなものが唇に触れた。少し離れたと思ったら、また柔らかく押し付けられる。それが、何度も何度も繰り返された。


 私が彼の服をぎゅっと掴むと、その手はゆっくりほどかれ、彼の指と絡まった。その間も、まるで啄むような口づけをされる。薄い皮膚が触れ合う、初めての感触。くすぐったくて、暖かくて、火が着いたように体が熱くなっていく。それ以上に、私は幸福を感じていた。こんなに近くに、彼がいる。その喜びが、キスされるたびに溢れていた。


「……リリィ」


 彼は少しだけ離れた。私がほっと息を吐くと、彼も熱っぽく吐息を漏らした。


「顔、真っ赤ですね」


 ギルは私の顔を見て笑った。


「だって、仕方がないじゃないですか。こんなの初めてですし……」

「すごい緊張していたの分かりましたよ」

「あなたみたいに、こういう事に慣れていないんです」

「私だって慣れてないですって」

「……どーでしょうか」

「あ、信じてないですね。……信じてくれるまで、またキスしましょうか?」


 そう言って、彼は両手で私の頬を包んだ。そして、ピタリと動きを止めた。


「ギル? どうかしましたか?」


 ギルは頬だけではなく、おでこや首筋に触れていく。


「……熱、上がって来たみたいですよ」

「え?」

「トクさん呼んできますね。リリィは動かないように、すぐ戻りますから」


 そう言って頬にひとつ口づけをして、彼は慌てた様子で寝室を飛び出して行く。確かに、彼が言っていた通り、体温が上がっているような気がする。頭の中もぼんやりしていて、もう目を開けるのも億劫になってきた。


 私は目を閉じた瞬間、再び眠りに落ちてしまった。


 今度は、良い夢を見ることができるかもしれない。


***


 熱がぶり返してしまった私は、それからさらに数日寝込むことになってしまった。その間も、ギルは何度もお見舞いに来てくれた。


 帰り際、彼は私の唇を掠めるように口づけをしていったけれど……ギルに私の風邪がうつることはなかった。


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